どこかのクイズ番組のようにジャンル選択がたくさんあるとして


一番多くの人が選ぶのは結局「神」と一字書かれたジャンルだと思います。「真我」でもいいです。そしてこれは「すべて」と同義なので、ジャンル選択になっているようでなっていないとも言えます。
今日あなたに「起こったこと」は「あなたのすべてではない」
明日も、明後日も、その次の日にも「起こったこと」は「あなたのすべてではない」
でも、それらすべてが「起こりうる可能性、表示できる可能性」は
「あなたのすべて」なんです。


今、その可能性から離れているでしょうか?


今、その可能性の見方を歪めてしまっているだけである可能性はあるでしょうか?


誰もが「私」の「闘い」に忙しいです。「私」を手放すことはできません。
できるできないの可能性すら思いついていません。
「私は私が考える私である」と思い込んでいます。
→「だから闘わなくては」とも連鎖的に思い込んでいます。
そうではありません。
「I AM THAT I AM.」です。


すべての人のあり方がいまそのままで神のタペストリーです。
でも、(ここからが大事です)
神が遍在であっても、「神を感じる力」がなければそこが楽園であることには気づけません。


おそらく上の方々がおっしゃるところの
「汚れ」と「人生の選択」
つまり「人生の洗濯」がうまく進んでいません。


そこに「神を見いだそう」としなければ、
「浄化の可能性を素直に神にお聞きしなければ」
「そういう謙虚さのある態度を神に対し開ける者でなければ」
いまこの環境の変化には対応できないと言われているんです。n


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