咲き誇る大輪の花 20180801

(前段省略)~別れが待っている。は本当だろうか?


永遠の、別れとか、別れを修飾する言葉は話半分でいいですが、天が決めた魂識別の別れがあると思うか? と問われたら、おそらくそのままの意味であると思うと答えます。
これは地上での死別とか、人類に今まで一般的にあった別れとはまったく異なるもので、つまり人類を、二種類に分けたり、三種類に分けたりということを本気でやろうとしている人たちが向こう側にいる、ということを信じるということです。そう感じます。
これはドイツに現れたかつての独裁者のような危険思想などとは方向性が違うもので、
「地球を保全するために」
「地球に危険な人類の在り方を」
「禁止する(ために仕方なく大規模に介入する)」
ということです。


どちらかと言うと病原菌(地球を破壊する現状の人類の在り方)を隔離する、具体的には生存する惑星を強制的に変えるということ。
人が死んでそれまでなら、地上の人びとをコロリと排除して終わりということになるのですが、
人は霊として決して死なないので、「強制移住」または「強制投獄」というニュアンスになります。


識別の因子は、おそらく焦点です。
しかも何世にも渡って培ってきた「魂の色」が、動く天の「色やグラデーション」についてこれるか、とても無理かという物理的適合のようなものではないかと思います。移植された臓器が免疫を刺激することなく適合可能な範囲にいるか。
信号は青から黄を経て赤に変わります。黄信号は、赤になる前に赤の到来を知らせるためにあります。政府のニュースを見たって、どこにも天の信号のことは出ていません。
ですからこういうことは結局のところ勘なんです。n
 

公園さんの記事を何度も何度も引用させていただいていることについて書いておきます。私がいろいろなスピリチュアル記事を読んだ中で、フィオラが反応したのはごく一部(言わば物凄く偏った趣味)でした。そのどれもが「大本教または出口直さんか出口王仁三郎さん」の発言に絡むものばかりでした。私の趣味ではありません。私は新興宗教に興味がありません。フィオラが反応するものがそれしかなかったんです。大本の解説者は他にもいるのでしょうが、なかでも公園さんは、一般のソースからは出るはずのない、知られるはずのない内容を知られるはずのないタイミングで記事にしていました。その内容の判別も、私はフィオラから聞かない限り知ることがなかった情報ばかりでした。彼は金銭面での利得をまったく持たず、純粋に物理的利益を得ないまま、膨大な時間を割いてこれらを書いている稀なタイプでした。だから書く動機が信用できました。ただの趣味、ということです。n

 
第××章 Xデー 最後の審判・世の大立替・天の岩戸開けは本当にあるのか?  その9
2017.09.09 Saturday - 00:03 - by ○○公園


第××項 弥勒とはいよいよ始まる改革の力。神様クーデタは失敗か?


行者の世界でかなり名が知られた方に【金井南龍】師がありました。この金井南龍師は大本教に関して、神様革命(クーデタ)の失敗と語っておられます。


大本教が世に出したのは、元は創造神でありながら悪神達によって追放された【国常立尊(ウシトラ金神)】様が創造神の立場に復帰予告です。
ただ、大本教から悪神とされた神々からすれば、【国常立尊】は創造神であったなれども自分達が悪神なので追放したのであって、自分達こそ【正神】の立場の論理になります。実際に多数の神達が国常立尊様の追放を支持したからです。
その最大の理由は、国常立尊様はあまりにも「厳格な神」であられたからです。誰しも厳格な存在は煙たい。うるさい神だ!。だが、厳格な神を失ったことにより、地の神界は乱れに乱れて好き勝手、国常立尊様の後継の主宰神である盤古大神(木星神)は穏やかであったが為に、逆にそうした神々を押さえきれずに【群雄割拠】となって来たなのです。


人は誰しも最初は厳格に自分を戒めていても、自分を誘惑する安楽な環境に慣れてしまうと、その環境が良くなります。堕落の道に堕落の道にと進んで行く者なのです。もう自分を厳しく戒める環境には戻れなくなるのです。


