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人間として生まれる機会を与えられるのは特権だと私は言いましたが、なぜでしょうか。それは、人間として生まれることで、自分の仏性またはキリスト意識を発見して、自分や他人の苦しみを取り除く一助となる機会を与えられるからです。ですから、人々の苦しみから目をそむけないでください。心を開いて、あらゆることを感じてください。


最終的な責任はあなた方にあります。悩みや苦しみをなくす方法が存在し、それがいまここにあるということを忘れないようにしてください。


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分割し、征服する、というのがエゴの本性です。分割のないところには、征服もありえません。あらゆる思考は、ものを分離するか、統合するかどちらかです。


考えどうしに差異をたてる思考、人をたがいに区別する思考は、一体性の気づきをくもらせます。人々をたがいに結びつける思考、ある考えを別の考えに結びつけるような思考は、一体性を明らかにします。


考えは、敵になりえます。人々は、自分の考えと自分を同一視します。


おたがいの考えかたが競合せずに共存できるまでは、どんなふたりの人もくつろいでいっしょにいることはできません。相手の考えを受けいれることは、たとえその考えに自分は同意できなくても、相手に敬意と信頼をさしのべることになります。


だれかといっしょに平和にいるためには、自分と相手を隔てるものではなく、結びつけるものを見る必要があります。結びつけるものを見てとるなら、たがいの差異をも尊重できます。差異のほうを見てとるなら、その差異を克服しようとあくせくすることになります。


差異を克服しようとしても、たいてい失敗します。差異があるということは健全だからです。


いつでも相手に、自分と違っているためのすきまの場所を残しておいてあげなさい。


自分が受けいれられるためには、相手と同じようにならねばならない、そしてその逆も真だと感じると、あなたは差異を克服する努力をします。


差異はそのままにしておきなさい。あなたはそのままで受けいれられる人ですし、相手もそうです。


自分がいかに相手を、こうあるべきだと信じるイメージどおりに変えようとしているかに気づきはじめてください。また相手がいかにあなたを変えようとしているかにもです。その押したり引いたりを感じてください。


エゴとは宇宙でもっとも不安定なものです。エゴは自分自身を憎んでいるので、他のあらゆるものを憎みます。その傲慢さは見せかけにすぎません。エゴを切り離せば、そのあとに傷口がぽっかり口をあけているのがわかります。


エゴとは、自分が愛されているのを知らないあなたの一部分です。エゴは愛を与えません。与えるほどの愛が自分にあるとは知らないから、です。


これは、この世界をさまよい続けるすべての魂の叫びです。


どこへ行くかはほんとうは重要なことではありません。なぜなら、あなたには何かを達成して自分の価値を証明する必要はないのですから。あなたはただ、行った先々でまわりの人を助けるだけです。


自己防御の必要が少なければ少ないほど、あなたは人の役に立てます。


あなたがたの地上での経験は、自分自身を、兄弟を、神を信頼することを学ぶプロセスです。目覚めの最後の瞬間には、その信頼が完全に花開き、”自己”のこの三つの側面がひとつに溶けあいます。


その瞬間は言葉では言いあらわせませんが、あなたがたが必ずそれを経験することは確かです。それを経験して初めて、このことすべてが完全に腑に落ちるでしょう。


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質問者 かつて、私は奇妙な体験をしました。私はなく、世界もなく、内側も外側もただ光があるばかりでした。そして、そこには計り知れない平和がありました。それは4日間続き、それから私は日常の意識に戻ったのです。今、私が知っていることはみな、建築中の建物を覆い隠す単なる足場だと感じています。建築家、デザイン、計画、目的については何も知りません。何かの活動が続いています。ものごとは起こっています。これが私に言えるすべてです。私とは何か壊れやすく、短命なその足場なのです。建物が完成したとき、足場は壊され取り除かれます。「私は在る」と「私は何か」が重要ではないのです。なぜなら、ひとたび建物が完成されれば、「私」は当然のこととして、答えるべき何の質問も残さずに消え去るからです。


マハラジ あなたはそのすべてに気づいていないのだろうか? それは気づきが不変の要因だという事実ではないのだろうか?


質問者 私の永遠性とアイデンティティの感覚は、はかなく、頼りにならない記憶によるものです。つい最近のことでさえ、ほんのわずかしか覚えていないのです! 私は一生という期間を生きてきました。そして今、私に何が残されているというのでしょう? ひと束の出来事、よくても短編の小説です。


マハラジ このすべてがあなたの意識の内側で起こることなのだ。


質問者 内側で、そして外側で。日中は内側で、夜は外側で。意識はすべてではありません。その領域を超えたところで、とても多くのことが起こっているのです。私が意識していないものは存在しない、と言うことはまったくの誤りです。


マハラジ あなたの言うことは論理的には正しい。だが実際、あなたは意識のなかにあることしか知らないのだ。意識的体験の外側に存在するとあなたが主張するものは、推測されたことだ。


質問者 推測されてのものかもしれません。しかし、それは感覚よりも真実です。


マハラジ 気をつけなさい。あなたは話しはじめると言語上の宇宙をつくり出すのだ。言葉、概念、観念そして抽象の宇宙を。相互に依存しあい、織り込まれ、もっとも素晴らしく生成され、互いに支持しあい、説明しあってはいる。それにも関わらず、それには本質も実体もない、単なるマインドの創造物なのだ。言葉は言葉をつくり出す。実在は沈黙しているのだ。


質問者 あなたが話すとき、私は聞いています。それは事実なのではありませんか?


