十戒


あくまで「公園さんの場合は」ですが、「(自称)旧約聖書の神」は、「ナザレのイエス」との関係を否定しています。イエスはあくまでも「他の神の御子」であると。
つまりモーセの十戒の神は、キリスト教の神とは別ものです。
4番から先は道徳なので置いておきます。
1~3番こそ唯一神信仰の核であり、この裏の最大の落とし穴がこの唯一神を
外在神だと見なすことです。外在とは、そのまま遍在の否定であり、
「神ではないもの」の想像と同義です。
1~3番が正しく内在神(遍在神)だと理解されていることが、唯一神信仰のあるべき姿です。
また4番から10番においては、「殺してはならない」よりも先に
「嘘をついてはならない」が最重要の戒めだと感じています。
「嘘をつかない」ことだけ確保されていれば、最悪の事態に落ちていく前にあらゆる物事が修正されていくからです。n140041


何故に大本教は予言の数々を出して、的中させて来たのか?。予言を的中させて創造神の存在証明
2019.10.13 Sunday - 00:14 - by ○○公園


日本の新神道系では、「世の大立替」とか「みろく神」とか「ス神」とかが説かれていますが、これらは全て大本教と呼ばれる宗教が戦前に発信したことです。それらが世に戯言と取られなかったのは、大本教の出口王仁三郎聖師のカリスマ性とその予言の的中率にあろうかと思われます。


そうしたこともあって大本教は戦前の日本で大宗教となり、そのあまりの勢いに日本の天皇家の国体を転覆させる邪教として国家からの大弾圧を受けて崩壊したがあります。世に言われる大本教弾圧事件です。


しかしながら、大本教の出口王仁三郎聖師が予言した事柄の的中とは、日清戦争や日露戦争での日本の勝利。日本が受け取る賠償金額や譲渡される領土等の的中。太平洋戦争などの世界の大戦の予告。ソビエトが不可侵条約を破って来る。そうした戦争で登場して来た航空機や潜水艦やタンクなどの新しい兵器の予告。そして日本の広島と長崎に原爆が投下されて火の海となる。地震では関東大震災の事前予告などがありました。


さらに大正時代に現代のテレビやスマホと思われる物の登場まで予告されており、どうしてそうしたことが事前に解ったのかがあります。それはスピリチュアルで人類の未来は定まっていませんなどの論理とはまったく違うのです。明らかに未だ来ていない先の世を予言して来たのです。


大本教は数々の予言を的中させて来たことから【予言教団】だと言われて来ました。大本教で予言されたことは、この世で起きる可能性が非常に強いなのです。それ故に霊能者と呼ばれる人達は大本教が発信した内容を見ているのです。


創造神には、諸神霊と違って未来が見える


それらは単に出口王仁三郎聖師という個人の空想や妄想から発した事柄ではないのです。大本教が戦前の日本で大宗教になったのは、大本教神諭に【この神は病気治しの神ではなく、心の立替立直しの神である。】とありますが、実際には多くの大本教宣伝使達による全国巡回宣伝の中で病気治しが行われています。


個々の宣伝使達に大本教の神の力が付与されて、人々にその神の威力を直に示したからと言えます。そうしたこともあって、大本教からは世界救世教の岡田茂吉開祖や成長の家の谷口雅春開祖を初めとして、多くの宗教開祖が出たと言えます。現在の研究では大本教を源とする宗派は108派とも言われています。日本の新神道系に強烈な影響を与えたのです。ですから、巷には自分の前世は大本教の出口王仁三郎聖師であったと称する方も多々あります。ただ、自分の前世と言うのと、出口王仁三郎聖師と同じ神の系列の魂だと言うのではまったく違うのです。そこに同じ神でも次元の違いが語られるのです。


人は誰でも【空手形】でなく現金を好むで、大本教神諭に【心の立替立直しの神】といくらあっても、現ナマを出さないと信徒などは集まりません。人々が求めるのは現ナマで、戦前の大本教はその【現ナマ】を大量に出せたなのです。


しかしながら、多くの霊能者が今の大本教を訪れて、その神はいったいどこに行ったのだと言います。大本教に出た艮金神・国常立尊がどこにも見当たらないなのです。大本教出口なお開祖と出口王仁三郎師が生存中にはそれだけの神は存在したが、今の大本教にはその神が存在していないなのです。


大本教から出されたのは、


人は神の子・神の宮。人は神の容器なり


そこに、人の肉体に天降っている魂の存在とその魂の次元の格が言われているなのです。お釈迦様、イエス、マホメット(ムハンマド)、出口王仁三郎聖師、弘法大師、日蓮聖人などは魂が高い存在でしたが、人類の上に九次元とか十次元等と呼ばれる高次元界の存在の魂が降りて来ないと、人類には創造神段階の神のことはよく解らないがあるのです。


巷には自分が【救世主】ですと称しておられる方が多数輩出していますが、お釈迦様やイエスを超えている次元世界から降りて来た様な高次元界出身の魂の方でないと、それは難しいとなります。そうした魂の持ち主は神社等に存在する御神霊よりも霊界では高い存在で、一代で宗教を起こされたなのです。


私は伏見稲荷大社講に4年間ほど所属して、信仰の【現ナマ】を厭というほど見て来ました。人は【理想論】などでは動かないなのです。いくら【天国行き】などの空手形を発行しても確実性はありませんし、自分が置かれている病魔や生活苦を取り除いてくれる神霊にと向かいます。例えそれが悪魔であろうと蛇霊であろうと、今の【苦】を何とかして欲しいなのです。誰もこの世が【魂の修行場】だとの認識が出来ていないからです。


為に、現在は霊力が強い黒龍神等が支配する多くの宗教団体が起きて、【現ナマ】の投下が行われているなのです。それはこの世における【一時苦】を解消してはくれますが、魂の点から言えば【天国界】には進めないがあります。そうした教団が勝手に発行する天国行きの切符は【空手形】になっているなのです。逆に地獄界に導かれるです。


