大神様の主宰する本線にいなければ「もう間に合わない」と言われた話の後、私はどうすれば本線にいられるのかと何度も自問しました。
そして気づいたのが、人間心で勝手に本線を決めることが正しいはずがない、でした。
本線を決めるのは、人間ではないのであって、こちら側は「たぶんこれで沿っているだろうか?」と毎日捧げるしかないように思いました。結果はわからないですし、そもそも自分のための結果を望むなら、それこそ「低さの象徴」だと思ったのです。
自分に、何ができるでしょうか。隣人の幸せさえ願えない自分に、社会の音頭がとれるわけがありません。助けて、とは望むのに、いざ尊き方の前に立てば、恥でいっぱいになる自分です。風呂吹き(蒸し風呂における自発的な汚れ落とし)を望む、と言われているのだと感じています。n0123


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Fiora & nobody