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ある、に気づかれることは稀なのだって?


神はあらゆることをしている。あらゆることだから、していないことなんてない。
人がやったあらゆることは、同時に神もしている。
人がやっていないあらゆることも、同時に神はしている。


あらゆることをしているというのは、そういうことだ。
それを神ではなくて、全体と呼んでも、何と呼んでも同じだ。


ある、はありふれている。ないことなんてないから、ありふれている。


ある、が気づかれていることが稀なのだと思う。
行為者が生まれるためには、ある、が気づかれていないことが必要条件なんだ。


ある、を「当然のデータ」として思い込んで「見過ごして」いないと、行為者は生まれない。不注意がないと、生まれない。nobody


質問者 私の友人のひとりである二十五歳の青年は、不治の心臓病で苦しんでいます。彼は緩やかな死よりも、自殺を選ぶと手紙に書いてきました。私は、西洋医学で治療できない病気も、何かほかの方法で癒すことができるかもしれない、と返事を書きました。人間の身体にほとんど即座と言えるほどの変化をもたらすヨーガの力があります。繰り返し断食をすることも、奇跡に近い効果を上げることができます。私は彼に、死に急ぐよりもほかの方法を試みるようにと書きました。ボンベイ近郊に、奇跡的な力をもったひとりのヨーギがいます。私は何人かの彼の弟子と出会い、彼らを通して友人の写真と手紙をヨーギに送りました。何が起こるか見てみましょう。


マハラジ  そうだ。奇跡はしばしば起こる。しかし、そこには生きようとする意志がなければならない。それなしには奇跡も起こらないだろう。


質問者 そのような欲望を吹きこむことができるのでしょうか?


マハラジ  表面的な欲望なら――できる。だが、それは尽きてしまうだろう。根本的には、誰もほかの人に生きるように強いることはできないのだ。その上、かつては自殺を承認し、尊重する文化も存在したのだ。


質問者 自然な一生の長さを生きることは、人の義務ではないでしょうか?


マハラジ  自然で、自発的で、たやすい人生なら――そのとおりだ。だが、病気をし、苦しむ人生なら自然とは言えない。何であれ来るものに揺らぐことなく耐えることは高尚な徳だ。しかし、無意味な苦悶や屈辱を拒否する尊厳もまたあるのだ。


質問者 あるシッダ(解脱者)の書いた本を手にしたのですが、彼はそこに奇妙な、驚くべき多くの体験を描写しています。彼によると、真のサーダカ(修行者)の道はグルと出会い、師に身体、マインド、ハートを明け渡すことで終わると言います。それ以降は、弟子の人生のもっともささいな出来事さえもグルが引き継ぎ、責任を取ります。それは自己同一化を通しての真我の実現とも言えるでしょう。弟子は制御することも、抵抗することもできない力によって選ばれ、嵐の中の一枚の枯葉のように無力に感じるのです。彼を狂気と死から救うのは、グルの愛と力への信頼だけなのです。


マハラジ  すべての師たちは、彼の自己体験にしたがって教えるのだ。体験は信念によって形づくられ、信念は体験によって形づくられる。グルでさえも弟子の自己イメージによって形づくられてしまう。グルを偉大にするのは弟子たちなのだ。ひとたびグルが内側と外側から解放される力の媒介として見られれば、全身全霊での明け渡しも自然でたやすいものとなるだろう。苦痛に苛まれた人が外科医の手に完全に身をまかせるように、弟子もまた自分自身をためらいなくグルに預け渡すのだ。激しく必要性が感じられたとき、助けを求めるのはまったく自然なことだ。だが、いかにグルが強力であろうとも、弟子に彼の意志を押しつけるべきではない。その反対に、ためらい、信頼しない弟子は、グルの過ちがなくても満たされないままとどまるのだ。


質問者 それでは、何が起こるのでしょうか?


マハラジ  すべてが失敗したとき、人生が教えるのだ。だが、人生の教訓は長い時を必要とする。信頼し、服従することによって多大な遅延と困難が回避される。しかし、そのような信頼も、無関心と落ち着きのなさが明晰性と平和に場所を明け渡したときにしか起こらないのだ。自分自身を尊重できない人には、自分自身も他者も信頼することができない。それゆえ、師ははじめに弟子の存在の源の高貴さ、高尚な本性、そして荘厳な運命を再保証することに最善をつくすのだ。師はある聖者や彼自身の体験を語る。弟子に自信をもたせ、かぎりない可能性を教えこむ。弟子への確信と師への信頼が整ったとき、弟子の人格と人生に、急速な、断固とした変化が見られるのだ。


質問者 私は変化を求めていません。私の人生は今のままで充分良いものです。


マハラジ  あなたがそう言うのは、あなたの人生がいかに苦痛に満ちたものかを、まだ見てはいないからだ。あなたはキャンディーを口にくわえたまま眠る子供のようなものだ。完全に自己中心的で、つかの間の幸せを感じているかもしれない。しかし、苦しみの普遍性を知覚するためには、人類の顔をよく見てみるだけで充分だ。あなた自身の幸福でさえ、銀行の破産、あるいは胃潰瘍によって翻弄されるほど壊れやすく、短命なのだ。それは単に、二つの苦しみの間の和らいだ瞬間でしかない。真の幸福は壊れやすいものではない。なぜなら、それは環境に依存しないからだ。


質問者 あなたは自分自身の体験から語っているのでしょうか?あなたもまた不幸せなのでしょうか?


