咲き誇る大輪の花 20180510

推定無罪ならぬ推定一人


サスペンスみたいな展開です。
肉体は「(無言)」
真我も「(無言)」
私が「肉体が私と言っているのを私は確かに聞きました。きっと彼が犯人です」
私が「真我が私と言っているのを私は確かに聞きました。きっと彼女が犯人です」
目撃証言は一人だけ。唯一の目撃者は二人が犯人だと発言する。
刑事は肉体を追い、真我を追った。
ところが何も出なかった。
肉体は「私」とは言ってなかった。
真我も「私」とは言ってなかった。
そこで事件を振り返り思考に没頭する。
そして突然啓示を受ける。
自分のことを「私」と言っているやつにもう会っている。あの目撃者だ! なんてことだ!
そして目撃者を探し始める。
ところがどこを探しても見つからない。
あのとき確かに「私は聞いた」と言っていたあいつが見つからない。
「くそっ。どうしてだ!? こんなに私が走り回っているのに影も形も見えないなんて…」
啓示を受けた。
「私は誰だ?」
(そのとき初めて、世界と真我のつなぎ目に陣取っていた自称「私」に目が向きました。目撃証言をしたただ一人の手がかり、犯人を決めつけ、犯人を追ったただ一人の法執行者、自称「私」が肉体とも、真我とも関わりがないのなら、誰なのでしょうか? 変化はすでに起きました)n


自分を生き生きと温かい気持ちにさせるものを意識的に思い出すことです。それが希望を与えてくれます。


善を見て愛慕せず
悪を見て嫌悪せず


感覚の対象を見 また思うことで
人はそれに愛着するようになり
その愛着によって欲望が起こり
欲望から怒りが生じてくる


様々な欲望が次々に起こっても
追わず取りあわずにいる人は平安である


心が感覚の対象に執着しているのは
自己をあざむく者であり
彼は偽善者とよばれる


だが自己の本性を知って
「それ」に満足し 歓喜し
「それ」に安んじ 楽しむ者には
もはや為すべき義務はない


そのような人物にとっては


行為して得る目的もなく
行為せぬことによって失うものもない


この世界には二種の創造物がある
一つは神性をもつ者 他は魔性のもの
神性については既に話したから
次に魔性について説明しよう


思い上がり 尊大な態度 うぬぼれ
怒り 荒々しさ 無知
これらの性質は プリターの息子よ
魔性に属するものである


魔性の者たちは──為(す)るべきことと
為(し)てはならぬことの区別を知らない
清らかさも無く 礼儀もわきまえず
不誠実 不正直である


地獄に到るには三つの門があり
肉欲 怒り 貪欲がそれである
これらは魂を堕落させる原因ゆえ
正気の人間はこの三つを切り捨てよ


故に人間は聖典に示された教えによって
為(す)るべきことと為(し)てはならぬことを知れ
その規則を知り それに従うことにより
向上の道を着実に歩んで行きなさい

バガヴァッド・ギーター 第16章 神性と魔性



あなたは一番になりたいですか。
それとも”大いなる一”でありたいですか。


自分の権利を何としてでも主張したいと思ったなら、こう自問してください。「自分は一番になりたいのか。それとも”大いなる一”でありたいのか」。一番になるか、すべてとひとつになるか、というのが選択肢です。”大いなる自己”の”本質”を感じることができると、何も失うことなく”大いなる一”を選び取ることができます。代わりに<自己正当化>を選んだりしないでください。賢く見られることや、美しくなることや、金持ちになるほうを選んだりしないでください。”大いなる一”を手放して、他のものを選んだりしないでください。現在たとえどんな経験をしているとしても、それが<それ>そのものなのです。


愛と希望と喜びを内にはらんだあなた方の大切な魂が、叡智と思いやりの荘厳な花へと開いていく中で、そして見える見えないにかかわらずあらゆる生命を抱き容れる愛の荘厳な花へと開いていく中で、この天界でのあなた方の人生の日々を通して、私はつねにあなた方全員とともにあるだろう。だが、そのような瞬間よりも、あなたが自分の内面に神を見て、神を理解し、神を知る瞬間のほうが、遥かに、遥かに偉大な瞬間なのである。


