他に何か要るという誤解


が付きまといます。一生ものの誤解です。n


森羅万象いかなる処にもわたしを見
わたしのなかに森羅万象を見る人を
わたしは必ず見ている
彼は常にわたしと共にある

バガヴァッド・ギーター 第6章30節


質問者 私の年齢でもハタ・ヨーガを遂げることはできるでしょうか?


マハルシ なぜそのようなことを考えなければならないのですか? あなたは真我があなたの外側に存在すると考えるため、それを求めて努力するのです。しかしあなたは常に存在しているのではないでしょうか? なぜ自分自身を離れて、外側にある何かを追い求めるのでしょうか?

(対話619)


マハルシ あなたは純粋意識なのです。グリハスタ・ダルマも世界も純粋意識の上に現れた単なる現象にすぎず、それは影響を受けることなくとどまります。


疑いが誰にとって起こるのかを見なさい。疑う者とは誰でしょうか? 考える者とは誰でしょうか? それは自我です。それをとらえなさい。
自我がどこから立ち現れるのかを見いだしなさい。それが純粋意識なのです。


「私は実現できるだろうか?」という疑いや、「私はまだ実現していない」という感覚自体が障害なのです。

(対話251)


マハルシ ヨーギーは脳の中枢、あるいは千の花弁の蓮と呼ばれるサハスラーラに達することを最重要視しています。
事実は、身体は心の中に存在し、心は脳をその座としています。
その源に直接向かいなさい。借り物の源泉に依存してはならないのです。


集中とは一つのことを考えることではありません。その反対に、それは私たちの真の本性のヴィジョンを妨げるすべての想念を取り除くことなのです。

(対話398)


質問者 どうすればアートマンを見いだせるでしょうか?


マハルシ アートマンの探究ということはありえません。真我ではないものだけが探究の対象となり、それを排除することだけが可能なのです。

(対話78)


あなたはそれがどんなものであっても、自分が選んだものに意識を集中する能力を持っています。どんなものにでも──無にでさえもです。とにかく、あなたはあらゆる瞬間に、何らかのものに意識を集中することを選んでいるわけです。光を望むのでしたら、自分の純粋な目覚めた意識を内側の光のあるところに向けてください。たえず変化しつづける外側にあるものに意識を集中しようとするのではなく、内側にある絶対的に安全なところ、現象界のエゴの波の満ち引きに引っ張られたりすることのない場所を見つけてください。B



これまで私は、考えられる限りのあらゆる言い方で、何度も何度も繰り返し、あなたが知り得る最も偉大な真実を語ってきた。その真実とは、「あなたは神である」ということだ。R


彼らのパワーはこの地球の下の青い空間の深さよりも深く根をはり、彼らの頭は星とともに宇宙に飛びかい、あなたの目にはとても見えません。彼らはあなたを上から愛すると思いますか。彼らの存在は、この全宇宙の創造物を片手で持てるくらい、とてつもなく広大なものです。それでも、彼らは上から、優位の立場から愛するのではなく、自分の全体性をもって愛するのです。あなたの存在も同じくらい広大なのですが、あなたはそれを忘れてしまっています。あなたは自分のことを、このちっぽけな惑星の上を歩いている、ちっぽけな人間だと思っています。でも、本当はそうではありません。あなたの頭も星のあいだにあり、あなたの脚も濃紺の宇宙空間のかなたまで下りています。それほどあなたは広大無辺です。誰もあなたを助けだしたり、救ったりする必要はありません。あなたが救う者であり、あなたは救われた者なのです。


あなたが自分の未解決の問題に直面する勇気を持つと、あなたの心が一挙に大きく開かれ、人間は誰でも同じ問題を抱えているのだ、ということに気づきます。あなた方はみな怖れているのです。それというのも、自分はこの危険に満ちた世界を行く先もわからずにすすんでいる、ちっぽけな存在であると、自分を取りちがえて考えているからです。


これから先、もっとも有益な道具は、自己の限られた意識以外のものを体験したいという願望です。前にも言ったように、人は自分が何であるかということを思いちがいしています。B


