有名なチャングムの誓いですが、この第30話は色々考えさせられます。


「私は医者である前に一人の人間でありたいのです」
「人間である前に医者でなければならない」
「怒りに満ちた者にチャングムを預けるわけにはいかない」
「怒りに満ちた者は決して優れた医者にはなれない」
「怒りか医術かどちらかを選ばなければならないときがきっと来る」
「私と同じように苦しませたかった」
「成功する人間はどんな人間か知ってる?一直線に進む人間よ。でも、もう一つ大事なことがあるの。現実を知り、その上に立つこと。周りの者を味方につけて、力を振るうこともできなければ。あんたはその難題に挑むことになる」


心医(心ある医者)ホジュンなども大好きなのですが、
すべての医者は心医でなければなりません。
患者が求めているのは心医だけだからです。
そして心医は患者のおかげで己の邪心から救われています。


でも、その受け継がれる理想像は、個人が抱える怒りを「抑圧」した先には描けません。
徹底的に自分と向き合った上で、「(自己の本質の中に)見つけなければ」ならないんです。


心医はそこから生まれるんです。
「それでも救えと言うの?」
他人は言わないんです。


人が救う必要があるのはただ一人、自分だけです。
自分を自分の身勝手さから救わなければならないんです。



低レベルな創作にしか思えない「あの世」現実派
(これが科学的に正当性があると認識して日常を生きている人たちは少数派です)


テレパシーってありますが、あの世のことを思い出している人といない人の違いがこの辺りの「感覚」にあるのではないかと思います。


言葉に出さずに念がそのまま相手の頭に声として響く世界があるって信じられるでしょうか。


同じ時、同じ場所、いまここに。
それは非-時間/非-空間の虚空に許され同時展開、重層的に存在しています。
ラジオの番組に似ています。同時間帯に周波数が変化するだけで番組の内容は変化します。


チャネリング、交霊と呼ばれる現象はこれを利用しています。


地上では「重力」が常に作用を感じとれる物理法則ですが、
「テレパシー」はより精妙なもう一つの現実世界での物理法則です。


空気読めないなどという言葉が無意味な世界が展開されています。


「(そうは言っても)創作でしょ、そんなことあるわけない」
というのが一般的な日常感覚です。


実際はこの世を支配しているのは日本人が昔から大切にしていた以心伝心、テレパシーです。
本来のテレパシーの世界の周波数が粗くなり
この世の番組ができています。


寝ているときの夢の内容が起きてすぐ薄れていくように、
わたしたちの異なる世界の体験は「潜在意識の底に薄れていってしまう」ことになります。


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