一歩を軽んじる


誰にも言えることなんですが、自分が踏み出した一歩、直前の一歩を歩幅が小さいから狭いからあやふやだからと軽視したり、自虐的に見てしまうことがあります。でもですね、小さいから役に立たないとは限らないわけです。合理的に高速で目的地に着くことがより大きな価値であると頑なに信じていると、旅人であることの大きな機会、いまいただいているかもしれない慈悲を見逃してしまうことになります。涙を知ることは大きな前進なんだと言ってくれる人たちもいます。n0012


1京の宝石から


宝石が数えきれないくらいあって、その中から特別な唯一の正解である1個を選び取らなければならないとします。他の1京-1個は問題に対する不正解です。唯一の正解はそれだけの圧倒的なインパクトがあります。もう見た瞬間にわかるし、感じた瞬間にわかるぐらいのインパクトとリアリティの差があります。細かく分析して、こちらのほうが10%すぐれているかも? と感じるようならそれはその他大勢の石ころです。インパクトに基づいている人と、分析に基づいている人では宝石と石ころぐらい手にもっているモノの価値が違います。その唯一の正解であるインパクトを持つ宝石が、「神」と呼ばれる唯一無二の石であり、


神が実在する以上、神が人に対して抱いている「気持ち=圧倒的な現実」にこちらもリアクションを返す必要があるという「現実」


なんです。相手と自分という二者がいて、メールの返信の礼儀に近い構図に見えますが、神と自分という二者は存在せず、結局ひとつなので、厳密には「礼儀」ではありません。神が用意した舞台で、自分が意識のレベルを選択しているという「現実」です。知っているか、知らないかは関係ないんです。リアクションを返す必要はたったいま生じていまして、知らなくても生じています。東大の名誉教授が知らなくとも、事実は事実ですから、誰もがいずれその存在を知らされます。逆にこの忘却期間のほうが一時的な期間です。人は、神にリアクションを返す必要とともに今日を生かされています。そして知らないうちにリアクションを返しています。いま人生に対して抱いている気持ちこそ、神への返信ということになります。n
(20180430)


マハルシ いつであれ、どこであれ、一人ひとりが見ているのは、ただ自分の真我だけです。彼は世界や神を、自分の在り方にしたがって見ているのです。
ダルマプトラ(ユディシュティラ)は世界中の人々が何かしらの徳を持ち、何かしらの理由で自分自身よりも優れているのだと考えました。一方、ドゥルヨーダナにとって、この世はたった一人の善人さえいないところに見えたのです。
それぞれが自分自身の本性を映し出しているのです。

(対話531)


もしあなたが継続したエゴだとしたら、誕生以来あなたに起こった考えや信念、アイデアや体験、記憶や気づきなどのすべてが脈々とこの瞬間に生きてあふれ返っていなくてはなりません。自分が継続した実体だと思い込もうとすることで、本当に継続しているものが体験できなくなっています。


本当に継続しているものはこれまでもずっとありましたし、いまもあります。それは<我在り>と言うときの”我”です。それはあらゆるものが流れ出る”源”です。それは始まりの前にあり終わりの後にあるもので、意識の本質です。それは純粋な意識そのものです。それが継続するもので、それ以外には何も継続しません。それ以外のものであなたがこの瞬間にもたらすものはすべて、目に見える、継続した有限の人間として自分が存在すると思い込みたいがためにあなたがもたらしているものです。


そうした自己像で自分を縛ってしまわないでください。自分を無力でちっぽけな存在だと信じて、『ああ、人から嫌われたらどうしよう』、『太りすぎじゃないだろうか』、『お金に困ったらどうしよう』などと心配するのをやめてください。あなたのまわりにはいたるところにあなたの本質が実在していて、細胞の一つひとつ、意識のすみずみまで雷鳴のごとく激しい音を立てて流れています。あなたは持っているものを使わずに損をしているのです。でも損をする必要はありません。これまでに話した方法のひとつを使えば、その習慣はやめられます。思考をやめて、いまの瞬間にいましょう。何か特別のことを聞こうとしないで、ただ耳を傾けましょう。見ている物を判断せずに見ましょう。ゆったりとした意識で呼吸しましょう。物事を評価したり選んだり受け入れたり拒否したりすることなく、いまこの瞬間に意識を向けましょう。いまこの瞬間に安らぎ、完全に心を開いて、意識を完全にいまの瞬間に向けていると、それが起きます。純粋な意識がその姿を現します。いまやっても、後でやってもいいですが、どちらにしてもあなたはいずれ実行します。


あらゆるものの中を息づくただひとつの現実があるだけです。それ以外はすべて幻影です。あなたは自分が考えているものとは違います。あなたはいつどう変わるともしれない短い命を、あてもなくおびえながら生きる意識のかけらではありません。あなたは広大無辺の完全に目覚めたすばらしい意識であり、それを充分に体験するのはあなたの持って生まれた権利です。これからのあらゆる瞬間にそのことを完全に完璧に知るようになってほしいというのが、わたしの願いです。


あなたが自分自身と呼んでいるあの慣れ親しんだ感覚、間違って<自分>と呼んでいるあの感覚に気づくように、ここでまたお願いしたいと思います。実際のところ、あの慣れ親しんだ感覚というか、歓喜の絶頂から憂鬱のどん底まで、愛から憎しみにいたるまで、不安から喜びにいたるまで、あらゆる過程に存在する感覚こそがあなたの本質です。あなたは”わたし”を間違って<自分>と呼んでしまったのです。生まれたり消えたりするのは有限の<自分>です。あなたといつもいっしょにいて、朝目覚めた瞬間からもっとも深い夢の瞬間までいるのが”わたし”の本質です。