あなたに一番つらくあたっているのは、あなた自身です。あなたの兄弟姉妹も同じなのですが、あなたもまた自分がどこか欠けていて価値がない、という基本的な感覚に悩まされています。自分がおそろしい失敗をおかしていて、遅かれ早かれ、権威ある人間、または抽象的なスピリチュアルな存在──たとえば神とかカルマの法則とかいったもの──によって罰せられるだろうと感じています。


自己の価値に関するこのような未解決の問題が、具体的にあなたの状況となって現れているわけです。つまり、それらを実現化させるために、ここにいるということになります。あなたは、自分の罪悪感を増幅させるような両親を選び、自分でその罪悪感に気づくことができるようにしました。ですから両親を責めてみても、あなたがたがじつは愛にもとづいて設定したこの状況を変えることはできません。唯一の脱出口は、自身の罪悪感や恐怖心に根ざした信念や人間関係のパターンに気づき、その気づきを広げてゆくことです。


だれか特別な人を探して、両親からは得られなかった愛をもらおうとしても、うまくいきません。ただ圧力釜の温度をあげるだけです。選んだ異性が、じつは関係を修復すべき親とそっくりだったと気づいても、驚くにはあたりません。あなたは自分の傷と、しっかり向き合うしかありません。両親、伴侶、子どもは、あなた自身の癒されるべき場所を示してくれています。あなたもまた、かれらの人生において、そういう役割をはたしています。


これは良いとか悪いとか、こうであるべきだといったさまざまの条件・制約によって成立しているこの世界の中で、だれかに無条件の愛を求めても、失敗は目に見えています。なぜなら、兄弟姉妹のほうも自己の無価値感から行動しますから、あなたの期待するような愛は与えられませんし、あなたもまたそうです。一番よい道はおたがいが自分の必要とする愛への気づきを高めていくこと、自分の責任で、自分にその愛を与えはじめることでしょう。


自身の傷に対して自分で愛を与えるという責任をとらないうちは、攻撃──防御、罪悪──非難という悪循環から抜け出ることはできません。怒り、傷つけられたという思い、裏切られた感じ、それらはあたかも正当なように見えますが、おたがいのいさかいの火に油を注ぐだけでなく、自分は愛されないし、愛する能力もない、という無意識の信念をたえず強めていきます。


自分自身がどれほど自己を憎悪しているかに気づく必要があります。鏡をのぞいて、そこに自分の信じていることがそっくり映っているのがわかるまでは、まずは日々出会うすべての兄弟姉妹を鏡として、自分が自分をどう見ているのかを知ることができます。この実践は特にむずかしくはありませんが、天国への最短距離というわけではありません。自分の見ているものは、よその人への教訓なのだと考えがちだからです。


この世界のいまわしい心理戦争からのがれるには、投影というゲームをやめることです。このゲームは自分の無意識の中の死への衝動を、それは悪いというせまい道徳倫理で、自分の目からもおおい隠してしまいます。皮肉に聞こえるかもしれませんが、自分は正しくて悪いのは兄弟なのだと主張しているその瞬間に、あなたは自分自身の罪悪感と劣等感を拡大しているのです。


非難の悪循環から抜け出るには、非難をやめるしかありません。ただし、覚悟してください。苦しみの円環から抜け出ようとすると、世間からはよく言われないでしょう。まず最初に攻撃の矢面に立たされるのは、この世界の投影ゲームに参加しない人たちです。あなたがたがわたしの生涯から教訓を受けとるとしたら、まずはそのことです。


自分自身の恐怖心をだれかに投影せず、自分のものとして自覚する人は、この世界のゲームをおびやかすのです。自分自身の殺人衝動を認め、その根を自分の意識の中に探そうとする人は、社会をとりまとめている道徳倫理をおびやかします。


人間社会においては、正義があり、悪事があります。正義をおこなう人は報われ、悪事をはたらく人は罰せられます。つねにそのようになっていました。


わたしの教えは、この基本的前提をゆるがします。まず、ごく表面的なレベルでは、悪人は罰せられるべきだという考えに抵触します。処罰せよという大合唱にわたしは立ち向かい、宥しを主張しつづけるでしょう。


より深いレベルでは、わたしの教えは、これこれの行いをしたらその人は非難されるべきだ、という考えそのものにも抵触します。だれかが誤った行いをしたら、それは当人が誤った考えを抱いたからです。その考えが誤りであることに気づけば、行いを変えられます。ですから、その人をそちらの方向に導くことは社会の利益になります。しかし、もしそこに処罰が持ちこまれたら、その人の誤った考えにはさらに拍車がかかり、さらに罪悪感が増し加わるでしょう。


