質問者 どうやって「私」を知るのでしょうか?


マハルシ 「私─私」は常に存在しています。それを知るということはありません。それは新たに獲得されるような知識ではないのです。新しく、今ここにないものは、はかないものでしかありません。 ← その知識を妨げているのは無知です。





無知を取り除けば、知識は輝き出すでしょう。


質問者 どうすれば無知が取り払えるでしょうか?


マハルシ 「私」は想念とともに生じ、想念が消えると「私」も消滅します。多くの「私」があらゆる瞬間に生まれては死んでいくのです。 ← 真の問題は存続する心です。





それがジャナカ王の言う泥棒のことです。泥棒!
彼(泥棒)を見つけ出しなさい。そうすれば…

(対話49)



人間の苦境は、自らの起源や運命についての忘却、記憶喪失、無知という言葉で表現されます。旅人であるミラー意識(ヴォイドの熟考という行為の中で、ゼロポイントが生み出した自らの鏡としての役割を果たすもうひとつの意識の点)は、最も濃密で、最も時間が遅い存在の天界にあまりにも同化してしまったので、自分が不死であることや自分の神性を忘れ去ってしまいました。人間は本当の自分を忘れてしまい、自分の中に宿る神(それは私たち自身でもあるわけですが)のことも忘れてしまいました。私たちは自分たちの創造的な本性を忘れてしまい、自分の外に助けや意味をさがし求め、救済を得るために自分の外にいる神に祈ってきました。このようなことを行っているとき、人間は自分自身の神性を否定していることになり、現在の苦境から解放される可能性を完全に排除していることになります。


マスターよ、あなたがここにいるのは、神になるためだ。そして、神になるためには、自分の存在からあらゆる法、あらゆる教義上の信念、あらゆる儀式的な習慣を取り去り、自らの思考プロセスにおいて限りないものにならなければならない。もしあなたが限りない表現の自由を望むならば、つまりけっして死ぬことのない体と、ただ在ることの平安と喜びを望むならば、今あなたが生きている人生は完全に無限であることを知りなさい。あなたがそれを知ったとき、人生は無限になる。なぜなら、あなたが自分の存在の中で、どんなことを真実として望もうと、どんなことを真実として知ろうと、それはそのとおりになるからだ。これこそが、あなたが自分の王国の中で受け容れる必要があるただひとつの法である。


この人生やほかの人生で、あなたがこれまでに思ったことや、実際にやったことに対して、あなたが代償を支払う必要などまったくないということを知ってほしい。もちろんそれは、あなたが自分自身を許す限りは、ということだ。自分を許すということは、神聖なる行為であり、それは、あなたである神が何かを表現することを制限してしまうような罪悪感や自己審判をあなたの魂から取り去ってくれるのである。ひとたびあなたが自分自身を許してからは、この人生やこれからやってくる数々の人生は、ただ単に、あらゆるものの未来である「今」という瞬間の一部になることを体験するためにあるのだと知ってほしい。


生きなさい。そして、幸せであれ。「父」があなたに求めているのはそれだけだ。



質問者 人びとはあなたに助言を求めてやってきます。何と答えるかをどのようにして知るのでしょうか?


マハラジ 質問を聞くように、私は答えを聞くのだ。


質問者 では、どのようにしてあなたの答えが正しいと知るのでしょうか?


マハラジ ひとたび答えの真の源を知れば、疑う必要はない。純粋な源からは純粋な水だけがあふれ出る。私は人びとの欲望や恐れには関わらない。私は意見とではなく、事実と同調するのだ。人は名前と形を自分自身と見なすが、私は何も私自身とは見なさない。私が名前によって知られるひとつの身体を私自身として見なしていたなら、あなたの質問に答えることはできなかっただろう。私があなたを単なる身体だと見なしていたら、あなたは私の答えによって、何の恩寵も得なかっただろう。真の師は意見に満足したりはしない。彼はものごとをあるがままに見、そしてそれをあるがままに見せる。もしあなたが人びとを、これが彼ら自身だと信じているものとして見なすならば、ただ彼らを傷つけるだけだ。そうやって彼らが自分自身をいつもひどく苦しめているように。しかし、もしあなたが実在としての彼らを見るならば、彼らにとってたいへんな助けとなるだろう。もし彼らが何をし、どのような修練をし、どのような生き方にしたがうべきかをあなたに尋ねたならば、こう答えるがいい。「何もせず、ただ在りなさい。在ることのなかで、すべては自然に起こる」と。


質問者 話のなかで、あなたは「自然に」と「偶然に」という言葉を無差別に使っているように見えます。二つの言葉の意味には深い違いがあると私には感じられます。自然は秩序をもち、法則にしたがいます。人は自然を信頼できます。偶然は混沌とし、予期予想の不可能なものです。すべてが自然であり、自然の法則に支配されていると主張することはできますが、すべてが偶然であり、何の原因ももたないと主張することは間違いなく誇張です。


マハラジ もし私が「偶然の」の代わりに「自発的に」という言葉を使うなら、あなたには好ましいだろうか?


