天のめぐりあわせを信じるか


Aの道とBの道という分岐点があり
誰かが意地悪をして、悪意をもってBの道に進むように勧めたとします。
そしてBの道を進む途中で後悔と恨みの念がわき上がることになったとしても、
天は偶然にその環境を与えるということはありません。
誰かの意地悪に「見える」動きは、もっと深遠な、大きな絵図の一部です。


本当に最低だなと思うような悪事も、今回の人質事件も、


対象が実在しないということが腑に落ちている場合は違った見方があります。
わたしたちは「このテロに向き合う必要があったから、その必要性までパッケージでこの地上に生まれた」んです。


もしこのテロを批判するならば、
批判する意識状態に無意識のままでは、責任をとったことになりません。


批判するのは簡単なんです。でも、悪党に実際立ち向かうのは勇気がいることです。


虐殺や、数々の戦争犯罪は誰の意識の中で起こっているかを正直に認めるならば、
すべての悪は「わたし」の中で起こっています。


平和に貢献するためには、
確かにエックハルト・トールの言うとおり、自分の意識状態に、他者との分離のない唯一の意識状態に責任をもつしかありません。


物事が二つに分離していないため責任のとりようも実際には一つしかありません。
二つに分離しているように見える表面上はたくさんの選択肢があるように見えるだけです。


ニサルガダッタが言ったように
「無知や不注意から生じた感情的な反応はけっして正当化されない。清らかなマインドと澄んだハートを探し求めなさい。あなたに必要なのは、静かに油断なく自己の本性を探求することだけだ。これが平和へのただひとつの道だ」


言い訳はできない、ということです。


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Fiora & nobody