聖書における【蛇の囁き】とは、邪心(蛇神)の芽生えなのです。為に、人は神の園に戻ろうとすれば【巳(蛇)帰る】を起こさないといけなくなるのです。邪心(蛇神)の誘惑に勝つには、常に自分を律する覚悟が必要なのです。


​私はヒンズー教の奥義書とされるヴェダー典の中の【人の中に眠れるコブラが目覚めて走り上がる時、その人は真理に目覚める】の体験から【真理】の探求にと走りました。【巳(蛇)帰る】からです。だが、蛇霊を抱えていると真理の道が阻害されて行きます。いくら真理からの教えを説いても、その人に蛇(邪)がある限り、目覚めるのは難しくなります。


キリスト教でも1000派以上あるとされるように、名目上は【イエス】を頭に戴いていても内情は違うとなります。英国で新教(プロテスタント)と旧教(カトリック)が争って戦争まで起こしたわけです。イスラム教もアッラーの神と言いながら、シーア派とスンニ派の違いで国家戦争までするわけです。これらも更に幾つにも分派しています。そして争います。
多くの方は同じ神を言いながら宗派戦争するのを不思議に思うはずですが、それらは個々の宗教指導者に憑いている守護神霊が違う為に、他の方の守護神霊には従えないとなり、力の強い守護神霊が憑いている宗教指導者は独立して一派を為すからなのです。宗教指導者は霊能者の様に霊が見えるでなくても、その背後には個々の守護神霊があるからです。


大きな宗教を起こす宗教家の背後の守護神霊は、霊能者で自分には神霊が憑いていますの神霊よりも、遙かに力の強い守護神霊が存在したりするのです。しかもそれが大霊団を形成しています。自分に霊が見える程度では大宗教家の守護神霊団には太刀打ちなど出来ません。為に多くの霊能力者は町の拝み屋で終わってしまうのです。
霊能者でも力が強い守護神霊を持っておられる方は、一派を起こして町の拝み屋と呼ばれていた立場から宗教家ともなられるなのです。霊が見える同じ拝み屋でも先が違って来るのは、その方の背後霊団の大小にあるとなります。今の霊界の鉄則は、正しいとか正しいではなくて【力の強い者が支配する】だからです。


こうした宗教団体は開祖は霊能者であっても子孫は神霊がまったく見えないとなります。為に教団を組織化して、子孫に教祖の地位を継がせるなのです。だが、そうした子孫の段階になると、まったく神が解らないとなります。
また、大宗教家と成った方の魂は秀逸でも、その肉体の子孫の魂は必ずしも秀逸とはなりません。それは魂は肉体に降臨したのであって、その魂が肉体の子孫に継承されるではないからです。


神霊世界には、何十体か何百体の霊による【劇場型俺々詐欺】グループが存在して来ます。グループの中で演じる神名の役割を決めて、時には美人局(つつもたせ)の様に、霊媒質者に凶悪役霊を先に出して助けることで正義の存在と思わせて、霊媒質者の信頼を得るもあります。
それらは霊なので、霊が見える方にはいろんな光景を見せます。なまじ霊が見えることで、その真偽を確かめずにコロリと欺されるがあります。それらの霊団は、あわよくば自分達も大きな教団を創りたいと画策するわけです。その時、どうしても霊が見えやすい霊媒体質者がその霊集団の手先に狙われます。
そうした【劇場型俺々詐欺】グループの親玉には聖書で記載される「霊界の年老いた蛇」。配下霊を多数持つ古狐、古狸、大猫霊が見られるわけですが、その霊に使われてしまった霊能者にはその霊の本当の姿は見えないものなのです。また、霊能者だからと言っても簡単にその正体を見破れるものでもないのです。


私が伏見稲荷山で先輩の古参講員さんの瀧行を指導していると、その講員さんが何時までも瀧の中から出て来ません。何があったかと聞くと、その講員さんは瀧の中で「蛇の目」の大きな金色の目を見ていたと言われます。
その件を最初の師匠に聞くと、伏見稲荷山の某瀧場の某龍神が、自分は世に出たいのでその講員さんを自分の御代にしたいと所望されていると言います。その龍神の目です。そこで、私はそれはダメだと言ったのです。理由は、その古参講員さんは霊媒体質であっても神霊の御代が出来るだけの素質・器量を保有されていない。そんな方を神の御代にすれば、後で相談者に迷惑がかかりますと言ったのです。その話は結局消えました。


