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(極悪と書かれたボックスに入っている猫の小雪さん)
神のためになにをできるか、
人と人との思いやりのためになにをできるか、
わたしたちは敵対のためにいるのではなくて、
人が発揮する思いやりや愛の本性のためにいるのだと思います。


だから誰もが心の奥底では、わかっていることなんです。


今年は大変な悪事の話をたくさん聞くようになりました。


だからこそ、小さなことでも、
周囲に思いやりが少しでも増えるように心をこめるしかありません。


小さなことを大きな愛をこめて行おうとおっしゃった先達は、
傷ついている一人一人を神の化身と見なし、
神の化身である兄弟姉妹に自分のもてるすべてを尽くしました。
それは人への奉仕ではなく、生きている神への奉仕でした。


そういう先達には頭が下がるどころではありません。
尽己照隅(じんきしょうぐう)
己を尽くして一隅を照らす


彼らこそ太陽、アマテラスの子です。


少しでも自分を正しつつ生かされていることに感謝したいと思います。



長い時間ハートのセンターに意識を集中してすごせばすごすほど、困難に出会ったときの自分のパワーが増してきます。ですから、怖れを感じていない日々を最大限に生かし、意識の集中が必要になるときに備えてください。なぜなら、心の平安は急に呼び出すことはできないからです。それには練習が必要なのです。宇宙の大いなる愛も、いつもそれを願っていないと、呼びだすことはできません。あなたの命令一下、飛んできてくれるわけではありません。日々、そのための力をつける努力をしていないとだめなのです。


静かにして意識をすませていると、自分のなかで動くものを感じます。そしてハートのセンターですべての怖れが消えていくのがわかります。自分のなかにある怖れを、正面から見すえるようになると、何かダイナミックなものが、自分を昼も夜も満たしてくれるようになって、みずからの幻影が生んだ現象界から、あなたを解き放してくれるのがわかります。それを人間は大いなる愛と呼びます。それはハートのセンターにあるパワーで、自分がすべてのもの、すべての人とつながっているのだということを理解させてくれます。外の世界には何もなく、すべては自分のなかにあります。そして、怖れるものは何もないのです。


これが信じられない人は、一年だけ私の言う通りにしてみてください。昼も夜もできるだけたくさん、この方法を実行してみてください。そうすれば、私は次のことを約束できます。あなたが求めている無条件の愛は、あなたという存在の中心で静かにあなたを待っています。その愛といったん結びついたら、もう決して二度と怖れを感じることはありません。「愛は何ものも怖れない」と言われますが、それはまさに真実なのです。


愛が何ものも怖れないのは、愛以外のものはすべて幻影にしかすぎないことを愛は知っているからです。私の言葉を疑うのであれば、 あなたが疑うのは当然だと思いますが、私の挑戦を受けてください。一日のうちのできるだけ多くの時間を、自分の存在の中心に意識を静かに集中し、怖れにその状態をやぶられないようにしてください。そうすると、私が話していることを体験できます。



自分の望みを物質世界で実現することがじょうずな人は、現実的な目標をたて、状況に応じて柔軟に対応していくことを学んでいます。


柔軟性ということの意味を知りたいなら、風のなかの若木をごらんなさい。幹は細くもろくても、すばらしい強靭さと耐久性をもっています。それは木が風にさからうのではなく、それに合わせて動くからです。


あることの起きる条件が整っていれば、たいした努力なしに実現します。条件が整っていなければ、たいへんな努力をしても実りません。風とともに動くには、現在の条件に対する敏感さがいります。休んで英気をたくわえるときがあり、エネルギッシュに前進するときがあっていいのです。


いつ動き、いつ動くべきでないかは、常識と直感の問題です。抽象的な思考だけでは、ほんとうにものごとを感じとることはできません。抽象思考は、感情の敏感さと結びつくべきです。


ものごとを正確に見極めるには、外的な状況がどんなふうで、どう動いているかだけでなく、自分がその状況にどんな感情を投影しているかも見極めねばなりません。内的現実、外的現実のどちらも視野にいれます。


内的現実が外的現実のそれを決定するのだ、という人がいます。逆だという人もいます。どちらも真実です。ニワトリは、卵がなければ存在しないし、逆もまた真です。原因と結果は直線的に結ばれるものでもないし、こうなればこうなる、と次々ドミノ倒しのようにつながっていくものでもありません。それは同時にあらわれます。本質は円環的なのです。原因が結果を決めるだけでなく、結果も原因を決めます。


