持ち歩く必要がない


A地点からB地点まで運ばなければならないと「(想念を信じて)感じている」ことが緊張であり収縮です。
違いますね。いまここで愛せるか否かなのです。


何も変わらず、どこにも移動できず、ここでひらく、
跳び越える、
あなたは、1対1で向き合うことを了承するのです。


分離は想像の中にあります。
ない!という想像も無駄です、現にあるから苦しむのでしょう。


いまここでひらくとは、演技ではないのですよ。
あなたは、向き合ってから、向き合った結果として手放せるのです。


向き合わない「者の演技状態」で
ひらいたつもりになるのは虚しいだけです。


ただ、自分一人に真摯であることです。
苦しみが残り、違和感が残るなら、終わっていません。


誤解しないでください。
今日をあなたに与える価値がないのなら、
今日はあなたに与えられていませんでした。


あなたには価値があり、
あなたにはいのちがある。


どのように見えようとも、あなたという「窓」を必要としているのは
大いなる中枢なのです。


あなたがあなたを「呪い」と呼ぶことは最大の誤りです。
あなたこそ「祝福」なのです。



アトラクションと同じで
どうせ人間をやるのだったら、こんな人間になりたい!
という像が誰しもあります。


イメージに描いているかどうかではなくて、
魂の奥底のほうに意識される前からあるんです。


それこそ、どこぞの彫刻家が呼んでいた「発掘作業」なのではないかと感じます。


人生の経験から掘り出していく発掘です。


そう考えてみると、
苦難というのはまさにスパイスであり、
必要な調味料だったりします。


最初から最後まで平和で豊かで幸せで、まったくブレませんでした、という演劇ほど退屈でつまらないものはないですものね。


ほんとうの意味での勝者というのは、
今日という日をとことん魂の成長につなげた人、明日もつなげうる人だと思います。





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