(CNN) 中東イエメンの反体制派であるイスラム教シーア派の武装勢力「フーシ派」は6日、政権掌握を宣言、議会に代わる組織や大統領評議会を樹立すると発表した。


同派は今年に入り武装闘争を先鋭化させ、首都サヌアで大統領官邸や政府庁舎などを制圧。ハディ暫定大統領や高官らは辞任を表明していた。政情の一層の混乱を回避するため国連主導による協議が約2週間続いていたが、フーシ派の今回の行動は話し合いの決裂を意味する。


ただ、フーシ派の宣言に対するイエメンの他勢力や外国政府の反応は伝えられていない。イエメンはイスラム教スンニ派が多数派。


米国などはイエメンを対テロ戦の同盟国と位置付け、同国に拠点を築く過激派「アラビア半島のアルカイダ(AQAP)」掃討を進めてきたが、フーシ派の権力奪取宣言でこの作戦に影響が出る可能性がある。


同派は「革命委員会」が今後、イエメンの最高意思決定機関になると発表。同委が、現在の議会の代替組織となる「暫定国民評議会」の設立に当たる。同評議会の定員は551人。


評議会はまた、大統領評議会を構成する5人を選出する。大統領評議会の任期は2年としている。



韓国ドラマが好きなんですが
とても感情的な愛憎劇を見ているとこだわってるなと感じます。


歯軋りします。そして血が流れるくらい歯軋りできる感情って
裏を返せば圧倒的な「私」感を形成する想念の同一視がそこにはあるわけです。
「私」が悔しがっているんですね。「私」を通す以外はそれだけのこだわりは発生しないんです。


「私」は所有したり、好き嫌いがあったりしますから、
ドラマに揺さぶられていつも不安定です。


「私の女だ」
これは怪しい想念ですよね。
何が怪しいのか。
「私の」が実在するかどうかが怪しいんです。


もし「私の」が実在しないなら、残るのは
「女だ」
なんです。


でも、「私」が消えたとき、「女だ」も消えるんです。
解釈する「私」そして測定する「私」がいないからです。
それが「あるがまま」が指す現実です。
「わたしは在る」が指す現実です。


つまりこれらの言葉は
もっとも、
もっとも、
単純なものを指しているんです。


それは「私」という思い込みの以前に厳然と存在している
無想の意識、気づきの意識、努力なしの意識、
「あるがまま=これ」です。


Manaさんが素直を「素に直る」と今日の記事で書かれていましたが、
それはManaさん流に書けば
バレーボールで相手チームのサーブを待ってるときの
「…」←無言でどの方向にも動ける意識状態。素の意識です。


「待ち受け」の意識とでも書くなら
この「待ち受け」は全肯定なんです。何とも衝突しません。否定しません。抵抗しません。
否定する「私がいない」んです。


ただ、あるがまま。これ。
わたしたちの本質がこれから外れることがあるでしょうか、ないでしょうか。


答えが何であろうとも、自分で見出した答え以外は無意味です。
わたしたちは実際には他人の意識など目撃したことはありません。
唯一体験しているのは、自分の意識だけなんです。


すべては起点問題です。
起点が間違っていれば、結果が間違います。
結果が出ないのは(都合のいい結果が出ないのは)
起点が間違っているからです。(都合のいい結果を欲しくなる起点だから)


壊れているものは起点として不適格です。
壊れているものが導く先は壊れているものです。


誰かが、あなたは「壊れている」と主張した場合、
問題は主張した誰かではありません。


当の私が「壊れている(私がいる)」と信じていることです。
その起点では永久に空回り。結果は直りません。


誰もが
「壊れていない起点」に戻るよう促されています。


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