自分のベストを尽くして、自分のパワーのバランスをとるようにし、ほかの人々の努力も認めてあげてください。自分もまわりの人々も無目的に行動しているのではないのだ、と信頼することです。あなたの子供は、あなたを親として選んで生まれてきたのです。あなたが、自分の特定のパワー因子のバランスをとろうとして、奮闘する過程をともに経験することが、あなたの子供にとって必要な課題だったからです。人は、必ず自分が必要とする課題を選び取っています。


あなたが生きているのは、行き当りばったりの世界ではありません。自分が創り上げた幻影が何であれ、それはいつかは死ぬのだということを知ることによって、”大いなる自由”を得ることができます。パワー因子のすばらしさは、あなた方が「永遠性」と呼ぶものにあります。ここで得られたバランスは、「次の次元」に行くときにもっていけます。そのバランスのなかから新しい生き方が生まれ、精神的に成長したり、他の人と分かちあうための、新たな機会が生まれます。幻影は死に、真実のみが残るのです。


マハルシ それには、「私は心や現象を超越した真我である」という強烈な確信が必要とされます。


マハルシ たとえ心が活動的であろうと、それが何だと言うのでしょう? それはただ根底に在る真我の上でさ迷っているだけです。心が活動している間でさえ、真我をとらえなさい。


マハルシ ただ「私は真我である」という断固たる確信が必要なだけです。他の活動は、むしろあなたにヴェールを覆っているのです。


マハルシ つまり、確信が弱かったのです。

(対話406)


彼らのパワーはこの地球の下の青い空間の深さよりも深く根をはり、彼らの頭は星とともに宇宙に飛びかい、あなたの目にはとても見えません。彼らはあなたを上から愛すると思いますか。彼らの存在は、この全宇宙の創造物を片手で持てるくらい、とてつもなく広大なものです。それでも、彼らは上から、優位の立場から愛するのではなく、自分の全体性をもって愛するのです。あなたの存在も同じくらい広大なのですが、あなたはそれを忘れてしまっています。あなたは自分のことを、このちっぽけな惑星の上を歩いている、ちっぽけな人間だと思っています。でも、本当はそうではありません。あなたの頭も星のあいだにあり、あなたの脚も濃紺の宇宙空間のかなたまで下りています。それほどあなたは広大無辺です。誰もあなたを助けだしたり、救ったりする必要はありません。あなたが救う者であり、あなたは救われた者なのです。


あなたがしなければならないのは、目覚めることです。「目覚める」ということは、今まで自分の後ろに隠していたものを取りだし、自分の視野のなかにおくことです。「眠れる者」は、自分自身から隠れています。勇者は目覚め、こう言います。「準備ができた。自分をも他人をも傷つけず、調和をもって生きるために、私は知りたい。自他ともに傷つけず、調和のなかで生きることが、この地球でパワーをもって生きる唯一の道だから」


あなたが自分の未解決の問題に直面する勇気を持つと、あなたの心が一挙に大きく開かれ、人間は誰でも同じ問題を抱えているのだ、ということに気づきます。あなた方はみな怖れているのです。それというのも、自分はこの危険に満ちた世界を行く先もわからずにすすんでいる、ちっぽけな存在であると、自分を取りちがえて考えているからです。


マハルシ 「それ」として在りながら、何を知りたいと言うのでしょう? 知る者と知られる者という二人の自己があるのですか?


必要とされるのは、真我を無知から解き放つことだけです。ここで言う無知とは、真我と真我ではないものを同一視することです。

(対話125)


これから先、もっとも有益な道具は、自己の限られた意識以外のものを体験したいという願望です。前にも言ったように、人は自分が何であるかということを思いちがいしています。


あなたは肉体ではありません。感情でもありません。想念でもありません。こうしたものをすべて体験していますが、あなたはそれではないのです。あなたが何であるかを定義するのは、とてもむずかしいことです。そこで今日だけのこととして、<あなた>というものを体験したいと願った、慈愛にみちたすばらしい意識の可能性があなただと定義しましょう。そうした願望を持って、意識は具象の世界に入り、あなたが<自分>と呼んでいる肉体を創ります。そこであなたは<自分>というものがその創造物だと気づき、その観点から世界を体験しはじめます。<あなた>は<自分>をその限られた肉体だと思い、そう感じ、そうみなします。けれどもそれは<あなた>のほんの一部にすぎないのです。自分自身でそれを発見することができます。



