3人いれば3通り


同じ問題に対して異なる答えが出ます。それが魂です。魂の違いというのは、個性というか光(愛と叡智の光)を屈折させるプリズムの違いです。地上人が考える「個性」と魂のそれはまったく違います。魂のそれは死後も続く現実であり、地上人の考えるものは単なる思想的ブームに近いです。全体主義への反動で生まれた一時的現象かもしれません。ですが魂の個性は、神との関係(または神そのもの)を定義するという創造行為であり、魂そのものが神の「最先端」です。メデューサの髪の一房一房が異なる蛇であるように。その蛇の中には、本体であるメデューサに噛みつこうとする者もあり、それは許されています。できることは何でも許されています。神が許したことの中に人が許さない領域があるだけです。自由とは、「あなたが思うように定義してください」という委任です。すなわち神は、今日わたしたちによって定義し直されています。わたしたちは神と向き合い、神を筆で描いています。「違いを意味する魂」において、唯一共有している絆が、神との関係をただ自分のみで定義する自由を与えられていること、「個性」なんです。n


自由戦場というより、自由定義の場です。n


質問者 無知とは何でしょうか?


マハルシ 真我に無知であることです。真我に無知なのは誰なのでしょうか? 真我に無知なのは自我に違いありません。そこに二人の自己が存在するでしょうか?

(対話263)


あなたは「あなたが」考えていると考えている。
あなたは「あなた=考える者」だと考えている。
「考える者」にとっての真我としてとどまりなさい。


「私=肉体」
「泥棒」
「考える者」


「考える者」にとっての真我としてとどまりなさい。


マハルシ 心と名づけられるような実体は存在しません。想念は立ち現れるため、私たちはそれが生じる元となる何かが存在すると推測し、それを心と呼ぶのです。


(中略)


あなたは疑う者を見落として、疑いを解こうとします。その反対に、疑う者をとらえなさい。


(中略)


通常の視野(ヴィジョン)を叡智の視野に変え、
世界をブラフマンそのものとして見なければならない。


それゆえ、問題なのは視点です。


あなたの視点が外向的だったため、真我の視野を失い、ヴィジョンも外的なものになったのです。


(中略)


質問者 どうすれば心を止められるでしょうか?


マハルシ 泥棒が自分自身を裏切るでしょうか? 心が心そのものを見いだすでしょうか? 心に心を探すことはできません。あなたは実在を無視して、非実在である心にしがみつき、しかもそれが何なのかを探そうとしています。


心があなたによって見つけられるでしょうか? 心はあなたではないのです。あなたは自分を心と見なし、それゆえどうやってそれを止めるかと尋ねます。それがそこに存在しているなら、止めることもできたでしょう。しかし心は存在しないのです。


実在しないものを探しても無駄なだけです。それゆえ実在を、すなわち真我を探し出しなさい。それが心を征服する方法です。


質問者 唯一の実在とは何でしょうか?


マハルシ 存在する「それ」です。他者は単なる現れにすぎず、多様性は実在の本性ではありません。私たちは紙の上に印刷された文字を読みますが、その背景である紙は無視してしまいます。同様に、あなたは心の現れに魅せられ、背後にあるものを忘れてしまうのです。

(対話238)


それを探し求め、それとして在りなさい


マハルシ 「存在」はどの場合においても実在です。万象、多様性、個人は非実在です。それゆえ、実在と非実在の統合、混同、偽りの同一化もまた誤りなのです。それはサッド・アサッドヴィラクシャナ、つまり実在と非実在(サットとアサット)を超越することです。実在は神を含めたすべての概念を超越するものです。「神」という名称が使われているかぎり、それは真実ではありえません。ヘブライ語のエホヴァ=「私は在る」(I AM)という表現は神を的確に表しています。絶対なる存在は描写を超えているのです。

(対話112)


マハルシ あなたは探求者であり、何かと合一されることを探し求めています。もしそう仮定するなら、あなたから離れた何かがそこになければなりません。しかし真我はあなたに最も近いものです。そしてあなたは常にそれに気づいています。それを探し求め、それとして在りなさい。そうすれば、それは果てしなく永遠に広がっていくでしょう。そしてヨーガ(合一)という問題もなくなるのです。いったい誰にとっての分離(ヴィヨーガ)なのでしょうか?