イエスは、イチジクの花が咲く頃と予言しましたが


やがて、人類の上に訪れる【一時苦】にて花が咲く


大本教では【節分の炒り豆にも花が咲く】と宣伝しましたが、同じ意味合いなのです。イチジクとは「無花果」で、花が無くても果が実るで、言葉の意味だと理解する必要があるのです。


日本で著名なある教祖様は。その教えに【この世の苦や病は、自己のカルマが消えて行く姿(過程)】と正しく説かれてはいますが、現実に多くの人の【一時苦】にぶつかると、それを何とか助けてあげたいと思うのが人情であり、人を助ける力が欲しいと悪魔と契約して人助けの力を得られたと言われています。


だが、その教祖様が死なれる時の断末魔は見ていた幹部達は、その死に様に恐怖に震え上がったと言われます。それだけ凄まじいものだったです。悪魔に人を助ける力と引き換えに自己の魂を売られたからです。この話は私がその教祖様の側近幹部の方から聞いたことなので間違いは無い話と思われます。


私もその教祖様の気持ちは痛いほど解ります。その人が今の世で苦しんでいるのは本人の過去のカルマによる【一時苦】だと解っていても、人の【情】からすれば何か助ける方法が無いのかとなります。一般的に【正神界に奇跡無し】と言われますが、正神は人助けに関してはほとんど無力に近いがあります。そこで悪魔や邪神界の力に頼り走るです。


しかし、霊界には【目には目を、歯には歯を】で、自分が積んだ【カルマ】は自分で解消しないと行けない原理原則があるのです。悪魔や邪神にはカルマを根本的に消すだけの力はないのです。それを先送りするだけです。カルマは仏教用語ですが、日本神道系では【借銭払い】などと説かれます。借金は払い負えないと何時までも残るのです。今の世は悪魔や邪神に頼って【一時苦】を回避したとしても、次の世に生まれた時にはそれは襲って来るのです。


私は子供の頃に旧約聖書の神と称する声から、【そなたはイエスの愛の教えを恐れずに乗り越えよ!。】と告げられたのですが、神霊世界の修業に入って大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の経綸】の解読と、お釈迦様の本当の悟りが【人には良心と呼ばれる神が内在する。】だったと知った時、どうしてお釈迦様の悟りは人に内在する良心神から【仏の慈悲】等に書き換えられてしまったのかと考えた時、人に内在する良心神では【現ナマ】とはならないがあるなのです。


お釈迦様の本当の悟りは、弥勒菩薩でないと解らないとされていましたが、大本教から「みろく神」が全面的に打ち出されたことそのものが、とんでもない言葉の仕組みを見せているのです。


良心神の教えは、この世では現ナマにならない


はっきり言って、お釈迦様の本当の悟りであった【人に内在する良心神】とは、私達の目には見えない死後の世界での【天国行き】の切符であって、この世に生きている者からすると【空手形】を言っているようなことなのです。人々に自分が死後に行く天国の様子を直に見させられないからです。


では、何故に旧約聖書の神と称する声は私にイエスの愛の教えを乗り越えよと告げられたとなりますと、日本の神智学で【愛ばかりを言う者は蛇霊の教えに犯されている】とされるように、愛は間違えると【蛇霊化】する側面が強いからと言えます。これは実際に神霊世界に関わると解って来ます。神霊世界においては蛇霊神が圧倒的に多いからです。


獣神や悪魔にも愛はある。されど、良心神は無い


国常立尊御引退劇は、神々が蛇霊に毒されたから


霊界に関わって蛇霊に言向けをすると、悔い改めた蛇霊は蛇霊の姿から麗しい天人の姿に戻って天人世界にと帰って行きます。そうしたことを見聞すると、私が子供の頃に旧約聖書の神と称する声が、【そなたはイエスの愛の教えを恐れずに乗り越えよ】と言われた意味が理解出来ます。


しかしながら、お釈迦様の本当の悟りが【人には良心と呼ばれる神が内在する】であったとしても、それが消されてしまった。埋没していたという事実からしても、人には良心神が内在するをいくら人々に説いてもほとんど聞いて貰えないと言う現実にぶつかるのです。それは何故かと言った時、人に内在する良心神は【現ナマ】とは成らないからです。良心神そのものが現ナマを持たないなのです。


では、どうして戦前の大本教では信仰する人達に【現ナマ】の支給がなされたのか?。


大本教の【牛虎金神】とは、鬼が云うの魂の総親神で


信仰する者達の魂の汚れ、カルマなどの消滅が出来た


そこに創造神だけを、唯一の神とせよがあります。


大本教における【現ナマ】支給は、大本教と呼ばれる宗教を大宗教として、その教えの火を消さない為でもありました。いくら「現ナマ」支給をしても、その教祖が死すと消えて行った中小教団は山ほどあるからです。私が大本教と言う今日では中小教団となった教えに触れることが出来たのも、かっては日本の大宗教であったことからです。


現在の大本教以上の大教団は世に多数ありますが、それらの教団には見るべき教義そのものが存在していません。魂的にはお釈迦様にはほど遠い人達が、自分の前世は「釈迦」であった等と名乗っておられます。オーム真理教の麻原彰晃などがそうでした。しかし、今の大本教内部には大本教の仕組みを解説出来るだけの者が居ないなのです。大本教の教義を【宝の持ち腐れ】にしていると言えます。


私はかって大本教の大幹部が催す講演会で講師をして、その会場に居た大本教信徒達から「帰れ。帰れ。」の大コールを受けたことがあります。ある霊能者から「貴方は大本教に入信して、大本教を内部から立て直さないと大本教はダメになる。」と言われましたが、それは不可能だと承知しています。大本教の教えは【宝】でも外部からの発信しか方法がないのです。