質問者 私たちは先日、現代における西洋人のマインドのあり方と、それがヴェーダーンタ* の道義的、また知的修練に服従することの困難さについて語りました。その障害のひとつは、若いヨーロッパ人やアメリカ人は、世界の悲惨な状態と、それを正そうとする緊急の必要性に没頭することにあるのです。
彼らは、あなたのような世界の改善の必要条件として個人的な改善を教える人に対する、忍耐力をもっていません。彼らは、それは可能ではなく、必要でもないと言うのです。人類はその社会的、経済的、政治的な組織体系を変える用意があると彼らは言います。世界政府、世界警察、世界計画、そしてすべての物質的、観念的境界線を廃棄することだけで充分であり、個人的変容は必要ないのだということです。確かに、人びとが社会を形成しますが、社会も人びとを形成するのです。人間社会のなかで、人は人間らしくあることでしょう。それだけでなく、科学は以前宗教の領域にあった多くの質問の答えを供給しています。


* 訳注 ヴェーダーンタ Vedanta 「ヴェーダ(知識)の終焉」を意味する。『ウパニシャッド』、『バガヴァッド・ギーター』、『ブラフマ・スートラ』を根本においたヒンドゥー教の教義の体系。純粋な非二元性と限定された(条件つき)非二元性の二つの教義を提示している。


マハラジ 確かに、世界の改善のために努力をすることは、もっとも称賛に値する仕事だ。非利己的に為されることで、それはマインドを明晰にし、ハートを浄化する。しかし、じきに人ははかない夢を追求していることを自覚するのだ。特定の地域の、一時的な改善はつねに可能だ。そして、それは偉大な王や教師の影響のもとで何度も達成されてきた。だが、それはすぐに終局を迎え、人類を新しい悲惨な循環の輪のなかにおきざりにするのだ。


質問者 あなたは逃避を勧めているのではありませんか?


マハラジ その反対だ。再生への唯一の道は破壊を通してしかないのだ。新しい金の宝飾品を鋳造する前に、あなたは古い宝飾品を、一度形のない状態に溶かさなければならない。世界を超えた彼方へ行った人びとだけが、世界を変えることができるのだ。そうでなければ、それはけっして起こらない。影響力が長く続いた少数の人たちは皆、実在を実現した人たちだった。彼らのレベルに到達しなさい。そして、そうなってから世界を助けることについて話すがいい。


質問者 私たちが救いたいのは山や川ではなく、人びとなのです。


マハラジ 世界には、何も間違ったことはない。ただ、それを悪くする人たちのせいなのだ。行って、彼らに正しくふるまうように言いなさい。


質問者 欲望と恐れが彼らにそのようにふるまわせるのです。


マハラジ まったくそのとおりだ。人間の行動が恐れや欲望に支配されているかぎり、そこには何の希望もない。そして、どのようにして効果的に人びとに話をもちかけるかを知るには、あなた自身、すべての欲望と恐れから自由にならなければならないのだ。


質問者 一定の基本的な欲望や恐れは不可避なものです。それらは食べ物、セックス、死に関連しているのです。


マハラジ それらは必要なものであり、必要なものとして容易に満たされる。


質問者 死でさえも必要なのでしょうか?


マハラジ 長く、充実した人生を生き、あなたは死ぬ必要性を感じるのだ。欲望と恐れが誤って適用されたときにだけ、それは破壊的になる。確かに欲望は正しく、恐れは誤りだ。だが、人びとが間違ったものを欲望し、正しいものを恐れるならば、それらは混沌と絶望を生みだすのだ。


質問者 何が正しく、何が間違いなのでしょうか?


マハラジ 相対的には、苦しみの原因となるものが間違いで、苦しみを和らげるものが正しい。絶対的には、あなたを実在に連れ戻すものが正しく、実在を見えなくするものが間違ったものだ。


質問者 私たちが人類の救済について話すとき、それは無秩序と苦しみに対しての努力を意味しているのです。


マハラジ あなたは単に救済について話すだけだが、かつて一度でも、ひとりの人を本当に助けたことがあるだろうか? あなたは今まで、ひとりの魂を助けの要らなくなるところまで導いたことがあるだろうか? 彼の真の存在への洞察をもった人ではないにしても、少なくとも義務と機会を完全に自覚した人物を挙げることができるだろうか? あなたが自分自身にとって何が良いのかも知らないときに、どうして他者のために何が良いかを知ることができるだろうか?


