バック・トゥ・ザ・フューチャー


で描かれていた未来って今年2015年のことだったんです。
1985年があの映画の軸となる現在で、30年後の未来2015年と30年前の過去1955年を行ったり来たりします。


技術はあの頃に思い描いていた未来(ホバーボードが飛び交う未来でした)ほどには進化していませんが、時代の空気は変わりましたよね。


テレビ番組はPTAがうるさいのかちょっとマイルドになりましたし、みんながスマホというわけのわからないメカを持っています。


確かですね、ちょうどあの頃1985年頃から
バーソロミューが「高度なエネルギー域」と呼ぶ地球の変容を促す光のエネルギーが強烈に降り注ぐようになったんです。


あれから30年。


人類が変容するためには、そしてどの分野でも行き詰ることなく成功していくためには、
常に「大いなる愛の光」とともに創造しなくてはならないことを痛い教訓とともに学んできたんです。


この学びに抵抗する人々にとっては、ここから先は氷の世界です。


人間は死んでも死にませんから
Aさんという人物は死後、ただ単に向こうに移行したAさんになるんです。


Aさん→向こうに引っ越したAさん


性格は変わらないですし、能力も肉体制限がなくなるだけで基本変わらないです。
パートナーの再婚などに関しては大らかな気持ちになるそうですが、基本的に性格もそのままです。


何が大きく変わるのかと言うと、「現実認識」が180度変わるんです。
物理世界というのは半面にすぎず、「霊的成長」を基本軸にして自分たち霊が活動していたことを思い出すからです。


そこで感じるのが納得と後悔です。
どうしてもっとポジティブに人生の困難に直面しなかったのか、
魂を覆う自己の暗闇に敢然と立ち向かわなかったのか、
えこひいきされている者は一人も存在せず、みんなが公平な地平にいたことに気づかなかったのか。


公平。
これはですね、「重力」を考えていただきたいんです。
みなさん地球上に存在するありとあらゆる生物種の中で、
重力30%OFFの特典を受けている生物とかっていると思いますか。
ありえないですよね。


空を飛ぶ生物はたくさんいますが、重力30%OFFはありえないです。


みんなが公平に同じ「法則」の影響下にあります。


不公平に見えるだけなんです。
おもいっきり公平なんです。


あの世とシステムを忘れているから、不公平に見えるだけなんです。


殺人事件がありますよね。本当の意味で不幸なのは、人を殺したほうです。
この世では、警察は有限なので場合によっては逃げられます。


でも、世界のほんとうの仕組みは
「逃げられない」んです。公平さから、逃げられないです。


みなさん自分の人生を振り返ってみて、
一番怖ろしい警察役って自分の「良心」だと思われませんか。


良心は、良心だけは、騙せないんです。そして逃げられないんです。
この宇宙全体を統括するのが、もしも、万が一、
わたしの「良心」だった場合、
大変なことが起こると思いませんか。


彼または彼女(良心)に言い訳なんて通じません。
あの世で何によって清算が起こるか、生きているうちに想像したほうがいいんです。


公平な重力は、わたしたちの胸にいまもあります。



光の反対語は、私です。


光←→私


光になりたい!は無効です。
もう光だからです。


そうではなくて、私をやめてくれ、なんです。


最初は、人生に突入して、「私」の構築を進めます。


差異化するし、私対私の関係を築くために、あの私とは違う私を強調します。


そして、私を輪郭している間ずっと、光を見失うんです。


忘れたのもわざとですし、人生というのもわざとです。


闇が極まりすぎて落ち込むときもあります。


どうしていいかわからなくなるのは、ずたぼろに傷ついた「私」をひきずってるからなんです。


「私をやめた」人がおかしな出力をするようになるんですよ。


あなたもやってみませんか?


「私」が隠れんぼやってるんです。
「もうーいいーかい?」
「まーだだよ」
「もうーいいーかい?」
「まーだだよ」


この隠れんぼの途中で、隠れんぼというゲームごとやめちゃえばいいんです。


なぜ、私と隠れんぼ続けなきゃいけないんですか?


私、を、現す、のをやめちゃうんです。
いまこの瞬間に、やめちゃう。


そうするとふしぎな光がみえてくるかもしれません。



新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。



気づきの究極の状態は炎


本当に気づいていれば、自由の中に想念が入りこむ隙はない。
なぜなら、気づきの究極の状態は炎、知識の炎だからだ。
何であれ侵入しようとするものは、その炎に焼かれて灰と化す。
「私は自由だ」という知識は、近づいてくるどんな想念をも焼き尽くす炎だ。


「私は自由だ」とは「対象物に飛びついて、それと結びつこうとする思考過程から私は自由だ」を意味している。その状態にあれば、何ものもあなたの自由を妨げ、平和を破ることはできない。(プンジャジ 覚醒の炎 P117)


全員が真我なので、
真我実現とは無知「私だけは例外的に真我から分離しているんです。悔しいです!」の消滅にあります。


では無知によって誰が苦しんでいるんでしょうか?
「私」が苦しんでいるんです。


ですから単純に、「私」を引き起こす前の状態にとどまれるか確かめてみませんか?
そもそも、分離した「私」がいる、が不自然な可能性があります。



この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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Fiora & nobody