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マハルシ 平和とは障害の不在を意味します。障害は、純粋意識から湧き起こった自我でしかない個人の中に想念が起こるために生じるのです。


瞑想とは何でしょうか? それは想念を追い払うことです。一つの想念だけをつかみ取りなさい。
瞑想は探究者の進歩の度合いによって異なります。もしふさわしい人であれば、直接「考える者」をとらえるでしょう。もし考える者を直接とらえることができない場合は、神に瞑想しなければなりません。そうすることで、やがて個人は十分純粋になり、考える者をとらえて絶対なる存在の内に沈み入るでしょう。

(対話453)


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私の愛する兄弟たちよ、あなた方の多くは、神と呼ばれる存在は、陰気で恐ろしく、怒りっぽい、審判を下す人格を持つと教えられてきた。だが、神はけっしてそのような存在ではない。長々と説教し、審判を下し、弾圧する神は、人間の心の中にしか存在したことはないのだ。ある人々を裁き、別の人々をほめるような神を創造したのは、人間にほかならない。それは人間の神であり、人間とその意志による創造物なのだ。


私の知る神、私の愛する神、そして私自身と私である王国から流れ出す力である神は、完全なる愛の神であり、裁きとは無縁の愛の神だ。神は愛以外の何ものでもないが、同時にそれ以外のすべてでもある。神は、あなたがこれまで推測してきたよりも遥かに大きな愛で、あなたのことを愛している。なぜならそれは、あなたである人生そのものであり、あなたが歩く大地であり、あなたが吸い込む空気であるからだ。それはあなたの皮膚の色であり、すばらしい眼の輝きであり、そっと触れる手のやさしさなのだ。それは、あなた自身であるあらゆる瞬間の中のあなたであり、あなたが考えるあらゆる思考の中のあなたであり、あなたが行うあらゆる行為の中のあなたであり、あなたの魂の暗い陰の部分でさえある。


神はすべてを包含する力であり、それはあらゆるものである。それは水面の上を吹く風であり、色づく木の葉であり、深い色合いのバラの単純さである。神は、抱き合う恋人たちであり、笑っている子どもたちであり、蜂蜜色をした髪の光沢だ。それは朝に昇る太陽であり、夜にまたたく星であり、真夜中の空に昇っては沈んでいく月である。神は、美しい昆虫であり、謙虚に空を飛ぶ鳥であり、嫌悪感を引き起こすような醜い蠕虫でもある。神は、動きや色、音や光だ。神は情熱である。神は愛である。神は喜びである。神は悲しみである。存在するもの、つまり在るものすべては、あなたが「父なる神」と呼ぶものである。それは生きとし生けるものすべてであり、自分自身であるすべてを愛する存在なのだ。


神は、玉座に座りながら、生きることすべてに関して審判を下すひとりの人格ではない。神とは、生きることすべてであり、躍動するあらゆる瞬間だ。それは、存在するあらゆるものの絶え間ない継続性であり、永遠性である。


神は、無限で至高の存在性、つまり分割できない「在ること」の総体のことである。そしてその「在ること」は、あなたをとても深く愛しており、だからこそ、「完全─不完全」、「よい─悪い」、「ポジティブ─ネガティブ」といった幻をあなたが創造するのを許してきたのだ。そしてそれは、あなたの知覚を通して、あなたが知覚したものになってきた。つまり、神は在るものすべての総体なのだから、正しいことだけでなく、間違ったことでもあり、美しいものだけでなく、醜いものでもあるのだ。それは神聖なものだけでなく、卑しいものでもあるのだ。


私の知る神は、あなたがこれまで想像してきたよりも遥かに大きくて深い愛であなたを愛している。なぜなら、あなたが望むどんな生であろうと、神はあなたがそれを創造することを許してきたからだ。「父」は、つねにあなたを愛してきた。神はこれ以外の見方であなたを見る方法を知らない。なぜなら、「あなたであるもの」は彼そのものでもあるからだ。


自分自身の考え方によって、そして他人の考え方を受け容れることによって自分自身に審判を下してきたのは、あなた自身だけである。自分はできそこないだと自分に感じさせてきたのは、あなただけである。「父」を使って、自分が望むどんな真実でも現実でも創造する能力を持っているあなたは、自分の人生に対して審判を下せるただひとりの審判者なのだ。何がよくて何が悪いのか、何が正しくて何が間違っているのか、それらを決めてきたのはあなたにほかならない。だが、生命と呼ばれる「在ること」においては、そのようなものはまったく存在しない。あらゆるものは単に、「全能の神」と呼ばれる「在ること」の一部であるにすぎないのだ。あなたの審判は、さまざまな創造的な現実にあふれるこの天界で、あなたが創造した幻にすぎないのである。


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質問者 私は遠い国からやって来ました。ある内的体験をしたのですが、あなたの言葉をうかがいたいのです。


マハラジ もちろん。あなたはあなた自身を知っているだろうか?


