強さと弱さは、反対


今よりもっと未熟で幼い頃は、ナイフのような尖ったものが強さだと思っていました。でも尖ったものを安易に扱う人の実際の姿と、精神状態と、流された血(精神的な血も)を見ることによって、考えはいつからか反対になりました。振り返っても尖った言葉などを扱った後の「満足感」がどこにもないんです。「言の刃」にあるのは、弱さです。本当の本質は誰しも強いから、その弱さはエゴ(自我)がエゴだけでナイフを振り切った結果です。何かどこかを怖れている。つながりを自分から断ち切って、一人だと(神がいないと)思い込んで、傷痕を覆い隠す自傷行為のように新しい傷痕を主に外側に造ろうとします。別に悪くはないんです。それは選択です。選択できる以上は、万能ツールを使いたいです。言の葉を含めて、尖ったものより包むものが万能です。自分も他人も傷つけようとしない態度の中にこそ道があり、光があります。なんかJ-POPの歌詞みたいでごめんなさい。n


もしあなたが継続したエゴだとしたら、誕生以来あなたに起こった考えや信念、アイデアや体験、記憶や気づきなどのすべてが脈々とこの瞬間に生きてあふれ返っていなくてはなりません。自分が継続した実体だと思い込もうとすることで、本当に継続しているものが体験できなくなっています。


本当に継続しているものはこれまでもずっとありましたし、いまもあります。それは<我在り>と言うときの”我”です。それはあらゆるものが流れ出る”源”です。それは始まりの前にあり終わりの後にあるもので、意識の本質です。それは純粋な意識そのものです。それが継続するもので、それ以外には何も継続しません。それ以外のものであなたがこの瞬間にもたらすものはすべて、目に見える、継続した有限の人間として自分が存在すると思い込みたいがためにあなたがもたらしているものです。


そうした自己像で自分を縛ってしまわないでください。自分を無力でちっぽけな存在だと信じて、『ああ、人から嫌われたらどうしよう』、『太りすぎじゃないだろうか』、『お金に困ったらどうしよう』などと心配するのをやめてください。あなたのまわりにはいたるところにあなたの本質が実在していて、細胞の一つひとつ、意識のすみずみまで雷鳴のごとく激しい音を立てて流れています。あなたは持っているものを使わずに損をしているのです。でも損をする必要はありません。これまでに話した方法のひとつを使えば、その習慣はやめられます。思考をやめて、いまの瞬間にいましょう。何か特別のことを聞こうとしないで、ただ耳を傾けましょう。見ている物を判断せずに見ましょう。ゆったりとした意識で呼吸しましょう。物事を評価したり選んだり受け入れたり拒否したりすることなく、いまこの瞬間に意識を向けましょう。いまこの瞬間に安らぎ、完全に心を開いて、意識を完全にいまの瞬間に向けていると、それが起きます。純粋な意識がその姿を現します。いまやっても、後でやってもいいですが、どちらにしてもあなたはいずれ実行します。


あらゆるものの中を息づくただひとつの現実があるだけです。それ以外はすべて幻影です。あなたは自分が考えているものとは違います。あなたはいつどう変わるともしれない短い命を、あてもなくおびえながら生きる意識のかけらではありません。あなたは広大無辺の完全に目覚めたすばらしい意識であり、それを充分に体験するのはあなたの持って生まれた権利です。これからのあらゆる瞬間にそのことを完全に完璧に知るようになってほしいというのが、わたしの願いです。


あなたが自分自身と呼んでいるあの慣れ親しんだ感覚、間違って<自分>と呼んでいるあの感覚に気づくように、ここでまたお願いしたいと思います。実際のところ、あの慣れ親しんだ感覚というか、歓喜の絶頂から憂鬱のどん底まで、愛から憎しみにいたるまで、不安から喜びにいたるまで、あらゆる過程に存在する感覚こそがあなたの本質です。あなたは”わたし”を間違って<自分>と呼んでしまったのです。生まれたり消えたりするのは有限の<自分>です。あなたといつもいっしょにいて、朝目覚めた瞬間からもっとも深い夢の瞬間までいるのが”わたし”の本質です。


