咲き誇る大輪の花 洞窟編
(以後洞窟編終了と書くまで洞窟編です。今度は星のはずだったのに地の底に落ちていきます)



フィオラさん、暗いっすよ。真っ暗ですよ。
右も左もわからないっすよ。
一寸先もほんとに闇なんですけど。



暗闇を感じ尽くせばいいでしょう。
それ以外に「何ができる」のですか。
逃げ口上をまだ続けますか。


フィオラが最初期に言った言葉の中で今でも理解不能なものが、


洞窟の底の底


です。どこに洞窟があるのか。それは何なのか。人の動機でしょうか。


以前は書かなかったんですが「キリストの言葉が目の高さにあることを恐れた民衆の文字」とフィオラが発言した音は「ヘイロパイン」です。
音だったので、halo と pineだったのか不明です。


日本語で詳細を説明してくれていないと、私には意味がとれません。
もし「光輪を切望する(人々)」という意味で使っていたのなら、キリストの言葉は目の上になければならない(崇高でなければならない)と恐れる者たちの動機は、「日常と神が同一視される=(自分が孤立したまま)日常に置き去りにされる=絶望との思い込みがあり、それを極端に恐れているから」と受け取れます。日常そのものに対する恐怖感というか。


仮定に仮定を重ねますが、もしそうなら、この動機はよくわかります。
神に置き去りにされたと心の底の底で感じている人間は、恐怖に基づく文字を書き残します。
大抵の場合それは攻撃になり、批判になります。根本の怖れを見たくないのです。それを見なきゃパラドックスは解けないのに。自分で自分の首をしめているのに。


神が誰かを救い、自分を救わないなら、そんな神は許せない。
引きずり戻してやる…。そういった動機に基づいた言葉は多く残っているはずです。
書としてではなく、一人一人が無意識の想念の中に持っているのだと思います。



人生とは腸の検査を行うために、あなたが乳酸菌となって体内に侵入することです。
あなたはちっぽけな乳酸菌ですから治癒の力は限られます。
あなたの力は病根を拡大してリアルに見る力です。
治癒は別のものが行いますから心配する必要はありません。
見てください。可能なかぎり正直に。被害者としてではなく、仕事に燃えるリポーターのようにです。


7月8月9月と3ヶ月の間、私はフィオラに接触しませんでした。
何かを怖れていたのか、色々面倒だと思っていたのか。
でも洞窟に放り込まれた時、辺りが真っ暗な時、私は実に情けない声で彼女の名前を呼ぶのです。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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Fiora & nobody