選別者(餞別者)は人間か?


人間のはずがない、と感じています。こういう識別の最も得意な人々こそ、天の意識拡大鏡を持つ方々であり、嘘は一切通じず、隠された動機を一つ一つ本人に解説した上で、人生のイベントの裏に織り込まれた背景を説明してくださるかもしれません。主な理由は過去に積み上げたものの「解消」です。
解消しないと前に進めないから肉体を構成してまでやり直すのです。
すべては神の御許に向かいますし、動機はみな広義にはそれですが、個人芸で積み上げた山の登頂ルートは個別の癖の塊です。歩き方、愚痴のこぼし方、同行者への八つ当たりの仕方、天候への文句にも決め台詞があり、リタイアと言って投げ出す時のパターンは何世にも渡って共通している可能性すらあります。
いま、人々を選別し、餞別をくれている誰かがいるなら、それは人間以外の天から降る雨のような何かです。
綾は経(たて)糸と緯(よこ)糸です。
経糸は天の意図であり、
緯糸は人の意図です。
人間活動をしている緯(よこ)糸=水平に動くエネルギー(エゴ)の糸は疲弊し、いま途方にくれているかもしれません。
ですが同時に経(たて)糸の存在を忘れるわけにはいかないのです。
いまは特に、忘れるわけにはいきません。
この織物は実在しています。
大学教授は経糸の存在を「妄想」だと言うかもしれません。ですから、この糸を信じるかは個々の勘に委ねられています。
3年後ではありません。いまです。いま、経(たて)糸がある、と確信できている人は、
現状の右往左往の緯(よこ)糸、日々の苦しみが神と人の共同作業による「織物」である視野を自覚できるのです。いまこの峠にそれは必要な視座だと思うのです。n


最後の審判は「各自の中の良心」神の点数で行われることは、本当に天人界の住人ならば既に知っていることですが、何故に「愛」ではなくて「良心」の判定でされるのかと言いますと、愛では事の正邪(よしあし)が判定出来ないからです。(20150805公園さん)


神一厘の仕組みとは?。「一八十(イワト)」の仕組みの戦場で「白黒」の決着をつけましょうか!。なのか。
2015.10.17 Saturday - 07:17 - by ○○公園


私は子供の頃、「旧約聖書の神」と名乗る声から教えを受けていました。無論、それが本当にそうなのかを確かめるチカラもありませんでした。ただ、そうした声が聞こえることは、親に話しても信じて貰えることではないことぐらいは解っておりましたので、親には黙していました。
当然に子供ですから何も難しい内容ではありません。ただ、その声は「私はこの世の幕を引くにあたって、そなたをこの世に遣わした。この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国であり、そなたはこの国に満ちあふれているものの中から私の仕組みを知り、それを人々に告げなさい」でした。
また、「そなたが歩く道は、これまで人類の中で誰一人として歩いたことがない道で、そなたが最初の者となり。そなたの後にそなたと同じ道を歩く者は出ず。そなたをもってその道は終わりにる」と告げられました。ただ、私が歩く「終わり」の道とは何の意味かと思っておりました。


私は自分が「人類の誰一人として歩いたことがない道」を行く。それは日本の国に満ちあふれている日本語で【創造神の仕組み】を紐解くことだとは、その当時は思ってもいませんでした。 私は日本語の仕組みで「創造神」を説いては来ましたが、ほとんどの方は私が【言葉遊び】をしていると取られたようです。そうではなくて、「人類の誰一人として歩いたことがない道」だからです。
豊受の神があなたは言葉で神々に教えをする御方、その言葉が聞けぬという神は如何なる神であっても天帝に対する反逆罪で裁かれると私に告げられたのも、それが理由だったかも知れません。ですから、私の言葉の仕組み。例えば「米」の教えがそうですが、その教えを聞かれた方は旧約聖書の神と名乗った声が、そうした者達は救うと言われたのでしょう。


大本教神諭の予告に「九つ花に咲く一輪の言霊の経綸」を誠で紐解く方が唯一人出るとあります。たった一人しか解けないとは、如何なることなのかと思っておりました。
その九つ花から、仏教で説かれるお釈迦様の死後、五六億七千万の時、この世の終わりの前に現れて、人々が忘れ去ってしまったお釈迦様の悟りを人々に告げて、そのお釈迦様の悟りを知った人々達を未来の世に渡す「みろく」の意味が紐解けたわけです。