あなたは”わたし”の本質をいつも感じているのですが、それをいままでは間違った名前で呼んできました。これまであらゆる瞬間に感じてきた感覚があなたが求めているものです。ほかのあらゆるものはその上に反映されます。こうしてここにすわっているときも、常に変わらず存在するのはその純粋な意識です。わかりますか。あなたは自分がすでにそうであるものを求めているのです。あまりに明らかで、不変で、強く、なじみが深いので、それがわからなかったのです。どうか見過ごさないでください。B



神ではなく、人間が人間に審判を下すのだ。自分の兄弟たちから表現の自由を奪うために、人間はその創造性の中で善悪のバランスというものを考え出した。宗教の教義や政府の法律にしたがわない者に対する刑罰への恐れは、長い間、さまざまな国家を統治し、支配するための剣となってきた。だが、もしあなた方の言葉で「悪」と呼んでいるものがあるとすれば、それは、ある存在が自分の内面にある神を表現する自由をその人間から奪ってしまうものである。そして、誰かほかの人間に対してそのようなことをするたびに、それは自分自身に対しても同じことをしていることになる。しかも、より深刻な形で同じことをしているのだ。なぜなら、あなたが他人に対して下す審判や、他人に課す制限は、どんなものであろうと、あなた自身の意識の内面においてもひとつの法となるからだ。そしてその法によって、あなた自身も制限され、自分自身に審判を下すことになるのである。


あなたに知ってほしいこと、そしてすべての者に理解してほしいことは、あなた方が「カルマ」と呼んでいるものは、神の法ではないということだ。つまり、カルマはそれを信じている者たちの法なのだ。残念ながら、この教義を信じている者は大勢いて、彼らは「完璧さ」と呼ばれる架空の理解を達成するために、懸命に格闘している。そして彼らは、自分が人生でどんなことをしようと、その代償を支払うために次の人生に戻ってこなければならないと信じているのだ。自分の身に起きることはどんなことでも、「カルマの成就」のせいにしてしまうのである。だがマスターよ、人生の説明としては、これはきわめて不十分なものだ。人生はこの説明を遥かに超えたものである。


カルマの法則は確かにひとつの現実だが、それはその法則を信じる者たちにとってだけ、現実なのだ。法として存在するのは、あなたが自分の王国の中で有効だとしたものだけだ。真に法を与える者は、それぞれの至高の存在である。というのも、それぞれの存在が、真実を受け容れる自我を持っているからだ。そして、その人間がどんなものを真実と呼ぼうと、つまり自分の存在の中でどんなものを法として創造しようと、それはそのとおりになる。したがって、多くの人間が「バランスと完璧さの法則」を自分たちのために法として据えてきたのは、信念や変質した理解を通してである。R


マハルシ それには、「私は心や現象を超越した真我である」という強烈な確信が必要とされます。


マハルシ たとえ心が活動的であろうと、それが何だと言うのでしょう? それはただ根底に在る真我の上でさ迷っているだけです。心が活動している間でさえ、真我をとらえなさい。


マハルシ ただ「私は真我である」という断固たる確信が必要なだけです。他の活動は、むしろあなたにヴェールを覆っているのです。


マハルシ つまり、確信が弱かったのです。

(対話406)


体の死は、眠りに入るのに似ている。スピリットが魂を呼びよせると、魂は「シール」、あるいは「チャクラ」と呼ばれている体の中のエネルギー・センターを通りながら上昇していく。魂とは記憶であるが、それは、頭の中心に位置する最後のシールである第七シール、すなわち脳下垂体と呼ばれる部分を通って体の細胞組織から離れていく。魂がここを通過するとき、しばしば風の音を聞きながらトンネルを通過するような感じとして体験される。トンネルの向こうに見える光が、あなたの存在の光、あなたの存在のスピリットである。魂が体を離れると、体はその役目を終え、その存在は自由な「魂としての自分」になる。これはほんの一瞬の間に起きることで、痛みはまったくない。


