学問の土台について


学問というのは、それぞれ異なる前提条件や想定があります。共通するのは、「土台は崩れないだろう」という暗黙の推定です。それゆえに、この土台が崩れないのか、崩れるのかで学問全体の限界が決まります。私は、学問というのは、推定、前提から誤っているものだと感じています。学問が形態を成り立たせている本当の根拠は、「土台には神しかいない」という事実です。そのため学問の土台は崩れない、は誤った推測であり、神が世界観ごと変えてしまうとき、学問の前提は崩れ、効力を失います。銀河系すら創り直せる神が学問によって規定されることはありません。学問が神によって規定されています。ニュートン以後、これをしばらく逆に見てしまう思想の波が人類を襲ったのだと思います。n


雪上の空白と、雪に埋もれた木、どちらを信じるか


歩きやすそうなのは何もない雪だけの空白地帯です。ですが、根が張っていてほぼ間違いなく信頼できるのは埋もれた木のほうです。落下はほぼ、ありえません。生活している人間の姿は、これに近いと感じました。直接的に根は見えていませんが、木がそこにあるということは生活がある「はず」です。逆に根の推定できない人間は信頼すべきではありません。根ではなく、実の方向性から信頼に値しないと判断する時もあります。幹が曲がっていることから判断する場合もあります。それでも基本はどこまで行っても根がどうなっている(と推定される)かです。雪上の空白地帯は言葉だけの世界観や、空約束です。微妙な表情や語尾の変化だけでも顔を突き合わせて情報を得るほうがはるかに価値があります。最初に根(生活)、次に幹(笑顔や言葉)、そして実(測定できる実績)です。n


トランプ政権が米朝首脳会談の開催を焦った理由ー北朝鮮の「粘り勝ち」
六辻彰二 | 国際政治学者
6/3(日) 16:38


米朝首脳会談が開催されなかった場合、北朝鮮だけでなく、米国も大きなダメージを受けていた トランプ大統領は、米朝首脳会談の開催をこれ以上引き延ばせないなかで、「最大限の圧力」や「短期間での非核化」を放棄した
米朝首脳会談が短期間のうちに成果を出すと想定することはできないが、それでもトランプ政権にとっては大きなトロフィーが残る
米国トランプ大統領は6月1日、米朝首脳会談を6月12日にシンガポールで開催すると明言したうえで、「最大限の圧力という言葉をもう使いたくない」と発言。さらに同日、朝鮮労働党の金英哲副委員長とホワイトハウスで会談した際には「時間をかけて構わない」とも述べています。


これらの発言からは、少なくとも現段階において、圧力より協議を優先させるトランプ氏の姿勢をうかがえます。さらに、これまで強調してきた「完全かつ検証可能、不可逆的な非核化(CVID)」の一本やりではなく、北朝鮮の求める「段階的な非核化」を考慮に入れても構わない、というメッセージも読み取れます。


5月末から米朝首脳会談の会談そのものが二転三転した先に出てきた今回の方針転換には、いかにも唐突な印象があるかもしれません。しかし、「予定されていた6月に米朝首脳会談が行われない場合、被るダメージは北朝鮮よりむしろ米国の方が大きい」ことに鑑みれば、この方針転換は不思議ではありません。


問題の構造は1ミリも動いていない
米朝首脳会談をめぐっては、双方の駆け引きの一つ一つに目を奪われがちです。しかし、問題の構造そのものは2月に韓国政府が平昌五輪の機会をつかまえて南北会談をスタートさせた頃から、あるいはそれ以前から、何も変わっていません。


米国にとって最大の懸案は、北朝鮮が米国を射程に収める大陸間弾道ミサイル(ICBM)をもつことです。言い換えると、体制の保証や、短・中距離ミサイルの開発・保有、拉致問題を含む人権問題などは、トランプ政権にとって「自分の問題」ではなく、優先順位の低い、譲歩して構わない問題です。


逆に、北朝鮮にとって最大の関心事は体制の保証にあります。ただし、米国を信用できない以上、その言いなりになって核・ミサイルを一度に放棄することは、北朝鮮にとって自殺行為になりかねません。だからこそ、圧力を受ければ受けるほど、北朝鮮にとって核・ミサイルの重要性は増してきました。


