あなた方の多くは、勇気をもってライフスタイルを変えたり、新しい生活を始めたりしましたが、いつも目覚めた意識でいると、なぜ自分がそうしたのかを理解できるようになります。ふつうは自分が今していることを、なぜしているのかわからないままに、人生をすごしていきます。しかし、来る日も来る日も、その瞬間の自分をすみずみまで意識していると、何が起きているのか、わかるようになります。


新しい状況に直面して、怖れを感じるときは、ちょっと立ち止まって、自分が何を怖れているのか、自分に聞いてみてください。その状況の何が自分の怖れを引き起こしたのか、その怖れはその瞬間の事情以外に原因があったのか、自分が必要としているのに得ていないものは何なのか、と自問してみてください。人が怖れを抱くのは、何か欲しいのに、それが手に入らないからです。人は、自分の必要とするものを、何か物質的なもの、もっと多くの人とか、もっとたくさんの愛とか、もっと多くのお金とか、として考えがちです。しかし、基本的に人が求めているのは、自分を不安や怖れがない状態にしてくれるものです。


あなたの人生が完璧なものであるためには、すべてから認められなくてはならないということはありません。自分の人生をすばらしいものにするために必要な承認は、ひとつだけです。それは、今あるがままの自分を受け入れるということです。勇気をもって自分を見つめていくことによって、それができるようになります。そのような内観の結果、自分は今のままの自分で全く問題ないのだ、ということを学びます。「命」というものが、今の自分、あるがままの自分を通して表現されている、そのあり方に人は心から感動し、その不可思議に驚きます。
これは、自分のまわりの人に、自分を好きかどうかと聞くことでは生まれません。自分について知るべきこと、そのすべてを知って、それを心の底から受け入れることによって生まれます。このことを実行するかどうかが、その人の人生の分岐点です。


自分の心のなかで自分を受け入れてください。
そうすれば、世界をすべて完全に受け入れることができるようになります。





昨日伊勢さんがブログに書かれていた内容で
誰のために作品をつくろうとするのが一番いいかに関して、はっとすることが多かったです。


他人のためにやろうとするとちょっと言葉はわるいですが「隷属」になりやすいです。
自分のためにやろうとするとエゴの自分がでてきて「我さえ良ければ良し」という大失敗になりやすいです。
ところが、神(創造主)またはSG(サムシング・グレート)のために
この作品を捧げるという気持ちでモノづくりをする場合は、
どちらにも当てはまらない第3の道がひらけるのかもしれません。
神に捧げる場合、
神が神の子であるすべての兄弟姉妹の幸せのことまで考えてくださっている可能性があることに真摯になるべきだと感じました。
自我には計算すらできません。Aさんを幸せにする「かもしれない」計算はできますが、その裏でBさんを不幸にする因果については計算の範囲外になります。


今ひとりひとりが、この胸に座している、
自分より偉大な何かに対して、
自分は今、何を捧げているか、捧げようとしているかこそが、
人間関係や、財政問題や、その他もろもろの問題で
問われている直接の姿勢ではないかとも思います。
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Fiora & nobody