いくら何でもお釈迦様の死後、五十六億七千万後はあまりにも途方も無い数字で、あり得ないとは思っておりましたが、「九つ花」を紐解けば確かに「みろく」の仕組みは五十六億七千万を秘めていたわけです。これは大本教霊界物語でも日月神示でも各宗教開祖でも「九つ花」を紐解かない限り、誰をもってしても意味が解らないことだったのです。出口王仁三郎聖師ですら、解けてはおられなかったわけです。


大本教神諭に綾部で「九つ花」が咲いたならば、万古末代枯れぬ花であるぞよとありますが、綾部から離れた土地では「九つ花」は咲かないものだったのです。例えば美濃尾張から「41」の仕組みで飛騨の高山に神殿を建てた教団がありますが、日本のどこであれ「綾部」を離れていると「良心神」の教えは出せなかったわけです。
日本の各宗教の神典でも「九つ花」を紐解いた上で、あるいは九つ花を紐解く為の大本教神典のようなものでなければ、さほど意味はないと言えます。
私は大本教の大幹部が言霊の講義で、「あ」は東になんぼ、西になんぼ、「あ」の言霊に幾つかの働きがある式のことしか言われないので、大本教の大幹部ですらこれではもうどうしょうもないと、大本教には見切りをつけました。創造神はそんなことを人々に教えたいわけではないのです。 そんな言霊の働き云々は枝葉の神の論理に過ぎないことなのです。それで、どうやって「みろく」の意味に辿り着けると言うのでしょうか?。


その「九つ花」で、お釈迦様の悟りは「悪魔は実体を持たない現れであり、人には良心と呼ばれる神が内在する」が見事に出せたわけです。イエスの教えは邪神達に支配された牧師達の手によってねじ曲げられたと言われておりますが、お釈迦様の悟りもほぼ消された状態になっていたわけです。
私が子供の時、私に臨んだ旧約聖書の神と名乗る声は、「そなたはイエスの愛の教えを何一つ恐れずに乗り越えて行け」と告げられました。子供の私はイエスの愛の教え以上の物があるのかと不思議に思っておりました。


だが、ヴェーダ典の奥義書にあるとされる「人の中に眠るコブラ(蛇)が目覚めて走り上がる時、その人は真理に目覚める」を体験したのです。その時、私にはお釈迦様は正しく説かれたが、イエスは出せなかった。その二人の教えの違いに「真理」があると何故か思ったのです。
お釈迦様は正しく説けても、イエスは説けなかった事柄とは何か?。そんな時に私が見せられたものは、イエスのパンの教えは美味なれども真ん中が抜けたドーナツ型。イエスの教えは、真ん中が出ていないなのです。愛の教えでは、魂の真ん中たる「核芯」が出せないのです。
日本の神智学では、愛しか説けぬ者は蛇霊に支配された者としますが、蛇の字の意味が真ん中を無視(虫)した船の它(舵)が取れない者で、「直」の意味が理解出来ないのです。


ロゴスで言いますと、キリストとは神の油を塗られし者ではなくて、【真理(ダルマ)】を意味した言葉です。で、「真理(ダルマ)・キリスト」の事柄である以上、自分が「キリスト」と名乗る者は全てニセ者の演技となるのです。
私が子供の頃に旧約聖書の神と名乗る声は、イエスのことを「ナザレのイエス」と言われて、一言も彼が「キリスト」とは言われませんでした。そして、ナザレのイエスは神の子であれども、「我が子」にはあらずと私に告げられたのです。それは私にしても大ショックなことでした。 不思議なもので、宇宙の子と書くと「字」になります。宇宙創造神が遣わした子は文字の「字」の仕組みの意味となっていたわけです。大本教出口王仁三郎聖師の霊が私の前に現れて「漢字」だよと教えられたのもそこにあります。


