思考に気づいている視点


尊敬する先達の一人Y氏がよくおっしゃっていた「思考に気づいている視点」という言葉の表現は、正しいのですが、誤解を招きやすい微妙な点を含んでいると思います。


思考の内容がたとえば


「梅のおにぎりはあまり好きではない。鮭のおにぎりは好きだ。そういえば最近新作のおにぎりでわけのわからないものがコンビニに出回っているが、あまり関心しないな、もっとシンプルに、昔ながらの伝統の味で勝負すべきだ、何だか小手先の新作が増えているよ」
というものだとします。


思考に気づいている視点というのは、このおにぎり論争に気づいている視点ではありません。


梅がいいか、鮭がいいか、コンビニの営業方針を批判することでもありません。


思考が「ある」かどうか気づいている視点なんです。
逆に「ない」かどうか気づいている視点とも言えます。


内容の詳細は追いませんし、追えません。
思考はやって来るものであり、「引き止めなければ」そのまま通り過ぎていきます。


おにぎりに関するちょっとした閃光のようなイメージ。味。匂い。好み。
嫌いなおにぎり。好きなおにぎり。ちょっと気障なおにぎりに対する嫌悪感。


それが「やってきて、通過して、去っていく」ところを目撃していることなんです。
引き止めず、そのエネルギーのあるがままにさせていることなんです。


それが思考に気づいている視点です。
今、思考がある?イエス または ノー
これに即答できる(言葉にしなくても意識している)ような意識状態なわけです。
それは自分(個人としての自分)の今の状態に気づいている視点とも言い換えられるわけです。


神が見つかるのは「体験のみ」に近づいていった時だけです。
そのために、解釈する自我の大元から離れることができることに気づかなければなりません。


選択ができる、という確信は、今この瞬間にあるのか、感じているのかどうかです。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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その視点は、自我?
思考という名の箱の横にはクランクが付いていて、そのクランクを回さなければ、思考は箱の中に入ったままなんですよね。
でも、ひとたびクランクを回すと…物語が展開してしまう。(^^;)

つい最近気付いたのですが。(すっごい初歩的な事です。笑)

思考があって…
その思考に気付いている視点があって…
その視点がある事に気付いている…
っていう構図になっていますよね?

鏡に例えるなら、
思考が鏡像(鏡に映ったモノ)で…
思考に気付いている視点が、鏡そのもので…
さらに、鏡像と鏡、両方に気付いている…っていう具合に。
(「思考<思考に気付いている<思考に気付いているにも気付いている」という三段構え。)

で、この鏡に相当するモノ。
私はずーっと、この鏡の存在に違和感を感じていて、ようやくその違和感の正体が分かりました。(…のではないかな、と思いました。)
この鏡、思考に気付いている視点って、自我じゃないですか?

「えっ? そうですけど…(何をいまさら)」って感じかもしれませんね。(^^;)
でも、観察を続けている間、ずーっとそれが違和感としてあって、ようやく今になって「あれっ? これって自我じゃん!」みたいな。(笑)
(自我にも、低我・高我などあると認識していますので、自我の全てを邪魔者扱いしているつもりではありません。)

だから、本当の自分という存在は、自我にも気付いている…鏡像と鏡に気付いている方、だけなんですね。
私はずーっと、思考も自我の一部、みたいな捉え方をしてしまっていました。(苦笑)

誰にも確かめる事も出来ずにいましたが、この記事でnobodyさんが関連あるお話しを書いていらしたので、便乗でコメントしちゃいました。(^^;)
光龍 2013/09/27(Fri)09:45:04 編集
Re:その視点は、自我?
光龍さん、こんばんは^^コメントありがとうございます。
今夜の記事は光龍さんのご意見をぜひお伺いしたいので、もしお時間のある時がありましたらご一読いただけると嬉しいです。


>思考という名の箱の横にはクランクが付いていて、そのクランクを回さなければ、思考は箱の中に入ったままなんですよね。
>でも、ひとたびクランクを回すと…物語が展開してしまう。(^^;)


おっしゃるとおりですよね。クランクを回すこと、まで含めて「自分」だという「自己像」を持っているものですから、「回さずにはいられない、クランク(思考)を回さないなら日常の放棄だ!」とまで思っている自我が普段の主人公です。人生を生きているというのは、普通は物語を生きていることですね。


>つい最近気付いたのですが。(すっごい初歩的な事です。笑)
>思考があって…
>その思考に気付いている視点があって…
>その視点がある事に気付いている…
>っていう構図になっていますよね?


