選別者(餞別者)は人間か?


人間のはずがない、と感じています。こういう識別の最も得意な人々こそ、天の意識拡大鏡を持つ方々であり、嘘は一切通じず、隠された動機を一つ一つ本人に解説した上で、人生のイベントの裏に織り込まれた背景を説明してくださるかもしれません。主な理由は過去に積み上げたものの「解消」です。
解消しないと前に進めないから肉体を構成してまでやり直すのです。
すべては神の御許に向かいますし、動機はみな広義にはそれですが、個人芸で積み上げた山の登頂ルートは個別の癖の塊です。歩き方、愚痴のこぼし方、同行者への八つ当たりの仕方、天候への文句にも決め台詞があり、リタイアと言って投げ出す時のパターンは何世にも渡って共通している可能性すらあります。
いま、人々を選別し、餞別をくれている誰かがいるなら、それは人間以外の天から降る雨のような何かです。
綾は経(たて)糸と緯(よこ)糸です。
経糸は天の意図であり、
緯糸は人の意図です。
人間活動をしている緯(よこ)糸=水平に動くエネルギー(エゴ)の糸は疲弊し、いま途方にくれているかもしれません。
ですが同時に経(たて)糸の存在を忘れるわけにはいかないのです。
いまは特に、忘れるわけにはいきません。
この織物は実在しています。
大学教授は経糸の存在を「妄想」だと言うかもしれません。ですから、この糸を信じるかは個々の勘に委ねられています。
3年後ではありません。いまです。いま、経(たて)糸がある、と確信できている人は、
現状の右往左往の緯(よこ)糸、日々の苦しみが神と人の共同作業による「織物」である視野を自覚できるのです。いまこの峠にそれは必要な視座だと思うのです。n


最後の審判は「各自の中の良心」神の点数で行われることは、本当に天人界の住人ならば既に知っていることですが、何故に「愛」ではなくて「良心」の判定でされるのかと言いますと、愛では事の正邪(よしあし)が判定出来ないからです。(20150805公園さん)


神一厘の仕組みとは?。「一八十(イワト)」の仕組みの戦場で「白黒」の決着をつけましょうか!。なのか。
2015.10.17 Saturday - 07:17 - by ○○公園


私は子供の頃、「旧約聖書の神」と名乗る声から教えを受けていました。無論、それが本当にそうなのかを確かめるチカラもありませんでした。ただ、そうした声が聞こえることは、親に話しても信じて貰えることではないことぐらいは解っておりましたので、親には黙していました。
当然に子供ですから何も難しい内容ではありません。ただ、その声は「私はこの世の幕を引くにあたって、そなたをこの世に遣わした。この国(日本)は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国であり、そなたはこの国に満ちあふれているものの中から私の仕組みを知り、それを人々に告げなさい」でした。
また、「そなたが歩く道は、これまで人類の中で誰一人として歩いたことがない道で、そなたが最初の者となり。そなたの後にそなたと同じ道を歩く者は出ず。そなたをもってその道は終わりにる」と告げられました。ただ、私が歩く「終わり」の道とは何の意味かと思っておりました。


私は自分が「人類の誰一人として歩いたことがない道」を行く。それは日本の国に満ちあふれている日本語で【創造神の仕組み】を紐解くことだとは、その当時は思ってもいませんでした。 私は日本語の仕組みで「創造神」を説いては来ましたが、ほとんどの方は私が【言葉遊び】をしていると取られたようです。そうではなくて、「人類の誰一人として歩いたことがない道」だからです。
豊受の神があなたは言葉で神々に教えをする御方、その言葉が聞けぬという神は如何なる神であっても天帝に対する反逆罪で裁かれると私に告げられたのも、それが理由だったかも知れません。ですから、私の言葉の仕組み。例えば「米」の教えがそうですが、その教えを聞かれた方は旧約聖書の神と名乗った声が、そうした者達は救うと言われたのでしょう。


大本教神諭の予告に「九つ花に咲く一輪の言霊の経綸」を誠で紐解く方が唯一人出るとあります。たった一人しか解けないとは、如何なることなのかと思っておりました。
その九つ花から、仏教で説かれるお釈迦様の死後、五六億七千万の時、この世の終わりの前に現れて、人々が忘れ去ってしまったお釈迦様の悟りを人々に告げて、そのお釈迦様の悟りを知った人々達を未来の世に渡す「みろく」の意味が紐解けたわけです。