「ニワトリか卵か、どちらが先か」という問いに対する答えは、どちらでもあるし、どちらでもない、ということです。ニワトリと卵は同時存在です。「Aか、さもなければAでないか」という問いはすべて同じように答えられます。そうでなければ、その答えはまちがっています。


”至高のリアリティ”とは、AでなければBであるというような二極性の枠ではとらえられません。それは内なる主観的現実と、外なる客観的現実の両方を含み、また両者の自発的な相互作用を含んでいます。


”至高のリアリティ”は、全的な受容、全的な降伏、全的なすべてを受けいれる愛の産物です。そこにふくまれないものはありません。


木が根こそぎひきぬかれ、川に流されたとしても、そこに悲劇はありません。木と川のあいだには、なんの差異もないからです。


”至高のリアリティ”の流れと対照的に、世の中には”抵抗”というものがあり、これがさまざまの条件づけを生みだします。弁別、比較、評価判断が起き、自然の流れが妨げられます。


”至高のリアリティ”の本質は「イエス」と言うことです。それにはもともと陶酔と熱狂がそなわっています。それは、あらゆるものごとを吸収同化します。それは目に見えるようになった幸福です。すべての人、すべてのものを、自分自身とみなすからです。


”抵抗”はつねに「ノー」と言います。それは本来、葛藤や努力をともなっています。あらゆるものに反対しますので、不幸の具現化ともいえます。抵抗がないとき不幸はありません。不幸はつねに、なんらかの条件に対して抵抗します。不幸は、これは良いという解釈、あるいは悪いという解釈の上に立っています。不幸の根とは、執着、こだわりです。


さて、わたしはあらゆる執着を捨てなさいと言っているわけではありません。友よ、それは現実的に達成できるゴールとはいえないでしょう。ただ、自分の執着、ものごとの感じかた、良い悪いという解釈方法に気づきはじめてください。あなたが自分の幸福をいかに条件つきのものにしているかに、気づいてほしいと求めているのです。


無条件というものを理解したければ、風に身をゆする木を見なさい。あれ以上の比喩はありません。木は深く根をはり、がっしりと枝をひろげています。足もとは確固とし、上のほうは柔軟です。それは力強さと、ゆだね、あけわたすことのシンボルです。


柔軟性を人生のあらゆる状況において発揮することによって、あなたもまた同じような力強さを発達させることができます。背筋をのばして立ち、この瞬間に根ざしていてください。自分の欲しているものを知り、しかし、それらをむりやりに求めるのではなく、人生の流れがおのずとそれをかなえてくれることを知りなさい。あなたの欲しいものを、ある方法で手に入れるということに執着してはなりません。それは、不必要な抵抗をもたらします。


風とともに動くのです。人生はダンスです。動きであり、持続です。


あなたの選択は簡潔です。ダンスできるか、できないか。
ダンスをしないことに決めても、ダンスフロアから追い出されるわけではありません。ダンスはあなたのまわりで、くりひろげられ続けています。ダンスは続き、あなたもその一部です。


あらゆる条件は、無条件という状態に対して開かれています。ただ自分をオープンにして、この瞬間の中にいれば、神の腕の中に抱きとめられるでしょう。しかし一瞬でも抵抗すれば、自分で作り出した不必要なもつれに絡まってしまいます。


人間は条件つきの現実(リアリティ)から自由になることはできません。なぜなら、条件つきの現実は、人間の意識が創造したものだからです。自分の創造物から逃げようとするのをやめてください。ただ受けいれるのです。木が風を受けいれるように。あなたの聖性は、完全に人間らしくあること、
自分や他人の欠乏や欲求を完全に受けいれる態勢になることのなかにあります。
深いあわれみの気持ちは、自分を感情的体験から切り離してしまうのでなく、完全にその体験に参加することによってのみ持つことができます。


「ここは苦しみの場所だ、あるいは喜びの場所だ」とは言わないでください。あなたの体験を、実際とはべつのものに仕立てあげないでください。解釈から遠ざかりなさい。解釈は、人生のどちらかいっぽうの極をだけ受けいれるよう、うながすのです。


この世界でのわたしの経験も、あなたがたと同じでした。わたしはあなたがたと同じように、人生のダンスの中へ入ってゆき、理解と受容のなかで成長し、条件づけられた愛から、条件なき愛の経験へと移行してゆきました。愛する兄弟姉妹よ、あなたがたが感じたり経験したりしたもので、わたしが味わわなかったものはありません。わたしはあらゆる欲望と恐怖心を知っています。それらすべてを通りぬけたからです。


わたしもあなたと同じ程度のダンサーです。わたしはそこに参加し学びたいと、喜びいさんで願っただけです。わたしがあなたがたに求めるものも、それだけです。喜びいさんでおこなってください。参加してください。触れ、触れられてください。そのためにこそ、あなたがたはここにいます。


