裏話


こんばんは。光龍さん、突然ごめんなさい。コメントありがとうございました。私光龍さんと別件でお話したいことがちょうどあったんです。今夜はその話を書かせてください。


思考観察を長期間に渡って実行した方、体験から様々なことがわかっていらっしゃる方、光龍さんにご意見をお伺いしたかったことがあるんです。


「思考観察の難易度」についてなんです。ふつうの場合、途中で諦めてしまうのも無理がないと思えるくらい難易度があまりに高すぎませんか?


Y氏(Y氏と書くのは、こういう記事が万が一でも先方のご迷惑にならないようにというだけです。Y氏の取り組みはあらゆる点で尊敬に値すると私はいつも思っています)の非常に優れた思考観察の取り組みの特徴は「定着まで一点集中する」という点だと思っているんです。もしY氏が、この定着という自己想起の徹底ぶりをもたずに、日常生活で焦点を四方八方に分散していたなら、方法論としての価値はあまりなかったように感じます。定着という語彙がもたらすイメージの弊害も抜きにして、その思考から離れる一点集中・徹底ぶりこそY氏の真骨頂だと思います。


※定着後5年以上たってから、Y氏が無意識の思考や抑圧した怒りに気づいて向き合っていることは不思議なことではありません。台本はそれぞれの時期に、必要なことがおきます。その5年の間、Y氏が感じていたことに価値があるんです。遍在の感覚から日常を生きているというのは、稀なことです。


今になって思えば、3ヶ月という期間は定着にもっていくまでは短いくらいです。私は、3ヶ月どころか、9ヶ月以上たっても定着したのかどうか自分で自分を疑うことの連続になりました。当初は簡単だと一瞬思ったんです。間違いでした。これは簡単ではなくて、とても、極めてと言っていいくらい難しい挑戦なのだと本当に思うようになりました。


Y氏の当時の集中力が尋常ではなかったのだと思うんです。6冊程度の本を回し読みしながらという「特殊な方法」であったことも、軽視してはいけない事実だと思います。仕事や育児をしながら、これが果たしてできるでしょうか?


3ヶ月で定着させようというY氏のたどられたルートを真似しようとすると逆効果になるかもしれないと思うようになりました。希望は役にたちますが、道の険しさを体感していない天才的・またはど根性の人が説明すると、あまりの現実とのギャップにドロップアウトする人が続出するように思うんです。現状そうなっているような気がします。Y氏より早く定着させた方はコメントで拝見する限り、3日で定着状態までもっていった女性の方お一人だけ(その後2ヶ月静寂から生きていて、自身の感覚が人間離れしていることをご自分で不安に思った方)です。私はまったくダメでした。


私の場合、感覚を恣意的にコントロールできる(幸福⇔不幸を意図的にどの瞬間でも切り替えることができる、その確信が生まれた)ことに気づいたのも、8ヶ月9ヶ月たってからです。確信が生まれた今でも、不幸の連鎖に戻ることはいつでもできる状態です。ちょっと巻き込まれればいい、それだけです。


私の個人的な足枷は神秘体験時の記憶と、その意識感覚に対してのうん十年の執着です。同じ究極の快楽をもう一度!その感覚が鉛より重いんです。それが間違っているとは思いませんが、今この瞬間の入り口をくぐるのに邪魔になり続けます。「求める」思考パターンが、再度入り口をみえなくしていきます。


思考観察は、決して一本道とは言えないし、簡単でもないです(やること自体は一本道ですけれども)。
100人の方が挑戦したら、たぶん90人以上の方が、回り道の独自ルートをとられると思います。その途中で挫折したと自分で自分にレッテルを貼ってしまう。


失敗しない方の特徴はただ一つ、途中でやめない方ではないでしょうか。
絶対みんな、うまくいかない日が山ほどやってきます。
カモフラージュの世界で「成果をあげる」ことこそが人生だ!とみんな何度も何度も思わずには生きられません。


瞑想だって、うん十年やっても終わりのみえない世界です。
でも、答えはありのままの今この瞬間にある。
今すでにある。今明るい。


今暗いよ!何言ってるんだい!?今は真っ暗だよ!!だけど俺に任せろ!明るくしてやるから!


そう主張する自我との説得合戦です。
どちらの根気が勝つか、簡単ではありません。


光龍さんのご意見をまた教えていただけたら幸いです。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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無題
こんばんは!
今日の記事は大変興味深いです
なぜなら私はY師の方法で救われた一人だからです

これって究極的には、そこまでの覚悟があるか?
って事なのだと思います

私はあまりにも辛い時期があり、自殺するか
悟りを開くか、どっちかしかないという究極の
選択を迫られました

そしてY師の方法論、またその他の覚醒者の話を
、私生活や仕事より全てに優先して実践しました。

仕事どころじゃなかったんです
私生活は苦しみにまみれていたんです

険しい道でした。何度も泣きました、何度も死のうと思いました。
でも、「それ」に気付き、思考が幻であると気づくしか、もはや自分が生きる道はなかったんです

今なら言えます、その苦しみは神の恩寵であると

全てを犠牲にしてでも、何よりも自分は心の平安が欲しい!
そう思わなければここまで頑張れませんでした
スピリチュアルの世界を学ぼうとは思いませんでした。

かといって、「それ」に気づけない人は劣等生とかではなく、すべては完璧なタイミングで起こっているんだなぁと思うんです

正直あんなに苦しいのはもう勘弁ですが(笑)
目覚めというのは苦しみを通してしか生まれないのかな?とも思います

私は自分の友人で、今苦しんでいる人をみてもなぜか安心しているんです
大丈夫!あなたはあなたの完璧なタイミングで目覚めるからって。

握りしめている苦悩を手放すって、究極的に追いつめられないと手放せないんですよね。。。
そして本人が心の底からこんなのはもう勘弁だ!
と思うしか無いんですよね。。。
準備が整ってない人にいくら「こっちに本当の幸せがあるよ!」といっても絶対聞きませんから