(対話211)



叡智とは何か? それは最もすばらしい宝物で、人間の内なる神に完全に属するものだ。つまり、人間の魂の中に集められる宝物のことである。叡智とは、神と呼ばれる思考のさまざまな領域への冒険すべてから、あなたが得た感情の蓄積であり、この場所を去るときにあなたが持っていくただひとつのものである。あなたのすばらしい衣服や大邸宅、すごいスピードで走る車などを持っていくとでも思っているのだろうか? 何を持っていくと思っているのだろうか? あなたは自分であるもの、つまり「人生」と呼ばれる原理の中への旅で得られたすべての感情を持っていくのだ。感情を得ることこそが、人生の最大の目的なのである。


宗教的、政治的な支配による暴政や制限を通して、つまり人種間の分断と差別、男女の分断、兄弟同士の分断を通して、人類が学んできたあらゆることは、神の地位をおそらくこれまでで最も低いところにまでおとしめることによって理解されたものである。しかしそれでも、戦いで他者を打ち負かしたり、ほかの人間の自由を認めなかったり、女をおとしめて男よりも劣る存在にすることは、どれも実際に体験してみなければ、どんな感じがするのかけっしてわからなかっただろう。自分でそういったものを夢見ることによって現実化し、その夢を意図的に生きる創造者にならなければ、あなたがそれらを感情的に知ることはけっしてなかっただろう。だが、数多くの人生、数多くの瞬間にそれを生きることによって、それはあまりにも確固とした現実になってしまい、ほとんどの人間はひどく神経質で不安になり、この夢の中にすっかり埋没してしまった。「人類が自分たちの仲間にこれほどひどい行いをするのを許すこの神なる存在はどこにいるのか?」とあなたはたずねる。これらの残虐行為が起こることを神が許してきたのだとしたら、神の愛はいったいどこにあるのだろうか? そう、神はいつもそこにいたのだ。というのも、神はあなた方のあらゆる幻やゲームとなってきたからだ。そして、神は間違いなくあなた方のことをつねに愛してきた。なぜなら、あなた方が自分の夢を、自分が思い描いたとおりに体験することを神は許してきたからだ。あなたは単に、そもそも自分でこの夢を創造したことを忘れてしまったにすぎない。そして、いつでも好きな瞬間にそれを変えられる選択肢を持っていることも忘れてしまったのだ。


まとめると、ラムサの哲学の四つの礎石は、「ヴォイド」という概念、「意識とエネルギーが現実の七つのレベルを創造している」ということ、「あなたは神である」という宣言、「未知を既知にする」という使命です。


(中略)


好ましくない状況というのは、自らの真の性質や運命に関して、私たちが無知と拒絶の状態にとどまり続けることです。


(中略)


使命とは、未知を既知にし、その体験が永遠の叡智となるように、それをヴォイドへと持ち帰ることです。


もしあなたが誰かに、このようにたずねるとしよう。
「どんな格好をすればいいでしょうか? 何を信じればいいでしょうか? どのように生きればいいでしょうか?」
このようにたずねれば、あなたはいずれ死ぬ。


ほとんどの人間は、他人の理解の中に神を見つけようとしている。


「ただ在る状態」で真に生きるということは、自己を表現したり、拡大したりするのを妨げる法や支配や規則なしに生きるということである。R



質問者 子供の頃、忘我の境地、完全な幸福状態をたびたび体験しましたが、後にそれは止まってしまいました。インドに来て以来、特にあなたに出会って以来、その状態がふたたび現れはじめています。それでも、どんなに素晴らしい状態であっても持続しません。それは来ては去り、いつふたたび訪れるかもわかりません。


マハラジ マインドそのものが不動ではないのに、マインドのなかにある何が不動でありうるというのだろう?


質問者 どうすれば私のマインドを不動にできるのでしょうか?


マハラジ 不動ではないマインドが、それ自身を不動にすることができるだろうか? もちろんできはしない。うろつきまわるのがマインドの本性なのだ。あなたにできることは、意識の焦点をマインドの彼方へと移行させることだけだ。


質問者 どうすればいいのでしょうか?


マハラジ 「私は在る」という想念以外のすべての想念を拒絶しなさい。はじめのうち、マインドは抵抗するだろう。しかし忍耐と根気をもってすれば、それは降伏し、静かになるだろう。ひとたびあなたが静かになれば、あなたからの干渉なしに、ものごとは自発的にまったく自然に起こりはじめる。


質問者 このマインドとの長い闘いを避けることはできるのでしょうか?


