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呪いは呪いになります。
だれかにたいしてのつもりがじぶんにたいしての呪いになります。


それがじぶんであると心底理解しているなら、人は呪ったりしません。
それがじぶんであるとは心底理解はしていないから、人を呪います。


だれにたいしての呪いになっているのでしょう。
よくきいてください。だれにたいしての呪いになっているのでしょう。
「だから」
生まれた可能性があるとは考えられないでしょうか。


呪えば、あなたは神と調和できなくなり、
最大の呪いとは神と調和できないことなのです。


盤面はひっくりかえるのです。
主役は人物ではなく反応です。


その反応ゆえにあなたは生まれ、
あなたは出会う。


人は鉄琴を叩く役割にすぎません。
叩かれたとき出している本音こそ主役です。



誰かに対して変わらぬ愛情を持ちつづけることは不可能である、という考えはまちがっています。愛の状態にいる人々は愛という状態のなかにいるわけで、それは生まれたり消えたりしません。それは不変のものです。愛の状態にある人々は、毎日のあらゆる瞬間を、愛を探し愛を見つけるために使っています。



自分が非常に嫌っている<外の世界>のことに、特に注意を払ってください。そうしたことが、自分が何に対して批判的な反応を示すのかということを如実に語ってくれます。人はフィルターをつけたまま、あらゆる瞬間にのぞみます。人は自分が見たいものを見、見るだろうと予期していることを見ます。本当に起こっていることは見えていません。自分が見ているのは、相手はこんな人間なのだという、自分が創り上げたイメージを正当化するものなのです。ここですべきことは、エゴの主張とは正反対のことです。エゴは、「あいつらを近づけるな。自分を守るのだ。あいつらとかかわるな」と言います。けれども、その正反対のことこそ、すべきことなのです。つまり、その感情を自分のなかに取り入れるのです。一人、神聖さのなかで瞑想するのではなく、全体性のなかで瞑想してください。全体性というのは、自分のすべての部分、そして人生のあらゆる面を受け入れるという意味です。



上記の一コマ漫画は、フィルターが恋愛関係にどう影響するか、ということをまさにぴったりと表現しています。比喩的に言えば、私たちは、分離という幻の金魚鉢のなかにいます。金魚鉢はエゴを表しており、外界の感覚によって作られています。ある意味では、人をすべてから切り離して閉じ込める殻です。そこではおたがいを見つめるときに、二人をへだてるものを見ます。さらに、自分の金魚鉢を見つめてばかりいるので、相手の金魚鉢がめったに目に入らないし、当然ながら、相手の魚も見えません。人々が、<恋愛している>というときの関係はこうしたものです。孤独で孤立しており、他人に気づいてもらえないという感覚は、金魚鉢のなかに住んでいるから生まれるのです。その金魚鉢は、人生、愛、人間関係などについて自分が持っている考えや固定観念によって作られます。


けれどもここでほんとうに必要なのは、自分のなかに”大いなる光”を見つけようとすることです。探す方法は無数にあります。”大いなる光”のパワーが心を暖めてくれるでしょう。そうすると、フィルターが溶けて、愛が流れ込みます。心を開けないのは、あなたのなかで<心の傷>が網の目のようにがっちりと根をはっているからです。傷つけられるのではないかと人は怖れますが、それは、自分がいかにパワフルで、豊富な叡智を備えているのかを忘れてしまっているからです。”大いなる光”をあらゆるもののなかに見、自分が”大いなる光”であることをいつも覚えていると、内なる安心感が築き上げられていきます。そうすると、やがて真理が見えてきます。



幻影のカムフラージュが効果を発揮しているように見えます。けれどもじつは、その奥にある<いのち>こそが本物なのです。それは目に見えるものすべてのなかにあります。この真理に目覚めるために、あなた方はおたがいを創造したのです。それは神秘的ですばらしい目覚めです。それをやりとげるには、多くの努力が必要です。けれども忘れないでほしいのは、あなたの本来の性質は心が大きく開いて平和である、ということです。一度も閉じることなく、永遠にすばらしく心が開いていて、自由であることです。苦しみもなく、疑いもなく、混迷もなく、怖れもない状態です。心をゆったりとさせて、創造界のあらゆるものは一つであることを知ってください。形のあるものもないものも、一つです。”大いなる源”と物質は同じです。あなたが存在するということは、あなたは”大いなる一”だということです。



エゴの考える愛というものは、同意の上に成り立っています。ふたりの意見が合わないときにも愛がある、とはなかなか考えられません。しかし、どんな状況においても、兄弟の意見に同意するも反対するも自由なのでなければ、その人をほんとうに愛することはできません。