あなたは”わたし”の本質をいつも感じているのですが、それをいままでは間違った名前で呼んできました。これまであらゆる瞬間に感じてきた感覚があなたが求めているものです。ほかのあらゆるものはその上に反映されます。こうしてここにすわっているときも、常に変わらず存在するのはその純粋な意識です。わかりますか。あなたは自分がすでにそうであるものを求めているのです。あまりに明らかで、不変で、強く、なじみが深いので、それがわからなかったのです。どうか見過ごさないでください。


人生の一日一日に目的があります。


テレビはたとえ故障していなくても、スイッチを入れない限り何も起きません。人は自分とテレビとの関係を明確に理解していますから、何も起きなくて当然だと思っています。そこで私があなた方に望むことは、テレビについてのすばらしい知恵のすべてを、もっと広い次元に応用し、「このすばらしい電磁流のスイッチを入れるのは、私の責任です」と宣言することです。


では、自分が本当に愛情深い人間かどうか、どうしたらわかるのでしょうか。あなた方にとって、その答えはあまりにシンプルすぎて、受け入れがたいかもしれませんが、こういうことです。自分の心をよぎるすべての人、自分の目の前に現れる人のすべてに対して、温かい思いやりの心とその人たちの気持ちを理解する心を持つことができたとき、その人は本当に愛情深い人ということができます。


相手は”神の大いなる光”で満ちているのだ、ということをつねに覚えていてください。そうした態度が、人の”存在”が持つ、言葉では表現できない神秘のなかから、愛の贈り物を引き出してくれます。あなたが彼らに贈り物を与え、その贈り物があなたのところに戻ってくるわけです。与えることと受け取ることは同じことです。あなた方はこの目的のためにおたがいを創造したのです。つまり、「本当の私たちは、自分たちが考えているようなものではない」ということを、おたがいに思い出させてあげるためです。



ディープラーニング


これだけは知っておきたい3つのこと


ディープラーニング(深層学習)とは、人間が自然に行うタスクをコンピュータに学習させる機械学習の手法のひとつです。人工知能(AI)の急速な発展を支える技術であり、その進歩により様々な分野への実用化が進んでいます。近年開発の進んでいる自動運転車においてもカギとなっているのは、ディープラーニングです。停止標識を認識したり、電柱と人間を区別したりするのも、ディープラーニングが可能にしている技術と言えます。また、電話、タブレット、テレビ、ハンズフリースピーカーなどの音声認識にも重要な役割を果たしています。近年ディープラーニングが注目を集めているのには理由があります。それはディープラーニングが、従来の技術では不可能だったレベルのパフォーマンスを達成できるようになってきているからです。


ディープラーニングの技術は、人間の神経細胞(ニューロン)の仕組みを模したシステムであるニューラルネットワークがベースになっています。ニューラルネットワークを多層にして用いることで、データに含まれる特徴を段階的により深く学習することが可能になります。多層構造のニューラルネットワークに大量の画像、テキスト、音声データなどを入力することで、コンピュータのモデルはデータに含まれる特徴を各層で自動的に学習していきます。この構造と学習の手法がディープラーニング特有であり、これによりディープラーニングのモデルは極めて高い精度を誇り、時には人間の認識精度を超えることもあります。


いかにしてディープラーニングはこれほど優れた成果をあげているのでしょうか。


ひと言で言えば、精度です。ディープラーニングは、かつてない高いレベルの認識精度に到達しています。高い認識精度は、家庭用電気機器の分野ではよりユーザの期待に応えることにつながります。また自動運転車のように安全性が最優先されるべき分野では、認識精度は何より重要な要素であると言えます。ディープラーニングは近年の進歩により、画像認識などのタスクにおいて、人間の認識能力を超えるまでになっています。


ディープラーニングが最初に理論として登場したのは1980年代ですが、近年になって注目を集めるようになったのには2つの理由があります。
1.ディープラーニングには大量のラベル付けされたデータが必要です。例えば、自動運転車の開発には数百万の静止画像と数千時間の動画が必要となります。これまでは、近年のように大規模なデータを入手することが容易ではなかったため、今ほど高いレベルの認識精度を実現できていませんでした。
2.ディープラーニングには高度なコンピュータの処理能力が不可欠です。高性能なGPUは、ディープラーニングに効率的な並列構成になっています。GPUをクラスターやクラウドと組み合わせることで、これまでは数週間を要したネットワークの学習時間を、数時間以下にまで短縮することができました。


ディープラーニングの応用例


ディープラーニングは自動運転から医療機器まで幅広い分野に活用されています。


自動運転:自動車の研究者はディープラーニングを使い、一時停止標識や信号機のようなものを自動的に認識させています。さらに、歩行者検知にも使われており、事故の減少に役立てられています。


航空宇宙・防衛:ディープラーニングは衛星から物体認識を行い、地上の部隊が安全なエリアにいるかどうかを判断するために使われています。


医療研究:がんの研究者はディープラーニングを使い、自動的にがん細胞を検出しています。UCLAの研究チームは、ディープラーニングの学習に必要な高次元のデータセットを作成する高精度な顕微鏡を構築し、正確にがん細胞を見つけ出しています。


産業オートメーション:ディープラーニングは重機の周辺で業務を行う作業者の安全性向上に役立てられています。人や物が機械の危険域内に侵入した場合、これを自動的に検出することができます。


エレクトロニクス (CES):ディープラーニングは、自動の音声翻訳に使われています。例えば、人の声に反応し、人の好みを学ぶことができるホームアシスタントデバイスには、ディープラーニングの技術が活用されています。