このように米朝の担当者にとっての最大のテーマは、「短期間での非核化」か「段階的な非核化」か、という相いれない衝突にあり、どちらかが譲るしかない構図が定着してきました。


デッドロックで困るのは
デッドロック(行き詰まり)を打開しようとするなら、「立場の弱い側」が譲るしかありません。それは一見、北朝鮮のように映ります。実際、米朝首脳会談が開かれず、緊張や対立がエスカレートし続ければ経済制裁が継続されるため、北朝鮮にとって影響がゼロでなかったことは確かです。


しかし、米朝首脳会談が予定通り開催されない場合、トランプ大統領が被るダメージやリスクは、金正恩体制と比べても決して小さくありません。そこには大きく二つの理由があげられます。


第一に、中間選挙のスケジュールです。今年11月6日には米国の下院全議席と上院の3分の1(33議席)が改選され、さらに各州での知事選挙も行われます。中間選挙は政権に対する信任投票の意味合いが強く、それまで半年を切った6月は、「目に見える成果」をアピールしたいトランプ氏にとってギリギリのタイミングです。


逆に、金正恩体制からすれば、ここまで追い込まれた以上、米朝首脳会談があと1~2ヵ月ずれ込んだところで、被るダメージに大きな差はなかったはずです。つまり、米朝首脳会談の開催がこれ以上ずれこんだ場合、より困った立場に立っていたのはトランプ政権なのです。そのため、これ以上引き延ばせば北朝鮮ペースになりかねないタイミングで、トランプ政権は圧力から協議に舵を切ったといえます。


核ミサイルをかついだ窮鼠
第二に、北朝鮮を追い込みすぎるリスクです。日本政府は「最大限の圧力」を強調しますが、そこには「追い込むことで相手がネをあげるはず」という考え方があります。


ただし、追い込まれすぎた相手が「これ以上追い込まれて自滅するくらいなら、いっそ打って出る」という選択をすることも珍しくありません。


満州事変(1931)後、国際的に批判され、米国などの経済制裁の対象となった日本が、「全ての海外権益の放棄」を求める米国の通牒(ハル・ノート)を受けて、むしろ日米開戦に向けて加速していったことは、その象徴です。この場合、米国が極めて高いハードルを設け、一切妥協しなかったことが、むしろ日本を逆噴射させました。この日本の立場を北朝鮮に置き換えれば、米国政府が「追い込みすぎるリスク」を懸念したとしても、不思議ではありません。


これに加えて注意すべきは、実際の軍事的な勝敗や優劣と、政治的なリスクが別物ということです。


追い込まれた北朝鮮との間で実際に軍事衝突に至れば、最終的には戦力において米国が圧倒することは目に見えています。ただし、犠牲者が出た場合の国内の政治的なダメージでいえば、民主的な選挙を経ているトランプ政権は、もともと国民からの支持を当てにしていない金正恩体制より脆いといえます。1万人の北朝鮮人が死んでも金正恩体制はそれを覆い隠すでしょうが、100人の米国人が死亡すればトランプ政権は国内でつるし上げられます。


この構造を考えれば、6月初旬の段階でトランプ大統領が米朝首脳会談という北朝鮮にとって「生き残りのための最後の道」を閉ざさず、さらに「短期間のうちに全ての核戦力を無力化すること」という非現実的なまでに高いハードルを取り下げたのは必然だったといえます。これは北朝鮮の「粘り勝ち」だったといえるかもしれません。


トランプ政権にとっての「成功」とは
トランプ大統領は1日の金英哲氏との会談後の記者会見で、6月12日の会談を「(金正恩氏と)知り合いになるための機会」のようなものだと述べました。一度の協議で全て解決するわけではなく、何度も会合を重ねるなかで最終合意にたどり着くという方針は、いわば現実的なものです。


ただし、その現実感覚は、「米国を射程に収める核ミサイルの放棄」を優先させるために、短・中距離ミサイルや人権問題など、それ以外の問題を切り捨てる可能性を大きくするとみられます。


