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「もっとやるんだ」、「もっとうまくやれ」、「もっと速くやれ」とマントラは言いますが、そんなに急いでどこに行くというのでしょうか。こうした言葉にせき立てられても、それでもっと速く<神を見つける>ことができるわけではありません。それより役に立つのは、すわって心を静め、リラックスすることです。あれもこれもしなければと思うのをやめて、ただ在ることです。今の自分ではいけないと語りかけてくる内なる声が何なのかを見きわめることです。あなた方の住んでいる世界は、多くの条件づけがなされている世界で、喜びや感動する心、ただ元気でいる幸せなどは、どうもそれだけでは十分でないと教えます。

 
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マハルシ 想念とは無数の過去世において蓄積されたヴァーサナー(心の潜在的傾向、性癖)でしかありません。それを絶滅させることが目標です。ヴァーサナーから自由になった状態が原初の状態、純粋で永遠なる状態なのです。対話80


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質問者 先日、私たちは個人─観照者─絶対なるもの(ヴィヤクティ─ヴィヤクタ─アヴィヤクタ)について討論していました。私が覚えているかぎり絶対のみが実在であり、観照者は時間と空間のなかの与えられた点においてのみ絶対だとあなたは言われました。個人とは観照者の存在によって照らしだされた粗雑、あるいは繊細な有機体です。私はどうやら明確に把握できなかったようです。もう一度それについて討論できるでしょうか?あなたはまた、マハーダーカーシュ、チダーカーシュ、パラマーカーシュという言葉を用いていました。それらは個人、観照者、絶対なるものとどのように関連しているのでしょうか?


マハラジ マハーダーカーシュは自然、存在の大洋、感覚を通して知覚されるすべてを含む物理的空間だ。チダーカーシュは気づきの拡張、時間の精神的空間、知覚と認識だ。パラマーカーシュは時間と空間を超えた実在、無心であり、未分化の無限の可能性、源であり根源、実質であり本質であるもの、物質と意識の両方であり、しかもその両方を超えているものだ。それを知覚することはできない。だが、つねに観照者を観照する者、知覚者を知覚する者、すべての権限の根源と終焉、時間と空間の根底、あらゆる因果関係の連鎖における起源的な原因としてそれを体験することはできるのだ。


質問者 ヴィヤクタ(観照者)とアヴィヤクタ(絶対なるもの)の違いは何でしょうか?


マハラジ  違いはない。それは光と日光のようなものだ。宇宙はあなたに見えない光に満ちている。しかし、その同じ光をあなたは日光として見ているのだ。そして日光が顕わにするものがヴィヤクティ(個人)だ。個人はつねに対象として、観照者は主体として在る。そしてそれらの相互依存の関係は、それらの絶対的な同一性の反映なのだ。あなたはそれらが区別された、分離状態だと想像している。そうではないのだ。それらは同じ意識の静と動であり、それぞれの状態が他方を意識しているのだ。普遍なる意識(チット)のなかで、人は神を知り、神は人を知っている。普遍なる意識のなかで、人は世界を形づくり、世界は人を形づくる。普遍なる意識は連結部、両極端を結ぶ橋、あらゆる経験に均衡と統合をもたらす要因だ。知覚されたものの全体性が物質と呼ばれ、すべての知覚者の全体性が宇宙のマインドと呼ばれる。その二つの同一性は、知覚力と知覚、調和と知性、愛らしさと愛することとしてそれ自体を永遠に再主張していくのだ。


質問者 三つの性質(グナ)であるサットヴァ、ラジャス、タマスは物質のなかにだけあるのでしょうか、それともマインドのなかにもあるのでしょうか?


マハラジ  もちろん、両方にある。なぜなら、その二つは別々ではないからだ。グナを超えているのは絶対なるものだけだ。実際、それらは単なる見解、ただの見方にすぎない。それらはマインドのなかにのみ存在するのだ。マインドを超えれば、すべての区別は止まる。


質問者 宇宙とは感覚がつくり出したものなのでしょうか?


マハラジ  目覚めとともに、あなたが世界を新たに創造するように、宇宙は繰り広げられていく。マインドとその五つの知覚器官、五つの行動器官、五つの意識の伝達手段は記憶、思考、理性、自我として現れるのだ。


* 訳注
五つの知覚器官-聴覚、触覚、味覚、嗅覚、視覚。
五つの行動器官-話すこと、理解すること、動くこと、排泄すること、楽しむこと。
五つの意識の伝達手段-言語器官、運動器官、理解器官、排泄器官、生殖器官。


質問者 科学は大変な進歩を遂げました。私たちの身体やマインドは、祖先のそれよりもはるかにすぐれています。マインドや物質を描写し分析するあなたの伝統的な方法は、もはや有効ではありません。


マハラジ  だが、あなたの科学者たちや科学はどこにあるのかね?それらはあなた自身のマインドのなかに存在するイメージではないだろうか?