死の瞬間、すべては光り出し、恐ろしいほど明るくなってくる。なぜなら、この天界から去る瞬間、あなたは物質の濃密さから抜け出し、光の存在に戻るからだ。そこでのあなたは強力なマインドと感情だけの存在で、光の体があなたの体となる。そして、自分の光の体を通して受け容れた思考によって、その電気的な状態が変わるのである。そこからは、あなたは七つの天界のうちのひとつに行くことになる。あなたがどの天界に行くかは、この天界にいたときに感情的に表現されていた態度によって決まるのである。


「気づき」あるいは「意識の理解レベル」にも、七つの段階がある。その七つの理解とは、「生殖と生存」、「恐れと苦痛」、「力」、「感じる愛」、「表現する愛」、「すべての生命の中に見える神」、そして「私は神である」だ。


この天界、この天国は、「見せる天界」と呼ばれている。なぜならここでは、自分の創造的な力、そして感情という形で表現している自分のどんな態度であろうと、それらを物質の中に見ることができるからだ。この天界は、七つの中でただひとつ、暗闇がその上をおおっている天界であり、光の音楽を耳にできないただひとつの天界でもある。ここに生まれてくる存在たちは、偉大なる「知っている状態」から生まれてきながらも、結局は、社会意識のプログラミングを受けて「何も知らない状態」へと追いやられてしまうのだ。それがここで起こることである。そして、この天界で先に進むのがしばしば非常に困難なのも、やはりこのためである。


私はこれから、ある天界のことを話そう。もしあなたがその天界を見れば、その場所はあなたの内面に深い悲しみをもたらすことだろう。そこは、意識の第一レベルと第二レベルで自分を表現している。たくさんの存在たちがいる天界だ。そこは平野のような場所で、平らである。そこには何があるのだろうか? そこでは山々や川、草や花や空を、光の形で見ることはできない。何十億という存在が、その光の化身のまま横たわり、無限に続く列をなしているのが見えるのだ。彼らはそこに、眠っている状態で横たわり、自分たちは死んでいるという幻の中に生きている。なぜなら彼らは、死後の生は存在しないということを頑なに信じているからだ。彼らの思考は、今でも生きていて、磁気を発し、強く律動し、活発なエネルギーを持っているにもかかわらず、彼らは自分が死んでいると思い込んでいるのだ。本当はまだ生きているにもかかわらず……。このことを憶えておいてほしいのだが、どんなことであろうと、われわれが何かを固く信じれば、われわれはそれが真実であると確信してしまうのである。そして、われわれが真実として知っていることは、どんなことであろうと、現実へと変容するのだ。われわれの創造性と意志は、それほどまでにパワフルなのである。


そこにいる存在たちの多くは、自分が死ぬと、救世主が戻ってくるまでは、自分は死んだ状態のままでいると教えられた。そして恐れと、神の愛から切り離されてしまうかもしれないという気持ちから、その教えを真実として受け容れたのだ。こうして、死ぬ直前の最後の瞬間に、彼らは自分が復活を待つ場所に行くのだということを信じていたのである。したがって、このレベルには、自分よりも偉大だと信じている誰かによって復活させてもらうのを待っている存在たちが、どこまでも列をなして並んでいる。われわれは彼らを目覚めさせようとしたことがある。その結果、少数の存在が目覚め、起き上がった。だが、彼らのほとんどは、悪魔のようなものが現れ、自分たちを誘惑して起こそうとするとも教えられていたのだ。そして、このことも、彼らは真実として知ってしまっているのだ。そのため、誰が起こそうとしても、彼らは目覚めるのを拒むのである。自分が生きていることに気づき、眠りから目覚めるまで、あと何千年もかかってしまうかもしれない。きわめて残念な教えである。


これが、苦痛があるただひとつの場所だ。あのような考えを固く信じ込み、それを絶対的な「知っている状態」にしてしまった存在たちの天界である。そこには、見わたす限り、眠った状態で横たわる兄弟たちの姿がある。ほかのすべての天界は、壮大な生命そのものだ。R