質問者 あなたは「偶然の」という言葉に対して「自発的な」または「自然の」という言葉を使うかもしれません。しかし、偶然のなかには混沌や無秩序の要素があります。偶然はつねに規則の破棄、例外、驚きです。


マハラジ 人生それ自体が一連の驚きではないだろうか?


質問者 自然には調和があります。偶然には妨害があるのです。


マハラジ あなたは時間と空間に限定され、身体とマインドの内容に引き下げられた個人として語っている。あなたが好むこと、それをあなたは「自然の」と呼び、あなたが嫌いなこと、それを「偶然の」と呼ぶのだ。


質問者 私は自然のままの法則を守ること、予期したことが好きで、法則を破り、無秩序で、予期できず、無意味なことを恐れるのです。偶然はつねに怪物のようなものです。いわゆる「幸運な偶然」と呼ばれるものはあるかもしれません。ですが、それらはただ偶然なことが起こりやすい宇宙では、生活はありえないという法則を証明するだけです。


マハラジ どうやら、誤解があるようだ。「偶然の」とは既知の法則にあてはまらない何かを意味している。私が、すべては偶然で原因がないと言うとき、ただそれによって作用する法則や原因は、私たちの知識や想像を超えているという意味なのだ。もしあなたが秩序と調和ある予測可能なものを自然と呼ぶならば、高次の法則にしたがい、高次の力によって動かされるものは「自然発生的」と呼べるかもしれない。このように、私たちは二つの自然の秩序をもっている。個人的で予測可能なもの、そして非個人的、あるいは超個人的な予測不可能なものだ。それを低次の自然と高次の自然と呼んでもいい。そして偶然という言葉は忘れてしまいなさい。あなたが知識と洞察において成長するにつれ、低次と高次の間の境界線の印象は薄らいでいく。だが、それらがひとつとして見られるまでは、二つのままとどまる。なぜなら、事実、すべては実に驚くほど不可解だからだ!


質問者 科学は多くを説明してきました。


マハラジ 科学は名称と形態、質と量、パターンと法則を扱っている。それはそれ自身の場においてはまったく良いだろう。だが、生とは生きられるものであり、分析のための時間はない。反応は即座でなければならず、それゆえ時間を超えた自発性が重要だ。私たちは未知のなかで生き、動いているのだ。既知とは過去のものだ。


質問者 私には、これが私だと感じる立場を取ることができます。私は個人であり、人びとのなかのひとりの人物です。ある人たちは完成され、調和のとれた人格であり、ある人たちはそうではありません。ある人たちは努力を要することなく生き、あらゆる状況に適切に、自発的に反応します。その時点で必要な、完全に正当なことを為すのです。一方、ほかの人たちは手探りをし、過ちを犯し、たいがい彼ら自身に害を与えてしまうのです。調和の取れた人たちは、自然で、法則に支配されている人と呼べるかもしれません。未完成な人たちは混沌とし、偶然に支配されているのです。


マハラジ 混沌という概念自体が、秩序、有機的といった相互関係の意義を前提としている。混沌と秩序。これらは同じ状態の二つの相ではないだろうか?


質問者 しかし、あなたはすべてが混沌、偶然、予期不可能だと言っているようです。


マハラジ そうだ。その意味では、すべての存在の法則が知られているわけではなく、すべての出来事が予測可能なわけではない。あなたが理解できるようになればなるほど、宇宙は精神的にも感情的にも満足すべきものとなる。実在は善と美だ。混沌をつくり出すのは私たちなのだ。


質問者 もし偶然は人間の自由意志によって起こるとあなたが言うのならば、私は賛成します。しかし、私たちは自由意志についてまだ討論していません。


マハラジ あなたの秩序はあなたに快楽を与えるものであり、あなたの無秩序はあなたに苦痛を与えるものだ。


質問者 あなたはそう表現するかもしれませんが、その二つはひとつだと言わないでください。私の言語で話してください、幸福を探求する一個人の言語で。私は非二元性の空言に惑わされたくはないのです。


マハラジ あなたが分離した個人だと、何があなたに信じさせるのだろうか?


質問者 私は一個人としてふるまい、私自身で機能します。私自身が基本であり、他者は私との関係性において在るだけです。早い話が、私は私自身のことで忙しいのです。


マハラジ それならば、あなた自身のことで忙しくしていればいい。いったいどういうつもりでここに来たのだね?