質問者 ここに基本的な違いがあるのです!それらは私自身の投影ではありません。それらは私が生まれる以前から存在し、私が死んだ後も存在するでしょう。


マハラジ  もちろん、ひとたび時間と空間を実在として受け入れたならば、あなたは自分自身を短くはかない命を生きるものとして考えるだろう。しかし、それは真実なのだろうか?時間と空間があなたに依存するのだろうか、それともあなたがそれらに依存するのだろうか?身体として在るならば、あなたは空間のなかにいる。マインドとしては、あなたは時間のなかにいるのだ。だが、あなたは単なる身体とマインドなのだろうか?今まで調べたことがあっただろうか?


質問者 私にはその動機も方法もありませんでした。


マハラジ  私はその両方を差しだしているのだ。だが、洞察と識別という実際の仕事はあなたのものだ。


質問者 唯一私が自覚できる動機といえば、私自身の、原因のない永遠の幸福です。では、方法とは何でしょうか?


マハラジ 幸福は主要なものではない。真の、そして有効な動機とは愛なのだ。あなたは人々が苦しむのを見て、最善の援助方法を探す。その答えは明白だ──まず、あなた自身を援助の必要性を超えた地点におきなさい。あなたの態度は純粋な善意、いかなる期待からも自由なものであることを確かめなさい。
単に幸福のみを求める者は、極度の無関心に陥る場合がある。一方、愛はけっして放っておけないのだ。
方法については、ただひとつだけある。あなたがあなた自身──あなたのように現れて見えるあなたと、あるがままであるあなたの両方──を知らなければならないということだ。明晰性と慈愛がともに必要になる。どちらも互いを必要とし、強めあうのだ。


質問者 慈悲は、避けるべき悲しみに満ちた客観的世界の存在を意味しています。


マハラジ  世界は客観的なものではない。そしてその悲しみは避けることのできないものだ。慈悲とは、想像上の原因によって苦しむことの拒否を意味する言葉でもあるのだ。


質問者 もし原因が想像上のものならば、なぜ苦しみは避けられないのでしょうか?


マハラジ  あなたを苦しめるのは、つねに偽物だ。偽りの欲望と恐れ、偽りの価値と観念、偽りの人間関係だ。偽物を放棄しなさい。そうすれば、苦痛から自由になれる。真実は幸せをもたらす。真実は解放するのだ。


質問者 真実は、私は身体のなかに監禁されたマインドだということです。そして、それはとても不幸な真実なのです。


マハラジ  あなたは身体でもなければ、身体のなかにいるのでもない。身体などというものは存在しないのだ。あなたはあなた自身について、ひどい誤解をしてきた。正しく理解するために、調べてみるがいい。


質問者 しかし、私は身体として、身体のなかに生まれてきたのです。そして、身体とともに、身体として死ぬでしょう。


マハラジ  これがあなたの思い違いなのだ。調べなさい。探求し、あなた自身を、そして他者をも疑ってみなさい。真実を見いだすには、あなたの確信に固執してはならないのだ。もしあなたが現下にあるものを疑わなければ、けっして究極に到達することはできないだろう。あなたが生まれ、そして死ぬという概念は不条理だ。論理的にも体験的にも矛盾しているのだ。


質問者 わかりました。私が身体だと主張するのはもうやめましょう。あなたの要点はここにあるのです。しかし今ここであなたと話しているように、私は身体のなかにいます──明らかに。身体は私ではないかもしれません。しかし、それは私のものです。


マハラジ  宇宙全体が絶え間なくあなたの存在に貢献している。それゆえ、宇宙があなたの身体なのだ。その意味では、私も同意しよう。


質問者 身体は私に深く影響を与えます。多くの意味において、身体は私の運命なのです。私の反応、運命や恐れ──生来のものであれ、後天的なものであれ、それらはすべて身体を根底としています。わずかな量の酒や薬物や何かで、すべてが変わってしまいます。薬物が抜けきるまでは、私は別人となってしまうのです。


マハラジ  これらすべては、あなたが身体だと考えることによって起こるのだ。真我を見いだしなさい。そうすれば、薬物さえあなたに影響を与えることはできないだろう。


質問者 あなたは喫煙しますか?


マハラジ  私の身体はいくつかの習慣を保っている。それは死に至るまで続いていくかもしれない。それらには何の害もないのだ。


質問者 あなたは肉を食べますか?


