日本が一隻の船だとしたら


船長や幹部陣が国会中継の方々である、それはないです。国会中継の方々は、「国民の堕落の3D投影された像」であり、「ああ、私たちのせいだ」と自覚を促されているだけです。では本当の船長たちはどこにいるのでしょうか? いま何をしているのでしょうか? いま、何を見ているのでしょうか? 日本国が存在できるのは、人類と地球の調和に貢献する場合のみです。日本の上司は神界であり、日本国は公器です。個人が、守護霊の意見を聞かずに殺人に手を染めることができるように、国家としての日本国も神界の意見を聞かずにこの人類危急の事態に利己主義に走り貝のように閉じこもり、太平洋戦争の頃の日本国民の愚かしさを繰り返すこともできます。死ぬのは一緒です。でも誰のために何のために死ぬのかを今度は選ぶべきです。船長がいま何を見ているのか、100年後の日本の子孫たちがいまを生きる私たちにどのような焦点を望んでいるのか、それを知ることが願いです。n


だれもがバックスクリーンを見ていない


反射が現象なので、その反射を「世界」と呼び、「それ(反射、世界)を可能にしているもの」を見ていません。それはマインドの見れる対象ではないので、見ようと想定しても無駄です。いつも裏側にあるもの、「可能にするもの」です。多くの意識存在がいて、根源に対する態度があります。それぞれにあるそれは「神との関係」と呼ばれ、その成長を見込んで勇み参入したこの世界に、甘い表層などあるはずもなく、涙を軽視した罰はこの身に降ります。50時間必死にストーリーを追った大作RPGでエンディングがくだらなかった場合たまりませんが、エンディングであり永遠のオープニングでもある神がくだらなかったことは有史以来一度もありません。地上で泥に塗れる価値はある。あるというより、ありまくる。価値の結晶です。でも、私の嘆きも傷も、現実です。だからどうか、ときどきでいいから、あなたの目で見るように見させてほしいのです。在るというあなたは演技者です。n


解決法を探すのをやめるという唯一の解決法を除いて、解決法はないのだ。


あなたは世界のなかに平和と調和を求めながら、あなた自身のなかにそれをもつことは拒んでいるのだ。


教えを思い出しなさい。何であれ、あなたがであうものを超えていきなさい、ということを。


質問者 幻影には段階があるのでしょうか?


マハルシ 幻影そのものが幻影なのです。幻影はそれを超えた者によって見られるはずです。そのような「見る者」が幻影の支配を受けるでしょうか? 「見る者」が幻影の段階について語ることなどできるでしょうか?
映画の画像がスクリーンの上に投影されています。火は建物を灰へと焼き尽くし、水は船を難破させるかのように見えます。それでも、画像がその上に映し出されるスクリーン自体は、焼けることもなければ濡れることもありません。なぜでしょうか? なぜなら画像は実在ではなく、スクリーンが実在だからです。
同様に、鏡の中の反映は移り変わりますが、反映されたものの量や質に鏡が影響を受けることはありません。
それゆえ、世界は「一なる実在」の上に現れた単なる現象でしかなく、実在が現象から影響を受けることはないのです。実在はただ一つです。
幻影に関する議論は、見る角度の違いによるのです。

(対話446)


マハルシ 神や神の本質などについて考えたことはありますか?


質問者 そのような問題について読んだり話したりしたことはあります。


マハルシ もしそれと同じことを感覚を通して表現せずに心の中で熟考するなら、それが瞑想なのです。

(対話152)


マハルシ ヴィバクティ(分離)があるかぎり、バクティ(帰依)がなければならず、ヴィヨーガ(分離)があるかぎり、ヨーガ(合一)がなければなりません。二元性が存在するかぎり、神と帰依者は存在せざるを得ないのです。探求(ヴィチャーラ)についても同様です。ヴィチャーラがあるかぎり、二元性もあることになります。しかし源に融け入れば、そこには「一なるもの」だけが在ります。それはバクティにおいても同様です。帰依によって神を実現すれば、そこに存在するのは「一なるもの」だけでしょう。神もまた真我の中で真我によって考えられたものです。それゆえ、神は真我と同一なのです。もし神への帰依心を抱きなさいと言われた人がすぐさまそのとおりにするなら、それでよいでしょう。しかし自らを振り返って「そこには二人がいる。神と私だ。遥か彼方にいる神を知るよりも、より身近で、より親しい『私』を知りたい」と言う人もいるのです。このような人にこそ、真我探求の道(ヴィチャーラ・マールガ)が説かれるべきです。実際、真我探求と帰依には何の違いもないのです。