ディープラーニングの仕組み


ディープラーニングの多くの手法に、ニューラルネットワークの構造が使われ、そうした背景からディープラーニングのモデルは、ディープニューラルネットワークとも呼ばれています。


通常「ディープ」という表現は、ニューラルネットワークの隠れ層の数について言及しているものです。従来のニューラルネットワークでは隠れ層はせいぜい2~3程度でしたが、ディープニューラルネットワークは150もの隠れ層を持つこともありえます。


ディープラーニングのモデルは、大規模なラベル付けされたデータとニューラルネットワークの構造を利用して学習を行います。これにより、データから直接特徴量を学習することができ、これまでのように手作業の特徴抽出は必要なくなりました。


ディープニューラルネットワークで最もよく使われているのは、畳み込みニューラルネットワーク(CNNまたはConvNet)というネットワークです。畳み込みニューラルネットワークでは学習された特徴を入力データと畳み込みます。この2次元の畳み込み層が、このアーキテクチャを画像などの2次元データの処理に適したものにしています。


畳み込みニューラルネットワークでは、手作業での特徴抽出は必要ありません。画像分類に使う特徴量を探し出す必要もありません。畳み込みニューラルネットワークが画像から直接特徴抽出を行います。関連する特徴量は事前には学習する必要がありません。大量の画像データによる学習を通して学び取られます。この自動的な特徴抽出の仕組みにより、物体認識などのコンピュータビジョンのタスクにおいてディープラーニングのモデルは高い分類精度を持つことになりました。


畳み込みニューラルネットワークは、数十から数百もの隠れ層により、1つの画像に含まれる数々の特徴を学習していきます。層が進むにつれて、より複雑な特徴を学習します。例えば、最初の隠れ層ではエッジ検出など単純な特徴からスタートして、最後の層ではより複雑な特徴、特に認識したい物体の形状の学習へと進んでいきます。


機械学習とディープラーニングの違いとは?


ディープラーニングは機械学習のひとつの特殊な形と言えるものです。通常の機械学習のワークフローは、画像からマニュアルで特徴量を抽出することからスタートします。そして、抽出した特徴量を使って画像内の物体を分類するモデルを作成します。一方、ディープラーニングでは、特徴量は画像から自動的に抽出されます。また、ディープラーニングは「エンドツーエンドな学習」を実行できます。つまり、ネットワークは生の画像データと、分類など処理すべきタスクを与えられ、自動的にその処理方法を学習していきます。


もう一つの大きな違いは、シャローラーニングがデータの増加に対して性能が頭打ちになるのに対して、ディープラーニングではその性能がデータのサイズに対してスケールする点にあります。 bb ディープラーニングの大きな利点は、データが増えていくにつれ、しばしばその精度を向上させていくことができる点にあると言えるでしょう。


一般的な機械学習では、特徴量と分類器は手動で選択されるのに対して、ディープラーニングでは特徴量の抽出とモデリングは自動的に行われます。


機械学習とディープラーニングから最適な手法を選ぶ


機械学習には幅広い手法とモデルがあり、用途や処理するデータサイズ、解決したい課題のタイプに合わせて選択することができます。一方、ディープラーニングを成功させるには、データを高速で処理するためのGPUだけでなく、モデルを学習させるための大量のデータ(数千もの画像)が必要となります。


機械学習かディープラーニングを選ぶときは、まず高性能なGPUと大量のラベル付けされたデータがあるかどうかを確認して下さい。もしどちらかが欠けている場合、ディープラーニングではなく機械学習が適当と言えるでしょう。ディープラーニングは一般的に機械学習より複雑であるため、信頼できる結果を得るには少なくとも数千の画像が必要となります。より高性能なGPUがあれば、そうした大量の画像の学習に必要な時間はさらに短縮していくことができます。


ディープラーニングモデルの作成、学習方法


ディープラーニングを使用した物体認識には下記の3つの手法がよく使われています。


ゼロから学習する


ディープネットワークをゼロから学習するには、大量のラベル付けされたデータを集め、特徴量を学習しモデル化するためのネットワークを設計する必要があります。この方法は、新しい分野での応用や、出力するカテゴリ数が多い場合には有効ですが、大量のデータと学習時間が必要であることから、使用頻度はそれほど高くありません。通常、こうしたタイプのネットワークの学習には、数日から数週間といった長い時間を要します。


転移学習


多くのディープラーニングの応用では、学習済みモデルの微調整を行うタイプのアプローチとして、転移学習が利用されています。この転移学習では、AlexNetやGoogLeNetといった既存の学習済みのネットワークに対して、そのネットワークでは事前には学習されていないクラスを含むデータを与えて学習させます。その場合、学習済みのネットワークには若干の修正が必要となりますが、ネットワークの学習後には本来の「1000種類のカテゴリへの分類」の代わりに「犬か猫か」といった新しいタスクを行わせることができるようになります。この手法には、ゼロからネットワークを学習させる場合と比較して必要なデータ数がはるかに少なくて済むという利点があり(何百万ではなく数千の画像)、計算時間は数分から数時間程度に短縮されます。


転移学習では、既存のネットワークに対して切り貼りをしたり、新しいタスクに対して拡張を行ったりすることが必要となるため、ネットワークの内部構造にアクセスするインターフェースが必要となりますが、MATLAB®にはこうした転移学習を手助けするためのツールや関数がいくつも揃っています。


特徴抽出


やや一般的ではありませんが、ディープラーニングのより専門的な手法として、ネットワークを特徴抽出器として使用する方法があります。ネットワークのすべての層は画像からある種の特徴量を抽出する役割を持っているため、我々は推論の任意の段階でこうした特徴量を取り出すことが可能です。このようにして取り出した特徴量は、サポートベクターマシンなどの機械学習モデルへの入力として使用することができます。


