この図の分岐について考えていました。


分岐点の「風景」が(こちら側では)どのように見えるのか自問自答していました。実際の風景のように細い道があるように見えるわけではありません。
三途川のほうは 誰もが知るような「脇道」「外れてしまった道」は比較的簡単にわかるはずです。たとえばギャンブル依存症になって借金を重ねてしまったとか。落とし穴に落ちる前に、この道に一歩踏み込むとまずそうだと誰もがわかります。
「進んだらまずそうな、薄暗い、先の見通しの立たなそうな道」に誰が見ても見えます。
 こちら側、地上では、上記の分岐点の「天神様の細道」はパッと見では宗教上の世迷言に聞こえるのかもしれません。特に日本では無神論が大勢を占めているとも言えるので、怪しげな「脇道」「新興宗教」に重なっているように見えても不思議はないです。それでも出口王仁三郎氏が言っていたのは実在する道だと私も思います。新興宗教の怪しげな部分と言える金銭の授受も発生しません。
通常の宗教とは違うんですよね。なんというか、「はじめの神」だけを神とする認識と表明があって、道の途上ではとても実践的で、個々人の現実感覚を否定したりはしません。というより丸ごと肯定します。肯定した上で「未接触の深層」の「最深部」に「はじめの神」がいることを信じているようなイメージです。通常のスピリチュアルというか、俗に言うスピリチュアルともまた違うものです。一神教も多神教も種々のスピリチュアル思想も肯定しつつ、それらとは違うものです。もし違わないなら、道は細くありませんし、誰もが容易に歩めるはずですから。ほとんど歩むことに成功しないのは、それらとは本質的に異なるからです。
どんな風景に見えるのか。公園さんのおっしゃるところの「創造神のみを唯一神(の立場)として」なんでしょうかね。それが気になってうんうん唸ってます。
8月28日から言っている本線はもっとゆるい道だと思います。この地上に生まれる前にほとんどの人が人生計画を立てている時点で契約している路線ですので難易度はもう少しゆるいはずです。70~80%の人がその(ゆるいはずの)契約を無視していると言われていましたので、本線から外れてしまっているのは現代人の態度の問題です。道の難易度が高いせいだとは思いません。三波春夫さんの考え方(神殿、奉納)がマトモで「ふつう」であって、「アーティストって儲かりますよね」の考え方がふざけているだけなのかもです。
天神様の細道はもう少し道自体の難易度が高いものです。結論が容易に出るなら悩みませんね。n0049
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