成長が速いというのは(つづく)


スピリチュアルな教え自体が、自己を受け入れ愛するのを邪魔することもある。時にはパラドックスのように。自己を人間性の牢獄から解放しなければならないと教えられ、同時に、人間の置かれている状況を信頼せよと教えられる。物質世界は神聖なるものの表現であり、また神聖さそのものであると教えられ、同時に、そこに存在する混乱、怒り、憎しみを目にしなければならない。自己をよりスピリチュアルなレベルに高めるためには物質をスピリチュアルなものに高めなければならず、そのための唯一の方法は物質世界をありのままに受け入れることだと教えられる。なによりも難しいのは、物質世界の基本的二元性を受け入れながら、同時にその二元性を超えて物質世界との一体化へ向けて動いてゆこうと努めねばならないことだ。
こうしたことを可能にする方法は、自己を愛し、宇宙と人生をありのままに受け入れること、そしてつねに導きと守護があり、あらゆる出来事には必ずより高いレベルの理由があると知ることだ。このより広い視点に基づいての受容が自己の意識と生活に組み込まれる時、歩みはとても速くなるだろう。 バーバラ・アン・ブレナン


(つづき)あらゆる出来事には必ずより高いレベルの理由があると知ることです。
大いなる愛の光は常にわたしたちとともにありますから、「偶然○○に接触した」ということはありません。
兄弟姉妹が自分に厳しいことを言うときでさえ
「こちら側に抱えている自己像との同一視において何らかの傷がある」ことを示しています。
傷がない状態で、兄弟姉妹が引き金を引くことはありません。


たとえば道端を歩いていてすれ違った人が「舌打ち」をするとします。
なんの脈絡もなく私に向かって。


なんの脈絡もないのは、物理的視点だけであって、
本当の現実ではその舌打ちは「メッセージ」です。
その舌打ちを気にすることまで含めて、「こちら側に傷がある(自己像との同一視)」を教えてくれています。


こういう場合のメッセージは単純で
「自分でありのままの自分を愛していないみたいですよ、気づいてください」です。または
「勝手につくりあげた自己イメージと同一視しています、気づいてください」です。


愛画素とわたし年末書いてましたけれども、
基本的に、愛の画素ですべてが構成されていることを常に感じて生きているようなら
魂の成長は高速です。ある意味当然ですよね。


兄弟姉妹や、環境や、この世界まるごと愛している
「存在・意識・至福」として機能しているなら安定しています。



オズの魔法使いの映画で「正しい宝石」を選ぶシーンが


子供のとき印象に残ったんですよね。
とてつもなく広い雑貨屋の中みたいに小物や雑貨が散乱していて
ドロシーはそのなかでたった一つ「正しい宝石」を見つけなければなりませんでした。


その宝石は仲間が石に姿を変えられているものだったんです。
結局ドロシーが見つけるのは知恵のカカシが姿を変えられていたものだったため、後はカカシが他の仲間を助けることができ、全員を救うことができました。


ドロシーはたったひとつの「正しい宝石」を見つけることができたんです。


この人生というものにおけるソレはもう少し単純です。
雑貨屋の中に散乱する雑貨の「奥」に、どの瞬間にも本当のわたしたち「虚空」があるんです。


霊的階級すらその「虚空」が化けている姿のため、
それだけ掴めばいいという、唯一の答え、シンプルさがあります。


わたしたちが空なのであって、同一視の思考だけどうかやめてくださいね、という話にすぎません。


じゃあ日常生活が答えなんだと感じる方は何もわかってないですからね。
日常生活は答えじゃないです。日常生活は影にすぎません。


答えは大いなる愛の光であり、不満も違和感も疑問も
瞬間的にゼロになるほどの圧倒的なエネルギーです。


わたしたちが、その光なんです。
一人の例外もなく。


複雑な現実構成をしているように見えて、背後にあるのはその現実だけですから、
科学だろうが政治だろうが経済だろうが宗教だろうが
わたしたちが顕すのはこの「大いなる愛の光」をどう顕すかということだけです。


それに大失敗してきた歴史が戦争であり、虐殺です。
人類はとにかく、この大失敗から学ぶスピードが遅かったということだけが「ケチのつけどころ」です。同じミスを繰り返してきました。
環境と調和できず、環境破壊が進行し続けている限り、人類は魂とのつながりを取り戻していません。
そして、環境が著しく破壊されたこの段階においてそんなケチをつけている暇はもうありません。


この20年で変えるのなら、一人一人が「浅い同一視の奥にあるほんとうのわたしたち」に気づくしかないんです。



ジュラシックパーク ヴェロキラプトルの臨場感


最初小説で読んだんですが、後で見た映画より臨場感あったんです。
マイケル・クライトンの魔法でした。



ドキドキはするんですが、それはそれで楽しいんですよね。
狩る側も全力、狩られる側も「全力だから楽しい」んです。
「ああ、どうしてわたしは狩られる側なのかしら、不公平だわ」とか考えてたら楽しめません。



遺伝子の制限


遺伝子によって制限がかかるのは「肉体だけ」です。
霊魂には制限がかかりませんので、遺伝子と性格は別物です。
先天性の全盲の方は、視覚を経験しないフィルターとしての肉体を「一時的に得た」のであって、霊魂にもともとできること「視覚」はその制限から離れた途端(体外離脱でさえ)すべて回復します。


ですから、遺伝子による子供の性格チェックなどというのは不可能です。
性格を決めるのは霊魂だからです。


両親の遺伝子によって左右されるのは肉体だけであって、一般に信じられているような性格の遺伝はありません。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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Fiora & nobody