いくら何でもお釈迦様の死後、五十六億七千万後はあまりにも途方も無い数字で、あり得ないとは思っておりましたが、「九つ花」を紐解けば確かに「みろく」の仕組みは五十六億七千万を秘めていたわけです。これは大本教霊界物語でも日月神示でも各宗教開祖でも「九つ花」を紐解かない限り、誰をもってしても意味が解らないことだったのです。出口王仁三郎聖師ですら、解けてはおられなかったわけです。


大本教神諭に綾部で「九つ花」が咲いたならば、万古末代枯れぬ花であるぞよとありますが、綾部から離れた土地では「九つ花」は咲かないものだったのです。例えば美濃尾張から「41」の仕組みで飛騨の高山に神殿を建てた教団がありますが、日本のどこであれ「綾部」を離れていると「良心神」の教えは出せなかったわけです。
日本の各宗教の神典でも「九つ花」を紐解いた上で、あるいは九つ花を紐解く為の大本教神典のようなものでなければ、さほど意味はないと言えます。
私は大本教の大幹部が言霊の講義で、「あ」は東になんぼ、西になんぼ、「あ」の言霊に幾つかの働きがある式のことしか言われないので、大本教の大幹部ですらこれではもうどうしょうもないと、大本教には見切りをつけました。創造神はそんなことを人々に教えたいわけではないのです。 そんな言霊の働き云々は枝葉の神の論理に過ぎないことなのです。それで、どうやって「みろく」の意味に辿り着けると言うのでしょうか?。


その「九つ花」で、お釈迦様の悟りは「悪魔は実体を持たない現れであり、人には良心と呼ばれる神が内在する」が見事に出せたわけです。イエスの教えは邪神達に支配された牧師達の手によってねじ曲げられたと言われておりますが、お釈迦様の悟りもほぼ消された状態になっていたわけです。
私が子供の時、私に臨んだ旧約聖書の神と名乗る声は、「そなたはイエスの愛の教えを何一つ恐れずに乗り越えて行け」と告げられました。子供の私はイエスの愛の教え以上の物があるのかと不思議に思っておりました。


だが、ヴェーダ典の奥義書にあるとされる「人の中に眠るコブラ(蛇)が目覚めて走り上がる時、その人は真理に目覚める」を体験したのです。その時、私にはお釈迦様は正しく説かれたが、イエスは出せなかった。その二人の教えの違いに「真理」があると何故か思ったのです。
お釈迦様は正しく説けても、イエスは説けなかった事柄とは何か?。そんな時に私が見せられたものは、イエスのパンの教えは美味なれども真ん中が抜けたドーナツ型。イエスの教えは、真ん中が出ていないなのです。愛の教えでは、魂の真ん中たる「核芯」が出せないのです。
日本の神智学では、愛しか説けぬ者は蛇霊に支配された者としますが、蛇の字の意味が真ん中を無視(虫)した船の它(舵)が取れない者で、「直」の意味が理解出来ないのです。


ロゴスで言いますと、キリストとは神の油を塗られし者ではなくて、【真理(ダルマ)】を意味した言葉です。で、「真理(ダルマ)・キリスト」の事柄である以上、自分が「キリスト」と名乗る者は全てニセ者の演技となるのです。
私が子供の頃に旧約聖書の神と名乗る声は、イエスのことを「ナザレのイエス」と言われて、一言も彼が「キリスト」とは言われませんでした。そして、ナザレのイエスは神の子であれども、「我が子」にはあらずと私に告げられたのです。それは私にしても大ショックなことでした。 不思議なもので、宇宙の子と書くと「字」になります。宇宙創造神が遣わした子は文字の「字」の仕組みの意味となっていたわけです。大本教出口王仁三郎聖師の霊が私の前に現れて「漢字」だよと教えられたのもそこにあります。


余談ですが、私の元には「自分が過去聖母マリアであった者で、今の自分の子供が唯一神の魂でキリストである」とメールをして来られた方があります。その方が見せられた光景に大本教の出口王仁三郎聖師霊は地獄界に閉じ込められていると言われますが、それは単にその方を支配する霊が見せて来た光景にしか過ぎないのです。自分が見せられた光景だけを信じるは騙されるに入ります。
優秀な霊能者達は大本教の出口王仁三郎聖師を尊敬されるように、御本人がイエスに何も劣らないと言われたように高い世界の方で、スピリチュアルで届く世界の存在の方ではありません。その器量は非常に大きかった。その世界まで行けるスピリチュアルの方など一人も存在しておられないでしょう。