(対話154)


上流階級の教養あるインド人女性リーナ・シャラバーイの質問に、シュリー・バガヴァーンが答えた。


マハルシ 平静な状態が至福の状態です。『ヴェーダ』の中の「私はこれだ、あるいはあれだ」という宣言も、心の平静を得るだけのためにあるのです。


質問者 それでは、一つの目的を持って探求することは間違いなのですね?


マハルシ もし到達されるべき目的地があるとすれば、それは永遠のものではありえません。目的地は、すでにそこにあるものでなければなりません。私たちは自我によって目的地に到達しようとしています。しかし目的地は自我が現れる以前から存在しているのです。目的地は私たちの誕生、つまり自我の誕生以前から存在しています。私たちが存在するため、自我も存在するように見えるのです。


(中略)


マハルシ 実現はすでにそこに在ります。想念から自由になった状態だけが真の境地であって、実現といったような行為はないのです。真我を実現していない人がいるでしょうか? 自分の存在を否定する人がいるでしょうか?


(中略)


マハルシ 心を殺したいと思っているのは、心そのものではないでしょうか? 心がそれ自体を殺すことはできません。それゆえ、あなたの仕事は心の真の本性を見いだすことにあるのです。そうすれば、心が存在していないことを知るでしょう。
真我が探求されたとき、心はどこにも見当たりません。真我の内にとどまれば、心の心配をする必要はなくなるのです。


(中略)


マハルシ 誰が自分以外のもの(外側にあるもの)を見るのでしょうか? 最初に自我が現れ、外側に物事を見ます。自我が立ち現れなければ、真我だけが存在し、自分以外のものは何もなくなるのです。
自己の外側に何かがあるとしたら、それは内側に見る者がいることを暗示しています。その見る者を探し出せば、疑いや恐れは起こらなくなるでしょう。恐れだけではありません。自我を取り巻くすべての想念も、それとともに消え去るのです。


(中略)


マハルシ もし単一性があるなら、そこには二元性もあるということです。一という数が、その他の数を生じさせるからです。しかし真理には一も二もありません。「それ」はあるがままなのです。


(中略)


「あなたは自我ではない。実在を実現しなさい」と言われたにもかかわらず、なぜまだ自我と自分自身を同一視するのでしょうか? それはちょうど「薬を飲むときに猿のことを考えてはならない」という諺のようなもので、不可能なことです。普通の人々にも同じことが起こります。実在について教えられたのに、なぜ「私はシヴァである」や「私はブラフマンである」に瞑想し続けるのでしょう? その真の意義を見極め、理解しなければなりません。単に言葉を繰り返したり、それについて考えたりするだけではだめなのです。
実在とはただ自我を失うことです。

(対話146)



米国の韓半島専門家30人全員「完全非核化の可能性ない」
2018年05月29日16時00分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
板門店(パンムンジョム)やシンガポールなどで米朝首脳会談を成功させるための多角的な交渉が進められている中で、米国内の韓半島(朝鮮半島)専門家は「交渉しても北朝鮮の完全な非核化を達成することは難しい」という意見を出していると、米国の海外向け放送ボイス・オブ・アメリカ(VOA)が28日(現地時間)、報道した。


VOAは「韓半島専門家30人からアンケート調査の回答を受け取った結果、非核化の可能性を明るく見ている回答者は一人もいなかった」と伝えた。大多数の専門家が「交渉を通した完全な非核化は難しい」と明らかにした最大の理由は、北朝鮮が核を完全放棄するという証拠が何もないということだった。


元ホワイトハウス国家安保会議(NSC)調整官のゲリー・セイモア氏は「今のような交渉局面は過去にもあった」としながら「韓国では金正恩(キム・ジョンウン)が金日成(キム・イルソン)や金正日(キム・ジョンイル)とは違って、経済改革のために心から核兵器を放棄するだろうという主張があるが、それほど妥当な主張ではない」と述べた。