GPUでディープラーニングモデルを高速化


ディープラーニングモデルの学習には、数日から数週間といった長い時間を要することがありますが、GPUを使うことで処理を大幅に高速化できます。MATLABをGPUと併用することで、ネットワークの学習に必要な時間を減らし、画像分類に必要な学習の時間は数日から数時間に短縮することができます。ディープラーニングの学習においては、MATLABを使うことで、GPUプログラミングの詳細を知らなくてもGPUを使いこなすことができてしまいます。 



日本の医者が"効かない薬"を処方する理由


米国には「ムダな医療」を列挙したリストがある。医学会が「不必要と思われる医療行為」を自ら発表しているのだ。一方、日本ではこうした動きはみられない。医療経済ジャーナリストの室井一辰氏は「日本こそ、ムダな医療を解消するメリットは大きい」という――。
※本稿は、室井一辰『続ムダな医療』(日経BP)の一部に加筆、再編集したものです。


多くの人が医療機関に怒りを感じている


私は20年近く、医療や生命科学などの世界で取材と情報発信を続けてきました。私のこうした立場は家族や友人、知人には知られており、ときおり病気の相談を受けてきました。


2019年になってからも「病院を3カ所ほどハシゴして診断がつかないが、どうすればいいのか」「臓器に腫瘍があるそうで、今度手術だという。どう判断すれば」などの話を受けたばかりです。


いろいろ話を聞いていると、想像以上に多くの人が散々な目に遭っている。さらに言えば、医療機関に怒りまで感じていることがある。そう気がつかされてきました。


身近な人が病気になると、いまではまず、インターネットを使って医学的な知識を深めようとする場合が多い。インターネットにはあらゆる情報があふれています。ですが、玉石混淆の膨大な情報の海の中から、正しいものを見つけるのは困難を極めています。


日本語の医療情報は、基本的な情報は多いのですが、専門性の高い、本当に悩む人にとって役立つ情報は乏しいのです。結局、疲れ果て、私のところに相談に来ている。基本的に、そういう流れで話を受けることが多くなります。そうした国内外の情報充実度の格差に問題意識を持っていました。


「ムダな医療」を列挙するリスト


そんな中で、2013年、私は米国で、「チュージング・ワイズリー」という、世界的にも一目置かれる医学会が「ムダな医療」を列挙しはじめる動きに気がつきました。ウェブから確認できて、250項目ほども掲載されるリストが項目を増やし続けていたのです。その内容は微に入り細をうがつ、一般向けにも参考となるものなのに、専門性の高い内容でした。


「日本では有用な情報を得ることが難しいのに、これだけ突っ込んだ情報が医学会から出されているのは衝撃的だ」。疑問のないまぜになった好奇心が募り、それから私はムダな医療について考える日々を続けてきました。


では、そもそも医療のムダとは何でしょうか。日本の医療のムダを考える上で、まずここでの定義を確認しましょう。


一つは、デメリットがメリットを上回るような医療行為が行われている場合はムダと言えます。ある意味ではすべてのムダな医療行為に当てはまることです。


たとえばCT検査の問題を考えていただくといいでしょう。検査によって得られる情報の価値よりも、放射線被ばくによる発ガンリスクの上昇の方が問題視されるような場合。こうしたケースはじつは数多くあります。さらに、検査後の診断が誤ってしまうと、患者は不必要な精密検査や治療を強いられます。一見すると有用に思える検査も、場合によってはデメリットが大きくなり、結果としてムダと考えられるのです。


抗生物質は「ウイルス」には効かない


さらに、2番目は、メリットがそもそもないケースです。メリットよりデメリットの方が大きいので、ある意味において1つ目と重複しています。ですが、ここでは分かりやすく考えるためにあえて分けています。たとえば、細菌にしか効かない抗菌薬を、ウイルス感染の治療に使うようなケースです。この場合、抗菌薬を使うメリットは皆無となります。


よく勘違いされるのですが、抗菌薬、いわゆる抗生物質は、細菌に効果を発揮するものでウイルスには無効です。抗菌薬を必要以上に使うと、耐性を持つ細菌を増やす恐れもあり、海外では「スーパーバグ」という名で問題視されています。日本でも院内感染による死亡の原因が、スーパーバグである事例も多数発生し、社会問題になっています。抗菌薬を多用して院内感染が広がると、ムダな医療が患者を苦しめたとも解釈できます。


最後に3番目は、デメリットが大きすぎる場合。こちらはメリットをデメリットが大きく上回るという意味では1番目と重なりますが、この場合はムダという言葉のニュアンスがより強いと考え、2番目と同じように分かりやすさの観点から、別にしています。


たとえば、良かれと思っておこなった医療が、結果として患者に無視できない負担を強いるような場合です。典型的なのは延命治療。患者が口から食事をできなくなったとき、本人が希望していないのに胃に管をつないで、栄養液を定期的に注入して生きながらえさせるようなケースがあります。人間の尊厳が置き去りにされたまま、命をつながれる高齢者は日本でも多いのです。場合によっては、デメリットしかないのではないかと思える部分もあります。


「何もされないのは心配」とムダな医療を求める


なぜムダな医療が生じるかというと、なにも医療従事者が患者を貶めるためにやっているわけでは、もちろんありません。


一つは、医療従事者が知っていてやっている場合があり得ます。健康に大きな影響が及ばない範囲で、収入を増やそうという経営的な目的、万が一病気を見逃したら問題になるといったリスク回避で行われる可能性があるのです。