余談ですが、私の元には「自分が過去聖母マリアであった者で、今の自分の子供が唯一神の魂でキリストである」とメールをして来られた方があります。その方が見せられた光景に大本教の出口王仁三郎聖師霊は地獄界に閉じ込められていると言われますが、それは単にその方を支配する霊が見せて来た光景にしか過ぎないのです。自分が見せられた光景だけを信じるは騙されるに入ります。
優秀な霊能者達は大本教の出口王仁三郎聖師を尊敬されるように、御本人がイエスに何も劣らないと言われたように高い世界の方で、スピリチュアルで届く世界の存在の方ではありません。その器量は非常に大きかった。その世界まで行けるスピリチュアルの方など一人も存在しておられないでしょう。


旧約聖書では、主の御子とされる者は人類の終わりの時に現れる存在で、イエスはそれには該当していません。一部の人達が「キリスト=マイトレーヤー(みろく)」とされていますが、「九つ花」を見る限り理には適っていますが。しかしながら、それは「みろく(369)」であり「キリスト(真理)」でも、言葉(ロゴス)であって人たる存在の意味ではなかったことになります。 私が世に「九つ花」を紐解いて出すことは、ある意味世の「終わり」を告げたことになるかも知れません。そして、私が「九つ花」を紐解いて出した「良心」神とは日本神道では「直霊」と呼ばれるものであり、その立場は「主の御子」となります。イエス一人が神の子など、元々ない話なのです。


人は誰しも、【人は神の子・神の宮】なのです


ただ、そのことを忘れ去って邪神達の容器になっていたりするのです。その為には人は天帝の分魂である「良心」神の存在に目覚めなければならないのです。愛の目覚めではないのです。


その「直霊」たる良心神の存在を出す時は今の世ではなくて、新しい世に向けてのものとなります。今の世に生きる者は全て死ななければならないのです。そうしないと各自の「主の御子」たる直霊(天帝の分魂・良心神)が出ません。


大本教の出口王仁三郎聖師は大天使「ミカエル」などは存在していないと述べておられますが、これは「巳(蛇)帰る(ミカエル)」の言葉のことなのです。ミカエルの意味は聖書に記される人類の原罪の蛇(巳)たる源を帰すことです。「巳(蛇)帰る」でないと「エデンの園」には戻れないのです。


大本教神諭にこの神が他の神を誑かして使って来たとあります。最初、創造神たる神が「誑かす」などの言葉を使うだろうかと疑問に思いましたが、どの御神霊も言霊・言葉の意味を理解されておりませんでした。それでは「狂った言葉」となるので「誑かされた」ともなります。
全て創造神の仕組みの前に騙された霊、踊った霊が自分は天使長「ミカエル」などの名乗りをするのです。誰も調べても解らないから頭からそうだと信じ込んでしまうのです。


それは騙される人に【己が器量】が解っていないなのです。たいした器量が無い方に高級霊を降ろせば「発狂」します。さほどの器量が無い人に降りて来るのは蛇霊や野狐霊や狸霊がほとんどなのです。


自分にお釈迦様とかイエスとか聖母マリアとかミカエルとか天照と呼ぶ存在が降りて来たならば、自分はそんな存在が降りて来るほどの者なのか?。まず自分の器量と照らし合わせて疑ってみるべきなのです。私は自分を疑って疑って、幾多の霊能者の方に自分の霊査を頼みました。多くの霊能者に当たって7~8名の方から貴方の本守護神は「国常立尊」様ですと告げられて、かも知れないと思っている程度です。
私は常に自分は「騙されている者」ではないかと疑っています。この世に関わる霊界には「嘘」言う霊が闊歩しているからです。そこから真実を知ると言うのは、大変な労力を必要とします。


が、私は「言葉の仕組み」を解読しました。それは誰も解読しなかった道。それだけは事実なのです。嘘を言う霊達には「言葉の仕組み」など出来ないからです。


大本教の出口王仁三郎聖師は、本当のミカエルとは「伊都能売(イヅノメ)神のミカエル(省みる)」と述べておられます。この伊都能売神はいろいろ論議されておりますが、日本神道で言う「神直日・大直日」の子の働きのことで、ひらたく言えば人には内在している「良心」神の働きなのです。
一部のサイキッカーや神通力者に過ぎませんが、最後の審判は各自の「良心神」で判定されると言われるのも、それが私達の魂の中にある主の直霊たる分魂だからです。