「悪事をふたつ重ねても、ひとつの善事にはならぬ」という言い回しを聞いたことがありますか。これこそ、わたしの教えの中心にあるものです。あらゆる悪事は、正しいやりかたで修正されなければなりません。それ以外の修正方法は、攻撃となります。


相手の議論をねじ伏せようとしたり、まちがいだぞと言い負かそうとしても、相手はいこじになるだけです。それは暴力的なやりかたです。これに対して、わたしのやりかたは非暴力的です。わたしの場合は、こうすれば問題は解決するという解答を実際に行動で見せてあげます。それは苦しんでいるものに対し、攻撃ではなく、愛をもたらします。このやりかたは、本来の目的にかなっています。


よくないこととは、罪悪感を教え、苦痛や苦しみが必要なのだという信念を確立することです。正しいこととは、愛を教え、それにあらゆる苦しみを乗りこえる力があるのを示すことです。かんたんに言えば、正しくあればよくないことはできないし、よくない場合には正しいことはできません。正しくあるために、正しいことを行いなさい。


愛の感じられないやりかたでは、真に愛することはできません。ほんとうに正しい人間なら、誤りを攻撃する態度はとれません。誤りはもちろんなくすべきです。しかし、すべての誤りの根源は恐怖心ですから、恐怖心の撲滅が誤りの修正につながります。


愛という反応だけが、恐怖心を無力にできます。信じられないのでしたら、ためしてごらんなさい。あなたが、恐怖心を起こさせるだれか、あるいはそういう状況を愛してみれば、恐怖心は消えてしまうでしょう。これはほんとうです。それは愛が恐怖心の解毒剤であるからというよりも、むしろ恐怖心は「愛の不在」だからです。ですから、愛があらわれたところに、恐怖心はいすわることはできません。


あなたがたのほとんどは、恐怖心についてはかなり理解していますが、愛についてはほとんど知りません。あなたは神を恐怖し、わたしを恐怖し、おたがいを恐怖しています。


なぜ恐怖を抱くのですか。それは、自分に愛される値打ちがなく、おたがいを愛する能力もないと信じているからです。


たったひとつ、この信念を変えさえすればよいのです。人生のすべてのネガティブなものは、自分についてのこの誤った信念をぬぎすてたとたんに、はがれ落ちます。


友よ、あなたは自分で考えているようなものではありません。ネガティブな信念や行動の単なる集合体ではありません。自分ではそう信じているでしょうが、そうではありません。


あなたはわたしと同じように、神の子です。神の真実と善は、あなたの真実と善です。この事実を一瞬でも受けいれるならば、あなたの人生は変容します。この事実を一瞬でも兄弟についても受けいれるなら、あなたがたのあいだの葛藤は終わります。


あなたが目にしているのは、自分の信念の直接の結果です。自分が罪深いと信じていれば、罪深い世界があらわれます。罪深い世界は罰せられることになるでしょうし、あなたも同じ運命をこうむるでしょう。


「神はあなたを打ち倒される。神は世界を滅ぼされる。神が復讐をなされる」これらの言葉こそ、友よ、あなたの考えていることなのです。これらは──冒瀆的に聞こえるかもしれませんが──あなたがたのほうがわたしに押しつけた、ばかげた考えです!幸い、わたしにはわかっています。これが、あなたがたが自分を痛めつけるための粗雑なやりかただということが。


こんな小手先の操作は問題を先送りにするだけです。そのうち、あなたも飽きてくるでしょう。罪悪という考えかたぜんたいを、個人としてのあなた──そして集団としてのあなたがた──はやがて拒絶するようになり、故郷へ帰りたくなるでしょう。


友よ、あなたがたが完全に正直になり、責任を引き受けることになるその瞬間がくることを、わたしは確信し、喜びをもって待ちのぞんでいます。あなたが自分の兄弟の善をひとつのものとして見る日には、神からあなたをへだてるすべてのものがはがれ落ちて、あなたは輝かしい姿でわたしのわきに立つことになるでしょう。