私が子供の頃に旧約聖書の神と称する声は、【この神を唯一神として仰ぐ者達は私は永遠の嬉し嬉しの世に渡す。】と言われたのも、輪廻転生。カルマの原則の中において、魂の汚れを完全に取れるのは私達の魂の総親神である神だけだからです。


だが、私自身が2番目の師匠の元で【国常立尊】と名乗る御神霊の奇跡の霊力に引っかかってしまった様に、名乗りだけでは真偽が解らないなのです。霊世界では自分が創造神と称する霊がいくらでも出て来るからです。


巷には【奇跡】の霊力をもって、自分が救世主ですと名乗っている人は多数居られますが、その真偽は?。となります。そうした名乗りの多くの背後には奇跡力を持つ【黒龍神】や【赤龍神】が存在して来るからです。


そこに、日本語という言葉の仕組みで


魂は鬼が云うで、牛頭虎パンツの鬼の仕組みが要る


ウシトラの言葉一つで、いろいろ読み取れるのです


しかしながら、それが本当にそれだけの神である【証】はとなりますと、霊的世界では国常立尊様が神界の表舞台から退かれた後、霊力を持った神達の群雄割拠の状態になっており、自分には神や天使が降りて来る等の百鬼夜行の有様で、そうした霊の名乗りだけでは本当かどうかが解らないがあります。


未だ何も起きてもいない時に、未来に起きることを予言できる神とは、通常の神霊ではあり得ないとなります。私は霊界修行をしていて、自分は困っていますで【現ナマ】を支給をされる神達は多数見て来ました。


しかし、未だ来てもいない未来のことを予告して言い当てる神ともなれば、これは限られて来る事実です。私がお世話になった豊受姫は「阪神淡路大震災」や「普賢岳爆発」を事前に言われましたが、そんな御神霊はさほどありません。


それは貴方はいつ頃に事故に遭います等の個人レベルの話ではなくて、この社会が地球が人類が今後どうなるかの予言です。それが出来たのは大本教の出口王仁三郎聖師をおいて他にはさほど見られないなのです。


大本教神諭には、【この大望な経綸の致してあることを、世界に一人知りておる。誠の人はこしらえてあるから、この誠の人が出て来んと解らんぞよ。】とありまして、世界にたった一人しか知らないでどうにかなるなど、私には理解しがたいことが書かれています。たった一人しか知らないでどうするのだ!。です。


私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【私はそなた一人だけにこの神の仕組みを見せる。そなたはその仕組みを見て、人々に告げよ!。】と命令されましたが、それが大本教神諭の大望な経験がしてあることを世界に一人知りている者のことかどうかは解りませんが。


ただ、私が旧約聖書の神と称する声から聞かされたことは、【私はこの世の幕を降ろして、人類を嬉し嬉しの永遠の未来の世に渡す。】です。ただ、その世界とはヨハネの黙示録にある今の地球ではなくて、【私は新しい天地を見た!】の新地球と言う途方も無い話なのです。


誰がそんな途方も無い戯言が信じられるかとなりますが、大本教の出口王仁三郎聖師がされた予言の的中を考えた時、それが出来るだけの神の存在を頭から否定など出来ません。それは私が【霊子(たまのこ)線】を見て来たからです。霊子線を切断すれば、切断された肉体から魂が抜けてしまうなのです。人の肉体と魂は別物だからです。


旧約聖書神(国常立尊)の大望は、人類を新地球に移す


弥勒の世(神の御国)とは、この地球上のことでは無い


それは優秀な霊能者の人達がこの世は【魂の修行場】と言い。大本教の出口王仁三郎聖師はこの世は【天人の苗床】と告げられたように、神の御国とはこの地球上ではないのです。そこに魂の本籍は霊界で、肉体を持つ者の現住所は「この地球」なのです。私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から、【人のこの世の一生とは、魂の修学旅行にすぎない】と言われました。しかし、いくら科学が発達しても人類がその神の世界を知るなどは不可能なのです。


私が子供の頃には旧約聖書の神と称する声が臨んでいましたが、大人になってからはそうした声は臨んでいません。そうしたこともあって私は自分の背後にある神の存在を調べるとなったのですが、豊受姫を初めとして7~8名の霊能者から告げられたことは、貴方の本守護神は【国常立尊】ですでした。


私からすれば、どうして「国常立尊」とか「ウシトラ金神」と名乗らずに旧約聖書の神の名乗りがなされたのかとなります。大本教からは【世の大立替】の予告はなされました。しかし、大本教からは【新しい地球に人類は移行する】的なことは一言も出ていません。ただ、基本宣伝歌として【例え大地は沈むとも】とあるようにこの大地が沈むことを匂わしたのです。


しかし、聖書のヨハネの黙示録だけには、【私はこれまでの天地が消えて、新しい天地を見た。】とあるように、人類は新しい天地に移行するがあるのです。


それは私一人だけでなく、幾人もの霊能力がある方達も人類の魂は【新地球】にと言われます。だが、どうやって人類の魂は新地球に行くのかとなりますと、誰も詳細が解らないなのです。大本教神諭に【今度の大事業(大望)は人民の知りた事では無いぞよ。神界へ出ておでます神にもご存知ないよう深い仕組みであるから】とありますが、伊勢神宮に鎮座されている御神霊も出雲大社に鎮座されている御神霊でも詳細は解らないなのです。


では、私に臨んだ旧約聖書の神と称する声と【国常立尊】は別の神かとなりますと、私は大本教の出口王仁三郎聖師がみろく神業に使われるお宝が埋められていると直弟子達に言い残された場所と角を接する土地に住み。私が住む土地は出口王仁三郎聖師が大正時代に大本教の一部の信徒に、【教団には内密で、その土地を死守して欲しい。】と頼まれた土地に住んでいます。私は知らず知らずに神の大望の計画の仕組みの中に組み込まれていたなのです。


