誰?1日100回


こんばんは。単純で標準化されたもののほうが、複雑なものよりはるかに生産性が高く、コスト効率が高い。未だに捨てきれない私の信念の一部です。


雲(同一視の錯覚)から視線を反らしまくれば思い出せると書きました。


ふと瞬間に気づく度に「誰?」と問いかけていきます。
(誰がこの瞬間の肉体や思考や感情や自然音その他に気づいているのか?という意味です)
今から始める人向けです。
2音節だから心の中でも言いやすいと思います。


1日100回を目処にこの「現実」から視線を反らします。毎日です。
虚空は科学でも未だに理解されていないため(理解できるわけないんですが)、論理的にこれがどんな意味があるのかを説明できる人はいません。真我が勝手に真我に導く、とっても怪しい話ですがタダですからやってみて損はないはずです。


これを繰り返す度に、肉体の中に今まで味わったことのない妙な感覚が生まれていきます。
それはニュートラルな認識の立ち位置とも言えるし、愛の感覚と言えるかも知れません。
肉体感覚には個人差があるため何があるかわかりませんが、大きな変化が生まれると思います。


仕事中うんざりしたら「誰?」
タバコ吸ってため息ついたら「誰?」
今日の昼飯が思ってたより美味かったら「誰?」
子供が道路に飛び出そうとしたら、引っつかんで二度としないように目を見て叱ってから「誰?」
70回ぐらいしかできなかったと自分を責めたときに「誰?」
自己批判や、他人批判に「誰?」
「誰?」と問いかけて生まれた感情に改めて「誰?」
質問しすぎて頭が混乱してきたら「誰?」
常に「誰?」タイミングはいつでも構いません。生まれた感情や不快感はその感情を感じきってから、誰?のほうがいいと思いますが、途中でも初っ端でも構いません。100回をいくら越えても構いませんし、いくら少なくても構いません。
朝起きる度に新鮮な気持ちで自己像を100回問い詰めようと思ってれば、これまでの習慣は断ち切れます。


私はこの日記を書き始めて9ヶ月くらいになりますが、現時点までの経験の結論です。
わたしは○○だ、とみんな言いますけれど、わたしはわからないと認める人は少ないです。
そのわからないと認める人の方が真実にずっと近い位置に立っていると思います。


肉体と同一視される私
思考と同一視される私
感情と同一視される私


それ以外本当に何も存在しないのか、本人だけが検証できるんです。
あなたは誰?という質問は無意味です。
わたしは誰?だけが死角です。


なぜ今この瞬間の全てが「わたし」なのか、それは事実なのか、ばかばかしいと思いながらで構いませんから検証してみてください。
見つけるのが先です。その他のことは後で考えればいいんです。


誰?はトリガーです。意思の力で引くトリガーですから、自我がこのトリガーをコントロールできます。自我の力を、自我を越えるために借りることができます。


すべてを受け入れる地平、すべてを愛する地平、神から無条件に愛されていることに気づける地平、それが本当に実在するかどうか検証できるのは本人だけです。どんなに思いやりのある方でも他人はこのプロセスの力にはなれません。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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