実在しない夢の世界


この世界は実在しない。神の数式の番組を見ているとき、驚いた言葉がそれでした。
物理学者は0分の1など分母が0になり、無限大∞という解答が出たとき、計算不能ととらえ、失敗と見なすそうですが、厳密にはこれで正解です。


137億年前のビッグバン時に何が起きたのか推測するために、ブラックホールの底を計算しようとしていた物理学者たちは、無限大∞または0ゼロという解答が出るたびに、自分を責めたそうです。理性では無限という意味を永遠に理解できません。無から有が生まれたわけではないんです。


無は最初からどこにもなかった。あったのは無限大の正体不明のひとつながりのなにかだったんです。


それが、わたしと呼ばれる意識の感覚とイコールであることは、神秘家たちの方が先に見つけていました。宗教と混同されますが、政治的に利用された宗教組織とは別にして、精神世界、霊性の伝統は無から有が生まれた理由を数千年前から、またはもっとずっと前から、理解する人間が全体から見れば少数ながら存在し、連綿と伝え続けていたんです。科学の伝統が始まった時点で、最初からその誤りに気づける者たちが人類にはいたんです。理解されなかっただけでした。


紀元前より、おそらくほぼどの地域・国家でも、そういった伝統を受け継ぐ人々がいて、究極的には、「無」「無限」「ひとつ」を体感していました。


この世界が実在しない?ではナイフで刺されたらどうなるか?
痛いです。死ぬほど、痛い。ですが、血を流して、息絶える者を観察している空間意識自体が自分であることに、死後すぐに気づきます。


そこで、重大な誤解、ほとんどの場合、生まれてから死ぬまでの一生付きまとった誤解が解けます。わたしは誰か?人間だったか?


バーソロミューは「エゴのカーテン」という表現で、エゴという分離の錯覚をカーテンにたとえ、カーテンに焦点を合わせている人間たちが「カーテンが二回右に動いた」ことに関する法則を打ちたてようとしてきた歴史を見てこう発言していました。


「実在しないものに関する法則を発見することはできません。あなたがたは見当違いのものを見ているのです」


超弦理論(一般相対性理論と素粒子の運動を正確に示す標準理論を496という完全数と共に導き出した神の数式に現状最も近い理論)を計算している科学者たちは、何が今この瞬間を支えているか、その質問や疑問を支えているか、意識の焦点を集中させていません。その状態ではあと500年かけても、虚空の体感はできません。


実在するものとは、少なくとも、今既に起きていることなんです。
それは思考の中身に集中して、立脚点を無意識にすることでは思い出すことができません。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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Fiora & nobody