また、もう一つは、医療従事者が知らずに行っている場合もあるでしょう。医療は日進月歩。これまで必要とされていた医療が、不必要となるケースさえあり得ます。そうした進歩を知らずに、無用な医療が行われることもあります。ある病気に、これまで使われていた薬が効果を示さないと新たに判明することはよくあるのです。医療従事者も膨大な情報を常にウォッチできるわけではなく、これは仕方ない部分はあると考えています。


一方、患者側も安心材料としてムダな医療を求めることがあります。医療従事者は無用と思っていても、患者が何もされないのは心配だと、求めてくるのです。それに応えざるを得ない問題もあるでしょう。ただそんな医療の中には、メリットよりもデメリットが大きいこともあります。結果として、ムダになっているわけです。


こうした要因が組み合わさって、医師が無意味な薬を処方することがあります。「念のため」「求められるから」などの"言い訳"がつけられて。


日本の医療全体を統率する仕組みが乏しい


より構造的な問題もありました。専門家が良く言えば自由自在に、悪く言えば無手勝流で医療を行える「お手盛り医療」が当たり前になりやすい環境があったためです。


2011年、世界的な医学誌として知られる『Lancet(ランセット)』誌で、東京大学教授の橋本英樹氏らが、日本の医療の特徴を次のように解説しています。「自由放任主義的なアプローチを取ることを医療政策の基本方針としてきた。その結果、医師や病院などの専門家集団のガバナンスが弱く、説明責任が十分果たされてこなかった」。


その上で、日本の医師の診療について「医師が専門学会や病院ではなく、出身大学の医局に帰属意識をもつ傾向がある。医師の診療パターンは、出身大学の医局・教授の流儀によって特異的に形作られる傾向がある」と指摘しています。


日本の医療全体を統率する仕組みが乏しく、個々の集団が独自に医療のやり方を決めるという仕組みは、地域に合わせた医療を提供する意味ではよいですが、無益な医療を是正しづらい仕組みにもなり得ます。ムダな医療が甘受されやすい構造と私は考えています。


また、日本では半世紀以上「国民皆保険」を保ってきました。一般に医療に自由にアクセスできる点は良いのですが、過剰な受診につながりやすく弱みともなってきました。患者の負担が低く抑えられたために、受診のハードルが異常に低く、過剰な医療が生まれやすい土壌につながったのです。


退院させるべき高齢者を長期にわたって入院させていた


典型的にこうした構造の副作用が出たのが、「社会的入院」だと考えています。


日本では、昭和の時代、社会的入院と呼ばれる必要性が乏しい入院を続ける患者を大発生させたことがありました。1973年から9年間、70歳以上の高齢者の医療費を無料化したことが発端となりました。高齢者の医療や福祉を充実させて、健康な人を増やすだけであればよかったのですが、副作用は大きすぎました。過剰な医療行為が野放しになり、なかでも退院させるべき高齢者を長期にわたって入院させるケースが横行してしまったのです。


1985年には入院の長期化を問題視した国は、都道府県ごとに人口当たりの病院のベッド数を規制することにしました。ですが、必然的だったのだと思いますが、駆け込み需要を生み出してしまい、病院のベッド数をかえって20万床も増やす結果になったのです。


現実としては、入院を増やすと、医療機関の経営にとってはキャッシュフローが安定します。現金収入が増えれば、当面はつぶれづらくなります。これが平成から令和の時代まで引きずる過剰な入院患者を抱える日本の問題につながりました。


精神疾患に対して「安易に薬を出す」構造


患者側の負担がないという経済的な要因が大きいですが、「医師や病院などの専門家集団のガバナンスが弱い」という弱点も影響したと考えます。入院の必要性について専門家集団が統制を利かせる仕組みがあれば、もっと歯止めが利いた可能性はありました。これは象徴的な出来事だと考えていますが、高齢者に限らず、かつては今よりも医療費の自己負担は低く抑えられていました。そうした構造的な欠陥はムダな医療の温床となったと考えます。


結果として、ちょっとした頭部の外傷で、子供に対して放射線の強いCT検査を行ったり、精神疾患に対して安易に薬を処方したり、医療機関の間の情報共有が乏しいままに、ムダなドクターショッピングを引き起こしたりする、日本らしいムダな医療のまん延も招いてきたと想定しています。


米国で同時発生的に起きた「ムダな医療の発表」


そんな問題意識を抱えつつ、日本での情報過疎を嘆いている中で、2013年、私は米国で「同時発生的に起きていた一つの動き」に気がついたのです。世界的にも権威のある医学会が、自らムダな医療を発表し続けるという動きでした。


たとえば、ガンの分野では、世界的にも影響力の強い米国臨床腫瘍学会。消化器の領域でも同様に影響力の大きな米国消化器学会、精神では世界の診断基準を示している米国精神医学会。さらに、米国心臓病学会、米国産科婦人科学会、米国小児科学会など。世界に一目置かれる医学会が「不必要と思われる医療行為」を自ら発表していたのです。いったい何が起きているのかと、私はこの活動に引き込まれました。


震源地は米国のフィラデルフィアにある、公的な団体、米国内科専門医認定機構財団(ABIMファウンデーション)という組織でした。ここが米国の医学会を束ね、ムダな医療を発表していく「チュージング・ワイズリー・キャンペーン」という活動を進めていたのです。


「腰痛にMRIは必要ない」「経口避妊薬に身体検査は不要」


必要性が疑われる医療行為を「5つのリスト」として公表していました。「子供にCTを取ってはならない」「精神疾患に安易に薬を出すな」「腰痛にMRIは必要ない」「爪水虫に飲み薬を使うな」「経口避妊薬を出すときに身体検査は不要だ」など、専門的な指示を出していました。