旧約聖書では、主の御子とされる者は人類の終わりの時に現れる存在で、イエスはそれには該当していません。一部の人達が「キリスト=マイトレーヤー(みろく)」とされていますが、「九つ花」を見る限り理には適っていますが。しかしながら、それは「みろく(369)」であり「キリスト(真理)」でも、言葉(ロゴス)であって人たる存在の意味ではなかったことになります。 私が世に「九つ花」を紐解いて出すことは、ある意味世の「終わり」を告げたことになるかも知れません。そして、私が「九つ花」を紐解いて出した「良心」神とは日本神道では「直霊」と呼ばれるものであり、その立場は「主の御子」となります。イエス一人が神の子など、元々ない話なのです。


人は誰しも、【人は神の子・神の宮】なのです


ただ、そのことを忘れ去って邪神達の容器になっていたりするのです。その為には人は天帝の分魂である「良心」神の存在に目覚めなければならないのです。愛の目覚めではないのです。


その「直霊」たる良心神の存在を出す時は今の世ではなくて、新しい世に向けてのものとなります。今の世に生きる者は全て死ななければならないのです。そうしないと各自の「主の御子」たる直霊(天帝の分魂・良心神)が出ません。


大本教の出口王仁三郎聖師は大天使「ミカエル」などは存在していないと述べておられますが、これは「巳(蛇)帰る(ミカエル)」の言葉のことなのです。ミカエルの意味は聖書に記される人類の原罪の蛇(巳)たる源を帰すことです。「巳(蛇)帰る」でないと「エデンの園」には戻れないのです。


大本教神諭にこの神が他の神を誑かして使って来たとあります。最初、創造神たる神が「誑かす」などの言葉を使うだろうかと疑問に思いましたが、どの御神霊も言霊・言葉の意味を理解されておりませんでした。それでは「狂った言葉」となるので「誑かされた」ともなります。
全て創造神の仕組みの前に騙された霊、踊った霊が自分は天使長「ミカエル」などの名乗りをするのです。誰も調べても解らないから頭からそうだと信じ込んでしまうのです。


それは騙される人に【己が器量】が解っていないなのです。たいした器量が無い方に高級霊を降ろせば「発狂」します。さほどの器量が無い人に降りて来るのは蛇霊や野狐霊や狸霊がほとんどなのです。


自分にお釈迦様とかイエスとか聖母マリアとかミカエルとか天照と呼ぶ存在が降りて来たならば、自分はそんな存在が降りて来るほどの者なのか?。まず自分の器量と照らし合わせて疑ってみるべきなのです。私は自分を疑って疑って、幾多の霊能者の方に自分の霊査を頼みました。多くの霊能者に当たって7~8名の方から貴方の本守護神は「国常立尊」様ですと告げられて、かも知れないと思っている程度です。
私は常に自分は「騙されている者」ではないかと疑っています。この世に関わる霊界には「嘘」言う霊が闊歩しているからです。そこから真実を知ると言うのは、大変な労力を必要とします。


が、私は「言葉の仕組み」を解読しました。それは誰も解読しなかった道。それだけは事実なのです。嘘を言う霊達には「言葉の仕組み」など出来ないからです。


大本教の出口王仁三郎聖師は、本当のミカエルとは「伊都能売(イヅノメ)神のミカエル(省みる)」と述べておられます。この伊都能売神はいろいろ論議されておりますが、日本神道で言う「神直日・大直日」の子の働きのことで、ひらたく言えば人には内在している「良心」神の働きなのです。
一部のサイキッカーや神通力者に過ぎませんが、最後の審判は各自の「良心神」で判定されると言われるのも、それが私達の魂の中にある主の直霊たる分魂だからです。


良心神=「巳(蛇)帰る(ミカエル)」そのもの


「キリスト」とは「真理(ダルマ)」のこと


しかし、大本教神諭が予告した「九つ花」で人々が忘れ去ってしまったお釈迦様の本当の悟りは出せたとしても、イエスの愛の教えを乗り越えているとしても、それは「神一厘の仕組み」とは言えません。
では、本当の「神一厘の仕組み」とは何なのでしょう?。
それは前回のブログで出した「一厘と九分九厘の違いが」基礎となります。