ただ、この土地は霊能者によって判断が違います。私の最初の師匠は豊受姫の言葉として【最後の時に人類が見たことが無い創造神と呼ばれる神が天下る場所。】と言い。一部の霊能者は三次元世界(人類)が終わる鍵を握る神界機密ゲートがある場所と言い。ある霊能者は汚れた霊の吹溜り場所と言います。


私自身が豊受姫の命令で現在地に住んで解ったことは、【この土地は霊界の汚れた霊の吹溜り場所】です。豊受姫はその汚れた土地を清めに清めてこそ、その場所が宇宙創造神が天下る場所に成ると言われるのです。しかしながら、その土地を清めるだけの力を持たれた日本の神は一柱も存在していないなのです。しかし、それが出来るであろう神柱の存在はあるなのです。その存在は大本教の出口王仁三郎聖師が【蒙古】に渡る型演技で示されているのです。


大本教の出口王仁三郎聖師はそうしたことまでご存じだったようで、後は神の仕組みに委ねられたかと思われます。そこに、大本教は七代まで女子の教祖で続くと予言されたのでしょう。既に大本教の正式な女子の教祖候補者の系列は七代目女子まで育っておられるです。だが、その正式の家系の系統ですら陰に追いやられたように、邪神達の暗躍の中では簡単にはいかないなのです。邪神達は何をしても国常立尊(艮金神)の計画を邪魔するからです。


私自身、神霊世界に関わって来て、【言うは易く行うは難し】で旧約聖書の神(国常立尊)の仕組みは理解して来ましたが、私自身は神の仕組みを見せられているだけであって、それは【絶対】だとは言い切れません。


最終的には、正神界と邪神界の神界戦争は起きかねない


そこに宇宙から本当の宇宙創造神(恐怖の宇宙大王)が天下って来る可能性は否定は出来ないなのです。その時、私達は空に無数のUFO軍団を見ることになるかと思われます。それとも各種の神示にある複数の太陽が出て来るのか?。何が起きてもおかしくない時節にと向かっているなのです。それらが片付けば【みろくの世】が見えて来るなのです。



人が(人間以外のなにかによって)分けられているときその情報は


(一般には)出回らない。戯言や虚言と混同されるから。
未来を見通せるような発言をするコメンテーターだって、実際には3か月先さえ見えていない。
人間の目、はそれほど精度が低い。逆に人間以外の目は、予想外に精度が高いことがある。
流通する情報には格差がある。
2019年にテレビや新聞、ネットで流れたニュースはニュース全体の階層的格差の「下」に位置する。「中」や「上」のニュースは別の場所で流れている。
たとえば「中」では、「中華人民共和国」を取り巻く状況を日本のマスコミとは異なるように捉えているし、流している。「上」では、「人類が居住する惑星を分けることについて、と、分けるからこその心構えについて」既に言及している。
量子コンピュータの記事について引用したが、あれは人類の現実で、
「下」のニュースでは進歩として華々しく報じられている。
同時に「上」のニュースでは、「なぜいまの現代人類ホモ・サピエンスがこれから滅びるのか、記録せよ」と警告が流れだしている。
同じ事実を「二つの異なる解釈」がニュースとして既に流している。
目に見えない・表に顕われないことと、
それが既に存在していることは別のことだ。
フィオラは今年「裏・裏・裏・裏・裏を読め」と連呼したが、最終的な価値や方向性はいつも、「上」が決定する。n131157



最後の願い


神からの多くの伝え、教えは、今この時の立て替え立て直しの準備のためならん。
人は大量生産、大量消費によって、大切なるものを忘れ去る。
神の恵みの自然。他の生命体との共存忘れ、循環狂わせる。
便利さ追求しすぎ、かえりて不自由なることをいまだ気づかぬ。
便利さは豊かさに繋がらぬを人はいまだに悟れぬなり。
金さえあれば、何でも手に入る物質社会なるは、我欲、金銭欲ただに煽りて、欲にまみれん。
なれど、いかに金持ちたるとて自然を操ることはできぬ。
自然の驚異の前には人は為す術なし。
今の日本の経済も世界の経済も根は全て腐りて、今にも倒れんとす。
金とて価値無くなれば、役に立たぬなり。
人の価値は心、魂にあるを人よ、そろそろ気づけよ。
神は日本に四季の恵み与えらるる。
旬の野菜は栄養も薬効も素晴しく、冬には冬の寒さ乗り切る力湧くなり。
なれど、人は知恵あるがゆえ、野菜は全ての季節に全ての野菜を作り、結果野菜の命は失われん。
神が作らるる様々なる生き物、それぞれにお役目ありて神の御意図あり。
今や神の領域にまで入らんとする、人間の傲慢さ命まで作りださんとす。
そこに神の御意図無きを人は思い知るべし。
太古の昔に沈みし大陸あり。
今も伝えらるる、「ムー」「アトランティス」なり。
現在の地球の急迫の原因は人間にあるなれど、過去の崩壊と今の地球の現象とは異なれり。
人には知り得ぬ原理なれど、そこに一つの教訓はありなん。
神の御意図から外れしはいずれ崩壊、破滅せん。
その教訓忘るるなかれよ。
人の乱れし波動、悪しき波動は地軸までも既に狂わす。
人は地球の温暖化を危惧し、騒ぎもするが、それより恐ろしきは地軸の狂いなり。
人よ。今すぐに心改め、己を浄化せよ。
今の地球の混乱は避けられぬ乱れなれば、今の世いかなる天災に襲われるやもしれぬ。
経済も危うし。
何が起きるか分からぬ世なり。
今まで人が経験なき混乱起こるやもしれぬ。
なれど慌てず超えてゆけよ。
さなる混乱の時こそ、神は人間の真価を問わるるなり。
辛く困難の時あれど、地球の危機を乗り越えて、進化を共にする魂となれよ。
日本の民は世界を平和へと導く役割を持つなれば早きに目覚め、気付きて神の助けとなれよ。
既に立て分けの現象は始まりておるなれど、神は最後の最後のその時まで人の気付きを待ち続けらるる。
次第に残る魂、消える魂はっきりとわかるなれど、途中気づきて反省あらば、いつでも戻れよ。神のもとに。
神は伝えたきことは全て伝えしものなり。
後は人の気付き、浄化を待つのみ。