また、たとえば姉妹がなにか難しい立場にたたされることになって、あなたに助けを求めたとき、あなたは拒みますか。彼女の味方をすると、自分も危険を背負い込むことになるかもしれません。でもその決断が不利なものだからといって、相手に祝福を贈らないということはしないでください。


多くの人は、「ノー」と言うことが愛の行為だとは想像もできません。でも、愛をこめて「ノー」を言うことは、実はやさしいのです。あなたの子どもが熱いストーブにさわろうとしたとき、あなたはすぐに断固として「ノー」と言います。やけどをしてほしくないからです。それから子どもを抱きしめて、愛しているよとあらためて確認させます。


兄弟が手をストーブにかけそうになって、あなたのところへ来たことが何度あるでしょうか。その人がけがをするとわかっている行為を、後押しすることはできない相談です。それに、あなたが同じことをしそうになったとき、友人に後押ししてもらいたくはないでしょう。


友人とは、同意も反対も自由に述べてくれる相手です。あなたに真実を語ろうとする人です。状況を正しく判断しているかどうかはともかく、自分の意見をはばからずに述べるのです。友人は真実を語り、それから、でも決めるのはきみだよ、と言います。


それが愛の行為です。友人はイエスと言うときもノーと言うときも、かわらずにあなたを愛しています。忠告は惜しみませんが、その意見をあなたに押しつけようとはしません。友人とは助けになろうとするものです。あなたの尊厳を認め、敬意をもって、真実を語ります。


あなたが真実を語りたくないのなら、その人の友人にはなれません。あなたが正しいかもしれません。でも正しいということと、正直であるということは必ずしも同じではありません。


あなたが正直であれば、できるかぎり意識的になって、あなたのベストだと思うものをあげることができます。それがあなたにできる最高のことです。忠告が正しいかまちがっているかは、重要ではありません。



しかし正直さだけでは不十分です。正直さには謙遜が伴っていなければなりません。謙遜の思いでこう言いなさい。「ぼくにはこう見えるんだがね。正しいかもしれないし、まちがってるかもしれない。きみはどう思う?なんといっても選択をするのはきみなんだからね」


謙遜な人は、適切な境界線をわきまえています。他人の権利に踏みこんで、その人みずからの選択の責任をとりあげたりしません。


あなたがたはいつも同意を求めているので、めったに無条件の愛を経験できないのです。同意とはまさに条件づけの最たるものといえますから、行きつくところはべたべたの共依存か、さもなければ衝突です。「あなたのエゴとわたしのエゴが同意するなら、あなたの味方になりましょう」というわけです。


ふたつのエゴが同意をしたときには、よく気をつけてください。エゴは、ほかのエゴとの分離、抗争をその本性とします。ですからふたつのエゴが同意したら、それはふたりで組んで、別のエゴに敵対するということなのです。これはほんとうの同意ではなく、一時的な同盟です。


同意の中に愛を求めるのは、あまり賢いやりかたではありません。あなたは必ず失望を味わいます。


「あなたの敵を愛しなさい」とわたしが言ったのを思い出してください。重要な根拠がいくつかあって言ったのです。まず、あなたがたにとって、友人を愛するのはやさしいことです。友人はたいていあなたに同意してくれ、味方になります。ですから、その人を愛するのはかんたんです。


しかし、敵はあなたに同意しません。あなたのほうがまちがっていると思っています。あなたの弱点を見抜き、それを利用しようと全力をあげます。あなたに盲点があれば、敵は必ずそれを見抜いています。かんたんに言えば敵はあなたに、もしかしたらそうかも、というような親切な猶予を与えてくれません。ですからあなたにとって一番よい教師なのです。


敵は、あなたが嫌っている自分の部分をすべて鏡に映してみせてくれます。あなたが何を恐れ、何を不安に思っているかを正確に見せつけます。敵の言葉に耳を傾ければ、自分のどこを修正すべきか、ずばりわかるでしょう。あなたに反対するものだけが、そういう効果的な教師になれるのです。


わたしはなぜ、あなたの敵を「愛しなさい」と言ったのでしょうか。それはもし愛さなければ、相手のもたらす贈り物の価値がわからないからです。


敵を愛することを学ぶのは、自分の心(マインド)の中のすべての暗黒の場所をのぞきこむ意志があることのあらわれです。あなたの敵はあなたがのぞきこむ鏡にすぎず、そこに映る怒りの顔は、そのうちあなたにほほえみを返すようになるでしょう。