何故に人には霊が見える方と、見えない方があるかです。一般的には霊主体従と体主霊従の違いですが、


実存数×「0(レイ)」=0(レイ)
人(実存)×霊(レイ)=霊(レイ)が見える


人に霊が見えるのは、霊に懸かられることにより見えます。人は誰でも霊を見ることは可能なのです。特に霊媒体質の方ほど霊はよく見えますが、霊媒体質者は修行に修業を積まないと危ないのです。霊媒体質者でない方が霊を見たいと言えば、その肉体を霊媒体質に変える為に断食とか瀧行などの荒行を積みなさいとなります。命を捨てる覚悟があれば不可能ではないのです。


​私はこうした記事を書いていますと、私には霊が見えているのだろうと思って、霊的相談のメールが来ます。しかし、私が命じられたのは【この日本の国に溢れているものから、神の仕組を人々に告げなさい】であって、一般的な霊能者とか霊能宗教家にさせるではありません。私に霊が見える必要がある時は、家系の先祖霊が私に懸かって霊を見させるなのです。ですから、守護霊が自分に懸かっていない時には霊はまったく見えません。


私自身は霊媒質者であっても、自分の肉体に懸かった霊を浄霊して行くで、霊を見る為の霊媒質ではありません。その霊の浄化能力を買われて、不浄霊が吹き溜まるとされるとんでもなく汚れた土地に住んでいるなのです。


霊が見えるのは、自分が特別に選ばれた者ではないのです。どちらかと言えば体質なのです。ですから、霊が見えることに変なプライドを出すと、必ず邪神にやられてしまうのです。懸かられている霊の正体が見えないのは自分だけとなるのです。いくら霊能力を持っていても、その背後神は必ずしも正神ではないのです。


例えば、世の中に当教団の御祭神は天照大御神となっていますと言われる宗教団体はかなりあるはずです。だが、その天照大御神は伊勢神宮の御祭神とは何の関係も無い別の存在の神があります。そう名乗っている神霊なのです。だからと言って、伊勢神宮の天照大御神がそれを詐欺だととっちめるなどはないのです。好きなようにさせているなのです。闘えばどちらかが傷つきます。


ある自称創造神と名乗る教祖霊能者は、天照大御神の眷属は「狸」だとおっしゃっていました。その自称創造神と名乗る霊能者の背後に居た神霊は大狸霊の天照大御神でした。
その自称創造神と名乗る方の信徒達全員、そうした大狸霊を拝しておられるなのです。 その狸霊の部下霊達が分担していろんな神や如来や菩薩や明王に化けて霊感者の前に現れるです。龍神から白狐まで揃っていました。ですからある程度の数がいないとその役割分担が出来ません。そうした【劇場型俺々詐欺】グループの霊も含めて、まさに群雄割拠なのです。


そこにあるのは、【勝てば官軍、負ければ賊軍】の習いです 力で勝てば「正神」と名乗り。負ければ「邪神」にされる


巷では、自分はお釈迦様の生まれ変わりだと称する方達が何人も現れます。自分がイエスの再来だと言われる方も何人も現れるです。オーム真理教の仮谷さん拉致事件が発覚した背景に、本家本物の釈迦争いがありました。同じ自分の前世は釈迦名乗りで敵対する教団信徒の動向を見張っていた対立派信徒の、まさにケガの功名からこの事件は判明しました。
だが、ほとんどの方はその教団を信じたい者はそう信じていればよいで、我れ関せずの立場だと思われます。そうした背景から、今の神霊世界がまったく統制が取れていないことを読み切っておられないなのです。