見ていくほどに、私には「衝撃のリスト」という表現がふさわしいほどの影響力の大きなものに感じられました。そうして5年後の2018年9月には米国の本部であるABIMファウンデーションにまで取材に行くに及びました。


取材を経て、米国に存在している、日本と共通した、ムダな医療をめぐる問題意識に突き当たったのです。日本に存在している構造的な欠陥は共通していないものの、ムダな医療をなくそうと国家レベルで動こうとしていたのです。


米国では医療行為の「価値」に目を向ける動きが強まっていたのです。「バリュー・ベースド・メディシン」、すなわち価値に基づく医療と呼ばれる動きです。医療行為が実際に利益を生むかどうかを重視されるようになっています。


この分野をリードする研究者で、チュージング・ワイズリーに関する論文も複数発表している、米ハーバード大学公衆衛生学教授、メレディス・ローゼンタール氏は「医療行為の価値を高めようと政府や保険会社などが動いている」と語っています。


そうした大波の波頭にチュージング・ワイズリーが姿を見せており、私はそれを見つけていたのでした。米国ならではの医療保険事情の変化、医療費の逼迫(ひっぱく)、医療制度の変革などの動きから学ぶこともありました。なぜ米国医学会が自ら一見首を絞めるかのような動きを見せているのか。取材では、世界的な医学誌であるLancet誌においてムダな医療が大々的に論じられ、その撲滅に向けた対策が提案されていることも確認しました。そうしてチュージング・ワイズリーの背景にある謎を解いていきました。


日本は「ムダな医療」解消による伸びしろが大きい


医療費全体の規模を見ると、日本よりも米国の方が圧倒的に大きいものです。ですが高齢化の進行度合いは日本の方が深刻です。国際連合のデータによると、2010年の段階での65歳以上の全人口割合は、米国が13.0%に対して日本は22.5%と大差。なお、2020年の見通しでも、米国が16.6%に対し、日本は28.2%です。依然として大幅に日本の高齢化の問題は深刻になっています。


チュージング・ワイズリーには、すでに550項目ものムダと考えられる医療行為が列挙されています。示されるムダな医療は年齢が高い層に関わるものも多いです。日本の方が、ムダな医療を解消した場合の伸びしろは大きい可能性もあります。


前述の通り、国際的な潮流としては、医療の価値を高めていくことも求められています。一例を挙げると、米国では、医師が生み出した価値に基づいて、医師の給与をコントロールする仕組みが始まっているのです。ここでも日本が遅れを取るべきではないでしょう。


患者は医療を疑ってもいい


先に紹介したLancet誌では、ムダな医療を生み出す要因に、医療従事者側の要因として「科学的な根拠は、実際の診療の経験と食い違っていると考えがち」「医療従事者の数字音痴」などとあるほか、患者側の要因として「医療が正確だと考えがち」「医師の専門性に疑いを持たない」「患者側が責められるのがいやで医師に質問しない」という説明がなされています。患者は医療を疑ってもいいのです。むしろ、疑うべきだといってもいいかもしれません。そこから、自分自身の問題として医療について考えることを当たり前としていくことが重要です。


良かれと思って行う医療にも、落とし穴が潜みます。日本も手盛り医療の問題を解きつつ、ムダな医療に別れを告げ、医療の価値に目を向ける。そうした時期に来ているのではないでしょうか。


チュージング・ワイズリーに示されている、医療行為を「賢く選ぶ」ための具体的なリストは、拙著『続ムダな医療』(日経BP)をご覧いただければ幸いです。2014年刊行しました『絶対に受けたくないムダな医療』(日経BP)と、あわせて約550の「ムダな医療」のリストを掲載しています。また、2019年には、より易しくチュージング・ワイズリーを解説した入門編としての新書『世界の医療標準からみた受けてもムダな検査 してはいけない手術』(洋泉社)もお出ししています。ご自身、または身近な人の健康、あるいはこうした領域についての知識を深めるためにご活用ください。

プレジデントオンライン
室井 一辰
2019/04/24 09:15


「選手ファースト」の指導者・小出義雄が“パワハラ”の消えない陸上界に問うもの


4月24日、陸上長距離の指導者、小出義雄氏が死去した。享年80であった。


1992年のバルセロナで銀、1996年のアトランタで銅と2つのオリンピックでメダルを獲得した有森裕子、2000年のシドニー五輪で金メダルに輝いた高橋尚子ら、育て上げた名選手は数多い。まぎれもなく名指導者であった。


“常識外れ”の3500メートル合宿


振り返れば、ぱっと見には相反する要素を併せ持つのが小出氏だった。「剛」と「柔」。あるいは「合理性」と「情熱」。


シドニー五輪へ向けての強化の過程で、小出氏は高橋尚子を高地合宿へと連れて行った。アメリカはコロラド州の標高3500メートルにおよぶ地である。当時、高地合宿は2000メートルを超えて実施するべきではないとされていた。実施すると知れると、批判も浴びた。


それでも惑わされず、敢行した。


「常識に囚われていては勝てない」


信念を貫く姿は、「剛」と言ってよかった。ただし、頑とした姿勢や豪快さを感じさせる面があるのと対照的に、実際は、物腰は柔らかかった。教える選手に対してはむろんのこと、大会後などの取材の場でもそうだった。「今日も大変ですね」。そんな軽やかな挨拶とともに始まることもあった。笑顔で、明るさを失わない声で語り続けた。


「緻密さ」もあった。やはりシドニー五輪でのこと。小出氏はレース展開を予測すると、32キロから37キロが勝負のポイントと見定め、その範囲の中でスパートすることを高橋に指示。シドニー入りすると、32キロ付近からの走り込みを重ね、試合に備えた。