マハラジ あなたが聞いているということは事実だ。あなたが聞くことは──それではない。事実は体験できる。その意味においては、その言葉の音とそれが引き起こす精神的波紋は体験される。それ以外の実体がその背後にあるわけではない。その意味は記憶されるための、純粋に慣習的なものだ。言語は繰り返し実践されなければ簡単に忘れ去られてしまうものだ。


質問者 もし言葉に何の実体もないのなら、いったいなぜ、私たちは話をするというのでしょうか?


マハラジ 言葉は個人間の相互伝達というかぎられた目的に使われている。言葉は事実を伝えるわけではない。それは信号を送るのだ。ひとたびあなたが個人を超えれば、言葉は必要ない。


質問者 何が私を個人の彼方へと連れていくのでしょうか? どのようにして意識を超えるのでしょうか?


マハラジ 言葉や質問はマインドから起こり、あなたをそこにくいとめる。マインドを超えていくには、沈黙し、静かにしなければならない。平和と沈黙。沈黙と平和。これが彼方への道なのだ。質問はやめなさい。


質問者 ひとたび質問をあきらめたら、私はどうすればいいのでしょうか?


マハラジ ただ待ち、見守る以外何ができるだろうか?


質問者 何を待てばいいというのでしょうか?


マハラジ あなたの存在の中心が意識のなかに現れるのを待つのだ。眠り、夢見、目覚めの三つの状態はすべて意識のなかに現れる。時が来れば、あなたが無意識と呼ぶ状態も現れるだろう。意識全体を超えたところに非顕現がある。そしてすべてを超え、すべてに遍在する存在のハートは顕現─非顕現、顕現─非顕現(サグナ─ニルグナ)、と脈々と鼓動しているのだ。


質問者 言語レベルでは、すべて正しいように思われます。私には私自身が存在の種子、意識のなかの点として「私は在る」とともに現れては消え、現れては消え、と脈打っているのを思い浮かべることができます。しかし、それを事実として認識し、不変で無言の実在の彼方へ行くにはどうすればいいのでしょうか?


マハラジ あなたにできることは何もない。時間がもたらしたものは、時間が奪い去っていくだろう。


質問者 それではなぜ、ヨーガの修練や実在の探求を奨励するのでしょうか? それらは私に力を与え責任をもたせるように感じさせながら、実際には、時間によってすべてが為されるのです。


マハラジ 独立を実現すること──それがヨーガの終焉なのだ。起こることすべてはマインドのなかで、マインドにとって起こり、「私は在る」の源に起こるのではない。ひとたびすべてはひとりでに起こると悟るなら──それを運命、神の意志、あるいは単なる偶然と呼ぶがいい──あなたはただ観照者としてとどまる。理解し、楽しみ、しかし心乱されることのないままに。


質問者 もし私が完全に言葉を信頼することをやめるなら、私はどのような状態になるのでしょうか?


マハラジ そこには信頼する時期と疑う時期があるのだ。なぜ心配するのか?


質問者 とにかく、私は私の周辺で起こることに責任があると感じるのです。


マハラジ あなたに責任があるのは、あなたに変えられることだけだ。あなたに変えられることとは、あなたの態度だけだ。そこにあなたの責任があるのだ。


質問者 あなたは私に、他者の悲しみに無関心でいるように勧めるのですか!


マハラジ あなたが無関心でないということではない。人類全体の苦しみはあなたが次の食事を楽しむことを妨げはしない。観照者は無関心ではない。彼は理解と慈悲に満ちている。ただ観照者としてのみ、あなたは他の人びとを助けられるのだ。


質問者 全人生において、私は言葉によって養われてきました。私が聞き、読んできた言葉の数は何十億にのぼるでしょう。それは私のためになったのでしょうか? まったくそうではありません!