ですから、【国常立尊】の復帰があるとすれば、その前に【神界統一】が絶対条件としてのしかかって来るとなります。


国常立尊の復帰には、神界統一が必須条件


出口王仁三郎聖師と言う怪物に指揮された当時の大本教は飛ぶ鳥の勢いで拡大を続け、このままでは天皇家も危ういとなって、時の国家権力が大本教は邪神のキャンペーンを張って、治安警察をもって出口王仁三郎聖師や大本教信徒を囚獄に、神殿群をダイナマイトで吹き飛ばすなどの大弾圧を行いました(大本教事件)。
大本教は悪名高き治安維持法で裁かれましたが、裁判で無罪を勝ち取りますが壊滅状態となったのです。


金井南龍氏は、このことを神様革命(クーデタ)の失敗と述べられたのです。国常立尊様は元の創造神でありながら、国家皇室神道に敗退して元の創造神の地位には復帰できなかったからです。


すると、国常立尊など元の創造神と名乗っているだけで、さほどの神力が無い神であったのかとなります。


しかし、金井南龍師は大本教は【予告編】で、【本番】はこれからだと述べておられます。だが、もう出口王仁三郎聖師はこの世には存在しておられません。巷には自分が出口王仁三郎聖師の生まれ変わりだとか、全てを任された者だと発信されている方はありますが、根本的に何も理解されていない節があります。
確かに、大本教から出されたのは神界革命であり、神界クーデタの予告編とは言えるでしょう。敗軍と言えども元の創造神である国常立尊様が、伊勢神宮に鎮座されている御神霊に負けてしまう(国家神道による弾圧)など神界レベルで考えればあり得ないことなのです。これから先が「本番」だと考えても何の不思議でもないのです。



第××項 旧約聖書の神と大本教のウシトラ金神の類似


大本教からウシトラ金神国常立尊が世に出された時、当時の宗教学に関わる知識人や学者達はあることに気づきました。大本教で説くウシトラ金神と旧約聖書の神の性格が似通っていたからです。だが、大本教は同一神だとは説明しませんでした。
しかし、出口王仁三郎聖師は大本教からは男子と女子の予言者が出た。それは旧約聖書の予告の中の男子と女子の二人の予言者のことだとは言われたのです。出口なお開祖と出口王仁三郎聖師のことです。で、旧約聖書の予言は成就するです。


そして現在、大本教の演技の「イロハ48音」は、四八音(ヨハネ)の役割であったと語られるようになって来たのです。


ならば、ヨハネ(四八音)の後に【九制主】を語らなければなくなります。そこに大本教神諭予告【九つ花】があります。【九制主】です。「米」が語る「飯屋」の仕組です。そしてその中心は【救世主】の意味です。言霊の仕組には言霊で解かなければならないからです。
イロハの終わりは、ピンからキリで【ス】となります。キリとして【ス】を止めた。大本教出口王仁三郎聖師の【ス神】論は起こるべきをして起きたのです。しかし、イロハの四八音では【みろく(369)】花が成り立たないのです。五六億七千万をどこから導き出すのかが解らなくなるのです。
私は出口王仁三郎聖師の姿をした霊から【アラー】の神と示された時、【アイウエオ】で紐解くとは思いませんでした。ア門ラー。「ア」の言霊から「ラ」の言霊に行く「41」の道。すなちわ、【美濃尾張(みのおわり)】から高山への道。


私は日本神道の世界に首を突っ込んで、日本神道とは【旧約聖書】の世界かと思ったほどでした。私が子供の頃に臨んだ声は「旧約聖書の神」と名乗っておられました。そして調べて貰ったところ、私の本守護神は【ウシトラ金神国常立尊】様だと指摘されてきたわけです。


私はその旧約聖書の神と名乗る声から、【世の大立替は新しい地球に移行】であると聞かされたのですが、それは聖書の【ヨハネの黙示録】には記載されています。大本教の演技だけを見るのではなくて、聖書も見ておかないといけないのです。非常に大がかりな舞台構成になっているからです。


漢字の【弥勒】とは、【いよいよ始まる改革の力】となりますので、明らかに「神様革命」を指します。そして【弥勒菩薩は兜率天】とされますが、兜率天とは【兜で率いる】天軍ともなるのです。平和的解決ではなくて武力ももって、反国常立尊派の神々を一掃するとなります。その意味では神界【クーデタ】の予告となります。