米国務省不拡散軍縮担当特別補佐官だったロバート・アインホーン氏も「北朝鮮の金正恩国務委員長が韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領や中国の習近平国家主席とどのような話をしたかは関係ない」とし「北朝鮮は保有している核兵器を放棄するいかなる意図もない」と強調した。


ランド研究所のブルース・ベネット上級研究員は「北朝鮮は1992年の南北非核化宣言で、核兵器保有・開発・使用はしないとし、ウラン濃縮施設と再処理施設も持たないと言ったが、すべての事案において約束を破っている」とし「金正恩は核兵器をすべて処分したと言うだろうが、どこかに隠して置くのではないかと思う」と指摘した。


米海軍分析センターのケン・ゴース局長は「金正恩は北朝鮮が崩壊するか占領されない以上、100%の非核化は不可能であるということを(自ら)よく承知している」と主張した。


米国と北朝鮮が交渉をしても、交渉の場あるいは履行過程で真のCVID(完全かつ検証可能で、不可逆的な核解体)は行われないという主張も相当数あった。


国連安保理対テロ委員会のハワード・ストッパー元副局長は「北朝鮮が交渉で段階的非核化を要求して対価を要求するなら、トランプ政府とは交渉にならないだろう」と予想した。


タフツ大学のイ・ソンユン教授は「北朝鮮が今回の米朝首脳会談を通じて得ようとしているのは非核化ではなく、『完全かつ検証可能で、不可逆的な核保有国』という点を認められること」としながら「米朝首脳会談が実現したとしても、挑発以降の平和術策と退屈で出口のない交渉手続きという『続編』を演じることになるだろう」と主張した。


国際平和カーネギー基金のダグラス・H・パール副院長は「首脳会談で両者は『北朝鮮が核兵器とミサイルを放棄するという約束をした』と言うだろうが、約束が履行されているかどうかを確認する段階になれば、北朝鮮は再び核兵器を放棄しない弁解を探すだろう」とした。ブルッキングス研究所のマイケル・オハンロン上級研究員は「(非核化をするといっても)今後10年から30年後にやるようだ」と述べた。


北朝鮮とは、交渉ではなくもっと強力な制裁を加えなければならないという主張もあった。北東アジア専門家のゴードン・チャン弁護士は「現在の状況で完全な非核化を期待することは難しい」とし「トランプ大統領は軍事力を使わなくても金正恩を武装解除する力がある」と述べた。


韓米研究所のデービッド・マクスウェル上級研究員は「北朝鮮の核プログラムと脅威、そして自国民に対する人権蹂躪(じゅうりん)の犯罪を止めるためには、韓国体制下に南北が統一される『統一韓国』を実現する方法しかない」と強調した。


2018年05月29日 15:44 公開
2014年3月に行方不明となったマレーシア航空MH370便について、有志による出資で行われていた捜索が29日に正式に終了した。
米オーシャン・インフィニティー社は90日にわたってインド洋の深海を捜索していたが、新たな発見には至らなかった。マレーシア政府は、新たな調査の予定はないとしている。
今回の捜索は航空史上、最も広範囲で行われた海上・水中捜索活動で、捜索範囲は12万平方キロメートルにわたった。
MH370便は2014年3月8日、クアラルンプールから北京に行く途中、乗員乗客239人を乗せたまま消息を絶った。同便がどのように遭難したのかについてはなお議論が続いている。
機体の破片は最も遠い場所でマダガスカル島などで見つかったが、機体そのものは発見されていない。
マレーシアと中国、オーストラリアが携わった公式の捜索活動は、昨年1月に終了している。
捜索活動を行ったのは?
米国に拠点を置くオーシャン・インフィニティー社が、8機の小型潜水艦を使って8万平方キロメートルの範囲を調査した。
冬が近づき天候が悪化してきたため、今後数カ月はこの海域での捜索は不可能だという。
同社は捜索を無償で請け負ったが、MH370便の残骸を見つけた場合は最大7000万ドル(約76億3500万円)が支払われることになっていた。
捜索は、アフリカの東海岸で見つかった機体の一部がどのように流れ着いたかを分析した後に始められた。
MH370便の最後は?
MH370便が遭難した状況について、捜索班が持っている情報はとても限られていた。
専門家も、同便が最後までパイロットの制御下にあったのか、コントロール不可となって海に墜落したのか、決定的な結論には至っていない。
この2つのシナリオでは、捜索すべき海域も異なっている。
ほとんどの通信機器の電源が切られていたため、パイロットがなぜMH370便を予定された航路から外し、インド洋へと向かったのかは分かっていない。
先にはオーストラリアの調査員が、パイロットが故意に同便を墜落させたとの憶測を否定している。
(英語記事 Private search for MH370 formally ends)