人生の一日一日に目的があります。


たいていの壁はまるで閉じたまぶたみたいだ。


神からプレゼント(贈り物)が欲しいと思っている人じゃダメ。放置される。
神に捧げるためにプレゼント(現在)が与えられていることを神に心の底から感謝している人のみが神へのプレゼント(送り者)となります。わずかな違いに見えますが、人生の諸問題の手触りが変わるほどの断層があります。一方はプレゼントが欲しい。もう一方はプレゼント「である」ことに感謝しています。n


神はどこか遠くに住んでいるわけでもありません。神はここにいるのです。





どんな方法を用いてでも、あらゆるものは神なのだということを覚えていられるならば、





自分の悩みの本質がはっきりと見えてきます。約束します。


人間が、自分は卑しい罪人であり、「父」は自分の外にいるのだという教えを受け容れたとき、人間は自分を神から完全に切り離してしまった。そしてこの理解、この信念の受容こそが、人間を繰り返し化身に戻らせている原因なのだ。


マハルシ 問題は「自分は限定されている」と考えるために起こります。その考えは誤りです。そして





その誤りを自覚する





ことはできるのです。

(対話63)


「わが魂よ、主を讃えよ(Lobe den Herrn, meine Seele)」(詩篇103)
「幸いかな、主を畏れる者(Wohl dem, der den Herrn furchtet)」(詩篇112)


過去から学び、
今日のために生き、
未来に対して希望をもつ。
大切なことは、
何も疑問を持たない状態に
陥らないことである。


こんなはずじゃなかったのに
という考えは捨てなさい。
こんなはずなのだから。


過ちは、修正をもたらしてくれる贈り物です。あらゆる小賢しいはからいや欺瞞を表面に浮上させてくれる、その機会を祝福してください。心(マインド)の暗い場所をのぞきこむ機会に感謝し、その中身を意識的検証の光の中に持ちこんでください。


他人の過失を見る必要はありません。
他人のした事と、しなかった事を見るのではなく
自分がした事と、しなかった事だけを見るようにしなさい。


告解の目的とは、他人から赦免を受けとるということではないのです。欺瞞の暗闇を投げ捨て、恐怖心と罪悪感に意識の光をあてることなのです。告解を聞く人は、裁判官ではなく、証人なのです。どんな人が証人でもいいのです。自分の役割は批判や告発ではなく、共感をもって耳を傾けることだと理解している人であるならば。


兄弟のことをよく思えないのであれば、彼にそう言って、宥しを求めます。それは相手を台座にのせてまつりあげるということではなく、自分が自己嫌悪と絶望の底なしの穴に落ちこまないための方策なのです。


あなたがたひとりひとりは、神の愛と恵みという宝石の多くの面のひとつなのです。それぞれが、それぞれの神性のシンプルな表現のしかたをもっています。ひとつの面の美しさは、別の面の輝きを打ち消すことはなく、むしろ両者の広がりと光を強めます。ある面を輝かせるものは、ほかのすべての面を輝かせるのに役立ちます。


誰かに腹を立てたり、人生そのものに嫌気がさしたりしたとき、そう感じるのはかまいませんが、一見原因らしく見えるものは、じつは真の原因ではないのだ、ということを覚えていてください。怒ったり寂しかったり不安になったりしている本当の理由は、あなたが思っている理由とは別のものです。まったくちがいます。人生という物質界のなかで、望むものを手にできないのではないかという不安よりも、もっともっと深刻な不安、もっと強烈な怖れがそこにはあるのです。


人の持つ不安がどんなに強烈なものであったとしても、神からあまりにも遠くかけ離れてしまって、自分はもう神のところへ戻れないのではないか、という不安に比べると、そうした不安はものの数ではありません。自分は神のところに行けるほどの価値がないのではないか、という巨大な怖れを人は持っています。これは圧倒的な力を持った無意識の怖れであり、誰のなかにもあるものです。どうかそれに目を向けてください。


質問者 私の年齢でもハタ・ヨーガを遂げることはできるでしょうか?


マハルシ なぜそのようなことを考えなければならないのですか? あなたは真我があなたの外側に存在すると考えるため、それを求めて努力するのです。しかしあなたは常に存在しているのではないでしょうか? なぜ自分自身を離れて、外側にある何かを追い求めるのでしょうか?

(対話619)


マハルシ いつであれ、どこであれ、一人ひとりが見ているのは、ただ自分の真我だけです。彼は世界や神を、自分の在り方にしたがって見ているのです。
ダルマプトラ(ユディシュティラ)は世界中の人々が何かしらの徳を持ち、何かしらの理由で自分自身よりも優れているのだと考えました。一方、ドゥルヨーダナにとって、この世はたった一人の善人さえいないところに見えたのです。
それぞれが自分自身の本性を映し出しているのです。

(対話531)


あなたは世界のなかに平和と調和を求めながら、あなた自身のなかにそれをもつことは拒んでいるのだ。


自心の外に浄土なし


魂には眼がある。
それによってのみ
真理を見ることができる。


「あなたは自我ではない。実在を実現しなさい」と言われたにもかかわらず、なぜまだ自我と自分自身を同一視するのでしょうか? それはちょうど「薬を飲むときに猿のことを考えてはならない」という諺のようなもので、不可能なことです。普通の人々にも同じことが起こります。実在について教えられたのに、なぜ「私はシヴァである」や「私はブラフマンである」に瞑想し続けるのでしょう? その真の意義を見極め、理解しなければなりません。単に言葉を繰り返したり、それについて考えたりするだけではだめなのです。
実在とはただ自我を失うことです。

(対話146)