良心神=「巳(蛇)帰る(ミカエル)」そのもの


「キリスト」とは「真理(ダルマ)」のこと


しかし、大本教神諭が予告した「九つ花」で人々が忘れ去ってしまったお釈迦様の本当の悟りは出せたとしても、イエスの愛の教えを乗り越えているとしても、それは「神一厘の仕組み」とは言えません。
では、本当の「神一厘の仕組み」とは何なのでしょう?。
それは前回のブログで出した「一厘と九分九厘の違いが」基礎となります。





上記の図は、ある方向から見た場合で、当然にピラミッド型であれば東西南北の四方が存在するのです。それが下位の図です。これを見て、解りませんか?。





その全体図を上から見ますと、四方の下辺は「十九」路となるのです。私は「九つ花」は「将棋盤」で解きました。将棋は「駒」を動かすので言霊という「句」を知ることになります。大本教神諭予告の「九つ花に咲く一輪の言霊の経綸」です。


一方、下辺が「十九」路とは「囲碁盤」で線上(戦場)の戦いを意味して来ます。すなわち「白黒」の決着をつける「神界最終戦争」を語るのです。この場合の白黒とは善悪という単純なことではなくて、国常立尊派と反国常立尊派の「未来永劫」の世を賭けての戦いなのです。
一部のサイキッカーや神通力者の方々は、国常立尊(旧約聖書の神)指揮の天軍は全て準備を終えていると言われていますが、今は戦いに入る前に反国常立尊派の神々に対して「降伏」を促している「静かな」期間なのかも知れません。それはこの地上界の戦いではなくて、神界戦争なので地上界に居る私達には、この戦いに関してはよく解らないのです。


既に天使のラッパは吹かれていますが
今は静かだな!(開戦前の静けさの時)


その静かな時が後どれほど続くのか?。それは数年に渡るか。あるいは明日なのかさえ誰にも解らないのです。ただ、準備は既に完了しているなのです。


出口王仁三郎聖師も岡本天明氏もこの「神一厘の仕組み」に関して説明をされておりませんので、今回、ようやく私が解けたということは「最終局面」に近づいて来たのかも知れません。





私は「九つ花」の仕組みが「将棋盤」形式になっていることに気づいて説いて来ましたが、「九つ花」を紐解いた当時に【囲】の漢字が幾度も出て来ました。しかし私には、この「囲」の漢字が何を告げているのか、さっぱり解りませんでした。時には井戸枠のことなのか?。天井の「井」を囲むことなのか?。はたまた「丼」かと、かなり頭を悩ましていました。
片や将棋盤なので囲碁盤とも思えたのですが、囲碁をたしなむ私でも囲碁盤を見ていても意味が解けきれませんでした。真ん中が「181」に成る程度のことです。九つ花と同様に「十九花」で解こうとしても解けません。


ただ、十九は【卆】の時、これまでの世の終わり【卆業】を秘めて来ます。


だが、前回のブログで出した「九分九厘と一厘」の図で、「囲碁盤」の意味がやっと掴めたのです。この天元たる一厘は、19×19であっても、やはり「一厘」となっているのです。この場合は「言霊」の意味ではないのです。
国常立尊様にお仕えする「意思(石)」ある者です。


下記にある図は便宜上解りやすく説明する為に□のマス目にしてありますが、囲碁は線上(戦場)の戦いなのです。その場合、角を接する場所はダブリますのでその碁石の総数は19×19で「361」となります。
その「361」の真ん中は「天元」と呼ばれています。実際の碁では場所をかまわず入り乱れて「白黒」で戦いますので、石を打つ場所は天元に打ち込んでもかまわないのですが、神界ピラミッドは天元は「創造神」の場所なので、国常立尊派を「白」として、反国常立尊派を「黒」とした場合、白数が多いのか、黒数が多いのかで神界の勢力は決着します。


そこにあるのは、常に勝てば「官軍」。負ければ「賊軍」。国常立尊派から見れば反国常立尊派は邪神になりますが、反国常立尊派から見ると、国常立尊は悪神とか邪神と呼ばれます。そして、国常立尊は邪神・悪神の汚名を着られたわけです。