これに加えて、「何度も会合を重ねる」という名目のもと、協議が長期にわたることも想定されます。問題の根本的な解決が難しい以上、協議がとんとん拍子で進むことは見込めません。それでもトランプ政権には初の米朝首脳会談という「歴史的な偉業」を達成したトロフィーは残り、11月の中間選挙では「北朝鮮との協議が進行中で米国は安全になりつつある」というアリバイを主張できます。


一方、協議が長期にわたることは、北朝鮮にとって経済制裁の継続を意味するものの、中国などでの違法な北朝鮮企業の操業が継続していることもあり、すぐに立ち行かなくなるわけでもありません。むしろ、協議が続いている間は少なくとも事実上、体制を安堵でき、ほぼ唯一の外交手段であるICBMを保持できます。逆に、短期的な利益を求めて、北朝鮮が米国内でのトランプ政権の立場をなくす振る舞いをしたが最後、本当に「怒りと炎」に直面することになりかねません。


そのため、少なくとも中間選挙が行われる11月までは、北朝鮮も米国との「対話ムード」を決定的に悪化させる行動をとらないとみられます。言い換えると、協議の実際の進展はともかく、それを継続し、いわば「対話ムード」を演出すること自体に利益を見出す点で、トランプ政権と金正恩体制は共通するといえるのです。



トランプ氏は北に譲歩したのか?
遠藤誉 | 東京福祉大学国際交流センター長、筑波大学名誉教授、理学博士
6/4(月) 7:30


金正恩委員長の親書を受け取ったトランプ大統領は、北朝鮮が要求してきた段階的非核化を事実上認めた。これはアメリカの譲歩を意味するのだろうか。答えは「否」だ。むしろ北を追い詰めている。その理由を考察する。


◆トランプ大統領の方針転換
トランプ大統領は6月1日午後(日本時間2日未明)、金正恩委員長の書簡を持参した金英哲(キム・ヨンチョル)副委員長との会談後、主として以下のような意思表明をした。


1.米朝首脳会談は当初の予定通り、6月12日にシンガポールで行う。


2.これは「プロセス」の始まりだ。今後複数回会談があるだろう。(中国の中央テレビ局CCTVは「トランプはプロセスという言葉を7回使った、いや14回だ」など、「プロセス」に注目している。)


3.非核化は急がなくていい。(実際上、北朝鮮が主張してきた「段階的非核化」を容認する形となった。)


4.但し、非核化が実現しなければ経済制裁は解除しない。現状は維持する。しかし、「最大限の圧力」という言葉は、今後は使いたくない。(つまり、これ以上の制裁を課すことはない。)


5.対北朝鮮制裁を解除する日が来ることを楽しみにしている。


6.北朝鮮が非核化を受け入れた後の経済支援に関しては、日本や韓国あるいは中国などの周辺諸国が行えばよく、遠く離れたアメリカが多く支出することはない。


7.6月12日の米朝首脳会談で、朝鮮戦争の終戦協議はあり得る。


◆トランプは譲歩したのか?
これだけを見ると、あたかもトランプ大統領が北朝鮮に譲歩したように見える。あれだけ「完全で検証可能かつ不可逆的な非核化(CVID:Complete, Verifiable, Irreversible, Dismantlement)」を見届けなければ首脳会談にさえ入らないと主張してきたアメリカが、「急ぐことはない、ゆっくりやればいい」と前言を翻したのだから、譲歩したと解釈するのも無理からぬことだ。


日本のメディアには、そのトーンのものが散見される。特に毎日新聞の「<トランプ氏>段階的非核化を容認 米朝12日に会談」には「トランプ氏は(中略)非核化の段階ごとに見返りを得たい北朝鮮の戦略に理解を示す姿勢も見せた」とある。本当だとすれば、これは明らかな後退であり譲歩だ。どうも気になって、英文メディアを調べてみた。すると“Trump reinstates summit with Kim Jong Un for June 12 in Singapore”に“Experts said Trump’s shifting rhetoric was necessary to keep the summit on track by reducing the gap in expectations between Washington and Pyongyang, which has signaled that it would negotiate only over a slower, step-by-step process to curb its weapons programs in exchange for reciprocal benefits from the United States and other countries.”という類似の報道があるのを見つけた。