神様のいじわる(笑)って感じですね

こい 2013/09/28(Sat)02:44:30 編集
Re:無題
こいさん、こんばんは^^コメントありがとうございます。


>こんばんは!
>今日の記事は大変興味深いです
>なぜなら私はY師の方法で救われた一人だからです


そうだったんですね。思考観察から真我を思い出された方というのはすごく参考になります^^
実体験からの教訓を色々お伺いしたいです。もしよろしかったら、定着までにかかった時間や、思考観察時に迷ったこと、注意を払ったことなどを教えていただけると嬉しいです。


>これって究極的には、そこまでの覚悟があるか?
>って事なのだと思います


究極的には、そうなんですよねきっと。すべての人の意識状態は自作自演の演技だと思いますので、自分の覚悟次第だと私も思います。


>私はあまりにも辛い時期があり、自殺するか
>悟りを開くか、どっちかしかないという究極の
>選択を迫られました


言葉にすると一行でも、人生でそれを体験して、乗り越えてきた方を心から尊敬します。


>そしてY師の方法論、またその他の覚醒者の話を
>、私生活や仕事より全てに優先して実践しました。


そうだったんですね。シンプルですが、普通はなかなかその全てに優先させる覚悟が持てないですし、時間経過で焦点が分散してしまいます。こいさんは意思が強いと思います。


>仕事どころじゃなかったんです
>私生活は苦しみにまみれていたんです
>険しい道でした。何度も泣きました、何度も死のうと思いました。
>でも、「それ」に気付き、思考が幻であると気づくしか、もはや自分が生きる道はなかったんです


どんなに追い込まれても、
逃げようとしない、というのは実際超のつくほど難しいことだと思います。
こいさんのその精神力に頭が下がります。


>今なら言えます、その苦しみは神の恩寵であると
>全てを犠牲にしてでも、何よりも自分は心の平安が欲しい!
>そう思わなければここまで頑張れませんでした
>スピリチュアルの世界を学ぼうとは思いませんでした。


文面を何度も繰り返し読んでいるのですが、こいさんのその実体験はとても参考になります。
ありがとうございます。


>かといって、「それ」に気づけない人は劣等生とかではなく、すべては完璧なタイミングで起こっているんだなぁと思うんです


そうですよね。みんな導かれていますよね。私もそう思います。


>正直あんなに苦しいのはもう勘弁ですが(笑)
>目覚めというのは苦しみを通してしか生まれないのかな?とも思います


人間が数かぎりない人生の経験から学んできたことは、自己を内面に向かわせるのに最も効果的な手段の一つが苦痛だということですね。でも唯一の手段である「必要」はないはずです。喜びを通して成長する道もきっとある、と私は信じることにしてます^^


>私は自分の友人で、今苦しんでいる人をみてもなぜか安心しているんです
>大丈夫!あなたはあなたの完璧なタイミングで目覚めるからって。
>握りしめている苦悩を手放すって、究極的に追いつめられないと手放せないんですよね。。。
>そして本人が心の底からこんなのはもう勘弁だ!
>と思うしか無いんですよね。。。
>準備が整ってない人にいくら「こっちに本当の幸せがあるよ!」といっても絶対聞きませんから
>神様のいじわる(笑)って感じですね


これは大きいですね。こいさん、その安心の感覚はどんな時でも、朝起きてから夜眠るまで消えませんか?ずっと続いている感じですか?
もしそうなら、私の場合は何か手放していない苦悩をまだまだ握りこんでいるんだと思います。思い当たるフシは山ほどあるんですけどね^^;
またコメント楽しみにしてます^^ありがとうございました。
【2013/09/29 00:04】
私の雑感
nobodyさん、こんにちは。(^^)
実は、今年の7月に、東京で5月に開催された講習会を受けたという方(2名)に、たまたま偶然お会いしました。(笑)
(この夏結局、お一人とは計3回、もう一人の方とは計2回、偶然出会う事になりました。)

お二方とも、残念ながら、それを活かせていないという印象を受けたのですが…それには、理由が二つありました。
一つは、動機です。
そしてもう一つは、求道心。(熱意、みたいなものですね。)
この二つが、(真我を)実現させようとしている人とは、違っていました。

例えば私は、真我に恋焦がれていて、自分自身をどんなに「真我を実現しなくても生活はできる、生きていけるし、今もそうやって生きてるじゃん」
と説得しても、結局は、真我への恋愛感情(?)の火は消えませんでした。
でも、前述したお二人は、そもそもの動機が違いますし、その動機も各々で違うので、観察をするという行為への熱の入れ具合も違っていました。

時間をかけて、お話しや事情を伺った結果、お一人は悟りや目覚めを(今は)必ずしも必要とされていなくて、まだその時の方ではありませんでした。
もうお一人は、もっとご自分の感覚や思考を使って、思う存分やった後でなら、必要とする時期が訪れるという感じで、やはり、今はその時ではありませんでした。
お二人にはそれぞれ、「こう、自分に問いかけて、深く自身の内を探ってみてください」とお伝えして、後日、お二人はご自身で答えを発見されました。

ですので、道を整備して、誰でもそこを通れる様にしておく事は出来ても、そこを通るのは、それぞれの時があるのだなぁと、思った次第です。
そして、その道自体も、その人その人の感覚や好みに合った道も、あるのだと思います。

でも、その道って、実は全部同じコンセプトで出来ているのですよね。(^^;)
違うのは、その表現の仕方と方法なんですが、それが道から観える風景を異なったものにしているので、
各人の好みに合ったものに出会あったり、作り出したりすることも大事だと思います。