質問者 私は去年ここにいました。今、ふたたび私はあなたの前にいます。何が私をここに来させるのか本当に知らないのです。ですが、ともかくあなたを忘れることができないのです。


マハラジ ある人は忘れ、ある人は忘れない。彼らの運命にしたがって、あるいは、あなたならそれをチャンスと呼ぶかもしれない。


質問者 チャンスと運命には基本的な違いがあります。


マハラジ あなたのマインドのなかにだけだ。事実、あなたは何が何の原因なのか知らないのだ。運命とはあなたの無知を包みこむ言葉の毛布でしかない。チャンスとはもうひとつの言葉だ。


質問者 原因と結果を知らずに自由がありうるでしょうか?


マハラジ 原因と結果はその数と多様性においてかぎりのないものだ。すべてがすべてに影響を与えるのだ。この宇宙のなかでは、ひとつが変化すればすべてが変化する。それゆえ、自分自身を変えることによって世界を変えるという偉大な力があるのだ。


質問者 あなた自身の言葉によれば、あなたはグルの恩寵によって、四十年ほど前に革新的な変化を遂げたということです。しかしそれでも、世界は以前と変わらないままではありませんか。


マハラジ 私の世界は完全に変わったのだ。あなたの世界は同じままだ。なぜなら、あなたが変わっていないからだ。


質問者 どうしてあなたの変化が私に影響を与えないのでしょうか?


マハラジ なぜなら、私たちの間には共有の交わりがないからだ。あなた自身が私から分離していると想像するのをやめなさい。すると私たちは即座に共通の状態を分かちあうのだ。


質問者 私にはアメリカに資産があり、それを売ってヒマラヤにいくらかの土地を購入しようと考えています。家を建て、庭を設計し、二、三頭の牛を飼って静かに暮らそうと思っています。人びとは私に、資産をもつことと静かに暮らすことは一致せず、即座に事務的な、あるいは近隣の、または泥棒といった問題に巻きこまれるだろうと言うのです。それは避けられないことなのでしょうか?


マハラジ 少なくとも、つぎからつぎへと人びとが訪れ、あなたの住まいを無料の宿屋にしてしまうぐらいは予期できるだろう。人生がそれ自体で形づくっていくのを受け入れた方がいい。家に帰り、愛と思いやりをもって妻の面倒を見なさい。ほかの誰もあなたを必要とはしてはいないのだ。あなたの栄光の夢はもっと多くの問題をあなたに負わせるだろう。


質問者 私が求めているのは栄光ではなく、実在です。


マハラジ そのために、あなたには秩序ある静かな生活、マインドの平和、そして計り知れない誠実さが必要だ。いつであれ、あなたに求めずともやってくるものは神から贈られたものであり、もしそれを精いっぱいに使うなら、かならずやあなたを助けることだろう。あなた自身の想像と欲望から、骨を折って手に入れようとするものだけがあなたに困難を与えるのだ。


質問者 運命と恩寵は同じなのでしょうか?


マハラジ 絶対的にそうだ。人生を起こるがまま受け入れなさい。そうすれば、あなたはそれが祝福に満ちていることを知るだろう。


質問者 私は自分の人生を受け入れることができます。どうして他者が生きているような人生を受け入れることができるでしょうか?


マハラジ どちらにせよ、あなたは受け入れているのだ。他者の悲しみがあなたの快楽を妨げることはない。もしあなたが本当に慈悲深いのなら、とうの昔に利己主義を放棄し、唯一それだけが本当に人を救うことのできる生き方をしていただろう。


質問者 もし私が大きな家と充分な土地をもつならば、個室、共有の瞑想ホール、食堂、図書館などを備えたアーシュラムをつくるかもしれません。


マハラジ アーシュラムはつくり出すものではない。それは起こるのだ。川をはじめたり、止めたりすることができないように、あなたにはそれをはじめたり、起こるのを妨げたりすることはできない。成功するアーシュラムの設立にはあまりにも多くの要因が関わりあい、あなたの内なる誠実さはその一要因にすぎないのだ。もちろん、あなたが自己の真の存在に無知であれば、あなたの為すことは何であれ灰と帰するだろう。グルを模倣して無事にすむことはないのだ。すべての偽善は災難のうちに終わるだろう。


質問者 聖者と成る前に、聖者のようにふるまうことにどのような害があるというのでしょうか?