しかしながら、【国常立尊】様とは自分が元の創造神の地位に戻る為に、そうした戦をされる様な神ではないのです。国常立尊様の追放劇の時、国常立尊様に従う天使達に出された命令は【敵を殺めるな】でした。話せば解るだったのです。


だが、反国常立尊派の天使達はそれをよいことに、戦うことを避けた国常立尊派の天使達を剣をもってことごとく抹殺したのです。それによって国常立尊様は自分の手足として働く天使達を失ってしまわれたのです。やむなく御引退となるのです。


この事柄を大本教は、反国常立尊派は「国常立尊」には自分の手足と成る部下の天使達がいない【ダルマ】の状態だと揶揄したとするのです。


だが、【ダルマ】とは真理のことでもあり、そのダルマの手足となる者が出て来れば、その「真理」は明らかになって来るのです。それを大本教神諭は「誠の者」のお世話でないと解けないと告げたのです。


誠の者とは、ダルマ(真理)の手足と成る者


国常立尊様は自分の命令によって、自分に忠実な部下達をむざむざ敵に殺されてしまわれたのです。その時の国常立尊様には【自衛権】の考えが存在しなかったのです。自分を殺そうと来る者に対しては【自衛権】を行使するです。反対派も言葉を尽くせば理解すると考えておられたのです。


話せば解る。汝の敵を愛せよ!。実に美しい言葉です


スピリチュアル等はそうした言葉に酔いしれるでしょう。だが、その結果は【問答無用】だったのです。


私個人の推察ですが、敵を殺すことを望まない【国常立尊】様には、敵を抹殺してまでその地位に戻る考えは存在しないでしょう。そこに、国常立尊派も反国常立尊派も共に生きる世界。別世界の創造です。


その存在が解らないように国常立尊様が隠しておられた新しい地球。二つの地球で、一つの地球は今の地球で反国常立尊派の神達が治める。新しい地球には国常立尊様を【唯一神】とする者達が出て行く神の大望なのです。


この「新地球」「もう一つの地球」に関しては、一部の霊能者の方達もその存在を告げておられますが、どなたも【詳細】はご存知ありません。それは、その新地球が三次元界ではなく高次元界に存在しており、今日まで誰も存在していない星である為に詳細が解らないなのです。


すると、その新地球に移行する者達は立替で未開の土地を開墾しなければならないのかとなりますと、早くから新地球に移行することが解っている魂は、国常立尊様が該当の魂は分割して新地球に行かせて、既に開墾開発に従事しているのです。但し、この世に残っている魂と既に新地球に移行している魂との情報は完全に遮断されている為に、この世に居る魂にはそれが解らない。つまり、自分の魂の半分は既に新地球に行っていても、この世に残っている肉体の自分にはそれが解らないなのです。


一部の霊能者の方達の話にはなりますが、もう正神界の神々は一部の大きな神社を残して本来の神霊は居られない。既に天に帰ってしまわれている。これまでの神社から出て来る神霊は元の神霊ではなくて、その神社の祭神に化けた邪神達との話があります。


ある時、私はあるビジョンを見ていました。それは私の【正守護神】が白馬に跨がり、数百匹の大型の白狐達が先兵となり、ある中型の神社を急襲して、先兵となっている大型の白狐達はその神社を守っているところの中小型の白狐達の喉笛に噛みついてそれらを倒し、その正守護神達の部下霊達がその神社に居る神霊や巫女霊を捕縛して、閉じ込められていたその神社の本来の御祭神達を救い出す光景でした。


それは邪神達に神社ぐるみ乗っ取られた本来の御祭神を救出して、天に帰っていただく作業の一端であったのかも知れません。私はその光景を見ていて、本来の御祭神が閉じ込められている神社は少なからずあると見受けました。


そこに来るのが、これまでの【外在神】ではなくて、自分自身の魂である【内在神】に切り替わりです。もしも、最後の審判と呼ばれるものが起きるとすれば、裁きの対象は【自分自身の魂】に対してであり、外在神が審判そのものに関わる出来事ではないからです。