マハラジ できる。生を起こるがまま生きなさい。ただ留意し、見守り、あるがままにものごとが起こるのを許して、生がもたらすままに、喜び、苦しみ、自然なことを自然に行なう。それもまた道なのだ。


質問者 それなら結婚し、子供をもち、仕事をして……幸せになることもできるのですね。


マハラジ もちろん。幸せになるかもしれないし、ならないかもしれない。あなたの歩調で歩くがいい。


質問者 でも、私は幸せになりたいのです。


マハラジ 真の幸福を、移り変わり過ぎ去っていくもののなかに見いだすことはできない。喜びと苦しみは容赦なく交互にやってくる。真の幸福は自己から来る。そして、それは自己のなかにしか見いだせないのだ。あなたの真我(スワルーパ)を見いだしなさい。それとともに、それ以外のすべてもやってくるだろう。


質問者 もし私の真我が愛と平和ならば、なぜそれはこうも落ち着きがないのでしょうか?


マハラジ あなたの真の存在に落ち着きがないのではない、その反映がマインドのなかに落ち着きなく現れるのだ。なぜなら、マインドは落ち着きのないものだからだ。それは水面に映る月が、風で揺らめくようなものだ。欲望の風がマインドと、マインドのなかの真我の反映である「私」を揺り動かし、千変万化に映しだす。しかしこのような動き、落ち着きのなさ、喜びと苦しみといった観念は、すべてマインドのなかに存在する。真我はマインドを超えて在り、関わることなくただ気づいている。


質問者 どうやってそれに到達するのでしょうか?


マハラジ たった今ここで、あなたは真我なのだ。マインドのことは放っておきなさい。覚めて、巻きこまれず、離れて在りなさい。そうすれば、超然と油断なく在り、来ては去りゆく出来事をただ見守ることが、あなたの真の本性の一側面であることに目覚めるだろう。


質問者 ほかの側面は何でしょうか?


マハラジ 側面は無数にある。ひとつを知ればすべてを悟るだろう。


質問者 何か助けとなることを言ってください。


マハラジ 何が一番必要なのかはあなたが知っているはずだ。


質問者 私は落ち着きがありません。どうすれば平和になれるのでしょう?


マハラジ 何のために平和が必要なのだろう?


質問者 幸せになるために。


マハラジ 今、あなたは幸せではないのかね?


質問者 ええ、そうではありません。


マハラジ 何があなたを不幸せにするのだろう?


質問者 私は欲しくないものをもち、もっていないものが欲しいのです。


マハラジ なぜそれを、もっているものを欲し、もっていないものは気にかけない、というふうにひっくり返さないのかね?


質問者 私は快楽が欲しく、苦痛は欲しくないのです。


マハラジ 何が快楽で何がそうではないか、どうやって知るのだろうか?


質問者 過去の体験からです。もちろん。


マハラジ 記憶に導かれながらあなたは快楽を追求し、不快を避けてきた。今まで成功しただろうか?


質問者 いいえ。快楽は長続きせず、苦しみはふたたび入りこんできます。


マハラジ どの苦しみだろう?


質問者 喜びへの欲望と苦しみへの恐怖、どちらも惨めな状態です。純粋な喜びという状態は存在するのでしょうか?


マハラジ 肉体的あるいは精神的なあらゆる喜びには手段が必要だ。物理的、精神的な手段はともに物質であり、どちらもすたれ、使い果たされる。それらが生みだす喜びは、必然的にその強度と期間に限界がある。苦しみはすべての喜びの背景にある。苦しむがゆえにあなたはそれを欲しがる。だが、喜びの追求自体が苦しみの原因なのだ。それは悪循環だ。


質問者 混乱の構造は理解できますが、出口が見いだせません。


マハラジ 構造を調べること自体が道を示すのだ。つまるところ、あなたの混乱はあなたのマインドのなかにだけ存在している。そのマインドはけっして混乱に抵抗せず、それを理解しようともしてこなかった。マインドが抵抗したのは苦しみに対してだけだ。


質問者 それでは、私は混乱しつづけるしかないのですか?