マハラジ 聖人らしさを下稽古することはサーダナ(修練)だ。それは完全に正しい。もし何の功績も言いふらさなければ。


質問者 試してみるまでは、どうして私にアーシュラムが建てられるかどうかを知ることができるでしょう?


マハラジ あなたがあなた自身をひとりの個人として、身体とマインドをもち、生命の流れから分離し、己の意志をもち、己の目的を追求しているかぎり、あなたはただ表層で生きているだけであり、あなたの為すことは何であれ短命で無価値なものなのだ。それは単に虚栄心の炎にわらを投げ入れるようなものだ。真正な何かを期待する前に、あなた自身が本当の価値をもたなければならない。あなたの価値とは何だろうか?


質問者 どのような基準で計ればいいのでしょうか?


マハラジ あなたのマインドの中身を見てみなさい。あなたとはあなたが考えていることだ。あなたはほとんどの時間、自分の小さな個人と日々それが必要とするもので忙しいのではないだろうか?
規則的な瞑想の価値は、あなたを日々の平凡な日課から引き離し、あなたはあなたが信じこんでいるようなものではないと思い起こさせることにある。だが、思い起こすことさえ充分ではない。行為が確信に沿わねばならないのだ。詳細にわたる遺書を書いておきながら、死ぬことを拒んでいる金持ちのようになってはならない。


質問者 人生の法則は漸進的なものなのではありませんか?


マハラジ いいや、そうではない。準備だけが漸進的であって、変化は突然で完璧なものだ。漸進的変化があなたを意識的存在の新たな段階に連れていくことはない。あなたには手放す勇気が必要なのだ。


質問者 私に欠けているのは勇気だということを認めます。


マハラジ なぜなら、あなたは完全に得心していないからだ。完全な得心が欲望と勇気を生みだす。そして瞑想とは理解を通して信念を得る技なのだ。瞑想のなかで、あなたは受けた教えについてあらゆる角度から繰り返し熟考する。明晰性から確信が生まれ、確信とともに行為が生まれるのだ。確信と行為は不可分なものだ。もし行為が確信に続かなければ、まず、あなたの確信を調べてみなさい。勇気のないことで自分を非難してはならない。自己欺瞞はあなたをどこへも連れていきはしない。明晰性と感情をともなった同意なしに、意志が何の役に立つだろうか?


質問者 感情をともなった同意とはどういう意味でしょうか? 私は欲望に対抗して行為するべきではないのでしょうか?


マハラジ あなたが欲望に対抗して行為することはないだろう。明晰性だけでは充分ではない。愛から現れるエネルギー、あなたの愛の対象がどのような形であれ、行為するためには愛さなければならない。明晰性と慈愛なしには勇気も破壊的なものとなる。戦争において人びとは、しばしば素晴らしい勇気を見せるが、それが何だというのだろうか?


質問者 私が欲しいのは平和に暮らせる庭のある家だけだということがはっきりしているのです。どうして欲望どおりに行動してはならないのでしょうか?


マハラジ もちろん、そうするがいい。ただ不可避なもの、予期せぬものを忘れてはならない。雨なしには、あなたの庭も生い茂ることはないだろう。冒険には勇気が必要なのだ。


質問者 私には勇気を集めるだけの時間が必要です。どうか、急がせないでください。私を行為へと成熟させてください。


マハラジ 取り組み方全体が間違っている。遅れた行為は見捨てられた行為なのだ。ほかの行為にとってのチャンスはあるかもしれない。だが、現在の瞬間は失われた。取り戻すことができないほどに失われたのだ。すべての準備は未来のためにある。あなたは現在のために準備することはできないのだ。


質問者 未来のために準備することのどこが間違っているのでしょう?


マハラジ 現在における行為は、それほどあなたの準備によって助けられているわけではない。明晰性は今にある。行為は今にある。準備について考えることが行為を妨害するのだ。そして、行為は実在の試金石なのだ。


質問者 確信なしに行為するときもそうなのでしょうか?


