やまさん、初めまして。コメントありがとうございます。
少しでもお役にたつ記事があったのであればとても嬉しいです。
最近書くことがなかったので、本文内で返信させていただきます。
ツッコミどころがあればご遠慮なくおっしゃってください。
少しでもお役にたつ記事があったのであればとても嬉しいです。
最近書くことがなかったので、本文内で返信させていただきます。
ツッコミどころがあればご遠慮なくおっしゃってください。
>はじめまして。
>やまと申します。
>3か月ほど前からステートオブプレゼンス定着の訓練をしています。
>ステートオブプレゼンスについて調べている中でこちらのサイトに辿りつきました。
>過去の記事ですが、非常に参考になる記事ばかりで感謝しています。ありがとうございます。
>一つ質問させていただいてよろしいでしょうか?
>瞑想中に深くSを感じる時はノーマインドという状態になるのですが、日常で大まかにSを感じているとノーマインドにはならず、いつも通り思考が沸き起こってきます。
>おおざっぱに感じているSでは意味がないのでしょうか?
>お忙しい中恐れ入りますが、よろしくお願いいたします。
やまさんのご質問を「わたしがどう解釈したか」ご理解いただくためにも、最初に整理させていただきますね。
3ヶ月ステートオブプレゼンスの訓練をされていらっしゃって、こんな日記を訪れてくださり、こういう質問をされる方である以上、熱意(最重要です)は十分で、具体的な悩みにのみ焦点が向かっている状態だと感じました。やまさんは放っておいても、その熱意によって、必ずご自分の望む地点に到達されると思います。
S(気づいている意識、静寂)という言葉を使うのがわたしも久しぶりですので、わたしが用いていたSの定義から改めますが、Sとは「自動発生している気づきに「気づいている」状態」です。
失くそう!と思っても不可能です。自動発生していますので、この気づきは「ある」だけでコントロールできません。
これを視覚的に理解するために、「太陽」とイメージください。
太陽は一つだけです。ステートオブプレゼンスが定着する、しないという概念に関わらず、この太陽は最初からありましたし、いまありますし、これからもあり続けます。
太陽に気づくもう一つの「太陽」は存在しません。
太陽はただ一つです。気づきとは、この太陽です。
わたしたちとは、いま、「太陽である」存在です。
太陽を知ることができる存在ではありません。
「太陽である」ことに様々な名前をつけ、概念化しているだけです。
Sやステートオブプレゼンスを忘れていても「太陽である」ことに変わりありませんから、ステートオブプレゼンスの定着訓練を始める前も、今も、やまさんは「太陽」であって、それ以外ではありません。
やまさんは「ノーマインド」と「思考が沸き起こる状態」を対比されて、そこに何らかの価値判断をもたらそうとされていますので、この動機と精神的行為自体が「一連の思考」であることに
いま、リアルタイムで「眺めている」かどうか。
「思考に気づいている」または「無思考に気づいている」のどちらかを「いま」満たせるはずです。
それは、「頭の中の音」に気づいている、または、「頭の外の音」に気づいているのどちらかまたは両方です。
頭の中の音は思考であり、外の音は自然音です。
思考のささやきと自然音は同時に聞けるはずです。
聞けるというのはふとしたときに聞こえてくるという曖昧な意味ではなく、
思考の「起こり」または自然音の「起こり」にコンマ一秒の遅れもなく、気づけてしまう自動発生の「気づき」自体を「いま意識」していること。
言葉で書くとややこしいですが、「気づきで、ある」ことです。
起こりに気づいている状態に「とどまる」ことです。
起こりに気づいている状態に「とどまっている」ならば、
思考はまったく発生しなくなります。
これが深い瞑想状態のノーマインドと同じだと思います。
思考が発生しては「いけない」わけではありません。そんな価値判断(それも思考)はどこにもありません。
ですが、「思考は発生しなくなる」のが明らかな基準です。
思考が発生し続けているなら、それらの思考の「起こり」に気づいている気づきに「気づいていない」ということです。
極めて、重要な点です。
やまさんのご質問内容自体が、ステートオブプレゼンス定着の核心です。
Sを大雑把に感じているという状態はありません。
気づきは、太陽は確固たるものです。
その確固たるものに気づいているか気づいていないかが二択なんです。
くどいようですが、確固たるものに気づいているとは、
思考の文章が発生する「起こり」のタイミングに気づいているか、
自然音が発生する「起こり」のタイミングに気づいていることによって、
気づき自体を意識している(=気づきそのものである)ことです。
わたしは、「頭蓋骨内外の二つの音の起こり」を同時に聞くことと、触覚を感じることで、
二つの音+触覚
この三つの感覚をステートオブプレゼンスへの「入り口」として使うことが多いです。
ご質問へのとりあえずの回答としては、こんなところでしょうか。
「思考が発生するのは、気づきの焦点が源に向いていない」としか思えないということです。
ただ現実問題、仕事中は難しいと思います。
わたしは空き時間にノーマインドをどのくらい保っているかだけで十分だと思います(ニサルガダッタ・マハラジの立場)。
バーソロミューなら、仕事中もステートオブプレゼンスの維持を最優先していただけませんか?と言うでしょう。
とりとめのない返信になりましたが、今夜はこのへんで。
ありがとうございました。
追記
ちょうどやまさんからコメントいただいた時刻に感じていたことがあったんです。
水墨画ってありますね。水墨画は墨汁でできています。