ハートは開くとき、愛に満たされています。奇蹟は、開いているハートに、そしてコントロールしたい、知りたいという欲求をあけわたした心(マインド)に、自然にやってきます。


神の一部であるあなたに、神が供給をさしひかえることはありえません。あなたを分離した別存在として見ることはありません。親が子どもを見るように、ゆるぎない愛と関心をもってあなたを見守ります。


たったいま、この瞬間に、あなたは救われます。覚えておきなさい、友よ。たったいまこの瞬間に、あなたは神の声に耳を澄ませるか、あるいは自分で作り出した無用な心理劇の泥沼にはまりこむか、です。たったいま、あなたは幸福になるか、人生の状況のアラ探しをするか、です。自分の思考によく気をつけていて、こうたずねなさい。
「わたしはたったいま、神の無条件の愛に気づいているだろうか」


もし答えが「イエス」なら、あなたはハートに”聖なる存在”のぬくもりを感じます。答えが「ノー」なら、あなたの意識がその”聖なる存在”のことを思い出させ、あなたをそちらへつれてゆきます。


いま現在の瞬間に対してオープンになれると、心と経験の中にある”聖なる存在”に気づく回数も多くなります。この拡大した意識の内部で、あなたという個人の目的も明らかになり、自分と他人にとって最善のことをするにはどうすればよいか、その道も見えてくるでしょう。


ある環境が、あなたの目の前にあらわれてきます。見かけは混乱したものかもしれませんが、あなたはもう、判断をくだすことはありません。あなた自身にも他人にも、もはや不備な点は見いだせません。いまここにある状況に全面的に身をあけわたすようになり、ベストをつくし、自己放棄の力強さのなかにゆったり安らぎます。あなたは結果をますます神の手にゆだねるようになり、贈り物はつねに受けとるにふさわしいものだということがわかります。あなたの贈り物は、つねに十分なものです。


そのときあなたは、わたしのまことの姿を見るでしょう。わたしはそれを確信し、大きな喜びをもって、その瞬間を待ちのぞみます。それは真理の瞬間だからです。それは分離の終わりです。それはあらゆる苦しみの終わりです。



質問者 どのようにしてあなたが真我を実現したのか、話していただけますか?


マハラジ  三十四歳でグルと出会い、三十七歳にして実現したのだ。


質問者 何が起こったのでしょう?どのような変化があったのでしょうか?


マハラジ  快楽と苦痛による影響が消え、欲望と恐怖から自由になったのだ。私は満たされ、何も必要ではなくなった。純粋な覚醒の大海のなか、宇宙意識の表層で、世界という現象の無数の波が無始無窮に立ち現れては消えゆくのを私は見たのだ。意識としては、それらはすべて私自身であり、出来事としては、それらはすべて私のものだ。ある神秘的な力がそれらを維持している。その力が真我、生命、神と呼ばれるものだ。金の宝飾品の基本素材がすべて金であるように、それらは存在するすべてを究極的に維持する土台だ。そして、それはとても親密に私たち自身のものなのだ!宝飾品から名前と形を取り去れば、金が明白になる。名前と形から、そしてそれらをつくり出す欲望と恐れから自由になりなさい。そうすると何が残るだろうか?


質問者 無です。


マハラジ  そうだ。虚空が残る。だが、その虚空は完全にすべてを満たしている。意識の永遠の可能性が、永遠の現実となるのだ。


質問者 可能性とは未来を意味しているのでしょうか?


マハラジ  過去、現在、未来のすべて、そしてかぎりなくそれ以上だ。


質問者 しかし、虚空は虚空にすぎず、私たちにはあまり役に立ちません。


マハラジ  どうしてそう言えるだろう?連続性のなかに中断がなくても再誕生は可能だろうか?死がなければ再生もありえない。眠りにおける暗闇も、新鮮さと活力の回復をもたらす。死がなければ、私たちは永遠の老衰のなかに沈み込んでいることだろう。


質問者 不死というものは存在しないのでしょうか?


マハラジ  生と死がひとつの存在における二つの層として、互いに必須のものと見られたとき、それが不死だ。はじまりのなかに終焉を見、終焉のなかに始まりを見ることが永遠を示唆している。不死が連続性でないということは明白だ。変化というプロセスだけが続いていく。永遠に存在するものなど何もない。


質問者 気づきは永続するのでしょうか?


マハラジ  気づきは時間のなかにはない。時間は意識のなかにのみ存在する。意識を超えて、どこに時間と空間があるだろう?