肝心なところだけをざっくり訳せば「非核化の段階的プログラムにより、それに応じた見返りをアメリカや他の国々から得る」ということになる。しかし、よくよく見れば「Experts said」と冒頭にあり、「専門家の意見によれば」ということで、どなたかの個人的見解に過ぎないことが分かった。


情報があまりに多くて錯綜し、しかも時々刻々変化していくので、こういう混乱が起きるのもやむを得ないのかもしれない。筆者も同様なので、その状況は理解できる。


それでも客観的事実だけを、できるだけ正確に把握するなら、ホワイトハウスは結果的に「経済制裁は、北朝鮮の非核化作業が最終段階に近づくまで解除せず、初期段階や中間段階ではペーパーベースの政治的見返りに留める」という方針を崩していないようである。


◆北朝鮮はさらに追い込まれる
それどころか、「これはトランプ流の嫌がらせでしょう。金正恩への圧迫戦術です。複数回の会談は金正恩が耐えられないし、段階的と言ったところで、その間に何も得られないのですから、金正恩はさらに追い込まれるだけだと思います」と指摘するのは、関西大学の李英和(リ・ヨンファ)教授だ。


なぜ追い込まれるのか。理由は二つあるとのこと。


一つ目:北朝鮮の経済の疲弊が進み、制裁解除と支援獲得が急がれるから。


二つ目:軍部の不満。首脳会談を重ねても、もらえるのは朝鮮戦争の終戦協定に関するペーパーなどで、肝心の金銭は入って来ない。めぼしい大義と対価をなかなか得られないと、軍部が反発する。


筆者との個人的な学術交流の中で、李教授はさまざまな鋭い見解と北朝鮮内の速報を知らせてくれる。軍のトップ層に関しては事実、核廃棄に向けた強硬派を排除して穏健派に入れ替えるという人事がここのところ行なわれており、軍部の不満を金正恩が恐れている状況が表面化しているという。


そうだとすれば、金政権の体制を保証すると約束しているトランプ大統領としては、金体制の崩壊を招くであろうCVIDを避けて、そのために「段階的非核化」を受け入れたのではないだろうか。


李教授は2016年の時点で金正恩が「いずれ核を放棄し、対話路線に転換してくる」と予測しており、朝鮮半島問題に関しては群を抜いた第一級の研究者だ。


その彼が5月29日付のコラム「トランプみごと!――金正恩がんじがらめ、習近平タジタジ」を「まさに、その通りだ!金正恩はやがてアメリカにシフトしていく」と評価してくれたので、この線は不変のまま続いていくものと判断している。


◆ノーベル平和賞を狙っているトランプ?
余談になるが、筆者は2017年7月に出版した(ということは同年5月に執筆した)『習近平vs.トランプ  世界を制するのは誰か』(p.59)で、「トランプ大統領は金正恩と会談してノーベル平和賞を狙っているのではないか」と書いた。今では少なからぬアメリカ人がそのように言い始めているようだが、1年前にこれを予想した人がどれだけいたのか、調べていないので分からない。


筆者は興味をそそる指導者あるいは政治家の心理を読み解いていく作業が好きだ。薄熙来(元重慶市書記)に関しては『チャイナ・ジャッジ 毛沢東になれなかった男』で投獄されるまでの彼の人生とイギリス人を殺害したその妻・谷開来の心理を追跡したし、『毛沢東 日本軍と共謀した男』では、毛沢東の人生や心理を、日中戦争当時を中心に追いかけた。


習近平国家主席との対比においてトランプを描く際も、キッシンジャーとの関係を中心に追いかけていくと、「ああ、この人はノーベル平和賞を取ろうと狙っているのかもしれない。だから『なんならキム・ジョンウンとハンバーガーでも食べながら、お喋りしてもいい』と何度も言ったにちがいない」というところに行きついてしまったのである。


