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髪と爪


こんばんは。肉体の動作はコントロールできるんですが、髪や爪を伸ばしたり心臓を動かしたり、食べた物を消化したり、壊れた細胞を再生させたり、そういうことは私たちのコントロール外です。それは勝手に起こっています。


こんなに身近な体にも、コントロールできることと、できないことがあります。伸びた爪を切ることはできます。現われに対処して好きなカタチを整えることはできるけれど、物事が現れるかどうかをコントロールすることはできません。それは自我の仕事ではありません。自我には理解もできません。科学でも、わかることとわからないことがあり、ほとんどのことは、わかりません。


ただあるがままに、起こることにゆだねる、まかせる、というのは、コントロール外のことだけ諦めようという話ではありません。根本的に、全部コントロール外なんだと言っています。


それは心の姿勢です。今この瞬間の現われ全体に対して、降伏するか、抵抗するか、コントロールするか、どういう姿勢で臨むのか。


愛は、瞬間に対するコントロールを放棄した途端に感じることができます。それは瞬間を許すこと。ヒトとしての努力を手放せという意味ではないんです。この瞬間を認めて初めて見えてくるもの、感じることができるものがあるということです。


結構盲点なんです。仕事の出来不出来や、子供の教育や、日々の雑事に、私たちは人生をコントロールしようと頑張ります。ですが、その過程で源を忘れてしまいやすい。今この瞬間、心臓が動いているのはご飯を食べたからでしょうか?違います。


わからない、んです。なぜ今この瞬間心臓が動いているのか、私たちにはわかりません。


ただ起こっているんです。その立脚点に、私たちは勝手に家を建て、勝手な夢を見て、世界征服を企みます。ふと我にかえるとき、生きているという言葉は間違いで、生かされている以外のなにものでもないことに気づきます。


瞬間は与えられているんです。私たちが自力で獲得したというのは勘違いです。
何秒後まで生きていられるかさえ、本質的に自分ではコントロールできません。


ある、は贈り物です。確かなことは、今、あるということです。今、与えられ、贈られ、あるということです。


生かされている今この瞬間が「贈り物」であることを、presentが「贈り物」であることを私たちは忘れてしまっているんです。


神ってなんでしょうか?神がどんなものでも、どんなひとでも、この瞬間という贈り物がなければ、神を感じることすらできません。


贈り物を愛すること、それが私たちの目的です。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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