人が(人間以外のなにかによって)分けられているときその情報は


(一般には)出回らない。戯言や虚言と混同されるから。
未来を見通せるような発言をするコメンテーターだって、実際には3か月先さえ見えていない。
人間の目、はそれほど精度が低い。逆に人間以外の目は、予想外に精度が高いことがある。
流通する情報には格差がある。
2019年にテレビや新聞、ネットで流れたニュースはニュース全体の階層的格差の「下」に位置する。「中」や「上」のニュースは別の場所で流れている。
たとえば「中」では、「中華人民共和国」を取り巻く状況を日本のマスコミとは異なるように捉えているし、流している。「上」では、「人類が居住する惑星を分けることについて、と、分けるからこその心構えについて」既に言及している。
量子コンピュータの記事について引用したが、あれは人類の現実で、
「下」のニュースでは進歩として華々しく報じられている。
同時に「上」のニュースでは、「なぜいまの現代人類ホモ・サピエンスがこれから滅びるのか、記録せよ」と警告が流れだしている。
同じ事実を「二つの異なる解釈」がニュースとして既に流している。
目に見えない・表に顕われないことと、
それが既に存在していることは別のことだ。
フィオラは今年「裏・裏・裏・裏・裏を読め」と連呼したが、最終的な価値や方向性はいつも、「上」が決定する。n131157



要は、本質を貫いていれば


どんな政変にも、時代の変化にも対応できた、いまこのときにも対応できると言われているようです。ではその肝心の本質とはなにか。
それが「自分の、浄化のみに責任をもつ」です。
北朝鮮の挙動には責任をもてません。
国家防衛にも責任をもてません。
個人に責任がもてるとしたらただひとつ、それだけです。
かっこつけて母国語ではない言語を適当に用いたときの不恰好さと来たら…
よく知らないものをよく知らないまま扱うということはそれだけ危険なことです。n130011


「わが魂よ、主を讃えよ(Lobe den Herrn, meine Seele)」(詩篇103)
「幸いかな、主を畏れる者(Wohl dem, der den Herrn furchtet)」(詩篇112)


自分が嫌っている相手や感情を本当に知ると、嫌悪感はなくなります。自分を怖がらせるものや自分にはとても対処できないと思う状況に人は嫌悪感を抱くのです。恐怖を感じる状況をみずから体験しないですむためには、その状況にまつわる心理を感じ取り、理解しようとする意志をもてばいいのです。また、自分とその状況とは何の関係もないのだ、そうした嫌悪したくなる状況を現在演じている人間と自分とのあいだにははっきりとした区別があるのだ、という非現実的な思いこみをなくせばいいのです。その人たちが演じてくれていることに感謝しましょう。おかげで、あなたは彼らという鏡の中に自分自身を見る機会をあたえられ、みずからそれを直接体験せずにすんでいるわけです。
どういう形であれ、あなたがほかの人に同情したり、共感したりするとき、あなたはもはやその相手から分離されてはいません。


前にも言いましたが、自分が嫌だと思うものが人であれ、状況であれ、何であれ、あなたがそれを見たり考えたり想像したりできるということは、それがあなたの中にもあるということです。あなたの中になければ、あなたはそれを見たり、それについて考えたり想像したりできないからです。何かに嫌悪感を感じたら、それが自分のグリッドの中にあって、自分はそれから逃げ出さないで体験する必要があるのだと気づくと、嫌悪感は自然になくなります。


道は千載不滅だよ。 いかなる大敵でも、 道には勝てぬ。


マハルシ 二元性と欲望の根本は外側へと向かう心です。
人は仕事を遂行する間、高次の力に自分自身を明け渡し、そのことを常に心に刻みこんで、けっして忘れてはなりません。そうするなら、いったいどうして得意になることができるでしょう? 彼は行為の結果に関心を持つべきでさえないのです。そうしたときにのみ、行為は非利己的となるのです。

(対話502)
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