私が子供の頃、旧約聖書の神と名乗る声は次のようなことを告げられました。【この私だけを唯一の神と認める者達と、そうでない者達との永遠の別れが待っている】。その時には、二つの地球に言及がありませんでした。だが、別の時にこの旧約聖書の神を唯一の神と認める者は新しい地球に移るを告げられのです。


これを【蜂(8)】の巣別れと言います


今は日本神話でも解るように【七】代目の神代です。この七代目の神代時代が終わると、【永遠(∞)の別れである「八」の神代時代が来ます】。大本教神諭に、【時節には神も敵わんぞ】とありますが、7の世から8(∞)の世に代わる時節が巣別れの時節なのです。


そこに起きるのは、国常立尊派と反国常立尊派の永遠の別れと言えます。


国常立尊派は神様革命に失敗したので、元の創造神であってもこの地球から新天地に移られるなのです。
今の地球に残るのは、反国常立尊派の神達と言えます。


そうしたことは反国常立尊派の神々はよく理解されており、その時にはもう今の太陽は輝いていないということから、地球内部に地底王国を建設して、人造太陽を造る大計画を推し進めているなのです。
私はそうした話を霊達から聞いたのではないのです。霊達は「嘘」を平気で出します。私がそれらの話を聞いたのは霊能者である人間からです。そちらも途方も無い大計画大作戦とは言えます。


大本教の出口王仁三郎聖師を通じての【国常立尊】様の神様革命は失敗だったとは言えます。だが、その本番は大本教ではなくて、聖書の【ヨハネの黙示録】を重視しておかなければならないのです。大本教の霊界物語には、最終場面の記述がほとんどなされていないからです。


続く



天道別命(モーゼ)でなくて、天路別命(あまじわけのみこと)
2018.06.22 Friday - 00:01 - by ○○公園


私はある霊能者の方とお会いしたところ、その霊能者の方は「貴男の前世はモーゼではないのですか?」と尋ねられたことがあります。私は即座に自分の前世に「モーゼ」の時はありませんと否定はしました。そこは私にも解っているのです。ただ、魂の世界では国常立尊様との関係でモーゼとの関連性があるだけです。


私が子供の頃に臨んで来た霊声は、「私は私であり、旧約聖書の神であり、アブラハムの神であり、そなたの神である」と言って来たことから、それが偽りの神でなければ旧約聖書の神と関連するからです。私は長じて、幾多の霊能者に出会って来たところ、7~8名の霊能者の方から「貴方の本守護神は国常立尊様です。他に天之御中主様、あるいは閻魔大王」と告げられて、アラーの神も記紀神話の創造神も同じと知ったしだいです。


その霊能者の方は私を見ると、何故か「モーゼ」と思われる姿が貴男から出て来ると言われるのです。


この日本に自分は「お釈迦様とモーゼとイエス」を出した永遠の仏陀その者だと名乗っておられて、多数の信徒を持っておられる方もありますが、私の様に大本教神諭を基本解説にしている者からすれば、そうした名乗りをすることが正しいのか疑問には感じるところです。何の証拠も出せないからです。霊的世界に関わっていると、何の証拠も出せないから言った者が勝ちが多々あります。


その人が言っていることが本当なのか?。その【証明】も「反論」も難しいからです。その言葉を信じるか信じないかだけになってしまいます。


私が大本教神諭解説に特化したのは、私が修業中に私の肉体に大本教出口なお開祖と覚しき霊が私に懸かり、それに追随して出口王仁三郎聖師と覚しき霊が懸かり、霊媒通しで出口なお開祖と覚しき霊が【大本教はまな板の鯉。その鯉をどう料理するかは料理人の腕しだい】と言われたことから、大本教をどう料理するか。そこにあったと言えます。