白い紙は忘れてください。墨汁だけで絵が構成されていると考えるんです。
世界の構成要素は単一の気づき「墨汁」だけです。
では、今この瞬間「墨汁」はどのようなかたち、どのような音、どのような触覚として顕現しているか。
墨汁のかたちは刻一刻と変わっていきますが、「いま」「墨汁(気づき)が」「ある」ことは変わりません。
墨汁のかたちは知ることができません。墨汁は「いま、ともにある」ことだけができるんです。
わたしも墨汁だから。
やまさんのご質問を「わたしがどう解釈したか」ご理解いただくためにも、最初に整理させていただきますね。
3ヶ月ステートオブプレゼンスの訓練をされていらっしゃって、こんな日記を訪れてくださり、こういう質問をされる方である以上、熱意(最重要です)は十分で、具体的な悩みにのみ焦点が向かっている状態だと感じました。やまさんは放っておいても、その熱意によって、必ずご自分の望む地点に到達されると思います。
S(気づいている意識、静寂)という言葉を使うのがわたしも久しぶりですので、わたしが用いていたSの定義から改めますが、Sとは「自動発生している気づきに「気づいている」状態」です。
失くそう!と思っても不可能です。自動発生していますので、この気づきは「ある」だけでコントロールできません。
これを視覚的に理解するために、「太陽」とイメージください。
太陽は一つだけです。ステートオブプレゼンスが定着する、しないという概念に関わらず、この太陽は最初からありましたし、いまありますし、これからもあり続けます。
太陽に気づくもう一つの「太陽」は存在しません。
太陽はただ一つです。気づきとは、この太陽です。
わたしたちとは、いま、「太陽である」存在です。
太陽を知ることができる存在ではありません。
「太陽である」ことに様々な名前をつけ、概念化しているだけです。
Sやステートオブプレゼンスを忘れていても「太陽である」ことに変わりありませんから、ステートオブプレゼンスの定着訓練を始める前も、今も、やまさんは「太陽」であって、それ以外ではありません。
やまさんは「ノーマインド」と「思考が沸き起こる状態」を対比されて、そこに何らかの価値判断をもたらそうとされていますので、この動機と精神的行為自体が「一連の思考」であることに
いま、リアルタイムで「眺めている」かどうか。
「思考に気づいている」または「無思考に気づいている」のどちらかを「いま」満たせるはずです。
それは、「頭の中の音」に気づいている、または、「頭の外の音」に気づいているのどちらかまたは両方です。
頭の中の音は思考であり、外の音は自然音です。
思考のささやきと自然音は同時に聞けるはずです。
聞けるというのはふとしたときに聞こえてくるという曖昧な意味ではなく、
思考の「起こり」または自然音の「起こり」にコンマ一秒の遅れもなく、気づけてしまう自動発生の「気づき」自体を「いま意識」していること。
言葉で書くとややこしいですが、「気づきで、ある」ことです。
起こりに気づいている状態に「とどまる」ことです。
起こりに気づいている状態に「とどまっている」ならば、
思考はまったく発生しなくなります。
これが深い瞑想状態のノーマインドと同じだと思います。
思考が発生しては「いけない」わけではありません。そんな価値判断(それも思考)はどこにもありません。
ですが、「思考は発生しなくなる」のが明らかな基準です。
思考が発生し続けているなら、それらの思考の「起こり」に気づいている気づきに「気づいていない」ということです。
極めて、重要な点です。
やまさんのご質問内容自体が、ステートオブプレゼンス定着の核心です。
Sを大雑把に感じているという状態はありません。
気づきは、太陽は確固たるものです。
その確固たるものに気づいているか気づいていないかが二択なんです。
くどいようですが、確固たるものに気づいているとは、
思考の文章が発生する「起こり」のタイミングに気づいているか、
自然音が発生する「起こり」のタイミングに気づいていることによって、
気づき自体を意識している(=気づきそのものである)ことです。
わたしは、「頭蓋骨内外の二つの音の起こり」を同時に聞くことと、触覚を感じることで、
二つの音+触覚
この三つの感覚をステートオブプレゼンスへの「入り口」として使うことが多いです。
ご質問へのとりあえずの回答としては、こんなところでしょうか。
「思考が発生するのは、気づきの焦点が源に向いていない」としか思えないということです。
ただ現実問題、仕事中は難しいと思います。
わたしは空き時間にノーマインドをどのくらい保っているかだけで十分だと思います(ニサルガダッタ・マハラジの立場)。
バーソロミューなら、仕事中もステートオブプレゼンスの維持を最優先していただけませんか?と言うでしょう。
とりとめのない返信になりましたが、今夜はこのへんで。
ありがとうございました。
追記
ちょうどやまさんからコメントいただいた時刻に感じていたことがあったんです。
水墨画ってありますね。水墨画は墨汁でできています。
白い紙は忘れてください。墨汁だけで絵が構成されていると考えるんです。
世界の構成要素は単一の気づき「墨汁」だけです。
では、今この瞬間「墨汁」はどのようなかたち、どのような音、どのような触覚として顕現しているか。
墨汁のかたちは刻一刻と変わっていきますが、「いま」「墨汁(気づき)が」「ある」ことは変わりません。
墨汁のかたちは知ることができません。墨汁は「いま、ともにある」ことだけができるんです。
わたしも墨汁だから。
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