金正恩の心理を読み解くには情報と知識が不十分だが、少なくとも中朝関係の真相という視点から分析するなら、彼はアメリカと蜜月関係になりたいと望んでいるということだけは推測できる。トランプ氏が大統領でいられる時期がいつまでかによって違ってくるが、少なくとも彼(金正恩)は米朝蜜月を演じようとするだろう。それは米朝両国にとって「中国牽制」という意味で重要なファクターなのである。


追記:トランプ大統領が今年秋の中間選挙までに何かしらの実績を残したかったという側面は否めないし、また第1回目の米朝首脳会談を「まずは知り合いになるために」と位置付けてもいいと発言して、安倍首相が強く否定してきた「対話のための対話」を肯定した。さらにアメリカが出資せずに主として日中韓などの周辺諸国が払えという問題発言もしている。こういった多くの他の側面に関しては、別途テーマを設定した時に論じるつもりだ。ここでは「CVID」から「段階的」への転換のみに関して、北朝鮮の内情と制裁解除という観点から分析した。



質問者 神の力なくしては、何ひとつ為されません。彼なしにはあなたがここに座り、私たちに話すということさえありえなかったでしょう。


マハラジ 疑いなく、すべては神の為す業だ。それが何だというのだろう、私には何も求めるものはないのだ。神が何を私に与え、あるいは取り上げることができるというのだろう? 私のものは私のものだ。そして神が存在しなかったときにも、それは私のものだった。もちろん、それは非常に小さな取るに足らないもの、微々たるものだ。「私は在る」という感覚、存在の事実だ。これは私自身の場であり、誰に与えられたものでもない。この地球は私のものであり、そこに育つものは神のものだ。


質問者 神があなたに地球の借地料を払ったのですか?


マハラジ 神は私の帰依者だ。これらすべては神が私のためにしたことだ。


質問者 あなたを離れて神は存在しないのでしょうか?


マハラジ もちろん存在しえない。「私は在る」が根で、神は樹だ。私が誰を、何のために礼拝しなければならないというのだろう?


質問者 あなたは帰依者なのでしょうか。それとも帰依の対象なのでしょうか?


マハラジ そのどちらでもない。私は帰依そのものだ。


質問者 世界には帰依が欠けています。


マハラジ あなたはいつも世界を改善することに忙しいが、世界があなたによって救われることを待っていると本当に信じているのだろうか?


質問者 世界に対してどれだけのことができるのか、私にはわかりません。私にできることはただ試みることだけです。何かあなたが私にしてほしいと望むことがあるでしょうか?


マハラジ あなたなしで世界が存在するだろうか? あなたは世界についてすべて知っている。だが、あなた自身に関しては何も知らない。あなた自身があなたの仕事の道具なのだ。仕事について考える前に、道具の面倒を見たらどうかね?


質問者 私は待てますが、世界は待つことができないでしょう。


マハラジ 探求しないことで、あなたは世界を待たせている。


質問者 何を待っているのですか?


マハラジ 救ってくれる誰かを待っているのだ。


質問者 神が世界を管理しているのです。神は救うでしょう。


マハラジ それはあなたがそう言うだけだ! 神があなたのところへやってきて、世界はあなたのものではなく、彼の創造物と関心事だと言ったのかね?


質問者 なぜそれが私ひとりの関心事であるべきなのですか?


マハラジ 考えてみなさい。あなたの住む世界をほかに誰が知っているというのかね?


質問者 あなたが、そして皆が知っています。


マハラジ 誰かがあなたの世界の外側から来て、あなたにそう言ったのだろうか? 私自身も、ほかの皆も、あなたの世界のなかで現れては消えていくのだ。私たちは皆あなたのなすがままなのだ。


質問者 そんなひどい話があるでしょうか! あなたが私の世界のなかにいるように、私はあなたの世界のなかに存在しています。


マハラジ 私の世界の証拠をあなたはもっていない。あなたは完全に自分でつくり出した世界のなかに包みこまれているのだ。


質問者 なるほど。まったくそのとおりですが……どうしようもないのですか?


マハラジ あなたの世界の牢獄のなかにある人が現れ、あなたが創造した苦痛に満ちた矛盾の世界は継続も永続もせず、それはただ誤解がもとで現れたのだ、とあなたに言うのだ。彼はあなたに来たときと同じ方法、同じ道を通ってここを出ようと主張している。あなたはあなたが本来何であるのか忘れることによってその牢獄に入った。そして、あなたがあなた自身であると知ることでそこから出るのだ。


質問者 それがどのように世界に影響をあたえるのでしょうか?