あなたはそれがどんなものであっても、自分が選んだものに意識を集中する能力を持っています。どんなものにでも──無にでさえもです。とにかく、あなたはあらゆる瞬間に、何らかのものに意識を集中することを選んでいるわけです。光を望むのでしたら、自分の純粋な目覚めた意識を内側の光のあるところに向けてください。たえず変化しつづける外側にあるものに意識を集中しようとするのではなく、内側にある絶対的に安全なところ、現象界のエゴの波の満ち引きに引っ張られたりすることのない場所を見つけてください。


マハルシ あなたがどの場所に、どのように置かれているかということに何の意味があるでしょう?
重要なのは、「心が常に源にとどまっていなければならない」ということです。内面にないものが外面に現れるということはありません。すべては心だからです。心が活動的であれば、たとえ隠遁していても市場にいるのと同じです。目を閉じることは何の助けにもなりません。心の目を閉じなさい。そうすれば、すべてはうまくいくでしょう。世界はあなたの外側にはないのです。心正しき人は、行為する以前に計画を立てたりはしません。なぜでしょうか? なぜなら、私たちをこの世界に送り込んだ神には、神自身の計画があるからです。そしてその計画は必ず成就されることになるのです。

(対話542)


自分が嫌っている相手や感情を本当に知ると、嫌悪感はなくなります。自分を怖がらせるものや自分にはとても対処できないと思う状況に人は嫌悪感を抱くのです。恐怖を感じる状況をみずから体験しないですむためには、その状況にまつわる心理を感じ取り、理解しようとする意志をもてばいいのです。また、自分とその状況とは何の関係もないのだ、そうした嫌悪したくなる状況を現在演じている人間と自分とのあいだにははっきりとした区別があるのだ、という非現実的な思いこみをなくせばいいのです。その人たちが演じてくれていることに感謝しましょう。おかげで、あなたは彼らという鏡の中に自分自身を見る機会をあたえられ、みずからそれを直接体験せずにすんでいるわけです。
どういう形であれ、あなたがほかの人に同情したり、共感したりするとき、あなたはもはやその相手から分離されてはいません。


前にも言いましたが、自分が嫌だと思うものが人であれ、状況であれ、何であれ、あなたがそれを見たり考えたり想像したりできるということは、それがあなたの中にもあるということです。あなたの中になければ、あなたはそれを見たり、それについて考えたり想像したりできないからです。何かに嫌悪感を感じたら、それが自分のグリッドの中にあって、自分はそれから逃げ出さないで体験する必要があるのだと気づくと、嫌悪感は自然になくなります。


砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているからだよ


道は千載不滅だよ。 いかなる大敵でも、 道には勝てぬ。


どんな教師の指示にしたがうのでもなく、自分自身でいることだ。なぜなら、あなたの「神なる自己」についてあなたに教えることができる者など、誰もいないからだ。つまり、彼らが教えることができるのは、彼らの「神なる自己」のことだけなのだ。自分の運命を成就するためには、本当の自分、あなた独自の自分にならなくてはならない。ほかの人間の生き方にしたがって生きようとすれば、あなたはけっして本当の自分にはなれない。あなたが誰なのか、そしてあなたの内面に宿るこの炎は何なのかを理解するただひとつの道は、自分自身の感情的な理解という真実を通してなのだ。
自分であるものをひたすら愛し、自分の内なる神に耳を傾けなさい。その神は、とてもかすかな声で語りかけてくる。


マハルシ 二元性と欲望の根本は外側へと向かう心です。
人は仕事を遂行する間、高次の力に自分自身を明け渡し、そのことを常に心に刻みこんで、けっして忘れてはなりません。そうするなら、いったいどうして得意になることができるでしょう? 彼は行為の結果に関心を持つべきでさえないのです。そうしたときにのみ、行為は非利己的となるのです。

(対話502)


テレビはたとえ故障していなくても、スイッチを入れない限り何も起きません。人は自分とテレビとの関係を明確に理解していますから、何も起きなくて当然だと思っています。そこで私があなた方に望むことは、テレビについてのすばらしい知恵のすべてを、もっと広い次元に応用し、「このすばらしい電磁流のスイッチを入れるのは、私の責任です」と宣言することです。


では、自分が本当に愛情深い人間かどうか、どうしたらわかるのでしょうか。あなた方にとって、その答えはあまりにシンプルすぎて、受け入れがたいかもしれませんが、こういうことです。自分の心をよぎるすべての人、自分の目の前に現れる人のすべてに対して、温かい思いやりの心とその人たちの気持ちを理解する心を持つことができたとき、その人は本当に愛情深い人ということができます。


相手は”神の大いなる光”で満ちているのだ、ということをつねに覚えていてください。そうした態度が、人の”存在”が持つ、言葉では表現できない神秘のなかから、愛の贈り物を引き出してくれます。あなたが彼らに贈り物を与え、その贈り物があなたのところに戻ってくるわけです。与えることと受け取ることは同じことです。あなた方はこの目的のためにおたがいを創造したのです。つまり、「本当の私たちは、自分たちが考えているようなものではない」ということを、おたがいに思い出させてあげるためです。


6歳の子供に説明できなければ、理解したとは言えない。


困難の中に、機会がある。


同じことを繰り返しながら、違う結果を望むこと、
それを狂気という。


すべての宗教、芸術、科学は、
同じ一つの木の枝である。


盤上のすべての石は連携している。
存在意義のない石なんてない。


あせってはいけません。
ただ、牛のように、
図々しく進んで行くのが大事です。


国宝とは何物ぞ、宝とは道心なり、道心あるの人を名づけて国宝となす


天は万物を生みて所有せず、育ててこれを支配せず。


たとえ国家が要求しても
良心に反することをしてはいけない。


だれに対しても、
不正を不正でもって、
悪を悪でもって、
埋め合わせしてはいけない。
よしんば、その相手に
どれほど苦しめられていようとである。


どのような状況になろうとも人間にはひとつだけ自由が残されている。
それはどう行動するかだ。


人は各種各様(かくしゅかくよう)の旅をして、
結局、自分が持っていたものだけを持って帰る。



そもそも我々が人生の意味を問うてはいけません。
我々は人生に問われている立場であり
我々が人生の答えを出さなければならないのです。


人間の目的は生まれた本人が、
本人自身のために
つくったものでなければならない。



鉄舟「修身二十則」
(鉄舟が満13歳の時に自身に課した人生訓)