上記の図は、ある方向から見た場合で、当然にピラミッド型であれば東西南北の四方が存在するのです。それが下位の図です。これを見て、解りませんか?。





その全体図を上から見ますと、四方の下辺は「十九」路となるのです。私は「九つ花」は「将棋盤」で解きました。将棋は「駒」を動かすので言霊という「句」を知ることになります。大本教神諭予告の「九つ花に咲く一輪の言霊の経綸」です。


一方、下辺が「十九」路とは「囲碁盤」で線上(戦場)の戦いを意味して来ます。すなわち「白黒」の決着をつける「神界最終戦争」を語るのです。この場合の白黒とは善悪という単純なことではなくて、国常立尊派と反国常立尊派の「未来永劫」の世を賭けての戦いなのです。
一部のサイキッカーや神通力者の方々は、国常立尊(旧約聖書の神)指揮の天軍は全て準備を終えていると言われていますが、今は戦いに入る前に反国常立尊派の神々に対して「降伏」を促している「静かな」期間なのかも知れません。それはこの地上界の戦いではなくて、神界戦争なので地上界に居る私達には、この戦いに関してはよく解らないのです。





(つづき)


既に天使のラッパは吹かれていますが
今は静かだな!(開戦前の静けさの時)


その静かな時が後どれほど続くのか?。それは数年に渡るか。あるいは明日なのかさえ誰にも解らないのです。ただ、準備は既に完了しているなのです。


出口王仁三郎聖師も岡本天明氏もこの「神一厘の仕組み」に関して説明をされておりませんので、今回、ようやく私が解けたということは「最終局面」に近づいて来たのかも知れません。





私は「九つ花」の仕組みが「将棋盤」形式になっていることに気づいて説いて来ましたが、「九つ花」を紐解いた当時に【囲】の漢字が幾度も出て来ました。しかし私には、この「囲」の漢字が何を告げているのか、さっぱり解りませんでした。時には井戸枠のことなのか?。天井の「井」を囲むことなのか?。はたまた「丼」かと、かなり頭を悩ましていました。
片や将棋盤なので囲碁盤とも思えたのですが、囲碁をたしなむ私でも囲碁盤を見ていても意味が解けきれませんでした。真ん中が「181」に成る程度のことです。九つ花と同様に「十九花」で解こうとしても解けません。


ただ、十九は【卆】の時、これまでの世の終わり【卆業】を秘めて来ます。


だが、前回のブログで出した「九分九厘と一厘」の図で、「囲碁盤」の意味がやっと掴めたのです。この天元たる一厘は、19×19であっても、やはり「一厘」となっているのです。この場合は「言霊」の意味ではないのです。
国常立尊様にお仕えする「意思(石)」ある者です。


下記にある図は便宜上解りやすく説明する為に□のマス目にしてありますが、囲碁は線上(戦場)の戦いなのです。その場合、角を接する場所はダブリますのでその碁石の総数は19×19で「361」となります。
その「361」の真ん中は「天元」と呼ばれています。実際の碁では場所をかまわず入り乱れて「白黒」で戦いますので、石を打つ場所は天元に打ち込んでもかまわないのですが、神界ピラミッドは天元は「創造神」の場所なので、国常立尊派を「白」として、反国常立尊派を「黒」とした場合、白数が多いのか、黒数が多いのかで神界の勢力は決着します。


そこにあるのは、常に勝てば「官軍」。負ければ「賊軍」。国常立尊派から見れば反国常立尊派は邪神になりますが、反国常立尊派から見ると、国常立尊は悪神とか邪神と呼ばれます。そして、国常立尊は邪神・悪神の汚名を着られたわけです。


一部のマリア霊とかミカエル霊ばかりを言っておられるスピリチュアルの人達は、創造神であるにも関わらず国常立尊は悪神とか邪神だと言っておられるのは、ほとんどのスピリチュアルの方達は反国常立尊派の神々に所属されておられるからです。為に日本人でありながら、日本の神を軽んじておられるわけです。
大本教神諭に、この神(ウシトラ金神国常立尊)が負ければ、邪神達に従ってやる(家来にもなる)とあるのは、誰も戦いたくはないのです。が、天帝は最後の腹を固められた神界の戦いとなるのです。この戦いを持って神界の全面戦いは永久に終わります。最終戦です。神界最終戦を経ますので、みろくの世は未来永劫となるのです。