おっしゃるとおりだと思いますが、私なりの言葉で整理させてください。
「思考A」があります。
「思考Aに気づける視点B」があります。気づいているというより、気づくことができる視点と言い換えさせてもらいますね。
「視点Bの存在自体に気づける視点C」があります。
そういう構図ですね。よくわかります。


>鏡に例えるなら、
>思考が鏡像(鏡に映ったモノ)で…
>思考に気付いている視点が、鏡そのもので…
>さらに、鏡像と鏡、両方に気付いている…っていう具合に。
>(「思考<思考に気付いている<思考に気付いているにも気付いている」という三段構え。)


これもよくわかります。が、別の感想を言わせてください。
思考=鏡像(鏡に映ったモノ)という表現はすごいです!
仏教でよく、純粋な気づきを「透明な光」と表現することが多いんです。
光ではないんだけれども、鏡に鏡像を映す「光」があってはじめて、現われが浮かび上がる。
そういう意味で、「透明な光=気づき」これこそ真我と表現します。
虚空と同じ意味です。そういう意味で、鏡像はうまいです。私も思考を表現する時に今後使いたいです。3段構えに関しては、納得です。


>で、この鏡に相当するモノ。
>私はずーっと、この鏡の存在に違和感を感じていて、ようやくその違和感の正体が分かりました。(…のではないかな、と思いました。)
>この鏡、思考に気付いている視点って、自我じゃないですか?


自我ですね。でも、それに気づくのは簡単ではないですから、なぜこれが自我なのかがわかるのは、真我に近づいた(思い出してきた)人だけだと思います。
つまり、1クッションとして「想定しただけの」自我の勝手な推測であり、舞台設定なんです。
何もない舞台の上に、ここには「設定として壮大なお城が建っています」という設定をして、その舞台の上で王子様の演技を続けるようなものです。
「あれ?このお城って、実在しない、演技上の設定だよね?」と思い出すのは、無意識の王子様の演技をやめた時だけです。演技をやめて、まっさらな目で舞台をみつめると、そこにはお城などないです。何もない。


>「えっ? そうですけど…(何をいまさら)」って感じかもしれませんね。(^^;)


とんでもないです。違和感というのは、つまりは「思い出すことがまだある」ということです。光龍さんのその違和感は、光龍さんにしか味わえない神の解答そのもので、万金の価値があるものです。それぞれの個人的なルートの登頂過程で、一つ一つの発見が他のルートの登山者にとっても大きな道しるべとなります。その違和感を感じていらっしゃったからこそ、ウロボロスのような意識を無限に後退させていきながら尻尾を掴む意識の誘導方法を発見されて、実践されていたのも光龍さんの大きな強みだと思います。私はそういう実践や挑戦のすべてを尊敬しています^^簡単にはできないことです。


>でも、観察を続けている間、ずーっとそれが違和感としてあって、ようやく今になって「あれっ? これって自我じゃん!」みたいな。(笑)
>(自我にも、低我・高我などあると認識していますので、自我の全てを邪魔者扱いしているつもりではありません。)


自我とは何かも、正確にはわからないんですよね。記憶の持ち込みにより発生している瞬間意識と私も書くことがありますし、魂に属する永遠性の部分もあると思います。味方なのか、敵なのかも、意見は別れます。でも言えるのは、全ては「誤解や錯覚も含めて」神そのものということです。すべては「ひとつ」なので、虚空であり、その体験自体が、プレゼントであり、神が味わいたかった体験そのものです。つまりは間違ったことなど何もありません。自我はいるべきかいなくなるべきかという議論の前に、自我そのものが「神の答え」だから「ある」。そう思います。自我も自我の挑戦も、すべてが神です。自我バンザイ!それが神の意見だと思います。


>だから、本当の自分という存在は、自我にも気付いている…鏡像と鏡に気付いている方、だけなんですね。
>私はずーっと、思考も自我の一部、みたいな捉え方をしてしまっていました。(苦笑)


3段構えの「(透明な)光」の部分のみ真我だということですね^^おっしゃるとおりだと思いますが、ちょっと私の意見は違うところもあります。光は「自我に化けて」いるんです。
鏡と鏡像(思考)「そのもの」に化けているんです。でないと「ふたつ以上→ひとつ」になる謎が解けません。
「光」は、気づいている「対象」として自我や思考を見ているのではなく、体験そのものに「化けて」いるんです。「光が鏡であり、鏡像であり、それらを認識する一人三役」で舞台全体を熱演している。それが体験そのものだと思うんです。


>誰にも確かめる事も出来ずにいましたが、この記事でnobodyさんが関連あるお話しを書いていらしたので、便乗でコメントしちゃいました。(^^;)


ありがとうございます。とても助かりました^^記事に書きましたがお話したいことがあったので、また是非コメントいただけると嬉しいです。またよろしくお願いします^^
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