マハラジ マインドは言語を形づくり、言語がマインドを形づくる。どちらも道具なのだ。それを使うがいい。だが、誤用してはいけない。言葉はそれらの限界まであなたを連れていくことができる。それを超えるには、言葉は放棄されなければならない。沈黙の観照者としてのみとどまりなさい。


質問者 どうすればそれが私にできるでしょうか? 世界があまりにも私を邪魔するのです。


マハラジ それは、世界に影響されるのに充分なほど、あなたが大きいと考えているからだ。そうではない。何ものもピンで留めることができないほど、あなたは小さいのだ。捕らわれてしまうのはあなたのマインドであって、あなたではない。次元と時間を超えた意識内の単なる点としての、あるがままのあなたを知りなさい。あなたは鉛筆の先の点のようなものだ。あなたと接触するだけで、マインドは世界の絵を描き出す。あなたは単一で単純だ。絵は複雑で大規模なものだ。絵に惑わされてはならない。小さな点に気づきつづけなさい。その点は絵のなかのどこにでもあるのだ。
在るものが在ることをやめることはできる。ないものは存在のなかに現れることができる。しかし、在ることもないこともなく、存在と非存在がともに依存するそれは、否定することのできないものだ。あなた自身を、欲望と恐れの原因であり、しかもその両方から自由であるものだと知りなさい。


質問者 どうして私が恐れの原因だというのでしょうか?


マハラジ すべてはあなたにかかっている。世界はあなたの承諾によって存在しているのだ。世界の実在性に対するあなたの確信を取り消しなさい。そうすればそれは夢のように消え去るだろう。時間は山でさえも崩し去る。時間を超えた時間の源であるあなたなら、なおさらのことだ。なぜなら、記憶と期待なしに時間はありえないからだ。


質問者 「私は在る」は究極のものなのでしょうか?


マハラジ あなたが「私は在る」と言う前に、それを言うあなたがいなければならない。存在が自意識である必要はない。在るために知る必要はない。だが、知るためにはあなたが存在しなければならないのだ。


質問者 私は言葉の海に溺れそうです。どのように言葉を組み合わせるかにすべてがかかっていることが私には理解できます。しかし、そこにはそれらを注意深くまとめる誰かがいなければなりません。言葉をでたらめに集めるだけでは、『ラーマーヤナ』『マハーバーラタ』『バーガヴァタ』はけっして生まれなかったでしょう。突然変異の論理は、ここでは理にかないません。意味あるものの源は、それを超えたものでなければならないのです。混沌から秩序を創造する力は何なのでしょうか? 生きることは存在すること以上のものです。そして意識は生きること以上のものです。誰が意識的に生きる存在なのでしょうか?


マハラジ あなたの質問自体がその回答を孕んでいる。意識的に生きる存在は意識的に生きる存在だ。言葉はもっとも適切なものだ。だが、あなたはその完全な重要性を把握していないのだ。存在すること、生きること、意識、それらの言葉の意味のなかへ深く入っていきなさい。そうすればあなたは、質問をしながら答えを取り逃がすという輪のなかを走りつづけることをやめるだろう。あなたにはあなた自身に関しての正当な質問をすることはできないということを理解しなさい。なぜなら、あなたは尋ねているその人を知らないからだ。「私は誰か?」という質問のなかの「私」が知られていない。そしてその質問は「私は『私』が何を意味するのか知らない」と言い表すことができるのだ。
あなたであるものを、あなたは見いださなければならない。私にはあなたが何ではないかを言うことができるだけだ。あなたは世界に属するのではない。あなたは世界のなかにいるのでさえない。世界は存在しない。あなただけが在るのだ。あなたは想像のなかで世界を夢のように創造している。あなたがあなた自身を夢から分離できないように、あなた自身から独立した外側の世界を持つこともできないのだ。独立しているのは、世界ではなくあなただ。あなた自身が創造した世界を恐れてはならない。幸福と実在を夢のなかに探そうとするのはやめなさい。そうすればあなたは目覚めるだろう。すべての「なぜ」や「どうして」を知る必要はない。質問には終わりがないのだ。すべての欲望を放棄しなさい。マインドの沈黙を保ちなさい。そうすればあなたは発見するだろう。


* 訳注 『ラーマーヤナ』『マハーバーラタ』『バーガヴァタ』
(一)『ラーマーヤナ』Ramayna インドの最も偉大な国家的叙事詩、ラーマ神の物語を綴った聖典。原本はヴァールミーキによって、紀元前五〇〇年頃、サンスクリット語で記され、後にヒンドゥ語で帰依派のトゥルシダースによって帰依を強調した形で編集された『ラーム・チャリット・マーナス』が有名である。現代においてもっとも国民的に愛されている古代叙事詩の一つ。
(二)『マハーバーラタ』 Mahabharata 聖ヴィヤーサ著と言われるが、作者はひとりではない。紀元前の遥か昔の物語が語り継がれ、修正、増補されて、四世紀頃現在の形をとったと考えられる。北インド、バーラタの支配権を巡って、バーンダヴァ王家とカウラヴァ王家に起こった同族間戦争を描いた世界最大の叙事詩。
(三)『バーガヴァタ』 Bhagavata 『バーガヴァタ・プーラナム』、あるいは『シュリーマッド・バーガヴァタム』としても知られる。紀元前七五〇年頃に聖ヴィヤーサによって記されたクリシュナ神の初期の伝記。


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