質問者 生活手段の適切な供給は、すべての人たちにとって良いことです。あなたは神自身かもしれませんが、私たちに話しかけるにも、栄養の充分行きとどいた身体が必要なはずです。


マハラジ あなたに話しかける私の身体を必要としているのは、あなたなのだ。私は身体でもなく、それを必要ともしていない。私は観照者でしかない。私は私自身の形をもっていないのだ。
あなたは、それほどまで自分自身が意識をもった身体だと考えることに慣れているため、意識が身体をもっているということが想像もできないのだ。身体的存在は意識のなかの動き、マインドの状態でしかなく、意識の大洋は無限で永遠であるとひとたび認識し、意識に触れるとき、あなたは観照者でしかないと自覚したなら、完全に意識の彼方へと行くことができるだろう。


質問者 存在のなかには多くのレベルがあると聞きました。あなたはそれらすべてのレベルのなかに存在し、機能しているのでしょうか? あなたは地上に在りながら、同時に天国(スワルガ)にもいるのでしょうか?


マハラジ どこにも私を見いだすことはできない。私はほかのもののなかにあるひとつのものではない。すべてのものごとは私のなかに在る。だが、私はものごとのなかにはいないのだ。あなたは私に、表層について語っている。だが、私は土台に関わっている。表層は現れては衰えていく。しかし、土台にあるものは永続するのだ。私は移りゆくものに興味をもたない。一方、あなたはそれ以外のことは何も話さないのだ。


質問者 奇妙な質問を許してください。もし誰かが鋭い刀で突然あなたの首を断ち切ったならば、あなたにとってどのような違いがあるのでしょうか?


マハラジ まったく何の違いもない。身体がその頭を失うだけだ。伝達経路が断ち切られるだろう。それだけだ。二人の人が電話で話をしている。そして、線が切られたのだ。その人たちには何も起こらない。ただ、彼らはほかの伝達手段を探さなければならないだけだ。『バガヴァッド・ギーター』は、「刀はそれを切らない」と言っている。文字通りそうなのだ。媒体の死にもかかわらず、生きつづけるのが意識の本性だ。それは火のようなものだ。それは燃料を燃やし尽くすが、それ自体をではない。ひとつの炎が燃料の山を長い間燃やしつづけていくように、意識も無数の身体を通して生きつづけていくのだ。


質問者 燃料は炎に影響を与えます。


マハラジ それが続くかぎりは、そうだ。燃料の性質を変えてみなさい。炎の色と姿も変化するだろう。
今、私たちは互いに話しあっている。このために、存在は必要となる。存在しなければ、話しあうことはできない。だが、存在だけでは充分とは言えない。そこには話したいという欲望もなければならないのだ。
何にもまして、私たちは意識しつづけていたい。あらゆる苦しみや屈辱を耐えてでも、意識しつづけることを望むのだ。この体験への欲望に逆らって、顕現すべてを手放さないかぎり、解放はありえない。私たちは罠にはまったままなのだ。


質問者 あなたは沈黙の観照者であり、また意識の彼方に在ると言われます。そこには矛盾があるのではないでしょうか? もしあなたが意識の彼方に在るのなら、あなたは何を観照するというのでしょうか?


マハラジ 私は意識と無意識だ。意識と無意識であり、そして意識ではなく、無意識でもない。これらすべてに対して、私は観照者なのだ。だが、実はそこに観照者はいない。なぜなら、そこには観照されるものが何もないからだ。私はすべての精神構造を完全に空にした、空っぽのマインドなのだ。それにもかかわらず、完全に気づいている。これが、私はマインドを超えていると言うことで表現しようとしていることなのだ。


質問者 それでは、どのようにしてあなたのいるところに到達できるのでしょうか?


マハラジ 意識していることに気づいていなさい。そして意識の源を探求しなさい。それだけだ。言葉ではほとんど伝えることはできないのだ。私があなたに話すことではなく、私の言うように、それをすることが光をもたらす。手段はさして重要ではない。重きをなすのは熱望、衝動、真剣さなのだ。


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