質問者 今まで多くの真我を実現した人に会いましたが、解脱した人には一度も会ったことがありません。あなたは解脱した人に会いましたか? それとも、解脱した人は身体をも放棄した人なのでしょうか?


マハラジ 真我の実現と解脱という言葉で、あなたは何を意味しているのだろうか?


質問者 真我の実現とは、世界が意味をもち、物質と本質の統合が遍在する、素晴らしい、平和、善、そして美の体験です。そのような体験は長続きしませんが、忘れることもできません。それは記憶と切望として、心のなかで輝きます。自分の言っていることは理解しているつもりです。私自身そのような体験をしましたから。
解脱とは、その素晴らしい状態のなかに永久にとどまることです。私が尋ねたかったことは、解脱とは身体の放棄も意味するのかということです。


マハラジ 身体のどこが問題なのかね?


質問者 身体は弱く、短命です。それは要求や欲望を生みだし、それが人を悲惨にも限定するのです。


マハラジ だからどうだというのだろう? 身体の表現がかぎられているならば、そうあればいい。しかし、解脱とは自分に押しつけてきた誤った自己の観念から自由になることなのだ。それはどんなに輝かしいものでも、ある特定の体験のなかに含まれるようなものではない。


質問者 それは永遠のものなのでしょうか?


マハラジ すべての体験は時間の限界内にある。何であれ、はじまりあるものは終焉を迎える。


質問者 では、私が言う意味での解脱というものは存在しないのでしょうか?


マハラジ その反対に、人はいつも自由なのだ。あなたは意識しており、また自由に意識できる。誰もそれをあなたから奪い取ることはできない。今まであなたが無意識あるいは非存在であると知ったことがあるだろうか?


質問者 覚えてはいないかもしれませんが、だからといって、それが無意識になったことがないという証明にはなりません。


マハラジ 体験から体験者へと見る向きを変えなさい。そしてあなたができるたったひとつの真の表明、「私は在る」の完全な意味、その重要性を悟るがいい。


質問者 どのようにすればいいのでしょうか?


マハラジ ここでは、「どのように」ということはない。ただマインドのなかに「私は在る」という感覚を保ち、あなたのマインドとその感覚がひとつになるまで、そのなかに没入しなさい。繰り返し試みることによって、あなたはそれへの愛情と留意の正しいバランスをつかむだろう。そして、マインドは「私は在る」という思考─感覚のなかに、揺らぐことなく確立するようになるだろう。何であれ、あなたが考え、話し、行なうにも、この不変で愛情深い存在の感覚は、つねにマインドの背景として消えることなく残るだろう。


質問者 そして、それが解脱なのでしょうか?


マハラジ 私はそれを普通と呼ぶ。努力なく、幸せに、行動し、知り、在ることのどこが間違っているだろうか? なぜ身体の即座の崩壊を期待するような、そんな特別なことと考えるのだろう? 身体に死が訪れることの何が間違っているのだろうか? 身体に対する態度を正し、忘れてしまいなさい。甘やかさず、苦しめず、ほとんどの時間、意識的留意の境界下においておけばいいのだ。


質問者 その素晴らしかった経験の記憶が、私を虜にしています。私はふたたびそれを得たいと望んでいるのです。


マハラジ 取り戻したいと願うから、それを得ることができないのだ。切望の状態がすべてのより深い体験を妨げる。何を欲しているかを正確に知っているマインドには、価値あることなど何ひとつ起こらない。マインドが求め描いているようなものに、たいした価値のあるものなどないからだ。


質問者 それでは、求める価値のあるものとは何でしょうか?


