裏話


こんばんは。光龍さん、突然ごめんなさい。コメントありがとうございました。私光龍さんと別件でお話したいことがちょうどあったんです。今夜はその話を書かせてください。


思考観察を長期間に渡って実行した方、体験から様々なことがわかっていらっしゃる方、光龍さんにご意見をお伺いしたかったことがあるんです。


「思考観察の難易度」についてなんです。ふつうの場合、途中で諦めてしまうのも無理がないと思えるくらい難易度があまりに高すぎませんか?


Y氏(Y氏と書くのは、こういう記事が万が一でも先方のご迷惑にならないようにというだけです。Y氏の取り組みはあらゆる点で尊敬に値すると私はいつも思っています)の非常に優れた思考観察の取り組みの特徴は「定着まで一点集中する」という点だと思っているんです。もしY氏が、この定着という自己想起の徹底ぶりをもたずに、日常生活で焦点を四方八方に分散していたなら、方法論としての価値はあまりなかったように感じます。定着という語彙がもたらすイメージの弊害も抜きにして、その思考から離れる一点集中・徹底ぶりこそY氏の真骨頂だと思います。


※定着後5年以上たってから、Y氏が無意識の思考や抑圧した怒りに気づいて向き合っていることは不思議なことではありません。台本はそれぞれの時期に、必要なことがおきます。その5年の間、Y氏が感じていたことに価値があるんです。遍在の感覚から日常を生きているというのは、稀なことです。


今になって思えば、3ヶ月という期間は定着にもっていくまでは短いくらいです。私は、3ヶ月どころか、9ヶ月以上たっても定着したのかどうか自分で自分を疑うことの連続になりました。当初は簡単だと一瞬思ったんです。間違いでした。これは簡単ではなくて、とても、極めてと言っていいくらい難しい挑戦なのだと本当に思うようになりました。


Y氏の当時の集中力が尋常ではなかったのだと思うんです。6冊程度の本を回し読みしながらという「特殊な方法」であったことも、軽視してはいけない事実だと思います。仕事や育児をしながら、これが果たしてできるでしょうか?


3ヶ月で定着させようというY氏のたどられたルートを真似しようとすると逆効果になるかもしれないと思うようになりました。希望は役にたちますが、道の険しさを体感していない天才的・またはど根性の人が説明すると、あまりの現実とのギャップにドロップアウトする人が続出するように思うんです。現状そうなっているような気がします。Y氏より早く定着させた方はコメントで拝見する限り、3日で定着状態までもっていった女性の方お一人だけ(その後2ヶ月静寂から生きていて、自身の感覚が人間離れしていることをご自分で不安に思った方)です。私はまったくダメでした。


私の場合、感覚を恣意的にコントロールできる(幸福⇔不幸を意図的にどの瞬間でも切り替えることができる、その確信が生まれた)ことに気づいたのも、8ヶ月9ヶ月たってからです。確信が生まれた今でも、不幸の連鎖に戻ることはいつでもできる状態です。ちょっと巻き込まれればいい、それだけです。


私の個人的な足枷は神秘体験時の記憶と、その意識感覚に対してのうん十年の執着です。同じ究極の快楽をもう一度!その感覚が鉛より重いんです。それが間違っているとは思いませんが、今この瞬間の入り口をくぐるのに邪魔になり続けます。「求める」思考パターンが、再度入り口をみえなくしていきます。


思考観察は、決して一本道とは言えないし、簡単でもないです(やること自体は一本道ですけれども)。
100人の方が挑戦したら、たぶん90人以上の方が、回り道の独自ルートをとられると思います。その途中で挫折したと自分で自分にレッテルを貼ってしまう。


失敗しない方の特徴はただ一つ、途中でやめない方ではないでしょうか。
絶対みんな、うまくいかない日が山ほどやってきます。
カモフラージュの世界で「成果をあげる」ことこそが人生だ!とみんな何度も何度も思わずには生きられません。


瞑想だって、うん十年やっても終わりのみえない世界です。
でも、答えはありのままの今この瞬間にある。
今すでにある。今明るい。


今暗いよ!何言ってるんだい!?今は真っ暗だよ!!だけど俺に任せろ!明るくしてやるから!


そう主張する自我との説得合戦です。
どちらの根気が勝つか、簡単ではありません。


光龍さんのご意見をまた教えていただけたら幸いです。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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Fiora & nobody