質問者 自分自身を安全で幸せにするため、私が古くからやっている商売のためです。白状すると、成功してきたとは言えません。私は安全でも幸せでもありません。ですから、私はここにいるのです。ここは私にとっては新しいところですが、私がここへ来た理由は古いものです。安全な幸福、幸福な安全の探求です。今までのところ見つけてはいません。助けてもらえますか?


マハラジ 一度も失ったことのないものは、けっして見つけられない。安全と喜びの探求そのものが、あなたを幸福から遠ざけてしまう。探すことをやめなさい。失うことをやめなさい。病はシンプルなものだ。治療も同じくシンプルだ。あなたを不安に、不幸にするのはあなたのマインドなのだ。予測があなたを不安にし、記憶があなたを不幸にするのだ。マインドを誤用することをやめなさい。そうすれば、すべてはうまくいくだろう。あなたがそれを正す必要はない。あなたが過去と未来へのすべての関わりを放棄し、永遠の今のなかに生きるやいなや、それはそれ自身を正すだろう。


質問者 しかし、今という瞬間には何の空間的広がりもありません。私は誰でもない人に、無になってしまうでしょう!


マハラジ まったくそのとおりだ。無として、誰でもない人としてのあなたは安全で幸福なのだ。望むならば体験させてあげよう。試してみるがいい。
だが、何が偶然で、何が自発的、自然なのかという点に戻ってみよう。あなたは自然が規則的であり、偶然は混沌の兆候だと言った。私はその違いを否定し、原因の由来をたどれないとき、その出来事を偶然と呼ぼうと言った。自然のなかに混沌というものは存在しない。混沌は人のマインドのなかにだけ存在するのだ。マインドは全体を把握することができない。その焦点はたいへん狭いものだ。それは断片だけを見て、状況を察知しそこなう。それはある人が音は聞いても言語を理解せず、話し手のことを、無意味でわけのわからないことを話し、結局すべて間違いだと非難するようなものだ。ある人にとっては混沌とした音の流れが、別の人には美しい詩なのだ。
ジャナカ王は、あるとき彼が乞食になった夢を見た。目覚めたとき、彼のグルであるヴァシシュタに尋ねた。「私は乞食になった夢を見ている王でしょうか、あるいは王になった夢を見ている乞食なのでしょうか?」グルは答えた。「あなたはそのどちらでもない。あなたはその両方だ。あなたは在る。だがあなたが考えているあなたではない。あなたはそのように在る。なぜなら、あなたはそれにしたがってふるまっているからだ。あなたはそれではない。なぜなら、それは永遠には続かないからだ。あなたは永遠に王や乞食として在ることができるだろうか?すべては変わっていかなければならない。あなたは変わらないものだ。そのあなたとは何か?」ジャナカは言った。「そのとおりです。私は王でも乞食でもありません。私は覚めた観照者です」。グルは言った。「あなたが普通の人びととは異なる、より優れたジニャーニだという考え、これがあなたの最後の幻想だ。またしても、あなたはマインドと自己同一化したのだ。この場合、正しい処し方であり、あらゆる面で模範となれるマインドである。だが、ほんのわずかでも違いを見るかぎりは、あなたは実在の局外者なのだ。あなたはマインドのレベルにいる。『私は私自身だ』が去ったとき、『私はすべてだ』が現れる。『私はすべてだ』が去るとき、『私は在る』が来る。『私は在る』さえ去ったとき、ただ実在だけが在る。そして、そのなかですべての『私は在る』は維持され、栄光を与えられるのだ。分離のない多様性、それこそマインドが触れることのできる究極なのだ。その彼方では、すべての活動がやむ。なぜなら、そのなかですべての目的地は到達され、すべての目的は果たされるからだ」。


質問者 ひとたび、至高の状態が到達されたら、それは他者と分かちあうことができるでしょうか?


マハラジ 至高の状態は、普遍の今、ここに在るものだ。すべての人がすでにそのなかで分かちあっている。それは存在の、知ることと愛することの状態だ。誰が存在することを愛さないというのだろう、あるいは自らの存在を知らないというのだろうか?しかし、私たちはこの意識的存在の喜びを利用しない。私たちはそのなかに入り、それとは異質なものすべてを浄化しようとしない。この精神的な自己浄化、精神の浄化は本質的なものだ。目に入ったゴミが炎症をひき起こし世界を視界から消し去るように、「私は身体─精神だ」という誤った観念は利己的関心を生み出し、宇宙を覆い隠す。限定された存在と分離された個人という感覚と闘うことは、その根本を取り去るまでは無駄なことだ。利己主義は自己の誤った観念のなかに根づいている。探求とはマインドの浄化なのだ。


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Fiora & nobody