マハラジ  私にはいかなる個人的な問題もない。だが、世界は恐れと欲望の間に押しつぶされて生きている人たちでいっぱいなのだ。彼らははねまわり、飛びまわり、何の心配もなく幸せそうに屠殺場に連れていかれる仔牛のようだ。それにもかかわらず一時間後には殺され、皮を剥がされるのだ。あなたは幸せだと言う。あなたは本当に幸せなのだろうか?それとも、単に自分を納得させているだけなのだろうか?恐れなしに、あなた自身を見てみなさい。そうすれば、あなたの幸せは条件と環境に依存し、それゆえ一時的で、実在ではないことが即座に理解できるだろう。真の幸福は内側から現れるのだ。


質問者 あなたの幸福が私にとってどんな意味があるというのでしょうか?それが私を幸せにするわけではありません。


マハラジ  あなたはそのすべて、そしてそれ以上を求めるだけで得ることができる。だが、あなたは求めない。あなたはそれを欲しくはないようだ。


質問者 なぜそう言われるのでしょうか?私は幸福になりたいのです。


マハラジ  あなたはまったく快楽に満足しているのだ。幸福のための場所は残されていない。あなたのコップを空っぽにして洗いなさい。そうしなければ、それを満たすことはできないのだ。他者はあなたに快楽を与えることができる。だが、幸福を与えることはできないのだ。


質問者 一連の快い出来事は充分良いものです。


マハラジ  それはすぐに、もし破滅でなければ、苦痛に取って代わる。結局、ヨーガとは内なる永遠の幸福の探求にほかならないのだ。


質問者 あなたの話されることは東洋のためのものです。西洋では条件があまりにも異なり、あなたの言われることはあてはまりません。


マハラジ  悲しみと恐れには、西洋も東洋もない。苦しみと苦しみの終焉という問題は普遍的なものだ。苦しみの原因は依存にある。独立がその治療法なのだ。ヨーガとは自己理解を通しての自己解放の芸術と科学なのだ。


質問者 私がヨーガにふさわしいとは思えません。


マハラジ  ほかの何にふさわしいと思っているのかね?快楽を求めて行ったり来たりし、愛したり憎んだりすることは、あなたが自ら押しつけた、あるいは受け入れた限界に対して闘っていることを示しているのだ。無知からあなたは過ちを犯し、あなた自身や他者にも苦しみを生みだしている。だが、衝動はそこにあり、それは否定されてはならない。誕生、幸福、死を求める同じ衝動が、理解と開放を求めるのだ。それは積荷の綿が発火したようなものだ。あなたはそのことに気づいていないかもしれない。だが、遅かれ早かれ船は炎に包まれるだろう。解放は自然な過程だ。そして、長期にわたって見れば、不可避なものだ。だが、それを今のなかにもたらす力はあなたの内にあるのだ。


質問者 それでは、なぜ世界中にこれほど解脱した人が少ないのでしょうか?


マハラジ  森林のなかで完全に開花している樹は、一時にはほんのわずかだろう。それでも、すべての樹がそれぞれの時期をもっているのだ。遅かれ早かれ、あなたの身体的、精神的源泉にも終焉がやってくる。そうなったとき、あなたはどうするだろう?絶望するのかね?では、絶望するがいい。あなたは絶望に疲れてくるだろう。そして、疑問に思いはじめる。そのときこそ、あなたは意識のヨーガにふさわしくなるのだ。


質問者 私には、この探求や黙想がもっとも不自然に見えます。


マハラジ  あなたにとっては不具として生まれてくることが自然なのだ。あなたはそれに気づいていないかもしれない。だが、それがあなたを正常にすることはないのだ。正常、あるいは自然であることの意味をあなたは知らない。そして、あなたが知らないということも、あなたは知らないのだ。現在のあなたは漂っているだけだ。そして、それゆえ危険なのだ。なぜなら、漂流者にはいつ、何が起こるかわからないからだ。目を覚まし、あなたの置かれた状況を見てみる方がいい。あなたが存在することを、あなたは知っている。あなたが何なのか、それをあなたは知らないのだ。あなたが何かを見いだしなさい。


質問者 なぜ、世界にはこれほど多くの苦しみがあるのでしょうか?


マハラジ  利己主義が苦しみの原因なのだ。ほかの原因はない。


質問者 苦しみは限界のなかに固有のものだと私は理解しています。


マハラジ  相違や区別は苦しみの原因ではない。多様性のなかの統合は自然であり、良いものだ。ただ分離と自己本位とともに、本当の苦しみが世界に現れるのだ。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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