マハラジ  私は肉を食べる人たちのなかで生まれた。そして私の子供たちは肉を食べている。私もほんの少し食べるが、気にするほどのことではない。


質問者 肉食は、殺すことを意味します。


マハラジ  いかにも。私は終始一貫していることを主張したことはない。あなたは絶対的な一貫性が可能だと思っている。例えを示して証明してみなさい。自分自身で実践していないことを説いてはいけない。
生まれてきたという観念についての話に戻るが、あなたは、両親があなたに語ってきた懐妊や妊娠、そして誕生、幼児、子供、十代の若者と続いていく話に固執しているのだ。「私は身体ではない」という観念の助けを借りて、「私は身体だ」という考えを取り去りなさい。確かにそれもまた一つの観念ではある。それに疑いはない。仕事がすんだら捨て去られるもののように扱うがいい。実際には、身体というものは存在しないのに、「私は身体だ」という観念は身体に実在性を与えてしまう。それはただマインドの状態にすぎないのだ。あなたは好きなだけ多くの、多種多様な身体をもつことができる。ただ、あなたが何を求めているのかを絶えず覚えておきなさい。そして、それと一致しないものは受け入れてはならない。


質問者 私はまるで、箱のなかの箱のなかの箱のようです。外側の箱は身体としてあり、その内側の箱には、内在する魂がいるのです。その外側の箱を取り去ると、つぎの箱は身体で、そのつぎは魂です。それは無限の連続なのです。かぎりなく箱を開けていくと、最後に残るものが究極の魂なのでしょうか?


マハラジ もしあなたが身体をもつならば、魂ももたねばならないだろう。そうだとすれば、あなたの一組の箱の直喩もあてはまるだろう。しかし、今ここで、あなたの身体と魂を通して純粋な普遍なる意識(チット)の光、覚醒が輝いているのだ。それを確固としてつかみなさい。覚醒なしには、身体は一秒さえも生きることができない。身体のなかには、エネルギー、愛情、知性の流れが存在する。それが身体を導き、維持し、活力を与えるのだ。その流れを発見し、それとともに在りなさい。
もちろん、これらすべては言葉の例えにすぎない。言葉は橋を架けることもできれば、障害にもなりうる。あなたの身体の繊維を織り成す生命の気を見いだし、それとともに在りなさい。それが身体のもつ唯一の本質なのだ。


質問者 死後、生命の気には何が起こるのでしょうか?


マハラジ  それは時間を超えている。誕生と死は時間のなかの点にすぎない。生命はその無数の綾を永遠に織り成していく。織り込んでいくことは時間のなかにあるが、生命そのものは永遠だ。あなたがその表現にどんな名前と形を与えようとも、それは大海のように、けっして変化せず、つねに変化しつづけていくのだ。


質問者 あなたの言われることはすべて、美しく、得心がいくものです。それでもなお、この奇妙で異質な、しばしば敵意に満ちた危険な世界のなかに、個人として在るという感覚は消えません。個人として時間と空間のなかに限定されながら、どのようにして私はその反対である、何も特定化されていない、非個人化され、普遍化された気づきとしての真我を実現できるというのでしょうか?


マハラジ  あなたはあなたではないものをあなただと主張し、本来のあなたであるものを否定している。あなたはすべての個人的な歪曲から自由である気づきの純粋な認識の原理を忘れているのだ。あなたが普遍なる意識(チット)の実在を認めないかぎり、あなた自身を知ることはけっしてないだろう。


質問者 私はどうすればよいのでしょうか?私にはあなたが見ているように、私自身を見ることはできません。おそらく、私が間違っていて、あなたが正しいのかもしれません。しかし、どのようにして私の感じている私自身として在ることをやめることができるというのでしょうか?


マハラジ  自分自身を乞食だと信じきっている王子を、決定的に確信させる方法はただひとつしかない。彼に王子としてふるまうようにさせるのだ。そうして何が起こるかを見てみなさい。私の言ったことが、あたかも真実であるようにふるまってみなさい。そして実際に何が起こるか判断するがいい。私が求めるのは、第一歩を踏みだすために必要なわずかな信頼だけだ。体験とともに、確信がやってくる。そうすれば、あなたは私をもう必要としないだろう。私はあなたが何なのか知っている。だから、私はあなたに伝えているのだ。しばらくの間、私を信頼してほしい。


質問者 今ここに在るため、私には身体とその感覚が必要です。理解するためには、マインドが必要なのです。


マハラジ  身体とマインドは単なる無知、誤解の兆候にすぎないのだ。あなたが身体もマインドも超え、時間と空間も超え、「どこで」、「いつ」、「どのように」をも超えた、純粋な気づきとしてあるかのごとくふるまいなさい。それに思いをめぐらしなさい。その真実性を受け入れることを学びなさい。いつまでも反対したり、拒否したりしてはならない。少なくとも、心を開きなさい。ヨーガ(探求)とは外面が内面に従うことなのだ。あなたのマインドと身体に、すべてでありすべてを超えた実在を表現させなさい。議論することによってではなく、為すことによってあなたは達成するのだ。


質問者 どうか私の最初の質問に戻らせてください。個人として在るという過ちの原因はどこにあるのでしょうか?


マハラジ  絶対なるものは時間よりも優位を占める。まず、気づきが最初に現れる。一組の記憶と精神的習慣が注意を引きつけ、気づきがそこに焦点を集中させると、突然個人が出現するのだ。気づきの輝きを取り去ってみなさい。眠りにつくか、気絶すると、個人は消滅してしまう。ヴィヤクティ(個人)はかすかにゆらめき、ヴィヤクタ(気づき)はすべての時間と空間を内包する。アヴィヤクタ(絶対なるもの)は──在るのだ。


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