一 嘘を言うべからず候
二 君の御恩は忘るべからず候
三 父母の御恩は忘るべからず候
四 師の御恩は忘るべからず候
五 人の御恩は忘るべからず候
六 神仏ならびに長者を粗末にすべからず候
七 幼者をあなどるべからず候
八 己れに心よからざることは、 他人に求むべからず候
九 腹を立つるは、 道にあらず候
十 何事も不幸を喜ぶべからず候
十一 力の及ぶ限りは、 善き方につくすべく候
十二 他をかえりみずして、 自分のよきことばかりすべからず候
十三 食するたびに、 稼穡(※)の艱難を思うべし、 すべて草木土石にても、 粗末にすべからず候
※かしょく・・・種まきと収穫、農業
十四 ことさらに着物を飾り、 あるいはうわべをつくろう者は、 心に濁りあるものと心得べく候
十五 礼儀を乱るべからず候
十六 何時何人に接するも、 客人に接するように心得うべく候
十七 己の知らざることは、 何人にても習うべく候
十八 名利のために、 学問技芸すべからず候
十九 人にはすべて能不能あり、 いちがいに人をすて、 あるいは笑うべからず候
二十 己れの善行を誇り顔に人に知らしむべからず、 すべて我が心に恥ざるに務むべく候


もののふ(武士)というものは、 出所進退を明らかにし、 確乎として自己の意志を決した以上は、 至誠もって一貫するのが、 真の武士でまた武士道でもある。


晴れてよし 曇りてもよし 富士の山 もとの姿は 変わらざりけり


人は至誠をもって四恩の鴻徳を奉答し、 誠をもって私を殺して万機に接すれば、 天下敵なきものにして、 これがすなわち武士道である。


一国を治めるものは、 まず手近く自身からしなければならない。 親子兄弟一族の治めがついて、 さしつかえがないというに至ったならば、 この秘法はたちまちに万機に応じることができる。


剣法を学ぶ所以は、 ひとえに心胆練磨。 もって、天地と同根一体の理を果たして、 釈然たる境に、 到達せんとするにあるのみ。


およそ大凡人たるものは、 誠忠が肝要である。 ゆえに時変に接しては 死を見ること帰するがごとき 確固たる心胆を動かさぬように 鍛練が第一である。


道は千載不滅だよ。 いかなる大敵でも、 道には勝てぬ。


人である以上は、 なにびとに限らず 人の本分を尽くさねばならない。 人間である以上は、 他の動物と異なる 人間らしい道を歩まねばならない。


心身ともに忘れ、 自ずから天地万物、 一筆に帰するの妙。


無刀とは、 心の外に、 刀が無いこと。 敵と相対するとき、 刀に拠ることなく、 心を以って心を打つ、 これを無刀という。


自然は教師なり、 自然を眺めて学び、 自然に即して考える。


人のこの世の中に処するには、 必ず大道を履行しなければならない。


宇宙と自分は、 そもそも一体であり、 当然の帰結として、 人々は平等である。 天地同根、 万物一体の道理を悟ることで、 生死の問題を越え、 与えられた責務を果し、 正しい方法に従って、 衆生済度の為に尽くす。


諸行無常のならいにて、 因果は車の輪のごとく、 密接不離のものである。


人には必ず信心という大磐、 すなわち宗教心が第一である。



天叢雲剣(草薙の剣)とは、【三種の神器】の一つとして知られています。今回の天皇交代の儀式においても、三種の神器を持つ者が本当の天皇とされますが、天叢雲剣だけは天皇家にあるのではなくて【熱田神宮】にあります。で、残りの二点を持って天皇である証の儀式が行われたなのです。それに関してはニュースでも天叢雲剣は熱田神宮にあると流されていました。


しかしながら、霊的世界に関わっているとどの御神霊も「鏡・玉・剣」の三種を持っておられます。古代においては、「鏡・玉・剣」は別に天皇たる証ではなくて、支配者としての象徴ではなかったのかと言われています。それは古代の遺跡発掘において、「鏡・玉・剣」の組み合わせが出土するからです。


天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)とは、素戔嗚尊が【八岐大蛇】を退治した時にその大蛇から取り出した剣とされ、それを日本武尊(倭建命)が東征をする時に伊勢神宮の斎宮「倭姫命」から日本武尊に渡されたとします。その日本武尊の出来事から別名「草薙の剣」とも呼び、日本武尊が亡くなった後にその従者たる尾張氏が熱田神宮に剣を御神体として祀ったとします。


一方、形代として宮中に残された天叢雲剣は、源平合戦の壇ノ浦の戦いで安徳天皇が入水したことにより、関門海峡の海の底に沈んだことで天皇家にも存在しません。


私は神霊世界を見聞した中で、俗に言われる神鏡と神剣とは私達が思っている鉄とか青銅の類い物ではないことを知りました。霊的世界ではそうした神鏡とか神剣は間違いなく存在しているのです。ですから、この世にあるのは「レプリカ」とか模造品的なものと言えます。一部の霊能者の方達のなかには、自分は霊的な三種の神器を持っていると公言される方達がありますが、それは神々も三種の神器を持っておられることからして嘘だとは言い切れないのです。


例えば、西洋で天使とされる存在の霊達も神刀を持っています。私達日本人にとっては馴染みが深い不動明王や明王と呼ばれる仏界の仏像にしても、どの仏像も剣を持っています。霊界においては、神仏や天使達は霊剣を持っているなのです。