ただ、私の役割にモーゼのような役割があることは否定しません。モーゼは牛頭の像で知られることから、日本で大本教から出された【牛虎金神・国常立尊】と関係があるのではないかと言われています。仏教で言えばお釈迦様の根本道場たる【祇園精舎】の守護神は【牛頭天王】とされています。私も霊界では【牛頭】の姿の存在だったからです。自分が「牛頭の姿」であった光景を見た時、自分は「牛頭の人」かとがっくりもしましたが、そこから【太一】の言葉に行き着くことも出来ました。


そのモーゼはユダヤ人をエジプトから脱出させて【紅海】を渡らせて、四十年間荒野を彷徨って【カナン】の地に行かせるをしたわけです。これは歴史的な事実と言えます。


私は大本教神諭予告の九つ花を解読して、人々に今の地球を脱出させる【後悔】を渡らせて、日本語のアイウエオの「四十」の先の「ラの言霊からみろく(369)の良心神」を説いていますが、その行き先はカナンではなく【華南】と出たのです。


その「華南」とは中国の「華南」省の形式を取りますが、中国そのものではなくて鮮やかな花(華)が一面に咲く南の世界と言う意味です。天国は【お花畑】だと言われるように、美しい花が咲き誇っているからです。天国世界に渡る意味が「カナン」だと考えられるのです。


私が子供の頃に臨んで来た霊声は、【私は私であり、アブラハムの神であり、そなたの神である。旧約聖書の神であり。我の書は旧約聖書であるなれども、旧約聖書の内容は暗号書の様なものであり、旧約聖書をいくら読んでも意味は解けぬ。この日本は私の教えが満ちあふれた世界で唯一つの国であり。この国に満ちあふれている物からその意味を知ることができる】と告げられていました。で、私は旧約聖書の内容はこの日本で紐解けると見て来たのです。


また、私が日本神道の世界に飛び込んで、日本神道とは「旧約聖書」の世界かと感じるところが多々あったのです。ただ、私が見ている世界とは今の人類の歴史ではなく、大本教霊界物語で展開されるような超太古からの引き継ぎなのです。今の世に出ておられる神々では解らない。知らない世界です。


しかしながら、今の神社に鎮座されている比較的若い神々や諸霊には解らずとも、国常立尊様の御引退劇の当時、国常立尊様の天使(神司)団に所属していたような魂を持った方達が、今の世に少なからず生まれ出ておられます。そうした人達の遙かな記憶の先に超太古のことが出て来るのです。どの方も、今の世の歴史の縄文時代とか弥生時代などとは言いません。遙かなる超太古です。


大本教霊界物語において、モーゼの神は神代の時代には【天道別命(あまじわけのみこと)】と言い、その後に【エリヤの神】として出たとします。「エリヤ」とは旧約聖書に出て来る預言者のことで、ヘブライ語の意味は【ヤハウェ(主)は我が神なり】なりです。


私は日本語は日本の「国に常に立つ御言(みこと)」と言っています。で、私は【国常立御言は我が神なり】としています。


ヘブライ語の「ヤハウェ」は、アラビア語で「アッラーフとかアラー」となります。日本語のアイウエオの並びは「ア」の門を出て「ラ」に至るまで四十荒野の彷徨いとなるわけです。


その「あまじわけのみこと」に大本教の出口王仁三郎聖師は【天道別命】の漢字を振られたのですが、私に【天路別命(あまじわけのみこと)】と【道】と【路】違いの漢字が最近になって出て来ました。すると意味が変わって来ます。


天と路を組み合わせた漢字は存在しません。だが「天」は「雨」に通じます。そこに出て来るのは【露】なのです。大本教霊界物語では「露国の悪神」が出て来ますが、私に出て来たのは【露国への旅立ち】です。私はその「露国」と「ロシアの悪神」とではどう違うのかと首を捻っていたのですが、これは「ロシア(露西亜〉国」に行くという意味ではありませんでした。


露の意味は、暴露や発露で解る様に、露の意味は内部に潜むものが表面に現れる。隠れていることが出来ずにはっきりと目に見えてくる。露見、露呈のこと等です。道は自分とは異なった者達の首を取ってその首を携えて進むであり、路は神霊が天下る道を指します。単に天の道を別れて行くのではなくて、全てが暴露されて天の神の降臨において【各の足】の行く路が別れるなのです。