で、そのコンセプトというのは、意識を拡げる事と愛を拡げる事。
これだけなんだと、これに尽きるのだと、色々と試した結果…結局ここに辿り着きました。(^^;)

自分が今、意識が拡がるのを妨げているものに出会い、向き合うのが、自我への手当て。
(思考の観察や、あるがままにしているや、在るという感覚を見守る、などがこれに相当するのだと思います。)
そして、愛が拡がるのを妨げているのが何なのか、その私という正体を感覚的に知って、愛を知り愛を拡げる。

多くの人が、愛は真我の元々の性質なので、愛を目指さなくても自然と開かれる。的な事を教えとして伝えていらっしゃいますが。
私は、それでは時間が掛かり過ぎて、精神的に舞いってしまうと(自身の経験から)感じています。
愛が現れるのを待っていたのでは、その間に精神的な救いがないので、ハートが閉じやすいとすら感じます。(^^;)

情としての愛情、慈悲としての愛情。
その両方とも、未だ分離観からの愛ではありますが、それらも元々は愛から降りてきたものです。
愛が何であるか分からなくても、自分を愛する、自分に愛を向ける、そうした感情や感覚も使う事で…
ハートが開き、腹が割れて、それによって相乗的に意識も拡がり、愛が拡がるのだと思い出しました。

ちょっと色々と長くなってしまった感があるので、今日はここで止めておきますね。(^^;)
(こい さんの体験談も、興味深いですねぇ~ ^^)
光龍 2013/09/28(Sat)10:34:52 編集
Re:私の雑感
光龍さん、こんばんは^^こんなに早くご返信いただけて嬉しいです。ありがとうございます。


>nobodyさん、こんにちは。(^^)
>実は、今年の7月に、東京で5月に開催された講習会を受けたという方(2名)に、たまたま偶然お会いしました。(笑)
>(この夏結局、お一人とは計3回、もう一人の方とは計2回、偶然出会う事になりました。)


それは偶然と呼ぶには、すごい偶然ですね^^


>お二方とも、残念ながら、それを活かせていないという印象を受けたのですが…それには、理由が二つありました。
>一つは、動機です。
>そしてもう一つは、求道心。(熱意、みたいなものですね。)
>この二つが、(真我を)実現させようとしている人とは、違っていました。


動機と求道心。
動機で多いのが、日常からの「逃避」の動機ですね。私もこれはよくわかります。苦しくてたまらなくてスピリチュアルの道に救いを求めるというのは、健全なことだと思います。途中で、その動機は変わらなくてはならないものだとも思います。逃げたい→逃げない態度になることが要求されますよね。
求道心(熱意)は天与のものというと語弊を招きそうですが、理性ではコントロールできないものだと思います。台本の重要事項として既に定められたその人の人生の宿命みたいなものかなとも感じます。ちょっとした興味があってセミナーに参加したというくらいでは、温度差ができますよねきっと。


>例えば私は、真我に恋焦がれていて、自分自身をどんなに「真我を実現しなくても生活はできる、生きていけるし、今もそうやって生きてるじゃん」
>と説得しても、結局は、真我への恋愛感情(?)の火は消えませんでした。


おっしゃることよくわかります。私もそれは共感します。
片想いかもしれないけれども、どうしても「好きなものは好きでどうしようもない」という感じの存在感の大きさですよね^^


>でも、前述したお二人は、そもそもの動機が違いますし、その動機も各々で違うので、観察をするという行為への熱の入れ具合も違っていました。
>時間をかけて、お話しや事情を伺った結果、お一人は悟りや目覚めを(今は)必ずしも必要とされていなくて、まだその時の方ではありませんでした。


ご本人にとって求めるものが曖昧だったのかなと今想像しました。


>もうお一人は、もっとご自分の感覚や思考を使って、思う存分やった後でなら、必要とする時期が訪れるという感じで、やはり、今はその時ではありませんでした。


それはよくわかります。ご本人が試行錯誤した後でなら、また違った見え方を味わうだろうと予感できる方ということですよね^^


>お二人にはそれぞれ、「こう、自分に問いかけて、深く自身の内を探ってみてください」とお伝えして、後日、お二人はご自身で答えを発見されました。


それはすごいです。2回や3回の助言でそう導かれるなら、光龍さんの視点が的確だったのだと思います。


>ですので、道を整備して、誰でもそこを通れる様にしておく事は出来ても、そこを通るのは、それぞれの時があるのだなぁと、思った次第です。
>そして、その道自体も、その人その人の感覚や好みに合った道も、あるのだと思います。
>でも、その道って、実は全部同じコンセプトで出来ているのですよね。(^^;)


まさにおっしゃるとおりだと思います。全部同じコンセプトですね^^
すべて。ひとつ。瞬間。いのち。いまここ。体験。思考を潜ませることへの厳格な拒絶。在るである。実在のみに集中し、リラックスすること。同じですね。


>違うのは、その表現の仕方と方法なんですが、それが道から観える風景を異なったものにしているので、
>各人の好みに合ったものに出会あったり、作り出したりすることも大事だと思います。


作り出しだりすることも大事というご意見は、私もこれから大事にしようと本当に思いました。この分野って、新しい実験的取り組みがあっていいんだと思います^^


>で、そのコンセプトというのは、意識を拡げる事と愛を拡げる事。
>これだけなんだと、これに尽きるのだと、色々と試した結果…結局ここに辿り着きました。(^^;)


意識を拡げることは共感できるんです。愛を拡げるについてはご意見をさらに伺いたいです。ちょっと続きを読みますね^^


>自分が今、意識が拡がるのを妨げているものに出会い、向き合うのが、自我への手当て。
>(思考の観察や、あるがままにしているや、在るという感覚を見守る、などがこれに相当するのだと思います。)