そのとき、あなたは一点の疑いもなく、あなたを愛している神の愛を知るのです。そのとき、あなたは”彼女”がただの一度もあなたを見捨てたことがなかったのがわかるでしょう。たとえあなたが”彼女”の罰が自分にくだり、世界は破壊されるだろうという血迷った考えにとらわれていたさなかにもです。そのとき、あなたは自分の心の創造の力を知り、そして神と別個にではなく、神とともに創造することを選ぶでしょう。Y



陰惨画像に晒されサイコパス化したAI「ノーマン」。MIT、偏った学習ではAIも鬱屈すると証明


偏る方向によっては「ヲタAI」も生まれるということか


人工知能(AI)が暴走して世界を恐怖に陥れるという物語設定は、SFの定番テーマのひとつとして扱われてきました。しかし、いまやそれも現実のものになりつつあるようです。MITの研究者は「精神的に異常な人工知能」を作り上げたと発表しました。


アルフレッド・ヒッチコック監督の映画「サイコ」にちなみ"Norman"と名付けられたこのサイコパスAIは、インターネット掲示板サイトRedditにアップロードされた「暴力的で陰惨な」...ストレートに言えばグロ画像を延々と参照させることで、ロールシャッハテストにおいておおよそまともではない返答を返すようになったとのこと。


ロールシャッハテストとは、インクを垂らした紙を2つに折りたたんで広げなおし、そこにできあがった模様が何に見えるかを回答させて被験者の思考や障害の度合いを推定する試験方法。


これを通常の画像で鍛えた通常のAIとノーマンに見せて比較したところ、たとえばある模様では通常のAIが「花を生けた花瓶」と回答したところをノーマンは「射殺された男性」との結果を得ました。また別の模様をみせれば、通常AIは「傘を掲げた人」、ノーマンは「悲鳴をあげる妻の前で射たれた夫」、さらに別の模様では、通常AIの「隣り合う男女」に対して「建物から飛び降りる妊婦」と答える始末。


書いているこちらまで気分が滅入ってしまいそうなノーマンの発想には、(研究者がそのよう仕向けたとはいえ)よくもここまで悲惨で鬱屈した思考状態に追い込んだものだと思わざるを得ません。


この研究は、機械学習が入力される情報によって大きく左右されること、AIのアルゴリズムのバランスが崩れていると思われる場合、むしろアルゴリズムを形成する材料となったデータそのものに偏りがあるということを証明するために行なわれました。


そして、これはAIが現実社会のあらゆる仕事や公共サービスに浸透するにつれ、どこかで有意な結果を招く可能性があることを示していると考えられます。ノーマンの異常な思考による回答は、人類の将来に訪れるかもしれないなにかを予見させる...とは考えたくないものです。

Munenori Taniguchi


「正恩氏、核放棄しない」=米朝合意は大枠だけ-韓国元統一相
時事通信社
2018/06/09 15:17


【ソウル時事】韓国の康仁徳・元統一相は、12日の米朝首脳会談について、金正恩朝鮮労働党委員長に「核を放棄する意志はない」と明言し、米朝会談は北朝鮮の非核化の方法や期限など具体的な内容のない「大きな枠組みの合意にとどまる」との見方を示した。時事通信とのインタビューで語った。


康氏はこの中で、正恩氏には「(祖父の)故金日成主席の膝の上に乗った写真が1枚もない」と指摘。儒教的価値観の強い北朝鮮で権力を継承したものの「世襲の名分、正当性」はなく、正恩氏の権力基盤の安定には核兵器が不可欠になっていると分析した。


また、北朝鮮の最終的な目標は、事実上の核保有国として知られるインドやパキスタンのようになることで、「米朝会談では核保有国の立場として臨むだろう」と見通した。さらに、米朝の実務交渉が短期間だったことから、4月末に開かれた南北首脳会談の板門店宣言で明記された「朝鮮半島の非核化」を、事実上上書きするような合意になるだろうと語った。


北朝鮮の非核化をめぐっては、北朝鮮側は制裁解除や体制保証などの見返りを伴う「段階的な非核化」を要求。トランプ米政権は「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化(CVID)」への具体的な行動を求めており、12日の首脳会談で折り合いがつくかどうかが焦点となる。


康氏は、情報機関・中央情報部(KCIA)で北朝鮮情報局長などを歴任。金大中政権下の1998~99年に統一相を務めた。


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