マハラジ 世界から自由になってはじめて、世界に対して何かができる。その囚人であるかぎり、それを変えることはできない。それどころか、あなたが何をしてもかえって状況を悪化するだけだ。


質問者 公正さが私を自由にしてくれるでしょう。


マハラジ 公正さは疑うことなくあなたと世界を住みよい場所に、幸福にさえするだろう。だが、それが何になるというのだろうか? そこには実在性がない。永遠には続かないのだ。


質問者 神が助けてくれるでしょう。


マハラジ あなたを助けるには、神があなたの存在を知らなければならない。だが、あなたも、あなたの世界も夢なのだ。夢のなかで、あなたは断末魔の苦しみを味わうかもしれない。誰もそれを知らないし、誰もあなたを助けることはできないのだ。


質問者 では、私の質問も、探求も、研究も何の役にも立たないのですか?


マハラジ それらは眠りを破ろうとする人の活動だ。それらが気づきをもたらす原因にはならないが、その初期の徴候ではある。だが、あなたがすでに答えを知っていることについて、無意味な質問をしてはならない。


質問者 どうすれば真の回答が得られるのでしょうか?


マハラジ 真の質問を尋ねることによって、言葉の上ではなく、あなた自身の光にしたがって生きることに挑むことで得られるのだ。真理のために死をも厭わない人がそれを得るのだ。


質問者 もうひとつの質問です。個人がいます。その個人を知る者がいます。そこには観照者がいます。知る者と観照者は同じなのでしょうか? あるいは分離した状態にあるのでしょうか?


マハラジ 知る者と観照者は別々だろうか、ひとつだろうか? 知る者が知られるものと別のものとして見られたとき、観照者はひとり離れて在る。知られるものと知る者がひとつであるとき、観照者はそれらとひとつになるのだ。


質問者 ジニャーニ(賢者)とは誰なのでしょうか? 観照者でしょうか、それとも至高なるものでしょうか?


マハラジ ジニャーニは至高なるものであり、観照者でもある。彼は存在と気づきの両方だ。意識との関わりにおいて、彼は気づきであり、宇宙との関わりにあっては純粋な存在だ。


質問者 それでは、個人についてはどうでしょう? はじめに現れるのは個人でしょうか、知る者でしょうか?


マハラジ 個人とは非常に小さなものだ。実際には、それはいくつかの要素が混成されたもので、それ自身として存在することはできない。知覚されもしない。それはただ存在しないのだ。それはマインドの影、記憶の総計にすぎない。純粋な存在はマインドの鏡のなかに知るという状態として映る。知られたものは記憶と習慣を根底にして、個人としての形を取るのだ。それはマインドのスクリーンの上に映しだされた知る者の反映、ただの影にすぎない。


質問者 鏡が在り、反射があります。しかし、太陽はどこでしょうか?


マハラジ 至高なるものが太陽だ。


質問者 それは意識しているはずです。


マハラジ それは意識でも、無意識でもない。意識、無意識といった言葉で考えてはいけない。それは生命であり、その両方を含み、また両方を超えている。


質問者 生命は高い知性をもっています。どうして無意識であることができるでしょう?


マハラジ 記憶が中断するとき、あなたはそれを無意識と言う。実際には、意識だけが存在するのだ。すべての生命は意識しており、すべての意識は生きている。


質問者 岩でさえも?


マハラジ 岩でさえも意識し、生きている。


質問者 私には自分で想像できないものの存在を疑う傾向があるのです。


マハラジ 想像したものの存在を疑うほうが、あなたをより賢くするだろう。想像されたものが偽りなのだ。


質問者 想像可能なものはすべて偽りなのでしょうか?


マハラジ 記憶に基づいて想像されたものは偽りだ。未来はまったくの非実在ではない。


質問者 未来のどの部分が真実で、どの部分が偽りでしょうか?


マハラジ 予期されず、予測不可能なものが真実だ。


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