井戸茶碗と風呂吹きはもう少し細かいニュアンスを書くと、対比されているようにも感じました。
井戸のように深い深度で「茹でる」と、人間は周囲に蔓延する「水」により
(この場合の水は神気の意)
比較的簡単に茹であがります。
ところが目に見えない水蒸気だけの「蒸し風呂」では、それこそ自分から汚れを取りに向かっていかないと「米(世根)」としてはいつまでも炊き上がらないと。


蒸し風呂の大変さは、神気(水蒸気)が「見えない」ということに尽きます。
見えないけれども、常に肌に付着しています。
どちらも現実なんですよね。


井戸も現実、蒸し風呂も現実です。
青空さん、ご質問に関してはまた明日返信させてください。n0024
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