川がせき止められている、という例えを使うなら、スムーズに川が本来の流れを取り戻すまで、せき止められている箇所(問題)に焦点を集中するのではなく、スムーズに川が流れている姿そのもの(解答そのもの)に焦点を集中するということですね^^問題に集中するのは思考です。解答(全体)に集中すると意識は拡張しますね^^わかります。


>そして、愛が拡がるのを妨げているのが何なのか、その私という正体を感覚的に知って、愛を知り愛を拡げる。


今じっくりこの文面を何度も読んでいるのですが、これは重要だと感じます。
私というのは私の言葉で言うと「内隔」です。それはつまり「否定への抵抗」です。
否定への抵抗そのものが「分離感」になり、孤立を深めます。
勉強になりました^^これから参考にさせていただきますね。


>多くの人が、愛は真我の元々の性質なので、愛を目指さなくても自然と開かれる。的な事を教えとして伝えていらっしゃいますが。
>私は、それでは時間が掛かり過ぎて、精神的に舞いってしまうと(自身の経験から)感じています。
>愛が現れるのを待っていたのでは、その間に精神的な救いがないので、ハートが閉じやすいとすら感じます。(^^;)


これは以前、この日記にコメントくださった方もおっしゃっていたことがありました。自分から主体的に愛する力より、(神より無条件に)愛されている感覚を感得することが前に進む力になると。光龍さんも思考観察を一つの方法論として見た場合の弱点として、「ハートが開かない」と以前おっしゃっていましたね。
私ですね、これ、以前Y氏に提案したことあるんです。静寂主体もいいけれど、愛からのアプローチを同時に取り上げるべき場合もあるのではないでしょうかと。
光龍さんは神秘体験というか、一瞥が「愛」側の方なんですね^^
到達された大いなる愛と、求道の道の途上の感覚差に悩まされていらっしゃったのではないですか?
もしそうなら、私そのギャップに苦しむ感覚とてもよくわかります。私もずっとそうですから。私の場合は「歓喜」側というか、歓喜の側面が最大のギャップでした。


>情としての愛情、慈悲としての愛情。
>その両方とも、未だ分離観からの愛ではありますが、それらも元々は愛から降りてきたものです。


卓見ですね。


>愛が何であるか分からなくても、自分を愛する、自分に愛を向ける、そうした感情や感覚も使う事で…
>ハートが開き、腹が割れて、それによって相乗的に意識も拡がり、愛が拡がるのだと思い出しました。


この辺りの光龍さんの実体験と観測は、非常に参考になります。
いわば「愛のスイッチ」というか、意図的に、恣意的に、愛を積極的に拡張する姿勢を盛り込むことが大きな前進になるということですね。
思考観察は言葉は悪いですが「片手落ち」ではないのかと、光龍さんが感じていらっしゃるなら、その疑問を感じたことは私もあります。
「ひとつ」の側面としての愛・静寂・平安・歓喜・自由・気づき・在る、などどれに最初に到達しても、最終的な勝利がもたらされるとは思いますが、愛の重要性は強調のしすぎなどないですね。どんな時にも人の怖れを捨てさせるのは「愛」だと思います。


>ちょっと色々と長くなってしまった感があるので、今日はここで止めておきますね。(^^;)
>(こい さんの体験談も、興味深いですねぇ~ ^^)


とんでもないです^^
本当に参考になりました。また色々教えてくださいね。
こいさんの体験談はこれから根掘り葉掘り私も伺いたいです^^
【2013/09/29 01:17】
無題
665

神も仏も名無しさん[] 投稿日:2011/07/28 17:14:45  ID:v8ctoclr(2)

気づきは、認識は、留意は、どこからくるのだろう?
それに「対象」という方向性を与えることはできるけれど、それそのものを知ることはできない。
気づきは、認識は、留意は、忙しい。常に対象を追いかける。
いや、私の心が忙しいと言うべきか。

何かに気づいているということ に気づいてみる。
何かを認識しているということ を認識してみる。
何かに留意しているということ に留意してみる。
対象を追うものを追う、というはがゆさもどかしさ。それは忍者のようだ。
追うものも追われるものも、それはみな同じそれなんだけれども。

ロバーツの言う「空白」や「沈黙」。
Aという対象からBという対象へ移動するその刹那の、
我々凡人にとっては果てしなく短いその間隙に留まるすべを、子供の頃から彼女は知っていた。

私は感情ではないし、思考でもないし、行為でもない。
私が認識するものすべては対象にすぎない。認識しているということを認識することさえも。
思考する者とは「思考」である。 とわかってはいても、その理解があっても、
感情や思考はいつもいつも私のふりをし続ける。


こんにちは。1週間ほど前こちらのブログを知り、興味深く読ませていただいています。
数年前、一瞥?のようなものが数回あり、その後アジズの本を読んだりして自分なりに自己想起の練習をしてきました。
上記は、2ちゃんねるのバーナデット・ロバーツスレに投稿したものです。
2年経ちますが相も変わらずですTT

日常を送りながら道を歩むというのはかなりの本気度が要求されますね。
アジズが僧院の意味を言っていましたが、なるほどと思ってしまいます。
つらら 2013/09/28(Sat)11:24:55 編集
Re:無題
つららさん初めまして^^コメントいただけて嬉しいです。ありがとうございます。