マハラジ 最上のものを求めなさい。最高の幸福、もっとも偉大な自由を。無欲が最大の至福なのだ。


質問者 欲望からの自由は、私が求めているものではありません。私が欲しいのは、切望を満たすための自由です。


マハラジ 切望を満たすのはあなたの自由だ。事実、あなたのしていることはそれ以外の何ものでもない。


質問者 試みるのですが、障害がいつも私を挫折させます。


マハラジ 乗り越えなさい。


質問者 できません。私は弱すぎるのです。


マハラジ 何があなたを弱くさせるのだろう? 何が弱みなのだろうか? ほかの者たちは欲望を満たしているのだ。なぜそうしないのかね?


質問者 エネルギーが欠けているに違いありません。


マハラジ あなたのエネルギーに何が起こったのだろう? それはどこへ行ったのだろうか? あなたはそれをたくさんの反駁する欲望や楽しみの追求にまき散らしたのではないだろうか? あなたには無限のエネルギーの供給がなくなったのだ。


質問者 それがいけないことでしょうか?


マハラジ あなたの目的は小さく低次のものだ。それはより以上を求めない。神のエネルギーだけが無限だ。なぜなら、神は自分自身のために何も求めないからだ。彼のように在りなさい。そうすれば、すべての欲望は満たされるだろう。目標が高く、望みが広大なほど、あなたはより多くのエネルギーを得るだろう。すべての人のためを想って望みなさい。そうすれば、宇宙はあなたとともに働くだろう。だが、もしあなたが自分の喜びのために欲するなら、それを得るためにつらい努力をしなければならない。欲する前に、受けるだけの価値ある人になりなさい。


質問者 私は哲学、社会学、そして教育の研究をしています。真我の実現の夢を見る前に、より精神的成長が必要だと思うのです。私の考えは正しいでしょうか?


マハラジ 生活の糧を得るには、ある特殊な知識が必要だ。一般的な知識が思考の発展を促すことは間違いない。だが、もしあなたが知識を蓄えることで人生を送るならば、あなたは自分のまわりに壁を築くだけだろう。マインドを超えるために飾りたてられたマインドは必要ない。


質問者 では、何が必要なのでしょうか?


マハラジ マインドを信頼せず、それを超えていきなさい。


質問者 マインドの彼方に、私は何を見いだすのでしょうか?


マハラジ 存在と智慧と愛の直接体験だ。


質問者 どうすればマインドを超えていけるのでしょうか?


マハラジ スタート地点は数多くあるが、それらはすべて同じゴールに導く。あなたは行為の結果を放棄しながら、私利私欲のない仕事からはじめるかもしれない。そしてマインドを放棄し、最後にはすべての欲望を放棄するかもしれない。ここでは、放棄が作用する要因だ。あるいは、あなたは欲することも、考えることも、為すこともすべて気にとめず、「私は在る」という思考と感情の内にとどまり、マインドのなかで確固として「私は在る」に焦点を合わせるかもしれない。あらゆる類の体験があなたに訪れるだろう。「私は在る」だけが永遠に変わらず、知覚できるものすべては一時的なはかないものだという知識のなかに、揺らぐことなく在りなさい。


質問者 全人生をそんな修行に費やすことはできません。私には義務と仕事があります。


マハラジ もちろん職務に励みなさい。感情的に巻き込まれず、有益で、苦しみをともなわない仕事は、あなたを因果的に束縛しない。あなたはいくつもの分野に従事し、途方もない熱情とともに仕事をしながらも、内面ではその影響を受けずに、すべてを映しだす鏡のように自由で静かなマインドを保つかもしれない。


質問者 そのような状態が実現可能なのでしょうか?


マハラジ もしそうでなければ話しはしない。なぜ私が絵空事を言うだろうか?


質問者 誰もが聖典を引用します。


マハラジ 聖典のみを知る者は、実際には何も知らない。知ることとは、在ることだ。私は、私が言っていることを知っている。それは人から聞いたことでも、読んだことでもない。


質問者 私はある教授のもとでサンスクリット語を学んでいます。でも、本当はただ聖典を読んでいるだけなのです。私は真我の実現を探求しており、必要な指導を受けに来たのです。どうか、どうすればよいか教えてください。


マハラジ 聖典を読んだのなら、なぜ私に尋ねるのかね?