私は神霊世界の修業に入った頃、豊受姫の庇護の元に修行して来ました。すると多くの行者さんから、私が豊受姫から霊的な【御神刀】を賜っていないと知ると、皆さんからあり得ないと言われてしまいました。行者であれば自分の身を守る為に御神霊から「神刀」を賜るものだからです。


確かに、日本の神社の神達の中では、参って来た者に「神刀」を贈り物として渡すがあります。神界では神刀は【贈答品】の役割もあるなのです。


私は2番目の師匠の元で、自分はどの神様からも「神刀」を賜ってないと話したところ、国常立尊を詐称していたその御祭神から「神刀」を賜ったのですが、この神刀はまさに妖刀村正みたいな神刀で、霊達が自分を斬ってください。自分を斬ってくださいと押しかけて来るので、あまりの凄さにその神刀を捨てました。すると、霊の懸かりが起きなくなりました。


何故に、霊達は私にその神刀で斬ってくださいと押しかけて来たのか?。その理由は大国主命様の神刀の使い道で理由が解りました。それは、霊界で自己の魂が汚れてしまったことによる苦痛を消す為には、魂の汚れた部分を神刀で削って(身削ぎ)くださいと言うことだったのです。


つまり、


神刀の使い道には魂の禊ぎ(身削ぎ)もあり


天叢雲剣とは、天の剣で業(カルマ)を取る


霊が神刀で切ってくださいと押しかけて来るのは、何も知らない人からすると変だと思いますが、私が豊受姫の命令で現在地に家を建てる時、それを妨害する方がありました。すると、大国主命様が出て来られてその妨害者を神刀で切ってしまわれたのです。それを最初の師匠に話したところ、その妨害者は間もなく死ぬだろうと言われます。


ところが、その妨害者は死ぬのではなくて、その性格が一変してしまったのです。今度は逆に協力に変わったのです。その意味は解りました。その妨害者の魂は非常に汚れていたのですが、大国主命様が神刀で切られたのは、その魂の汚れた部分を神刀で【削ぐ】われたのです。為にその性格が一転してしまったのです。


日本神道には【禊ぎ】の言葉があります。この「禊ぎ」は


禊ぎ=【神との契約の示し】で、「身削ぎ・身殺ぎ」


自己の魂の汚れた部位を、身削ぎ身殺ぎすることによって汚れ無き玉にする


霊が神刀で切ってくださいと押しかけて来たのは、この禊ぎに「身殺ぎ・身削ぎ」の意味があるからです。


しかしながら、いくら汚れた魂でもその魂の汚れた表面を削れば、その魂は小さくなります。魂が人として幾度も幾度もこの世に輪廻転生で出た意味には、自己の魂を磨くと共に自己の魂を大きく成長させる意味合いがあります。


その魂を削って小さくしてしまうことは、魂そのものは救えますが最終的な手段になってしまいます。


すなわち、外科的な手術ではなくて、何等かの薬によって魂の表面を削ぐではなくて、内部から魂の汚れを取ってしまうのが本筋なのです。


そこに出て来るのが、人には「良心と呼ばれる神が内在する」であり


人の良心神は、魂の汚れを削ぐ神の「神刀」の働きを持つのです



地球を襲った5回の「大量絶滅」と人類の未来への警告


地球の歴史が始まって以来、誕生した生物の99%が絶滅している。生命の歴史において絶滅は不可避であり、種の絶滅は常に起きている。ある種が絶滅して空いた穴は自然淘汰によって、生き残った生物や新たに誕生した生物が埋める。


一方で大量絶滅が起こった場合には、短期間に生物の多様性を大きく損なう規模の絶滅が起こり、新たに誕生する生物によってもその穴を埋めることができない。そういった大量絶滅は地質に残されている。


古生物学者らはこれまでに起きた5回の大量絶滅を特定している。4億4300万年前のオルドビス紀の終わり頃、推定86%の海洋生物が地球上から姿を消した。3億6000万年前のデボン紀の終わりには全生物の75%が絶滅した。2億5000万年前のペルム紀の終わりには史上最大の絶滅が起き、生物の96%が消えた。


2億100万年前の三畳紀の終わりには全生物の80%が姿を消した。最も有名な大量絶滅は6500万年前の白亜紀の終わりに発生した。このときは恐竜やアンモナイトを含む76%の生物が死に絶えた。他にも1万年前の、更新世の氷河期の終わりに起きたメガファウナ(巨大動物)の絶滅などもある。


大量絶滅の原因については、火山の噴火や隕石の衝突、気候変動などの天災が指摘されている。恐竜が消えた大量絶滅の原因として最も可能性が高いのは巨大隕石の衝突で、地球規模で生態系に影響を与えた。


氷河期の終わりに起きた大型哺乳類の絶滅の原因としては、気候変動に加えて人類による狩猟採の影響もあるかもしれない。


過去400年で数多くの哺乳類や鳥類、両生類、爬虫類が絶滅した。2011年にネイチャーで発表された論文では、現在の生物の絶滅率と、地質学的に平穏な時期と大量絶滅が起きた時期の率が比較された。その結果、現在の生物の絶滅率が過去よりも高く、大量絶滅に向かっていると結論づけられた。


人間の活動が地球規模で環境に影響を及ぼし、その悪影響は加速しているのだ。


国連が主催する政府間組織「生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学-政策プラットフォーム(IPBES)」は5月6日、人間の活動によって100万種の動植物が絶滅の危機に瀕しているというレポートを公開した。


報告によると、現在知られている種の4分の1が絶滅の危機に瀕している。両生類が最も危険にさらされており、調査対象の種の40%が絶滅しかけている。続いて針葉樹が34%、サンゴ礁が33%、サメやエイなどの軟骨魚類が31%、哺乳類が25%、そして鳥類が14%だった。


無脊椎動物では調査対象となった甲殻類の27%が絶滅の危機に瀕している。昆虫の数が激減していることも、最近の調査から分かっている。

David Bressan
2019/05/26 09:00


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