>665
>
>神も仏も名無しさん[] 投稿日:2011/07/28 17:14:45  ID:v8ctoclr(2)
>
>気づきは、認識は、留意は、どこからくるのだろう?
>それに「対象」という方向性を与えることはできるけれど、それそのものを知ることはできない。
> 気づきは、認識は、留意は、忙しい。常に対象を追いかける。
>いや、私の心が忙しいと言うべきか。
>
> 何かに気づいているということ に気づいてみる。
> 何かを認識しているということ を認識してみる。
> 何かに留意しているということ に留意してみる。
> 対象を追うものを追う、というはがゆさもどかしさ。それは忍者のようだ。
> 追うものも追われるものも、それはみな同じそれなんだけれども。
>
>ロバーツの言う「空白」や「沈黙」。
> Aという対象からBという対象へ移動するその刹那の、
> 我々凡人にとっては果てしなく短いその間隙に留まるすべを、子供の頃から彼女は知っていた。
>
> 私は感情ではないし、思考でもないし、行為でもない。
> 私が認識するものすべては対象にすぎない。認識しているということを認識することさえも。
> 思考する者とは「思考」である。 とわかってはいても、その理解があっても、
> 感情や思考はいつもいつも私のふりをし続ける。


ちょっと待ってください^^もしかしてこれはつららさんが書かれたものでしょうか?
文章自体にかなり感動しました!これは私にはとても書けない文章です。
言葉にすることの難しさは、日記を書きながら毎日痛感してますので、本当に美しいと感じました。投稿ありがとうございます。


>こんにちは。1週間ほど前こちらのブログを知り、興味深く読ませていただいています。


とても光栄です^^だらだら書いているだけの日記ですが、もし良かったら暇つぶしでもいいですからコーヒーを片手にお寄りいただけると嬉しいです^^


>数年前、一瞥?のようなものが数回あり、その後アジズの本を読んだりして自分なりに自己想起の練習をしてきました。


アジズということはやまがみてるおさんの本家師匠筋ですね^^
いただいた文章からも、つららさんの見識の高さは伝わってきます。


>上記は、2ちゃんねるのバーナデット・ロバーツスレに投稿したものです。
>2年経ちますが相も変わらずですTT


私もちょうど2年前に「いつも瞬間にいる」ことを実践して生きていこうと決めたんです。
でも日常の意識はなんらかの発見→狂喜乱舞→あれ?→沈没→落ち込みを繰り返していますので、非常に共感します。なかなかうまくいかないことのほうが多かったりしますよね。


>日常を送りながら道を歩むというのはかなりの本気度が要求されますね。
>アジズが僧院の意味を言っていましたが、なるほどと思ってしまいます。


おっしゃるとおりですね。本気度は要求されますよね。
1時間の瞑想時間を捻出することは、結構面倒(不可能ではなく、純粋に結構面倒)ですし、自己想起の「最初の基準」が曖昧なままだと、努力が正しい方向に向かっているのかどうかも自分で判断することがなかなかできません。
これだけやってるのに、なぜ前に進まない?という想いを抱える人も今増えていると思います。


つららさんのように理解が深い方でも、実践面での悩みはあるんですね。
私もまったく同じです。私の場合は、自己否定を自分の目から隠すために、エゴが気を反らそうとする策略に繰り返し引っかかることです。より大きな覚悟が必要なのかなと今感じています。


もしよろしければいつでもまたコメントください^^ありがとうございました。
【2013/09/29 01:51】
再度(^^;)
つららさん、私のコメントでサンドしてしまいました。
ごめんなさい。(^^;)

nobodyさん、これは大事なことかもしれないので、再度登場しました。(苦笑)

今月の初めに、目覚められた方が主催する小規模のランチ会に参加しました。
どのくらい小規模かと言うと…目覚められた方が3名、参加者も3名でした。(^^;)
ほとんど、マン・ツー・マン。(笑)

そこでは、瞑想したり、リーディングしてもらったり、共鳴セッションをしてもらったりと、色々とあったのですが。
私の参加した目的はズバリ、「私は(色々とやっているのに)どうして目覚めないのでしょう?」を聞きたかったからです。
そこで得られた回答は、「あなたは開いているし、目覚めてもいますよ?(どうして目覚めていないと思い込んでいるのでしょう?)」というものでした。

でも、今月頭の頃の私の感覚は、自我、自我、自我で。
目覚めているなんていう(過去の体験で、目覚めているとはどういうものか知っていますので)ものとは、程遠いことを自覚していました。

で、家へ帰ってきてから、色々と検証(内観)してみました。
すると確かに、自分の中に“目覚めていない”という思い込み(思考、観念、概念)が眠っていました。
それが存在している事は分かったものの、具体的にどう対処すればいいのか迷いました…が、解決策の存在を教えてくれたのは、内なる自分。
(9月5日にしたコメントは、その時のもので。解決策とは、アジャシャンティさんの教えでした。)

何の事はなく、「私は目覚めていない」という、その自覚こそが、目隠しをしていたのですね。(^^;)
(今現在、意識すれば目覚めの感覚で在れるけれども、定着はしていない。という状況です。)

>私の個人的な足枷は神秘体験時の記憶と、その意識感覚に対してのうん十年の執着です。同じ究極の快楽をもう一度!その感覚が鉛より重いんです。それが間違っているとは思いませ

んが、今この瞬間の入り口をくぐるのに邪魔になり続けます。「求める」思考パターンが、再度入り口をみえなくしていきます。

まさしく、長い事、私もこれでした。(^^;;;)
目覚めた方達から指摘され、アジャさんの教えを実践してみて、まさに目からウロコでした。
「あっ? あれぇ? ホントだ、コレだ!」って。(笑)

「すべてをあるがままにしている」、心理的になにものにも抵抗しない、というのは、中々に難しいところもありますが。
抵抗や、あるがままを許せないものと、一つ一つ丹念に自分の内で向き合い見守っていくと、不思議と消えていきます。
これがきっと、許しとか手放すと言われているものなのでしょうね。

過去の体験による記憶や、特定の体験を求めてしまう、それ自身が、目覚めた意識を覆い隠していたなんて。
そして、悟りとはこういうもの、目覚めとはこういうもの、という想像や(←過去の出来事を思い返しているので、すでに想像と言えます。^^;)
決めつけた基準も、私にとってやっかいな思考パターンでした。