問題は天帝の御意志(碁石)をどう読むかです。


本来の宇宙エネルギーは「プラス(善)とマイナス(悪)」で均衡が取れます。悪もマイナスエネルギーとして必要なのです。天国と地獄で釣り合い。善と悪とで釣り合うはエネルギーの問題があるからです。


賭け事の博打においても、「丁半コマ揃いました」でないと勝負は出来ないわけです。片方が勝って、片方が負ける。誰かが浮かべば誰かが沈む。
この丁半が揃う時は、囲碁盤では一八十(イワト)と一八十(イワト)がぶつかるわけです。


が、今は数から言えば邪神の方が数的には圧倒的に多いのです。例えば邪神に支配された宗教団体は数多くありまして、それらの教団は熱心な信徒を多数持ちます。オーム真理教や法之華などは氷山の一角にしか過ぎません。口に出して大声で言うわけには行きませんが、かなりの大教団にも上辺は主(ス)神と言いながら、明らかに反国常立尊派が見られます。国常立尊様の名を一切言わずに、違う神名を語っているはずなのです。そんなに国常立尊の名を言いたくないのか! なのです。それらの教団は信徒を騙しているのです。
何故、国常立尊様は出口王仁三郎聖師を使われて、まず「ス」神論で走り、次に「ラ」神論でお釈迦様の悟りを告げる「みろく」の仕組みをなされたのか?。大本教神諭に、どの神も「肝心要」のことは知っていないとありますように、偉そうな態度で宗教を起こした御神霊も何も解っていなかったとなります。


出口王仁三郎聖師が「人は邪教の真理に狂うことを覚るべし」と残しておられますが、気がついた時点でその宗教団体を抜けないと、その宗教団体が改心するなるなどいくら期待しても、逆に邪神が説く真理に飲み込まれて行くだけです。


スピリチュアルの世界を見れば、自分にはマリア霊とかミカエルが降りて来る式で、ある程度名を売ると、大金を巻き上げる式になって行きます。ほとんどの方はその人の背後に居る霊の正体が解らないからです。簡単に騙されるのです。


スピの世界とは【鴨がネギ(金)を背負って飛び込んで来る】世界だからです。ですから、自分も金儲けでスピリチュアルをやろうかと言う方達が続出します。愛だけを言い、自分には創造神からメッセージが降りて来ると言っても誰も解らない世界だからです。
そんな中で、果たして白(国常立尊派)が「一八十」も揃うかとなりますと、私も言葉の仕組みを解きながら、どうかなと疑問は持ちます。


大本教の出口王仁三郎聖師は、正神界180段。邪神界180段と言われた意味は、「碁盤」を見れば解ることだったのです。私はこれまで、180を〇(円)の半分で見ていたので意味が解らなかったのです。
誰でも〇(円)だと、一八十(イワト)の意味が解けきれないのです。


碁は、千手は「黒」から始まり、「白」は後手、では、十九路盤を端から先手、後手と並べて行きますと、どちらも180手打ったところで真ん中の「天元」が残ります。そこに先番の黒を打てば、全白は死んだことになる全面黒勝ちです。それならば常に黒が勝っていなければなりません。しかし黒は先手だからと「181」の位地に打てるかと言えば、ここは「天帝」の位地なので打てないのです。
そうしますと、黒(反国常立尊派)は国常立尊派を切り崩すか、天帝を取り込むより勝てないわけです。国常立尊御引退劇には、邪神達の国常立尊様の厳格な行為に対するそしりから「天之御中主」様もやむなしとして、「国常立尊」様に地上神界の主宰神から退く様に命じられて、代わりにゼウス(木星神)たる盤古大神が地上神界の主宰神と成られた経緯があるわけです。 盤古大神は悪神ではあられませんが、悪神達を押し切ることは出来なかったわけです。悪神達がお飾りの主宰神として担ぐには適されておられたのです。鬼より怖い「国常立尊」様ではなかったわけです。


私は鍾馗神の御案内で将軍神霊をきら星のごとく従えた盤古大神に拝謁した時、何が何だかさっぱり意味が解りませんでした。だいたい盤古大神などそれまで知る由もない神だったからです。 大本教の出口王仁三郎氏が「181」を言われたのは、そこにあるのです。


では、創造神が中立を宣言された場合、黒180対白180だと同数で引き分けかと言いますと、囲碁の世界では同数は「持碁」と言い、白勝ちのルールになります。その上に今回は「天之御中主」様が「国常立尊」の地上神界の主宰神に復帰を認められましたので、全宇宙に対する「大立替」となるのです