質問者 あなたの意識の領域にはあなたの身体も在ります。


マハラジ  もちろんだ。しかし、ほかの身体と異なったものとしての「私の身体」という考えはない。私にとってそれは「私の身体」ではなく「ある身体」であって、「私のマインド」ではなく「あるマインド」だ。マインドが身体の面倒を見る。私が干渉する必要はない。為されるべきことは、通常の自然な方法で為される。生理的機能に関しては、あなたはまったく意識していないかもしれない。だが、思考や感情、欲望や恐れにいたっては、あなたは自己意識に鋭敏になる。私にとっては、これらもまた全体として無意識の内にある。私はさほど意識もせずに人びとと話をし、まったく正しく適切に事を運んでいることを見いだすのだ。あたかも私は自発的にしかも的確に反応し、自動的にこの物質的な目覚めの生を生きているかのようだ。


質問者 この自発的な反応は真我の実現の結果なのでしょうか、それとも訓練によるものでしょうか?


マハラジ  その両方だ。真理の探究と、人びとを助けるという目的に捧げられた献身が、あなたに清らかな、秩序ある生をもたらす。そして真我の実現が、欲望や恐れ、そして誤った考えという障害を取り除き、容易に、自然に尊い徳をもたらすのだ。


質問者 あなたにはもはや欲望や恐れはないのでしょうか?


マハラジ  私の運命は素朴な庶民として、わずかばかりの教育を受けた質素な商人となるよう生まれることだった。私の人生は、ごくありふれた欲望や恐れをもった平凡なものだった。私の師への信頼と、彼の言葉への服従を通して、私は真の実在を悟ったのだ。そして人間の性癖に関しては、その運命が尽き果てるまではそれ自身が面倒を見るのに任せておいたのだ。ときには古い習慣から、感情的あるいは心理的な反応も起こるが、それらは直ちに気づかれ、捨て去られる。結局は、人として在るという重荷があるかぎり、その性癖や習慣にさらされるものだ。


質問者 あなたは死を恐れてはいないのですか?


マハラジ  私はすでに死んでいる。


質問者 どういう意味においてですか?


マハラジ  私は二重に死んでいる。身体だけではなく、マインドもまた死んでいる。


質問者 でも、とても死んでいるようには見えません!


マハラジ  それはあなたがそう言うだけだ!あなたは私より私の状態をよく知っているようだね!


質問者 すみません。ただ私には理解できないのです。あなたは身体もマインドもない状態だと言いますが、私の目には、あなたはとても生き生きと現前しています。


マハラジ  途方もなく複雑な働きが頭脳と身体のなかでつねに行われているが、あなたはそれを意識しているだろうか?いいや、まったくしていない。それでも外部から見れば、すべては知性的に、目的をもって行われているように見える。人の生全体は、その大部分が意識の境界下に沈んでいながらも、分別をもち、スムーズに流れているということを認めるがいい。


質問者 それは正常なことなのでしょうか?


マハラジ  正常とは何だろう?欲望と恐怖に取りつかれ、争いと闘いに明け暮れ、無意味で喜びもないあなたの生が正常だというのだろうか?身体を過敏に意識することが正常だろうか?健康な身体、健康なマインドは、その所有者にはほとんど気づかれずにいるものだ。苦痛や苦しみを通して、それらは注意と洞察を呼び起こす。同じことを生活全体に拡張させればいいのだ。人は何が起ころうと、それを気づきの焦点に合わせなくても、正しく機能し、充分うまく対応できるものなのだ。自己抑制が自然と身につけば、気づきは存在と行為のより深い層に焦点を移行する。


質問者 それではロボットになってしまいませんか?


マハラジ  繰り返され、習慣づけられたものが自動化されることに、何の害があるだろう?どちらにしてもそれは自動的なのだ。だが、それが混沌とし、苦痛と苦悩の原因となったとき、注意を呼び起こす。清らかな、秩序ある生を送ることの目的全体は、悲しみを背負い、混沌状態の奴隷となることから解き放たれるためにあるのだ。


質問者 あなたはどうやらコンピュータ化された人生がお好きのようですね。


マハラジ  問題から自由となった人生のどこが間違っているというのかね?人格とは単なる実在の反映にすぎない。反映がその源に自然と一致するのは当然のことではないだろうか?個人にはそれ自身の意図が必要だろうか?実在の表現である生が導くだろう。ひとたび個人は単に実在の影にすぎず、実在そのものではないと認識したならば、あなたはいら立つことも、心配することもやめるだろう。あなたは内面から導かれることに同意し、そして生は未知への旅立ちとなるのだ。


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