色々と細かく読んでいくと、共感するところが多いですねぇ。(^^)
光龍 2013/09/28(Sat)14:57:54 編集
Re:再度(^^;)
光龍さん、再度コメントありがとうございます^^
詳細をお伺いしていきたいので、私はいつでも歓迎です^^


>つららさん、私のコメントでサンドしてしまいました。
>ごめんなさい。(^^;)
>
>nobodyさん、これは大事なことかもしれないので、再度登場しました。(苦笑)
>
>今月の初めに、目覚められた方が主催する小規模のランチ会に参加しました。
>どのくらい小規模かと言うと…目覚められた方が3名、参加者も3名でした。(^^;)
>ほとんど、マン・ツー・マン。(笑)


そういう時代なんですかもう?^^
これってすごいことですよね。人の力というより、この時代に注入されているエネルギーの力なのかもしれませんね。


>そこでは、瞑想したり、リーディングしてもらったり、共鳴セッションをしてもらったりと、色々とあったのですが。
>私の参加した目的はズバリ、「私は(色々とやっているのに)どうして目覚めないのでしょう?」を聞きたかったからです。


この想いは私も共感します。自作自演の目覚めていない演技を「私はもうやめたいのに、なぜやまない!?」という話ですね。その「私」は今どこにいますか?と冷静につっこまれたりして。


>そこで得られた回答は、「あなたは開いているし、目覚めてもいますよ?(どうして目覚めていないと思い込んでいるのでしょう?)」というものでした。


その3対3のテーブルの境界線がそこですよね。向かい側の目覚めた人たちには境界線がみえないからみんな同じ。全員覚醒者。対して質問する側は質問する必要性を感じている。その必要性を内観するのは自己作業ですから、他人に訊くのは違うんですよとやんわり言われるわけですね。


>でも、今月頭の頃の私の感覚は、自我、自我、自我で。
>目覚めているなんていう(過去の体験で、目覚めているとはどういうものか知っていますので)ものとは、程遠いことを自覚していました。


このギャップ感は非常によくわかります。私も思考観察で定着時から1ヶ月ほどの間に、一番精神的に「きた」のがこのギャップ感でした。
「この程度の平安は、最高記録に遠く及ばない。私は何か方法論を間違えたのではないか」
「(理由はどうであれ)これではない!!」
とエゴが騒ぎ出すんですよね。


>で、家へ帰ってきてから、色々と検証(内観)してみました。
>すると確かに、自分の中に“目覚めていない”という思い込み(思考、観念、概念)が眠っていました。


これはちょっと擁護させてください。大いなる感覚に圧倒された方は、この観念をもっているのは当然だと思います。あまりに「それ」が偉大なので、今ではなく「再会は未来にある」と感じて生きてきた時間が長いんです。それは現実の苦悩であり、葛藤であり、その人の歴史そのものですから、それそのものが光だと思うんです。神の求めた栄光の舞台そのものだと思います。決して卑下されるものではないです。


>それが存在している事は分かったものの、具体的にどう対処すればいいのか迷いました…が、解決策の存在を教えてくれたのは、内なる自分。
>(9月5日にしたコメントは、その時のもので。解決策とは、アジャシャンティさんの教えでした。)


あれだけ悩んでいたことが、こんな簡単なことで、とおっしゃっていた時ですね。
ご紹介いただいたあのサイトの超訳も確かに大きな力を感じました。すべてがほどけていくような感覚。曲がりくねった道がひとつに統合される感覚ですね。


>何の事はなく、「私は目覚めていない」という、その自覚こそが、目隠しをしていたのですね。(^^;)


おっしゃるとおりだと思います。
バーソロミューがよく言っていたんです。
「あなたはすでに、完全に、体験しています」
これとは違う観念をエゴが必死に押しつけてくるはずです。すでに体験しているから離れないでくださいと。
一瞥後、または一時的な神秘体験後、私たちは無意識の内に、
「今この瞬間と、その大いなる意識感覚の」「違い」を信じこみます。
この「違い」を信じている観念を思い出すのは、かなり根が深くて、繰り返し繰り返し、反復して掘り返さないと根っこが出てこないんだと思います。


>(今現在、意識すれば目覚めの感覚で在れるけれども、定着はしていない。という状況です。)


私もほとんど同じ状態だと思います。それはつまり、根っこの部分の分離感にまだ何かが残っているんですよね。光龍さん、ここが、この根っこの部分の掘り返し作業が、境目だと思うんです。難易度の最大のところであり、一番暗い夜明け前だと思うんです。
私たちは夜の住人なんだと思うんです。この夜の住人にとって、いまさら挑戦を投げることはできないし、かといって、根っこを特定してくれる他人は存在しない。どんなグルにも無理です。今が夜だという思い込みの根本を、挫折せずに、ひとつひとつ吟味していくしかないんですよね。一番怖れていた自分と向き合う時のような気がします。


> >私の個人的な足枷は神秘体験時の記憶と、その意識感覚に対してのうん十年の執着です。同じ究極の快楽をもう一度!その感覚が鉛より重いんです。それが間違っているとは思いませ
んが、今この瞬間の入り口をくぐるのに邪魔になり続けます。「求める」思考パターンが、再度入り口をみえなくしていきます。
>
>まさしく、長い事、私もこれでした。(^^;;;)
>目覚めた方達から指摘され、アジャさんの教えを実践してみて、まさに目からウロコでした。
>「あっ? あれぇ? ホントだ、コレだ!」って。(笑)


科学万能の時代にうん十年と生きてきて、意識に隠された秘密に気づくというのは、本当に驚きですね。特に自分の意識というのが、(ありのままに瞬間を体験することによって)感覚をコントロールできることを思い出すことは実践に100回成功した後でもまだ信じられないようなカルチャーショックです。


