宥しは、いつでもかわらずあなたに与えられている贈り物です。それはあなたにやってきたり、取り去られたりするものではありません。


この贈り物はなんべんやりとりされても、尽きてしまうことはありません。あらゆる罪、あるいは罪の自覚に対して、宥しはそこにあり、答えを用意しています。


この贈り物のとほうもない大きさはなかなか理解できないでしょう。あなたは人生のあらゆる分野にわたって、これを受けいれているわけではないし、あらゆる状況において、これを受けいれているわけでもありません。もし受けいれれば、それが入りこめないような場所はないのがわかります。この贈り物をやりとりできない状況はありません。


宥しは見返りを求めない唯一の贈り物です。


宥しが開いてくれる扉の向こう側にある、すべてを包みこむ愛は、いまのあなたにはまだ理解できないでしょう。ですから、その愛について云々してもしかたありません。いまのあなたのままでいてください。


扉の前に立ち、ノックしなさい。辛抱強く、そして全身全霊をかけて望みます。すべての苦痛に満ちた、そして無用な思考に、進んで目を注ぎます。


平和がハートにやってくれば、扉は開きます。それまでは、今のところにいてください。あなたの実践のただなかに。


神はあなたの旅の餞別として、たったひとつの贈り物だけをくださいました。こう言われました。「息子よ、覚えておくがいい。おまえはいついかなるときにも、心を変化させることができるのだよ」


あなたはいかなる苦痛に満ちた思考、人を宥せない思考についても、心を変えることができるのです。不愉快な思考を問いつめて追い出し、自分を解放し、ハートに喜びをもたらすような別の思考を抱くことができます。



「息子よ、旅がおまえをどこへ連れてゆこうとも、覚えておくがいい。おまえはいついかなるときでも、心を変化させることができるのだよ」


この愛の思いをこめて、神は一時的な仮のものを作られたのですが、それをあなたがたは決定的な存在にしてしまいました。神は非現実的なものを作られたのに、あなたがたがそれを現実にしてしまいました。


「知りたい」という決断によって、あなたがたが危険な状況に陥るだろうということもご存じでした。つまり、自分の幸福は、他人にどう扱われるかにかかっていると思いこむような状況です。


ですから、見捨てられたり、とほうにくれたりしたとき、みずからこの旅を選んだことを忘れてしまうようなときには、思い出してください。「おまえはいついかなるときでも、心を変化させることができるのだよ」


これはわたしの贈り物ではなく、神からあなたへの贈り物です。わたしは贈り物ではなく、それをさしだしたものにすぎないのであり、あなたも同じことをするのですから、贈り物のもともとの起源を思い起こして、自由にやりとりしてください。


だれが宥しの贈り物をさしだしているのかは、重要ではありません。それはあなたの子どもかもしれないし、親かもしれないし、友人かもしれない。敵かもしれません。重要なのはそれを、相手から受けとることです。


どのストーリーを信じるかには、注意深くあってください。あなたがたの多くが神から来たストーリーだと信じているものは、自分の恐怖心や不安感が捏造したものです。真理を求めるのなら、過去に書かれた聖典、知恵の書、教典などをのぞきこみすぎないほうがよいでしょう。そのかわりに、いま現在、あなたのハートに書かれつつある真理に注意を向けてください。


父よ、わたしたちはあらゆる状況において、あなたの声がわたしたちとともにあり、その声がわたしたちの思いと一歩一歩を導いてくださることを思い出します。あなたのおかげで、わたしたちはひとりぼっちではありません。あなたのおかげで、わたしたちには兄弟がいます。あなたはわたしたちを慰めのない状態に捨ておかれず、道を照らす心強い仲間をお与えになりました。


あなたの名において、わたしたちはこの旅を祝福し、苦しみの唯一の源である罪悪感が終わることを、たえまなく祈り求めます。それを終わらせるために、あなたのくださった贈り物、罪悪感なしにやりとりできる唯一の贈り物をしっかり抱きしめます。父よ、この宥しの贈り物を感謝します。深い考えをもってこれを用いたいと思います。そしてあらゆる状況において、これを用います。わたしたちはこの贈り物とともに、あなたの光を、魂のあらゆる暗黒の場所にもたらしたいと思っています。



この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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Fiora & nobody