いざ本番では、リディア・シモンとの一騎打ちとなる。高橋は小出氏のアドバイスの通り、35キロあたりでスパートするとシモンを引き離し、勝負を決めた。予測と、実戦を想定した走り込みが生きた瞬間だった。


有森は「上に立ててあげる」、高橋は「素直で何でも聞く」


選手の個性を見極めることにも長けていた。


例えば、有森については、「納得しないと、行動しない性格なので上から言っても駄目。むしろ上に立ててあげる」。持久力に秀でていると見てとると、スピード練習よりも長い距離を走る練習に重点を置いた。


高橋に関しては「素直で、言うことを何でも聞く選手なので、こちらから『こうしよう、これをやろう』と言ってあげる」。スピード、スタミナ双方のバランスがよいことから、有森とは異なり、距離は抑え目に、スピードを鍛える練習を組み入れた。


特性を知り、それに合わせた接し方と練習を組み立てる。それもまた「合理性」の範疇と言えるかもしれない。


「もし小出さんでなかったら……」


そのような冷静かつ綿密な組み立てとともに、ひたすら「情熱」を選手に傾けた。


「ほめて育てる」方針であることで知られていたが、誰にでもよいところはあるという信条を核に、選手1人1人を伸ばしてあげようとする姿勢に変わりはなかった。


そう、「剛」と「柔」、「合理性」と「情熱」、そんな対照的な要素を貫くものこそ、選手への愛情だった。それが根底にあって、ときに頑固に、ときに熱血漢として、冷静に考え、選手の気持ちを高めることに腐心した。言ってみれば、小出氏の最大の特性とは、選手への強い思いではなかったか。だから手を抜くことなく選手1人1人に向き合い、エネルギーを注ぎ、速くなることに情熱を燃やすことができたのである。


もちろん、指導者としての野心はあっただろう。でもそこに、私欲の強さをうかがうことはできない。


「他の指導者だったら、私がなし得ることができなかったことはあると思います」


訃報を受けての有森のコメントは象徴的だ。


「パワハラ」と「鉄剤注射」問題の陸上界に投げかけるもの


そんな小出氏の存在は、有森や高橋の活躍とともに、陸上界のみならず、広く知られていった。指導に焦点をあてた記事などもしばしば書かれた。他の指導者が参考にするための材料は山のようにあった。


だが、陸上界を見渡せば、そうした指導法とかけ離れた様が今なお見受けられる。


昨年、日本体育大学陸上部駅伝ブロックの監督が、暴力行為や人格を否定するような言動などのパワーハラスメントを行なって部員を追い詰め、解任されたのは一例だ。


あるいは、2016年から日本陸上競技連盟が警告を発してきた鉄剤注射の問題。持久力が高まるとして広まったが、鉄分が内臓に蓄積することからくる身体への悪影響があると指摘され、使用しないよう求めたものだ。一部の実業団の指導者からも、長い目で見れば競技生活に弊害があると声が上がっていた。


陸上連盟は指導者や管理栄養士を集めてセミナーも行ない、周知に努めた。それでも昨年、使用をやめない指導者たちがいることが明らかになった。


パワハラも含め、そうした問題から推測できるのは、選手の将来を重んじるより、目先の結果にこだわる指導者の姿勢にほかならない。それは選手のためではなく、自分のためではないのか。


小出氏の指導法には、今なお、そしてこれからも指針となるべき要素が含まれている。


逝去の報に触れて、そう思わずにはいられない。

文春オンライン
松原 孝臣
2019/04/25 16:00


まるでアーミーナイフ! 正体不明の多目的スパイウェア、5年の時を経て発見される


異なるコンポーネントを80も搭載し、いくつもの独自機能をもつ高性能なスパイウェアが発見された。その名も「TajMahal」と呼ばれるスパイウェアは、洗練されたつくりと、中央アジアのある国の大使館のネットワークから見つかった事実を踏まえると、国家ぐるみの諜報活動の一環である可能性が高い。少なくとも5年は水面下で“活動”していたというスパイウェア、いったいどんな機能を備えているのか。


セキュリティ研究者だからといって、毎日のように新たな国家的ハッキング集団を発見しているわけではない。ましてや、こんなスパイウェアなどそう簡単に見つかるはずはない。なにしろ80もの異なるコンポーネントをもち、これまでにない独自のサイバー諜報活動の機能を備え、しかもその活動を5年以上も隠し通してこれたのだ──。


セキュリティ企業のカスペルスキーが4月10日(米国時間)、そんな新しいスパイウェアのフレームワークを発見したことを明らかにした。同社のセキュリティ研究者であるアレクセイ・シュルミンによると、それはスパイ活動の機能をもつ多種多様なプラグインを備えたモジュール式のソフトウェアである。


データを盗む際に使うファイル名から、このスパイウェアは「TajMahal(タージマハル)」と名づけられた。シュルミンによると、TajMahalは80のモジュールを備える。


ただし、これまでのスパイウェアによくあるキーロガーや画面キャプチャーといった機能だけではない。これまで見たこともないような、よくわからない機能を備えたモジュールもあるのだという。例えば、プリンターの印刷待機状態にある文書データを横取りしたりできる。


また、特定のファイルを追跡し、感染した端末にUSBドライヴが挿入されると、そのファイルを自動的に盗んだりもできる。カスペルスキーによると、このユニークなスパイウェアツールキットには、すでに知られている国家的ハッカー集団の関与を示す特徴は一切ないという。