一部の霊能力者の方達は、既に人類は【二方向】に別れて進んでいると言われます。それが誰の目にも解らないのは、肉体がこの世に一緒に同居しているからです。この世は魂の修業場であり勉学の場なので、悪もこの世では同居を許されています。


元々、人は死ねば世界のどの宗教でも説いて来た【天国と地獄論】で解る様に、「二方向」に別れて行きます。ただ、創造神の慈悲において【輪廻転生】があったので、別に天国界に行かなくても三途の一つ「中有界」からこの世(現界)に差し戻し。地獄界に行ったとしても、ある程度の地獄(霊界の刑務所)生活を経ても人間界に戻すがあったのです。また、天国界からも更なる上の天国界に進むためには、一度この世に出るがありました。


だが、【輪廻転生】のシステムが終了すれば、人の魂は天国界(みろく世)と地獄界に大別されて、もう地獄界から天国界の路は遮断されてしまうのです。その時をもって、この世で縁をもっていても、天国と地獄との永遠の別れに入ることになります。もう、霊界でも二度と相まみえることもなくなるのです。


みろく世に渡るには【後悔(悔い改める)】が必要なのです


何の【悔い改め】もしない者が天国に行っても、そんな天国はまたもや汚れた世界に成ることぐらい常識があれば解る話です。


みろく世に行くキップとは、スピリチュアル霊感者が自分勝手に発行出来る様なキップではないのです。また、宇宙人云々ではないのです。


みろく世に渡るキップとは善悪判定の【閻魔(閻羅)大王】が発行するもので、この世の閻魔大王は各自の良心神で【魂の○の中の真柱で円真】なのです。


ただそれを、大本教の出口王仁三郎聖師は「ニセ型」の第十三の「ス神」論で展開されたなのです。そこに、この大本教に現れた変性女子(出口王仁三郎聖師)はニセ者だ。待っていたならば【みのか尾張の国から誠の女子の尻尾が見えたならば】と、みのか尾張の国から出る第【四十一号線】の路に【良子】の型を告げられたのです。


私の神霊世界の旅は、昭和【五十五】年に私の目の前を真っ暗にして臨む大音響の霊声によって「良子」と呼ぶ女性と知り合い、その女子が大阪の【十三(じゅうそう)】に消えたことから、何故に「良子」は「十三」に消えたのか?。その謎を追いかけのです。


私が伏見稲荷山で修行中、私の【腹】から男性の太い声で、良子に出会わせると言う稲荷神に対して【何時まで稲荷神に騙されていたならば気が済むのだ!】と私を叱責する声が出て、私は現世御利益主義の稲荷神の元を去り、【言霊】の世界にと転じたのです。そのことによって、十三(ス)に消された【ラ(良)】子の意味が解って来たのです。稲荷では「米」型の言霊の仕組みが解けないなのです。


言霊の世界で知る【米】型は「稲荷」神にはあらず


【ら】のひら仮名も【ラ】の片仮名も元字は【良】


良の漢字は【艮の部】で、艮を理解すれば辿り着く


私は霊能者をしている者ではありません。霊的要素は持ちますが、霊能者としては蛇霊や狐霊や狸霊や猫霊等のこの世を支配している下級霊界に関われる能力がない致命傷を持ちます。ある霊能者の方が、貴方には霊世界で貴方の目になる者。杖になる者が必要だと告げられましたが、そうした人が居ないのです。まるで、手足を持たない【ダルマ】状態なのです。


私の元に霊的な災いからの相談が持ち込まれますが、私の目には霊が見えないから何も対処も出来ません。しかし、私の目にその原因が何かと見えた時には、その問題は解決します。暴露です。解決が出来た時だけ、私の背後の霊団が見せてくれるからなのです。


私に【天路】別の字が出た以上、霊的世界では【天路別】が出ていると思われますが、それが何時この世に出て来るかは、まだまだ解らないなのです。


しかしながら、その時が【刻々と近づいて来ている】のは解る者には解るのです。


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