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みじめな人生は、人が自分で創りだしたものです。自分のみじめな人生のなかで孤独に生き、同じものの見方や発想をしつづけ、あいも変わらず暗闇や怖れ、あやまった思いこみを自分に引き寄せ、それらをくり返しくり返し自分の心のイメージとして見ています。人間の言う悪魔とはこれです。


エゴの力のおよぶ範囲はそれほど遠くまでは伸びていません。エゴは、神のダイナミックな永遠のエネルギーに支えられていないので、寿命もパワーも限られています。


怖れは、神によって動かされてはいないので、コンスタントなパワーを持っていないのです。





だからエゴというのはどんなものでも、再生産の罠なのかもしれないです。
その再生産はどこかで、安心を得たかったり、安定したかったり、愛されたかったり、分離したと信じこんでいる神との絆の代用品を求める衝動かもしれません。


起点が結果に即つながる、という意味で、
この世は全自動の世界です。


分離と怖れからはじまったものは、結局誰かを傷つけるんです。


ほんとうに、だれが考えたのか、
この仕組みはよくできていますよね。


現状をゆるし、現状を愛せない場合はいつまでたっても、
この現状を与えたもうた神に感謝できないんです。


牢獄に閉じ込められた囚人気分であれば、自由になりたいと切望するはずです。
でも現実には、自由になりたいと「切望してはいない」んです。
自由になりたいと「神に不平不満と愚痴を言いたい」が本音なんです。大抵の場合は。
だから現状は、それを示唆するための環境(神に文句を言いたがっている私という架空人物を描いている構図を浮き彫りにする)を創り出すんです。


ここまで大掛かりにするほど重要なんでしょうか。
「神に文句を言いたがっている」こと。
「神に疑念を抱いている」こと。


意識の牢獄、
それは囚人というよりも「看守」が自分であることに早く気づくことなのかもしれません。


この世界は、意図(して設計)された世界なんです。
そして主役は、神との関係であり、
神との関係を擬人化したものが「私」という人格なんです。
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