正義は絶対に負けないと言うのは、善悪(白黒)揃った場合、白(正義)は必ず勝利するのです。しかし、現実には正義は勝利していません。それはこれまで白側が「一八十」の勢力を揃えるまでになっていなかったからとも言えます。


大本教神諭に、時節には神も適わないがありますが、一八十(イワト)として揃うこともまた時節の意味なのかも知れません。





本当の「神一厘の仕組み」とは、この天元(天の主宰神)のチカラを加えて、その「一八十」を揃えてしまうことです。その時がイワト(一八十)開けです。


私が出しているのは、しょせんは「言葉の仕組み」の解説で、残念ながらほとんど世に受け入れられてはおりません。私は現実界を仕切るだけの霊能力を持ちませんので言葉の仕組みを紐解いて、訴えるより道はありません。


いくら「言葉の上での仕組み」であったとしても、ここまで言葉の仕組みをして来た神と言うのは、私達の人智の及ぶ神ではありません。お釈迦様もモーゼもイエスもマホメットも弘法様も日蓮様も、全てこの神の仕組みの上では役者であったのに過ぎないのです。
ミカエルとは「巳(蛇)帰る」であり、天照とは「あまねく照らす」であり、全て言葉の上での役割を演じている神の役者なのです。伊勢神宮に鎮座されている天照大御神と称される男神は、ある御神霊です。これは私も予想外の御神霊でした。私が子供の時に告げられたように、私達は日本神話に一杯喰らわされていたのです。
伊勢の天照大御神様は私に「鶴と亀」を見せてくださった。それは「かごめ歌」を教える為でした。自分の後ろの正面を知りなさいです。私の最初の師匠からも、あなたはあなたの後ろが見えていないと叱られて来ましたが、自分には後ろの正面は見えないのです。


私は伊勢神宮に鎮座されている御神霊が誰かと知った時、その御神霊は国常立尊派であり、反国常立尊派の御神霊ではありません。何故に、日本の歴史的には考えられない複雑な仕組みが神界にはなされているのかと思いましたが、スピリチュアルで自分に天照大御神がメッセージを送って来られる式の方があまりにも多い。そうしたスピリチュアルに懸かっている霊達を最後は全て捕まえて、処断する計画なのかも知れません。


大本教神諭。【節分の炒り豆にも花が咲く】。節分の夜に「鬼と云う(魂)」者が追われている。果て、これはどういうことかと言葉の仕組みを追って来たならば、そこにはスピリチュアルで言うマリアとかミカエルだとか、そんな小さな存在を遙かに凌ぐ神の存在が見えて来たのです。


最後の幕を引く為に、天理、金光、黒住と先走り。大本教で神の仕組みを完成させて、一人でも多く助けてやりたいと思われる日本の国祖神「国常立尊」様の親神心、されど解らぬ者はやむなしとなります。



天道別命(モーゼ)でなくて、天路別命(あまじわけのみこと)
2018.06.22 Friday - 00:01 - by ○○公園


私はある霊能者の方とお会いしたところ、その霊能者の方は「貴男の前世はモーゼではないのですか?」と尋ねられたことがあります。私は即座に自分の前世に「モーゼ」の時はありませんと否定はしました。そこは私にも解っているのです。ただ、魂の世界では国常立尊様との関係でモーゼとの関連性があるだけです。


私が子供の頃に臨んで来た霊声は、「私は私であり、旧約聖書の神であり、アブラハムの神であり、そなたの神である」と言って来たことから、それが偽りの神でなければ旧約聖書の神と関連するからです。私は長じて、幾多の霊能者に出会って来たところ、7~8名の霊能者の方から「貴方の本守護神は国常立尊様です。他に天之御中主様、あるいは閻魔大王」と告げられて、アラーの神も記紀神話の創造神も同じと知ったしだいです。


その霊能者の方は私を見ると、何故か「モーゼ」と思われる姿が貴男から出て来ると言われるのです。


この日本に自分は「お釈迦様とモーゼとイエス」を出した永遠の仏陀その者だと名乗っておられて、多数の信徒を持っておられる方もありますが、私の様に大本教神諭を基本解説にしている者からすれば、そうした名乗りをすることが正しいのか疑問には感じるところです。何の証拠も出せないからです。霊的世界に関わっていると、何の証拠も出せないから言った者が勝ちが多々あります。