質問者 私はこの身体ではなく、マインドでもありません。


マハラジ 何をもってあなたはそう言うのだろうか?


質問者 私が身体だとは感じないのです。私はあらゆるところに在るように感じられるのです。マインドに関しては、私はマインドのスイッチを入れたり切ったりすることができ、それが私をマインドではないと感じさせるのです。


マハラジ あなたが自分自身を世界のあらゆるところに感じるとき、あなたは世界から分離しているのだろうか、それともあなたが世界なのだろうか?


質問者 その両方です。ときどき、私はマインドでも身体でもなく、すべてを見るひとつの目だと感じます。私がより深くそのなかに入っていくと、私自身が見るものすべてとなり、世界と私はひとつになります。


マハラジ よろしい。欲望はどうだろう? あなたには欲望があるだろうか?


質問者 はい。それは短い間訪れ、表面的なものです。


マハラジ では、それをどうするのかね?


質問者 私に何ができるというのでしょう? それは来ては去っていくものです。私はそれを見るだけです。ときおり、私は身体とマインドが携わって、それを満たすのを見ます。


マハラジ 誰の欲望が満たされるのだろう?


質問者 それは私の住む世界の一部です。樹や雲がそこにあるように。


マハラジ それは何か不完全さの証拠ではないだろうか?


質問者 いいえ。欲望はただ欲望なのです。そして私はただ私のままです。どうして欲望の出現と消滅が私に影響を与えられるでしょう? もちろん、それはマインドの形態と内容に影響しますが。


マハラジ よろしい。あなたの仕事は何かね?


質問者 保護観察官です。


マハラジ それはどういったものだね?


質問者 少年犯罪者が保護観察期間を終えると、ある特別監察官が彼らの行動を見守り、職業訓練や仕事の世話をするのです。


マハラジ あなたは働かなければならないのかね?


質問者 誰が働くのでしょうか? 仕事はただ起こるのです。


マハラジ 仕事をする必要があるのかね?


質問者 彼らは私を必要としているのかもしれません。彼らの運命が、私にこの仕事をさせるのです。生はひとつです。


マハラジ あなたはどうやって現在の状態に行き着いたのだろうか?


質問者 シュリー・ラマナ・マハルシの教えが私を導いてくれたのです。そして、ダグラス・ハーディング * という人が、どのように「私は誰か?」に働きかけるかを教え、助けてくれたのです。


マハラジ それは突然だったのだろうか、あるいは段階的だったのだろうか?


質問者 それはまったく突然でした。何かまったく忘れ去ってしまったことが、記憶に戻ってきたように。あるいは突然のひらめきの理解のようでした。「何とシンプルだろう」と私は言ったのです。「何とシンプルだろう。私は、私が考えていたものではなかった! 私は知覚されるものでも、知覚する者でもない。私はただ知覚することなのだ」と。


マハラジ 知覚することでさえない。だが、それらすべてを可能にするものだ。


質問者 愛とは何でしょうか?


マハラジ 区別と分離の感覚が不在なときを愛と呼ぶがいい。


質問者 なぜ男と女の間の愛がそれほど強調されるのでしょうか?


マハラジ なぜなら、幸福の要素がそのなかに顕著だからだ。


質問者 すべての愛がそうではないのでしょうか?


マハラジ かならずしもそうではない。愛は苦痛の原因となる。そのとき、あなたはそれを慈悲と呼ぶのだ。


質問者 幸福とは何でしょうか?


マハラジ 内側と外側の調和が幸福だ。一方、外側との自己同一化が不幸の原因となる。


質問者 自己同一化はどのようにして起こるのでしょうか?


マハラジ 自我はその本性として、それ自身だけを知っている。それは経験に欠けるために、何であれ知覚したものを自己だと受け取ってしまうのだ。痛めつけられて、それは注意すること(ヴィヴェーカ)を学び、独りで生きるようになる(ヴァイラーギャ)。正しい行為(ウパラーティ)が自然なものとなったとき、内なる強烈な衝動(ムムクシュトヴァ)がその源を探し求めるように駆りたてる。身体のロウソクに火がともされたとき、すべては明らかに輝きだす(アートマプラカーシュ)。


質問者 苦しみの真の原因とは何でしょうか?


