一機の飛行機が一つの霊団だとすると


この飛行機の中に蓄積されたものは単なる知識というよりも(人生における)「底力」じゃないだろうかと思います。複数の人間の複数の人生で老若男女問わず、発揮された底力です。それこそ、この乗組員たちが唯一問題視し、喜ぶ対象なのではないでしょうか。人が自分のために組み立てた「言葉(建材としてのブロック)」は短期間で崩れ去ります。発想も動機もくだらないからです。でも、真底誰かのためだったらその言葉はもう少し長く残り、それが根源(本質的)のものであればさらに長く響くように思います。虚飾を剥ぎ取った後の底力に、その成長に熱い視線が注がれているのでしょうか。フィオラは「お菓子のカケラがこぼれ落ちた絨毯」のように日々の心配事が尽きないでしょうが、必ずそれらは全部消失するから心配しないでくださいと言っていました。では残るものは何なのか。残るものは全員に残るのですから、個々人で違うのは、その残るものを見据えて本質を大切に生きられるかどうかです。n0058


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Fiora & nobody