マハラジ 行為なしに生きることはできない。そしてそれぞれの行為の裏には、ある欲望や恐れが潜んでいるのだ。結局、あなたの為すことはすべて、世界が現実のものであり、あなたから独立しているという確信に基づいているのだ。その反対の視野に得心したなら、あなたのふるまいもまったく違ったものとなるはずだ。


質問者 私の確信に、何も間違ったところはありません。私の行動は環境によって形づくられているのです。


マハラジ 言ってみれば、あなたはあなたの境遇の実在性、あなたの住む世界の実在性に得心させられているということだ。世界をその源までたどり直してみなさい。すると、世界以前にあなたは存在し、世界がもはやなくなっても、あなたは残ることを見いだすだろう。あなたの永遠の存在を見つけだしなさい。そうすればあなたの行為がそれを証明するだろう。あなたはそれを見いだしただろうか?


質問者 いいえ。


マハラジ では、それ以外の何をするべきだというのだろうか? 間違いなく、これがもっとも緊急の仕事なのだ。あなたがすべてを放棄し、何にも支えられず、何も定義されないままとどまるまでは、すべてから独立したあなたを見ることはできない。ひとたびあなた自身を知れば、あなたが何をするかは問題ではなくなるのだ。だが、あなたの独立性を自覚するためには、あなたが依存しているものすべてを手放すことで試さなければならない。真我を実現した人は絶対的なレベルで生きている。彼の智慧、愛、勇気は完全なものであり、相対的なところはどこにもないのだ。それゆえ、彼はより厳しい、より以上を要求される道を行く試練を通して彼自身を証明しなければならないのだ。試みる人、試みられる人、そして試練の設定状況はすべて内面にある。それは誰ひとり参加できない内なるドラマなのだ。


質問者 磔(はりつけ)、死、復活。私たちはなじみ深い土台の上に立っているようです! 私は際限なくそれについて読み、聞き、語ってきました。しかし、自分自身でそれをする能力はないと知ったのです。


マハラジ 静かにしなさい。揺らいではならない。そうすれば智慧と力は自ずとやってくるだろう。それを熱望することはない。マインドとハートの沈黙のなかで待ちなさい。静かにすることはとてもやさしいことだ。ただ、進んでそうしようという意志がまれなのだ。あなたがたは一夜にしてスーパーマンになりたがる。野望なしに在りなさい。わずかな欲望もなしに、露わになり、壊れやすく、無防備で、不確かで、独りで、完全に開いて在り、すべてがあなたの物質的、あるいは霊的快楽と利益を生みだすべきだといった利己的な確信をもつことなく、起こるがまま人生を受け入れなさい。


質問者 私はあなたの言われることに応じます。ただ、私にはどうすればいいのかが見えないのです。


マハラジ もしあなたがどうすればいいかを知っていたら、そうはしなかっただろう。あらゆる試みを放棄しなさい。ただ在りなさい。努力してはならない。闘ってはならない。すべての支えを手放し、存在の感覚に盲目的につかまりなさい。それ以外のすべてを払いのけなさい。それで充分だ。


質問者 この払いのけるとは、どのようになされるのでしょうか? 払いのければ払いのけるほど、それは表面へと現れてくるのです。


マハラジ 注意を退けなさい。ものごとが去来するにまかせなさい。欲望や思考もまた、ものごとなのだ。それらを無視するがいい。遥かなる昔から、あなたのマインドの鏡は出来事のほこりで覆われてきたため、あなたには記憶しか見えなくなっているのだ。ほこりが積もってしまう前に払い落としなさい。あなたのマインドの真の本性が発見されるまで、それが古い層を露わにしていくだろう。それはすべてとても容易なことだ。誠実で忍耐強くありなさい。ただそれだけだ。無執着、冷静さ、欲望と恐れとすべての利己主義からの自由、気づき、記憶と期待からの自由、これこそ発見が起こりうるマインドの状態だ。結局のところ、解放とは発見することの自由なのだ。


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