マハラジ かぎりあるもの(ヴィヤクティ─トヴァ)との自己同一化だ。感覚のようなものは、いくら強烈であっても苦しみの原因にはならない。マインドが誤った観念にうろたえて、「私はこれだ、私はあれだ」と考えることにふけるようになる。それが失うことを恐れ、得ることを熱望し、挫折したとき苦しむのだ。


質問者 私の友人は、毎晩毎晩恐ろしい夢を見たものでした。眠りにつくことが彼を恐れさせたのです。何ひとつ、彼を助けることはできませんでした。


マハラジ サットサン、真理との交わりが彼の助けとなる。


質問者 人生そのものが悪夢なのです。


マハラジ サットサンは身体的であれ、精神的であれ、すべての病気にとって至上の治癒法だ。


質問者 たいてい、そのような交友を見いだすことはできません。


マハラジ 内面を探しなさい。あなたの自己があなたの最良の友だ。


質問者 なぜ人生はこうも矛盾ばかりなのでしょうか?


マハラジ それが精神的な自尊心を打ち破るのを助けるからだ。私たちはいかに弱く、無力であるかを悟らなければならない。自分自身はこう在り、知り、行為すると想像し、惑わされているかぎりは、私たちは悲しくも苦境にいるのだ。ただ、完全な自己否定のなかにのみ、私たちの真我を発見するチャンスがある。


質問者 なぜそれほどまで自己否定が強調されるのでしょうか?


マハラジ 真我の実現におけるかぎり、真我が見いだされる前に、偽りの自己は捨て去らなければならない。


質問者 あなたが偽りと呼ぶ自己こそ、私にとっては痛ましいほど本物なのです。それが私の知る唯一の自己です。あなたのいわゆる真我は単なる概念、言葉の言いまわし、マインドの産物、魅力的な幻にすぎません。私の自己は美しいものではありません。それは認めます。しかし、それは私自身のものであり、唯一の自己です。あなたは、私はもうひとつの自己だ、あるいは自己をもっていると言います。あなたにはそれが見えますか? それはあなたにとって現実のものでしょうか? それともあなた自身が見ないものを私に信じろと言うのでしょうか?


マハラジ 急いで結論に飛びついてはならない。具体的なものが本物であり、想像されたことが偽物である必要はない。感覚をもとにし、記憶によって形づくられた知覚は、知覚する人を暗に示唆している。あなたはその知覚する人の本性をけっして調べようとしてこなかった。充分な注意をもって、愛情ある心づかいとともにそれを調べてみるがいい。あなた自身のちっぽけな自己イメージに没頭するばかりに、夢にも見なかったような存在の高みと深遠さを発見することだろう。


質問者 私自身を調べるには正しい心もちでなければならないでしょう。


マハラジ 真剣に、集中し、誠実に関心をもたなければならない。あなたはあなた自身に対する善意に満ちていなければならない。


質問者 私はまったく利己的です。


マハラジ いいや、あなたは違う。あなたはずっと奇妙な、有害で偽物の神々に仕えてきたために、あなた自身を破壊してきたのだ。まったく利己的になるがいい。あなた自身によかれと願いなさい。あなたにとって良いことをしなさい。あなたと幸福の間に立ちはだかるものすべてを破壊しなさい。すべてで在りなさい。幸福でありなさい。楽しくありなさい。幸福よりも偉大なものはない。


質問者 なぜそれほど愛の中に苦しみがあるのでしょうか?


マハラジ すべての苦しみは欲望から生まれる。真の愛はけっして挫折しない。どうして統合の感覚が挫折をもたらすことができるだろうか? 表現のための欲望は挫折しうる。そのような欲望はマインドのものだ。精神的なものすべてにとって、挫折は避けられない。


質問者 愛のなかでセックスはどう位置づけられるのでしょうか?


マハラジ 愛は存在の状態だ。セックスはエネルギーだ。愛は賢く、セックスは盲目だ。ひとたび愛とセックスの本質が理解されたならば、混乱や葛藤はなくなるだろう。


質問者 愛のないセックスがあまりにも多いのです。


マハラジ 愛なしにはすべてが悪だ。生命自体、愛がなければ有害となる。


質問者 何が私を愛させるのでしょうか?


マハラジ 恐れがないとき、あなたは愛そのものなのだ。


* 訳注 ダグラス・E・ハーディング Douglas E. Harding(1909-2007)
英国東部サフォーク州生まれ。霊的教師、哲学者。主な訳書に『心眼を得る』(図書出版)、『今ここに、死と不死を見る』『顔があるもの顔がないもの』(以上、マホロバアート)などがある。


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