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入り口 ~すべてなら入れるが、ぶぶんなら入れない~


こんばんは。今この瞬間のすべて。これが私たち一人一人に与えられた世界の全体と言えます。すべてとは、本人が気づくものも、気づかないものも含まれます。誰と出会おうとも、どんな場所に出向こうとも、結局あるのは瞬間の連続です。連続とは言っても瞬間は「ひとつ」だけです。永遠の今。そのひとつの中で無限の変化が起こり続けています。


神はどこにいるのか?なぜこれだけ探しても姿を現さないのか?そういう壁にぶつかった求道者の方は多いと思います。


神は入り口の先にいます。この入り口は、いつも開いています。扉というよりも、広場のような何もない空間だと思ってください。あらゆるものがこの空間に現れますが、入り口をくぐるのに一つだけ条件があるんです。


~すべてなら入れるが、ぶぶんなら入れない~


もし、この瞬間のすべての内の、一部分に固着したり、拒否したり、抵抗したり、目を逸らしたり、分析したりすると入り口を通れないことになってしまいます。神はすべての中にいるので、すべてを体験することを最初に拒否すると、神と出会うことはありません。


瞬間をまるごと、です。瞬間をまるごと体験するなら入れます。意識の焦点がふらふら移動していても構いません、この瞬間に含まれるすべてをまるごと体験する。ぼーっとしていたらいけないのではなくて、生き生きとしていなければ入り口を通れないんです。


子供が神に出会いやすいのに、大人が出会いにくいのは、子供にはほとんど先入観がないからです。こんなことはありえない!とはあまり言いません。


瞬間(いま)を体験する。今この瞬間に起こりつつあることから逃げない。どんなに嫌で醜いものに対しても、全部見る。正面衝突するように瞬間を真っ向から体験する。これで初めて入り口の先にあるものに気づき始めます。


これはブルドーザーに突っ込むように無謀なことをするという意味ではありません。逃げるなら全力で逃げる。怖がるなら全力で怖がる。落ち込むならこの世の果てまで落ち込む。何をする時でも、全力で体験している人は善悪無関係で入り口を通っています。逆に言い訳が多くて及び腰な人は入り口を通れないんです。


怖れや不快感をまるごと体験する人は、その嫌な外見の感情を舐めるようによく味わいます。そして変なことに気づきます。静寂や愛を同時に感じ始めるんです。


マラソンなどでペース配分を考えて、いつも8割の力で臨み、2割は余裕を残す。考え方自体はマトモなんですが、瞬間を体験することに関しては違うんです。常にすべて体験していく意識状態でないと何も発見できません。何事も頭で立てた計画通りにはいきません。瞬間はどんなに賢い人にさえ未知です。何もわかりません。状況はいつも新しいから。


自己否定の強さや、愛されたいという無自覚の動機が霊性の道を妨害するということを先日書きましたが、すべて体験するというのは、みえないものや気づかないものまでまるごと味わう態度ということです。物陰から「わっ!!」と驚かされたら、全力で驚き、リアクションするでしょう。その人は演技しているんじゃなくて、今にいるんです。自分が気づかないものやみえないものにまで開いています。


怖れを見たくないからといって、自分の内部に存在する心の葛藤や、イライラ感、ざわざわ感、それを誰かに責任転嫁したい気持ち、そんな全部をまるごと見よう、体験しようとしていないと、自己欺瞞に気づかず、それらを体験することを無意識に避けてしまって入り口を通れません。何らかの葛藤や不快感があるなら、エゴによる分離の錯覚が今この瞬間ある証拠です。


まるごと体験する!と覚悟を決めて歩んでいる方は、何もワークをしなくても、最高の道を歩んでいると思います(自己否定やみえない動機の悪循環などに巻き込まれない限り)。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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