一部のマリア霊とかミカエル霊ばかりを言っておられるスピリチュアルの人達は、創造神であるにも関わらず国常立尊は悪神とか邪神だと言っておられるのは、ほとんどのスピリチュアルの方達は反国常立尊派の神々に所属されておられるからです。為に日本人でありながら、日本の神を軽んじておられるわけです。
大本教神諭に、この神(ウシトラ金神国常立尊)が負ければ、邪神達に従ってやる(家来にもなる)とあるのは、誰も戦いたくはないのです。が、天帝は最後の腹を固められた神界の戦いとなるのです。この戦いを持って神界の全面戦いは永久に終わります。最終戦です。神界最終戦を経ますので、みろくの世は未来永劫となるのです。


問題は天帝の御意志(碁石)をどう読むかです。


本来の宇宙エネルギーは「プラス(善)とマイナス(悪)」で均衡が取れます。悪もマイナスエネルギーとして必要なのです。天国と地獄で釣り合い。善と悪とで釣り合うはエネルギーの問題があるからです。


賭け事の博打においても、「丁半コマ揃いました」でないと勝負は出来ないわけです。片方が勝って、片方が負ける。誰かが浮かべば誰かが沈む。
この丁半が揃う時は、囲碁盤では一八十(イワト)と一八十(イワト)がぶつかるわけです。


が、今は数から言えば邪神の方が数的には圧倒的に多いのです。例えば邪神に支配された宗教団体は数多くありまして、それらの教団は熱心な信徒を多数持ちます。オーム真理教や法之華などは氷山の一角にしか過ぎません。口に出して大声で言うわけには行きませんが、かなりの大教団にも上辺は主(ス)神と言いながら、明らかに反国常立尊派が見られます。国常立尊様の名を一切言わずに、違う神名を語っているはずなのです。そんなに国常立尊の名を言いたくないのか! なのです。それらの教団は信徒を騙しているのです。
何故、国常立尊様は出口王仁三郎聖師を使われて、まず「ス」神論で走り、次に「ラ」神論でお釈迦様の悟りを告げる「みろく」の仕組みをなされたのか?。大本教神諭に、どの神も「肝心要」のことは知っていないとありますように、偉そうな態度で宗教を起こした御神霊も何も解っていなかったとなります。


出口王仁三郎聖師が「人は邪教の真理に狂うことを覚るべし」と残しておられますが、気がついた時点でその宗教団体を抜けないと、その宗教団体が改心するなるなどいくら期待しても、逆に邪神が説く真理に飲み込まれて行くだけです。


スピリチュアルの世界を見れば、自分にはマリア霊とかミカエルが降りて来る式で、ある程度名を売ると、大金を巻き上げる式になって行きます。ほとんどの方はその人の背後に居る霊の正体が解らないからです。簡単に騙されるのです。


スピの世界とは【鴨がネギ(金)を背負って飛び込んで来る】世界だからです。ですから、自分も金儲けでスピリチュアルをやろうかと言う方達が続出します。愛だけを言い、自分には創造神からメッセージが降りて来ると言っても誰も解らない世界だからです。
そんな中で、果たして白(国常立尊派)が「一八十」も揃うかとなりますと、私も言葉の仕組みを解きながら、どうかなと疑問は持ちます。


大本教の出口王仁三郎聖師は、正神界180段。邪神界180段と言われた意味は、「碁盤」を見れば解ることだったのです。私はこれまで、180を〇(円)の半分で見ていたので意味が解らなかったのです。
誰でも〇(円)だと、一八十(イワト)の意味が解けきれないのです。