質問者 聖典は一般的な指示を示しますが、個人は個別の指導が必要です。


マハラジ あなた自身があなたの究極の師(サッドグル)だ。外側の師(グル)は、ただの道しるべにすぎない。あなたの内なる師がともにゴールまで歩いてくれるだろう。なぜなら彼がそのゴールだからだ。


質問者 内なる師には簡単に出会えません。


マハラジ 彼はあなたのなかにいるのだ。困難であるはずがない。内側を見なさい。彼はそこにいる。


質問者 私が内側を見るとき、そこには感覚や知覚、思考や感情、欲望や恐れ、記憶や期待の雲が見えるばかりで、ほかには何も見えません。


マハラジ それらすべて、そしてまた無も見ているそれが内なる師なのだ。彼だけが存在する。それ以外はみな、ただの現れにすぎない。彼があなたの真我(スワルーパ)、自由への確信と希望なのだ。彼を見いだし、しっかりとつかんで離してはならない。そうすればあなたは救われ、安全だろう。


質問者 あなたを信じます。それでも、いざ実際に内なる師を見いだそうとすると、それは私から逃げてしまうのです。


マハラジ 「それは私から逃げてしまう」という考えは、いったいどこからやってくるのだろうか?


質問者 マインドです。


マハラジ そして、マインドを知っているのは誰だろうか?


質問者 マインドを観照するものがマインドを知っています。


マハラジ 誰かがあなたのもとへやってきて、「私があなたのマインドの観照者だ」と言ったのかね?


質問者 もちろん、そうではありません。彼もまた、マインドのなかの別の観念にすぎません。


マハラジ それならば、誰が観照者なのか?


質問者 私です。


マハラジ そのとおりだ。あなたは観照者を知っている、なぜならあなたが観照者だからだ。観照者を目の前に見る必要はない。ここでもまた、在ることが知ることなのだ。


質問者 はい。私が観照者、気づきそのものだということは理解できます。ですが、それがどう私の得になるというのですか?


マハラジ 何という質問だ! どんな利益を期待するというのか? あなたが誰なのかを知ること自体、充分ではないかね?


質問者 自己知識は何の役に立つのでしょうか?


マハラジ それは何があなたではないか、ということの理解を助け、誤った考えや欲望や行為からあなたを自由にするのだ。


質問者 もし私がただの観照者であるなら、正しいとか間違っているということに何の意味があるというのでしょうか?


マハラジ あなた自身を知ることを助けるものが正しく、それを妨げるものは間違いだ。真我を知ることは至福であり、それを忘れることが不幸なのだ。


質問者 観照者意識が真我なのでしょうか?


マハラジ 観照者意識はマインドのなかの実在の反映だ。実在はその彼方にある。観照者とは、それを超えて彼方へと通りぬけていくための扉なのだ。


質問者 瞑想の目的とは何でしょうか?


マハラジ 偽りを偽りと見ることが瞑想だ。それは絶えず続いていかなければならない。


質問者 私たちは定期的に瞑想するように言われています。


マハラジ 真実と偽りの区別、そしてその偽りを自ら放棄していく日々の訓練が瞑想だ。初心者には数多くの種類の瞑想があるが、最後にはすべてがひとつに溶け入る。


質問者 どうか、どれが真我の実現への一番の近道か教えてください。


マハラジ どれが近くどれが遠いということはないが、ある人はより真剣であり、ある人はそれに劣る。あなたに私自身のことを話そう。私は単純素朴な人間だったが、グル(師)を信頼し、彼が私にするようにと言ったことをしたのだ。彼は私に「私は在る」という感覚に集中するようにと言い、私はそうした。彼が、私は考えうる、知覚しうるすべてを超えたものだと言い、私は信じたのだ。私は彼に、私のハートと魂、許されるかぎりのすべての空き時間(家族を支えるための仕事があったため)とすべての注意を捧げた。真剣な修練と信頼の結果、私は三年のうちに真我(スワルーパ)を実現したのだ。あなたに合う道を選ぶがいい。真剣さが進歩の度合いを決定する鍵だ。


質問者 私へのヒントはないのでしょうか?


マハラジ 「私は在る」という気づきのなかに、揺らぐことなく確立しなさい。これがはじまりであり、またすべての努力の終わりだ。


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