>「すべてをあるがままにしている」、心理的になにものにも抵抗しない、というのは、中々に難しいところもありますが。


反応できないような速さで「今までの無意識の思考パターンに巻き込まれる」んですよね。わかります。だから思い出すしかないという状態。


>抵抗や、あるがままを許せないものと、一つ一つ丹念に自分の内で向き合い見守っていくと、不思議と消えていきます。
>これがきっと、許しとか手放すと言われているものなのでしょうね。


そうかもしれません。今私は、「何かにしがみついている時が最も安全だ」というエゴの声と説得合戦をしていて、その戦いに疲れ(ああ…このエゴの説得は面倒だ…というような疲れ)が出てきた時期みたいなんです。
光龍さんが今手放しを順調に進めていらっしゃる最中であれば、どうかそのまま手放しを進めていただきたいと心から思います。快進撃ができるときに、進めるだけ進むほうがいいです。エゴのしつこさは、異常です。


>過去の体験による記憶や、特定の体験を求めてしまう、それ自身が、目覚めた意識を覆い隠していたなんて。
>そして、悟りとはこういうもの、目覚めとはこういうもの、という想像や(←過去の出来事を思い返しているので、すでに想像と言えます。^^;)
>決めつけた基準も、私にとってやっかいな思考パターンでした。


おっしゃるとおりです。想像ですよね。
想像する必要がなく目の前に展開しているのに、記憶した匂いと違うからという理由で決して食べようとしない「食わず嫌い王」が私たちです。


>色々と細かく読んでいくと、共感するところが多いですねぇ。(^^)


本当ですね。人生の道は異なっても、葛藤の種類というのは(エゴの策略という意味で)みんな似ているのかもしれませんよね。学ばせていただくことばかりのコメントでした。
またお願いします。今夜もありがとうございました^^
【2013/09/29 02:53】
無題
こんにちは!
先日は酔った勢いで感情的に書き込みしてしまい
具体的なアプローチを書くのを忘れていました(笑)

思考観察の何が優れているかって、自分の無意識のうちに握りしめている思考や、子供の時代のトラウマに気づかされる事だと思うんです

そこに気づいてあげて、その思考・信念やトラウマから生まれる感情をただ感じるだけで「今」の私が癒されるんです

自我が苦しみを与えてまでこの私を何から守りたかったのかがはっきりするんです

そして日々の感情、「怒り・悲しみ」なども抑圧せず、なかったことにせず、ただただ心から感じることによって、その感情エネルギーが体を「ただ」通り過ぎ、新たなカルマが蓄積されない事に気づきました

この2本柱の方法を日々繰り返すことによって、生まれ変わるというか、心身ともに段階を踏んで健康になっていきました

この方法論はレナード゙ジェイコブソンの「今この瞬間への旅」で学びました。この本は私にとっての聖書です(^^)

あとは人間として生まれた以上、否定やネガティブを感じることはしょうがない!とあきらめることも大事だと思います。
悟りの一瞥後、苦しかったのは思考に巻き込まれたり、否定的な感情が生まれるたびに落ち込むことでした、「またやっちまった!」って
でもそこはもう諦めました。
人間として生まれてきた以上ポジティブ側にだけにいる事は不可能ですし。
これはバーソロミューや阿部敏郎さんの著作に学ばせて頂きました

だから私もいまだに一瞬、不幸の思考に巻き込まれることもありますが、そんな自分を笑って許し、高田純二ばりに軽く考えてます(笑)
そうすると心に平安が戻ってくるんです

結局はどんな自分も許して愛してあげることが一番大事なんだなと思います

「自分を許す・自分を愛する」こんなシンプルで簡単なことが出来ないのは、そう自我君のせいです(笑)
完璧主義者なんですね自我君は。

そして自我が、私を守ろう守ろうと傷ついた体験を忘れさせ心の奥にその時の感情をしまいっぱなしにすると。。。

はい、以前の私のように自分に自信がなく、自分を愛せず、外側に愛を求め、他人に執着する人間の完成です(笑)

今のような定着した心の平安にたどり着くまで約10か月かかりました
Y師の方法論だけでは辿り着けませんでしたが、大変に有効なツールであることは確信しています

長文失礼いたしました!!
お返事くださって嬉しかったです、次の記事も楽しみにしてますね!!
こい 2013/09/29(Sun)16:48:35 編集
Re:無題
こいさん、こんばんは^^ご返信ありがとうございます。
ご丁寧にアプローチを書いてくださり、感謝です。


>こんにちは!
>先日は酔った勢いで感情的に書き込みしてしまい
>具体的なアプローチを書くのを忘れていました(笑)
>思考観察の何が優れているかって、自分の無意識のうちに握りしめている思考や、子供の時代のトラウマに気づかされる事だと思うんです
>そこに気づいてあげて、その思考・信念やトラウマから生まれる感情をただ感じるだけで「今」の私が癒されるんです


過去から握りしめている思考に気づけることですね。無意識だったり、みえなかったりするものが意識に上がって観察できると。その思考や否定的な嘘のレッテルから生まれているこの瞬間の感情をただ感じることですね。


>自我が苦しみを与えてまでこの私を何から守りたかったのかがはっきりするんです


これは私には完全になかった視点で、聞くたびに驚いています。
意識して観察してみます。ありがとうございます。


>そして日々の感情、「怒り・悲しみ」なども抑圧せず、なかったことにせず、ただただ心から感じることによって、その感情エネルギーが体を「ただ」通り過ぎ、新たなカルマが蓄積されない事に気づきました


新たなカルマが蓄積されないという感覚を体感されているんですね。これは透明度が違うのだなあと痛感しています。気づかない内に、既に使ったことのあるコーヒーのフィルターをもう一度使ってしまっているように、私はなっているのかもしれません。こいさんの体感はまさに川のようです。