碁は、千手は「黒」から始まり、「白」は後手、では、十九路盤を端から先手、後手と並べて行きますと、どちらも180手打ったところで真ん中の「天元」が残ります。そこに先番の黒を打てば、全白は死んだことになる全面黒勝ちです。それならば常に黒が勝っていなければなりません。しかし黒は先手だからと「181」の位地に打てるかと言えば、ここは「天帝」の位地なので打てないのです。
そうしますと、黒(反国常立尊派)は国常立尊派を切り崩すか、天帝を取り込むより勝てないわけです。国常立尊御引退劇には、邪神達の国常立尊様の厳格な行為に対するそしりから「天之御中主」様もやむなしとして、「国常立尊」様に地上神界の主宰神から退く様に命じられて、代わりにゼウス(木星神)たる盤古大神が地上神界の主宰神と成られた経緯があるわけです。 盤古大神は悪神ではあられませんが、悪神達を押し切ることは出来なかったわけです。悪神達がお飾りの主宰神として担ぐには適されておられたのです。鬼より怖い「国常立尊」様ではなかったわけです。


私は鍾馗神の御案内で将軍神霊をきら星のごとく従えた盤古大神に拝謁した時、何が何だかさっぱり意味が解りませんでした。だいたい盤古大神などそれまで知る由もない神だったからです。 大本教の出口王仁三郎氏が「181」を言われたのは、そこにあるのです。


では、創造神が中立を宣言された場合、黒180対白180だと同数で引き分けかと言いますと、囲碁の世界では同数は「持碁」と言い、白勝ちのルールになります。その上に今回は「天之御中主」様が「国常立尊」の地上神界の主宰神に復帰を認められましたので、全宇宙に対する「大立替」となるのです


正義は絶対に負けないと言うのは、善悪(白黒)揃った場合、白(正義)は必ず勝利するのです。しかし、現実には正義は勝利していません。それはこれまで白側が「一八十」の勢力を揃えるまでになっていなかったからとも言えます。


大本教神諭に、時節には神も適わないがありますが、一八十(イワト)として揃うこともまた時節の意味なのかも知れません。





本当の「神一厘の仕組み」とは、この天元(天の主宰神)のチカラを加えて、その「一八十」を揃えてしまうことです。その時がイワト(一八十)開けです。


私が出しているのは、しょせんは「言葉の仕組み」の解説で、残念ながらほとんど世に受け入れられてはおりません。私は現実界を仕切るだけの霊能力を持ちませんので言葉の仕組みを紐解いて、訴えるより道はありません。


いくら「言葉の上での仕組み」であったとしても、ここまで言葉の仕組みをして来た神と言うのは、私達の人智の及ぶ神ではありません。お釈迦様もモーゼもイエスもマホメットも弘法様も日蓮様も、全てこの神の仕組みの上では役者であったのに過ぎないのです。
ミカエルとは「巳(蛇)帰る」であり、天照とは「あまねく照らす」であり、全て言葉の上での役割を演じている神の役者なのです。伊勢神宮に鎮座されている天照大御神と称される男神は、ある御神霊です。これは私も予想外の御神霊でした。私が子供の時に告げられたように、私達は日本神話に一杯喰らわされていたのです。
伊勢の天照大御神様は私に「鶴と亀」を見せてくださった。それは「かごめ歌」を教える為でした。自分の後ろの正面を知りなさいです。私の最初の師匠からも、あなたはあなたの後ろが見えていないと叱られて来ましたが、自分には後ろの正面は見えないのです。


私は伊勢神宮に鎮座されている御神霊が誰かと知った時、その御神霊は国常立尊派であり、反国常立尊派の御神霊ではありません。何故に、日本の歴史的には考えられない複雑な仕組みが神界にはなされているのかと思いましたが、スピリチュアルで自分に天照大御神がメッセージを送って来られる式の方があまりにも多い。そうしたスピリチュアルに懸かっている霊達を最後は全て捕まえて、処断する計画なのかも知れません。


大本教神諭。【節分の炒り豆にも花が咲く】。節分の夜に「鬼と云う(魂)」者が追われている。果て、これはどういうことかと言葉の仕組みを追って来たならば、そこにはスピリチュアルで言うマリアとかミカエルだとか、そんな小さな存在を遙かに凌ぐ神の存在が見えて来たのです。


最後の幕を引く為に、天理、金光、黒住と先走り。大本教で神の仕組みを完成させて、一人でも多く助けてやりたいと思われる日本の国祖神「国常立尊」様の親神心、されど解らぬ者はやむなしとなります。
03 2024/04 05
S M T W T F S
20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
HN:
Fiora & nobody