海域を漂う一隻の船が一つの霊団だとすると


その船は最も居心地の良い場所を見つけ留まります。成員にとっても居心地が良いし、船にとっても海にとっても「ふさわしい場所」に自動的に決まります。合わない人たちと一緒に過ごすことが苦痛なように、合わない海域に留まれる船はいません。ですから再三口を酸っぱくして言った「大神様との関係」は、引き継がれるのです。生前にそれが近い者は、帰還後も近いのです。団が船なら、この一人一人の乗組員は、ある時点で次々に海に没し(転生)ます。水への浸かり方には個々人で差異(よくいる飛び込み型や、音を立てないような優雅な所作)がありますが、「船は動けない」ため、やれることは”釣り”か、”水中探検”なのです。釣り、または水中で”なんらかの生命体”に出会った場合、それが”言葉を話せない”と結論を下すのはよくよく注意してください。話せる可能性があるからです。Fiora
(この水中探検を転生と地上での人生で出会う人々とたとえているらしいです。釣り、は意味不明ですがどうも、人を釣って船上に釣り上げ、会話してからリリースする、言わば霊的なサポートを意味しているかもしれないと感じました。死後は海から出て船上に戻り、”固定された”船の上で船長や乗組員たちと話し、共に過ごします。この船にあるのは、乗組員全員の経験と知識、愛と叡智、これらが総体として大神様との関係を近づけていかないと、船そのものが動きません。むずかしいのは単なる知識や理解じゃ船の動力にはなっていないということです。みんな何度も何度も水中探検をしていて、それでも船が止まっているのです。n)


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Fiora & nobody