敵と和解するには、自分の目と同時に、相手の目を通してながめることを学びなさい。そうすれば共感を生み出し、争いの向こう側に抜け出ることができます。


忘れないでください。敵と和解するというのは、相手の言葉に同意することではありません。その必要はありません。ただ相手を愛することを学んでください。


平和は、エゴどうしの同意からはやってきません。エゴには本来、同意することができません。平和は、愛と相互の敬意のあるところにやってきます。愛があるとき、敵はあなたに反対することを恐れない友人と同じようなものになります。あなたと見方がちがうからといって、その人をハートから追い出してはなりません。相手の言い分によく耳を傾けなさい。


友人に耳を傾けるのと同じように敵にも耳を傾けるとき、それをしているのはエゴではありません。あなたの内なるスピリットが、敵の内なるスピリットに耳を傾けているのです。



あらゆる人間どうしの争いの原因は、単純です。


どちらの側も、相手を人間扱いしていないのです。


どちらも相手を劣ったものとみています。おたがいどうしがそんなふうに相手を見ているかぎり、どんなささいな点でも妥協は成り立ちません。しかし敬意と受容の態度で相手に接すれば、同意が困難に見えるようなむずかしい局面すら解決します。


奇蹟は愛からやってきます。愛する心から出てくる解決には、制限がありません。愛への意志、おたがいを対等なものとみなす気持ちこそ、あらゆる奇蹟のうしろに隠された真髄です。


友よ、あなたがたの仕事とは、それぞれの人の声に公平に耳を傾けることです。これこそ民主主義の基本であり、それは単なるスピリチュアルな理想ではなく、生きて、動いて、呼吸しているプロセスです。


さまざまなものの見方を許容するような社会は、愛と対等性の実現の上に築かれます。同意ばかりを求めるものは、全体主義のシステムを作り、そこでは個人の自由は犠牲にされ、全体は個人の知恵にけっして耳を傾けません。こうしたシステムの崩壊は最初から目に見えています。


同意しないことには勇気がいります。あらゆるものの見方が認められるような、万人が対等な環境を維持していくには、知恵と先見力がいります。真実への道は、昔から決してやさしいものではありませんでした。それは功利主義にのっとった道とは、まったくちがいます。


争いの功利主義的解決とは、同意できない相手を皆殺しにするということです。そこでの目標は愛ではなく、理解ですらなく、ただ敵を滅ぼすことだけです。これがあなたの惑星の歴史を通じて、ずっと優勢であった価値体系なのです。


全体主義者や原理主義者の考えは、恐怖心とのたわむれです。かれらはつねに敵を創造し、それに打ち勝とうとします。いっぽうの側が善で、別の側は悪だと信じています。


それはあまりに単純化された二極的な世界観です。しかし共感の道、わたしの教えた道は、あえてあらゆる存在を対等なものとして愛し、受けいれなさいというものです。例外はありません。だれかを非難することは、万人を非難することだとわかっているからです。それはやさしい道ではありません。みんな対等なのだと心に刻んでも刻んでも、たえずそれにゆさぶりをかけるようなことが起きるでしょう。そしてもし真実を身をもって行いたかったら、そのゆさぶりに対して、対等性ということに全身をかけてかかわってください。


わたしの名前をいたずらに使ってはなりません。だれかを批判し裁くために、わたしの名前を使ってはなりません。わたしはだれかに与し、だれかに敵対したことはありません。だれにもそうせよと求めたことはありません。


わたしは、あなたがたが心の中に平和を打ちたてるよう、求めたのです。そしてあらゆる兄弟姉妹と和解するよう、求めたのです。


人を批判し、裁きたいときには、自分の内側をのぞきこんで「わたしは自分をこんなふうに裁きたいのだろうか」とたずねてください。兄弟に対するいかなる批判も、自分自身に対する批判なのです。そして自分自身に対するいかなる批判も、わたしへの批判なのです。


なぜなら、わたしはあなたがたと分離してはいないからです。自分自身や兄弟をどう遇するかは、わたしをどう遇するかです。わたしたちは同じひとつのものです。


友よ、理解してください。同意を求めるかぎり、愛は見つかりません。愛はそれよりはるかに深いところの水流です。あなたに反対する人を愛することができるようになれば、あなたは批判や恐怖心を超えた”源”を見つけることになります。その”源”では、わたしたちはみな対等なものとして一つであり、たがいに教え導いたりしながらも、そこでの考えや行動は自由なのです。


わたしは、あなたの目覚めについての神の計画を信頼しています。そして、あなたがどんな過ちをおかしたとしても、神の愛やわたしの愛から切り離されることは、けっしてないことを知っているのです。


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