その人が言っていることが本当なのか?。その【証明】も「反論」も難しいからです。その言葉を信じるか信じないかだけになってしまいます。


私が大本教神諭解説に特化したのは、私が修業中に私の肉体に大本教出口なお開祖と覚しき霊が私に懸かり、それに追随して出口王仁三郎聖師と覚しき霊が懸かり、霊媒通しで出口なお開祖と覚しき霊が【大本教はまな板の鯉。その鯉をどう料理するかは料理人の腕しだい】と言われたことから、大本教をどう料理するか。そこにあったと言えます。


ただ、私の役割にモーゼのような役割があることは否定しません。モーゼは牛頭の像で知られることから、日本で大本教から出された【牛虎金神・国常立尊】と関係があるのではないかと言われています。仏教で言えばお釈迦様の根本道場たる【祇園精舎】の守護神は【牛頭天王】とされています。私も霊界では【牛頭】の姿の存在だったからです。自分が「牛頭の姿」であった光景を見た時、自分は「牛頭の人」かとがっくりもしましたが、そこから【太一】の言葉に行き着くことも出来ました。


そのモーゼはユダヤ人をエジプトから脱出させて【紅海】を渡らせて、四十年間荒野を彷徨って【カナン】の地に行かせるをしたわけです。これは歴史的な事実と言えます。


私は大本教神諭予告の九つ花を解読して、人々に今の地球を脱出させる【後悔】を渡らせて、日本語のアイウエオの「四十」の先の「ラの言霊からみろく(369)の良心神」を説いていますが、その行き先はカナンではなく【華南】と出たのです。


その「華南」とは中国の「華南」省の形式を取りますが、中国そのものではなくて鮮やかな花(華)が一面に咲く南の世界と言う意味です。天国は【お花畑】だと言われるように、美しい花が咲き誇っているからです。天国世界に渡る意味が「カナン」だと考えられるのです。


私が子供の頃に臨んで来た霊声は、【私は私であり、アブラハムの神であり、そなたの神である。旧約聖書の神であり。我の書は旧約聖書であるなれども、旧約聖書の内容は暗号書の様なものであり、旧約聖書をいくら読んでも意味は解けぬ。この日本は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国であり。この国に満ちあふれている物からその意味を知ることができる】と告げられていました。で、私は旧約聖書の内容はこの日本で紐解けると見て来たのです。


また、私が日本神道の世界に飛び込んで、日本神道とは「旧約聖書」の世界かと感じるところが多々あったのです。ただ、私が見ている世界とは今の人類の歴史ではなく、大本教霊界物語で展開されるような超太古からの引き継ぎなのです。今の世に出ておられる神々では解らない。知らない世界です。


しかしながら、今の神社に鎮座されている比較的若い神々や諸霊には解らずとも、国常立尊様の御引退劇の当時、国常立尊様の天使(神司)団に所属していたような魂を持った方達が、今の世に少なからず生まれ出ておられます。そうした人達の遙かな記憶の先に超太古のことが出て来るのです。どの方も、今の世の歴史の縄文時代とか弥生時代などとは言いません。遙かなる超太古です。


大本教霊界物語において、モーゼの神は神代の時代には【天道別命(あまじわけのみこと)】と言い、その後に【エリヤの神】として出たとします。「エリヤ」とは旧約聖書に出て来る預言者のことで、ヘブライ語の意味は【ヤハウェ(主)は我が神なり】なりです。


私は日本語は日本の「国に常に立つ御言(みこと)」と言っています。で、私は【国常立御言は我が神なり】としています。


ヘブライ語の「ヤハウェ」は、アラビア語で「アッラーフとかアラー」となります。日本語のアイウエオの並びは「ア」の門を出て「ラ」に至るまで四十荒野の彷徨いとなるわけです。


その「あまじわけのみこと」に大本教の出口王仁三郎聖師は【天道別命】の漢字を振られたのですが、私に【天路別命(あまじわけのみこと)】と【道】と【路】違いの漢字が最近になって出て来ました。すると意味が変わって来ます。


天と路を組み合わせた漢字は存在しません。だが「天」は「雨」に通じます。そこに出て来るのは【露】なのです。大本教霊界物語では「露国の悪神」が出て来ますが、私に出て来たのは【露国への旅立ち】です。私はその「露国」と「ロシアの悪神」とではどう違うのかと首を捻っていたのですが、これは「ロシア(露西亜〉国」に行くという意味ではありませんでした。