>この2本柱の方法を日々繰り返すことによって、生まれ変わるというか、心身ともに段階を踏んで健康になっていきました


心身ともに、健康になっていくというのは最高ですね。真似させていただきたいです。


>この方法論はレナード゙ジェイコブソンの「今この瞬間への旅」で学びました。この本は私にとっての聖書です(^^)


名前だけは伺ったことがあるのですが、明日注文しようと思います^^
こいさんが聖書とおっしゃるなら、相当の本でしょう。学ばせていただきますね。


>あとは人間として生まれた以上、否定やネガティブを感じることはしょうがない!とあきらめることも大事だと思います。


それは同感です。否定やネガティブが悪いのではなくて、没入しないことが悪いのだと私は思っています。


>悟りの一瞥後、苦しかったのは思考に巻き込まれたり、否定的な感情が生まれるたびに落ち込むことでした、「またやっちまった!」って
>でもそこはもう諦めました。
>人間として生まれてきた以上ポジティブ側にだけにいる事は不可能ですし。
>これはバーソロミューや阿部敏郎さんの著作に学ばせて頂きました


そこはもう「諦めました」のこの「諦めました」は肯定的な受け入れ、ゆだねですね^^
共感します。こいさんはご自分のその体感を通じて、そこに至っているので、もう揺るがない財産だと思います。死の淵から蘇った人は、強いと感じます。


>だから私もいまだに一瞬、不幸の思考に巻き込まれることもありますが、そんな自分を笑って許し、高田純二ばりに軽く考えてます(笑)
>そうすると心に平安が戻ってくるんです


心の底からご自分を許している、ということですね^^
高田純次でいいじゃない!というのは神の視点に近いと思います^^


>結局はどんな自分も許して愛してあげることが一番大事なんだなと思います


これですねえ。リラックスの根源だし、特定の成果うんぬんの尺度が世の中には蔓延しているけれど、どんなことを成し遂げるのも、この自分なんですよね。共感します^^


>「自分を許す・自分を愛する」こんなシンプルで簡単なことが出来ないのは、そう自我君のせいです(笑)
>完璧主義者なんですね自我君は。


完璧主義者は基本的に不幸になりますね。完璧というのは自由そのものなのに、自由の中の枠に小さな完璧の尺度を自我が描いて押し込めてしまうと、できないことをしようとする苦闘になります。そういう苦闘を闘っている人は今この瞬間でもたくさんいますね。


>そして自我が、私を守ろう守ろうと傷ついた体験を忘れさせ心の奥にその時の感情をしまいっぱなしにすると。。。
>はい、以前の私のように自分に自信がなく、自分を愛せず、外側に愛を求め、他人に執着する人間の完成です(笑)


これはご自身の経験と、体感と、そういうものから来ている教訓ですから、力強いです。私はいま過去のどこかの時点でしまいっぱなしの何かを掘り起こそうとしている最中なんだと思います。こいさんがこういうふうにおっしゃってくださることは励みになります。ありがとうございます。


>今のような定着した心の平安にたどり着くまで約10か月かかりました
>Y師の方法論だけでは辿り着けませんでしたが、大変に有効なツールであることは確信しています


私は少し思考観察を過小評価していた部分があったかも知れません。また改めてもう一度観察してみようと思います。
こいさんのその道のりが勇気に満ちていたことを、こうしてシェアしてくださったことに感謝いたします。


>長文失礼いたしました!!
>お返事くださって嬉しかったです、次の記事も楽しみにしてますね!!


とんでもないです。また色々教えていただけたら嬉しいです^^
次のコメントを楽しみにお待ちしてますね^^
【2013/09/30 00:51】
ワークショップ
誤解を与えたかもしれないので、ちょっと弁解。
nobodyさんも、私も、思考の観察を実際に行い、その有用性を認めた上での、今回の話しになっています。
(有効性や有用性があることは、話しの前提として、当然の事、という認識の上で話をしています。)

さてさて、それはともかく。
今回は、二日間のワークショップが行われるそうです。(^^)
やっぱり文字情報だけではなく、実際にお会いして(疑問点や感想なども含め)色々と学んでみたいので、早速申し込みました。

なにしろ今回は、前々から気になっていた「定着」についても触れられるみたいですので…これは楽しみです。
光龍 2013/09/30(Mon)18:59:53 編集
Re:ワークショップ
光龍さん、こんばんは^^ありがとうございます。
確かに私の書き方が若干、思考観察そのものに対して否定的に映ってしまったかもしれません。光龍さん、巻き込んで申し訳ないです。
そう見えた場合はどうかご容赦ください。


>誤解を与えたかもしれないので、ちょっと弁解。
>nobodyさんも、私も、思考の観察を実際に行い、その有用性を認めた上での、今回の話しになっています。
>(有効性や有用性があることは、話しの前提として、当然の事、という認識の上で話をしています。)


おっしゃるとおりです。ごめんなさい。
李下で冠を正さずですね。


>さてさて、それはともかく。
>今回は、二日間のワークショップが行われるそうです。(^^)
>やっぱり文字情報だけではなく、実際にお会いして(疑問点や感想なども含め)色々と学んでみたいので、早速申し込みました。


Y氏のワークショップがあるんですね?お知らせを見てきますね^^


>なにしろ今回は、前々から気になっていた「定着」についても触れられるみたいですので…これは楽しみです。


それは楽しみです。定着とはなんなんでしょうか?
お化け屋敷に入った時の善とは何か?みたいな感じでしょうか。
お化け屋敷では、全力で怖がった人の勝ちです。人生がもたらす体験に没入しているならみんなそれぞれに驚きが待っているのかも知れません。


いつもありがとうございます^^
【2013/09/30 23:50】
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Fiora & nobody