極めて洗練された大がかりなスパイウェア


「これほどまで多くのモジュールの組み合わせからわかるのは、この先進的かつ持続的な脅威(APT)が極めて複雑なものであるということです」と、シュルミンはカンファレンスでの発表前に『WIRED』US版に答えている。このAPTという専門用語からわかるのは、ハッカーたちの手口が洗練されていて、しかも長期にわたってターゲットとなるネットワークに潜伏している可能性だ。


「TajMahalは極めて先進的で洗練されたフレームワークです。これまでにほかのAPT攻撃では見たことのないような、多くの興味深い特徴を備えています。こうした事実から考えると、このAPTは完全に新しいコードでつくられています。ほかのどのAPTやマルウェアのコードとも似ていません。つまり、TajMahalは特殊で実に興味深いスパイウェアだと言えるでしょう」


カスペルスキーによると、最初にTajMahalが発見されたのは昨秋のことで、感染が見つかったのは中央アジアのある国の大使館のネットワークだけだという。それがどの国なのかは、同社は明らかにしていない。


TajMahalのつくりが洗練されていることから、別の国で開発された可能性が高いとシュルミンはみているという。「これほどまで大きな投資になる開発案件が、たったひとつの標的のために実行されるとは考えにくいと言えます。まだ特定されていない被害者がいるか、このマルウェアの別のヴァージョンが出回っているか、あるいは両方でしょうね」


既知のハッカー集団とのつながりは不明


国家安全保障局(NSA)のエリートハッキング集団として知られる「Tailored Access Operations」の元メンバーであるジェイク・ウィリアムズは、今回の発見について、非常に用心深く慎重な国家レヴェルの情報収集活動の存在を示唆するのではないかと指摘する。


「これほどの拡張性を実現するには、大規模な開発チームが必要になるはずです」と、ウィリアムズは言う。また、検知を回避する高い能力を備えているうえ被害が1件しか発見されていないことから、極めて用心深くターゲットを定め、姿を隠し、そして高いセキュリティのもとに活動しているのだとも指摘する。


「運用上のセキュリティを確保し、厳重な統制のもとにタスクを実行するあらゆるものが、このプログラムのなかには詰め込まれています」


シュルミンによると、カスペルスキーは現時点では既知のハッカー集団に結びつく手がかりを得られていない。過去に使われたコードと比較したほか、共通の技術基盤や類似したテクニックなどを探したが、情報がないのだという。


というのも、狙われた中央アジアの国は、ハッカーたちの身元につながる手がかりをきちんと出すことがないうえ、説明が非常に曖昧だったからだ。それに、中央アジアとかかわりをもつ国で最先端のハッカー集団を擁しているとなれば、中国やイラン、ロシア、米国など多くが候補に挙がってくる。


スパイウェア「Yokohama」の恐るべき機能


またカペルスキーは、TajMahalを仕掛けたハッカー集団が、どうやって標的となるネットワークへのアクセスに成功したのかも解明できていない。わかっているのは、TajMahalに含まれる「Tokyo」と名づけられたバックドア(裏口)のプログラムを、ハッカーが最初にコンピューターに仕掛けたことだけだ。


このバックドアは、しばしばハッカーに悪用されることがあるスクリプト言語「PowerShell」を利用している。これを使ってハッカーは被害を拡散し、コマンド&コントロールサーヴァーに接続し、多くの“機能”をもつスパイウェアを埋め込む。このTajMahalを構成するコンポーネントは「Yokohama」と名づけられており、そこに何十ものモジュールが備えられている。


カペルスキーの研究者たちが最も着目したのは、まるでスイスアーミーナイフのようなYokohamaの多機能性だった。Yokohamaは、多くの国家ぐるみのスパイ活動で求められる優れた能力のほかにも、いくつかの独特な機能を備えている。


まず、感染したコンピューターにUSBドライヴが差し込まれると、中身ををスキャンし、そのリストをコマンド&コントロールサーヴァーにアップロードする。この段階で、ハッカーは抽出したいファイルを選んで盗むことができる。


もし途中でUSBドライヴが取り外されても、TajMahalが同じ端末のUSB端子をモニタリングする。そして次に同じUSBドライヴが挿入されたときに、標的のファイルをすかさずアップロードするのだ。ほかにもファイルをCDに記録したり、プリンターで印刷したりする機能をもつモジュールもある。


いずれも決して派手な機能ではないが、感染したコンピューターにある膨大かつ無秩序なデータのなかから、どのファイルが盗むに値するのかをハッカーが慎重に見極めていることを示唆している。「その情報がなんらかの意味で重要でないと、人はそれを印刷したり、USBスティックに保存したり、CDに焼いたりはしませんから」と、シュルミンは言う。


なぜ5年以上も見つからなかったのか?


TajMahalの洗練度合いや多機能性を考えると、これほどまで長期にわたって見つからずに済んだのは注目に値する。カスペルスキーによると、狙われた中央アジアの国の大使館は、少なくとも2014年から被害を受けてきたという。


しかし、TajMahalに組み込まれたさまざまなモジュールがプログラムされた時期をタイムスタンプから判断すると、2014年のずっと前に仕掛けられ、そしてずっとあとまで使われていたことがわかる。あるモジュールの利用時期は2013年までさかのぼり、また別のモジュールの利用時期は2018年だった。


「いずれにせよ、TajMahalは5年以上にわたり水面下に潜んでいました。それが比較的活動が少なかったからなのか、それとも別の理由なのかは興味深い問題です」と、シュルマンは語る。「そして、サイバースペースで起きていることすべてを完全に可視化するなど絶対にできないという現実を、サイバーセキュリティに携わる人々に気付かせてくれました」

TEXT BY ANDY GREENBERG
WIRED(US)
2019.04.11 THU 12:30


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