露の意味は、暴露や発露で解る様に、露の意味は内部に潜むものが表面に現れる。隠れていることが出来ずにはっきりと目に見えてくる。露見、露呈のこと等です。道は自分とは異なった者達の首を取ってその首を携えて進むであり、路は神霊が天下る道を指します。単に天の道を別れて行くのではなくて、全てが暴露されて天の神の降臨において【各の足】の行く路が別れるなのです。


一部の霊能力者の方達は、既に人類は【二方向】に別れて進んでいると言われます。それが誰の目にも解らないのは、肉体がこの世に一緒に同居しているからです。この世は魂の修業場であり勉学の場なので、悪もこの世では同居を許されています。


元々、人は死ねば世界のどの宗教でも説いて来た【天国と地獄論】で解る様に、「二方向」に別れて行きます。ただ、創造神の慈悲において【輪廻転生】があったので、別に天国界に行かなくても三途の一つ「中有界」からこの世(現界)に差し戻し。地獄界に行ったとしても、ある程度の地獄(霊界の刑務所)生活を経ても人間界に戻すがあったのです。また、天国界からも更なる上の天国界に進むためには、一度この世に出るがありました。


だが、【輪廻転生】のシステムが終了すれば、人の魂は天国界(みろく世)と地獄界に大別されて、もう地獄界から天国界の路は遮断されてしまうのです。その時をもって、この世で縁をもっていても、天国と地獄との永遠の別れに入ることになります。もう、霊界でも二度と相まみえることもなくなるのです。


みろく世に渡るには【後悔(悔い改める)】が必要なのです


何の【悔い改め】もしない者が天国に行っても、そんな天国はまたもや汚れた世界に成ることぐらい常識があれば解る話です。


みろく世に行くキップとは、スピリチュアル霊感者が自分勝手に発行出来る様なキップではないのです。また、宇宙人云々ではないのです。


みろく世に渡るキップとは善悪判定の【閻魔(閻羅)大王】が発行するもので、この世の閻魔大王は各自の良心神で【魂の○の中の真柱で円真】なのです。


ただそれを、大本教の出口王仁三郎聖師は「ニセ型」の第十三の「ス神」論で展開されたなのです。そこに、この大本教に現れた変性女子(出口王仁三郎聖師)はニセ者だ。待っていたならば【みのか尾張の国から誠の女子の尻尾が見えたならば】と、みのか尾張の国から出る第【四十一号線】の路に【良子】の型を告げられたのです。


私の神霊世界の旅は、昭和【五十五】年に私の目の前を真っ暗にして臨む大音響の霊声によって「良子」と呼ぶ女性と知り合い、その女子が大阪の【十三(じゅうそう)】に消えたことから、何故に「良子」は「十三」に消えたのか?。その謎を追いかけのです。


私が伏見稲荷山で修行中、私の【腹】から男性の太い声で、良子に出会わせると言う稲荷神に対して【何時まで稲荷神に騙されていたならば気が済むのだ!】と私を叱責する声が出て、私は現世御利益主義の稲荷神の元を去り、【言霊】の世界にと転じたのです。そのことによって、十三(ス)に消された【ラ(良)】子の意味が解って来たのです。稲荷では「米」型の言霊の仕組みが解けないなのです。


言霊の世界で知る【米】型は「稲荷」神にはあらず


【ら】のひら仮名も【ラ】の片仮名も元字は【良】


良の漢字は【艮の部】で、艮を理解すれば辿り着く


私は霊能者をしている者ではありません。霊的要素は持ちますが、霊能者としては蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊等のこの世を支配している下級霊界に関われる能力がない致命傷を持ちます。ある霊能者の方が、貴方には霊世界で貴方の目になる者。杖になる者が必要だと告げられましたが、そうした人が居ないのです。まるで、手足を持たない【ダルマ】状態なのです。


私の元に霊的な災いからの相談が持ち込まれますが、私の目には霊が見えないから何も対処も出来ません。しかし、私の目にその原因が何かと見えた時には、その問題は解決します。暴露です。解決が出来た時だけ、私の背後の霊団が見せてくれるからなのです。


私に【天路】別の字が出た以上、霊的世界では【天路別】が出ていると思われますが、それが何時この世に出て来るかは、まだまだ解らないなのです。


しかしながら、その時が【刻々と近づいて来ている】のは解る者には解るのです。


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