マハラジ 油断なく在りなさい。問いかけ、観察し、調べ、混乱があなたや他人に何をし、どう作用するのか、混乱について何ができるのかをすべて学びなさい。混乱について明らかにすることで、あなたはそれを一掃する。


質問者 自分の内側を見つめるとき、私のもっとも強い欲望は己の記念碑、自分を永続させる何かをつくり出したいのだということが見てとれます。私が家や、妻や、子供を思うときでさえ、それは永続する確固たる自己の証明となるからです。


マハラジ では、記念碑をつくるがいい。どうするつもりかね?


質問者 それが永遠のものであるかぎり、何を建てるかは問題ではないのです。


マハラジ あなた自身、何ひとつ永遠のものはないと知るだろう。すべては衰退し、朽ち果て、崩壊する。記念碑を建てる土台そのものが崩れ去っていくのだ。永続するような何を築くことができるというのだろう?


質問者 知的に、言葉の上では、すべてがはかないものだと気づいています。しかしそれでも、私のハートは永遠なるものを求めています。何か永続するものをつくりたいのです。


マハラジ それでは永続する何かをつくるがいい。そのようなものを何かもっているかね? あなたの身体もマインドも長続きはしない。どこかほかを探すべきだ。


質問者 永遠なるものを求めてきましたが、どこにも見いだすことできませんでした。


マハラジ あなた自身が永遠なのではないだろうか?


質問者 私は生まれました。そして死んでいくでしょう。


マハラジ あなたが生まれる以前、あなたが存在していなかったと言えるだろうか? そして死ぬときになって、「私はもはや存在しない」と言えるというのだろうか? あなた自身の体験からも、あなたが存在していないと言うことは不可能だ。ただ、「私は在る」と言えるだけだ。他者もまた、「あなたは存在しない」と言うことはできない。


質問者 眠りのなかでは、「私は在る」という感覚はありませんでした。


マハラジ そんな決めつけたような言葉を吐く前に、目覚めの状態を一度注意深く調べて見るがいい。目覚めの状態は、マインドが空白になった隙間でいっぱいだとすぐに気づくだろう。完全に目覚めているときでさえ、あなたが覚えていることがいかにわずかかということに注意を払いなさい。眠りの間、あなたに意識がなかったとは言えないはずだ。ただ覚えていないだけなのだ。記憶の隙間がかならずしも意識の隙間であるとはかぎらない。


質問者 深い眠りの状態を記憶することはできるのでしょうか?


マハラジ もちろん! 目覚めている間の不注意な時を取り除くことが、眠りと呼ばれる長い放心状態の間隔を徐々に除去するだろう。あなたは自分が眠っていることに気づくようになるだろう。


質問者 しかし、永久なるもの、存在の永続性の問題はまだ解かれていません。


マハラジ 永久性とは時間の運動から生まれた、ただの概念にすぎない。時間もまた記憶に依存する。永久なるものと言うことで、あなたは無限なる時間を通して、変わることのない確かな記憶を表している。あなたはマインドを永遠のものにしたい。だが、それは不可能だ。


質問者 では、永遠とは何なのでしょうか?


マハラジ それは時とともに変化しないものだ。一時的な、はかないものを不滅にすることはできない。不変のものだけが永遠なのだ。


質問者 あなたのおっしゃることの意味は概してなじみ深いものです。私はこれ以上の知識は欲しくありません。ただ平和が欲しいのです。


マハラジ 求めさえすれば、欲するすべての平和は得られる。


質問者 私は求めています。


マハラジ ひたむきに求めなければならない。そして統合された生を生きなさい。


質問者 どうすればよいのでしょうか?


マハラジ あなたのマインドを落ち着かなくさせる、すべてのものからあなたを引き離しなさい。平和を乱す、すべてのものを放棄しなさい。もし平和が欲しいのなら、それを受けるに値するものとなりなさい。


質問者 もちろん、誰もが平和を受けるに値します。


マハラジ それを妨げない者だけが受けるに値するのだ。


質問者 いったい、どのようにして私は平和を妨げているというのでしょうか?


マハラジ 欲望や恐怖の奴隷となることによってだ。


質問者 たとえそれらが正当と見なされたときでもでしょうか?


マハラジ 無知や不注意から生じた感情的な反応はけっして正当化されない。清らかなマインドと澄んだハートを探し求めなさい。あなたに必要なのは、静かに油断なく自己の本性を探求することだけだ。これが平和へのただひとつの道だ。


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