今年書きたいことは後わずかです。


ひとつがですね、
・2015年に年を越す前に「個別の霊魂の旗」を掲げたほうがいいと感じること。
もうひとつが
・ハンカチを見る人は「綿」を見れない
です。
一つ目から書きます。






来年初頭でも間に合うとは思うんですが、できるなら今年中、残り3日間で「旗」を明確にしたほうがいいと感じています。


みえないエネルギー、電磁波のようなもので日本全体が電子レンジ加熱中だとすると、
猛烈な風が吹いていまして、
それを追い風としてとらえるためには「個人の旗」をここで張り直したほうがいいと思うんですね。


わたしは個人は幻想だとは思わないです。
二次的な同一化であろうと、分離意識を一時的に体現し、それを統合するために生まれたんだと思うんです。


この個人には、独自の霊魂と、独自の精神と、独自の肉体が与えられています。
肉体感覚さえ同じものは70億人の中でひとつもないです。
たとえばスピリチュアルな分野で示唆される感覚のすべては、
一人一人かぶらないんですよ。肉体感覚が別だからです。
Aさんの感覚とBさんの感覚は厳密にも大雑把にも違うものなんです。


その独自の感覚を「わかってあげられる」のは実際、本人しかいないんです。


ですから、理想の旗も、現実の感覚も、すべては「個別」なんですね。


画一的に「この規範」「この感覚」に合わせてください、せーの!
はおかしいと思うんです。


とすると、
この電子レンジ時代では、
初期から追い風を目一杯受けられる「個人の旗」を明確にするよう求められている気もするんですね。


わたしはフィオラの影響で、最初は黄金時代が来ると思っていないです。
冬が来ると。


なぜそれを言うのかと言えば、
2015年初に日本全体を巻き込むような大掛かりな事件や事故が起こる可能性を含めているような気がしてならないです。


一度そういうことが起こった後だと、精神的な電磁波がジャミングのように荒れるんですよ。
いま、静かな内に、旗を出しておかないと
サポーター陣も混乱の中では手助けしにくいのではないかと感じています。


わたしはフィオラとしゃべった今までの経験から
通常14日程度、2週間先の未来までは「勘のいい人たちのネットワーク全体」には何かしら信号が引っかかるだろうと考えていまして、


大地震などの大災害は
「寿命が尽きている人以外」は回避可能な情報は得られると考えています。
寿命が尽きている人というのは、こちらでやるべきことが既に完了している人であり、帰還する「権利」がある人たちです。


今日から2週間後と言うと1月12日成人の日です。
それまでお正月中に何か出てくる可能性は0ではないと見て、今年中に旗を明確化しようと個人的には感じています。


わたしが信奉しているバーソロミューの言い方で言えば、


自分が心から実現したいものをいつも念頭に置いて、神にその実現を手伝ってもらってください。これをいまから六ヶ月か八ヶ月のあいだ試してください。自分が創造したいもののなかから、自分にとって最も大事なことを選ぶのです。あらゆる可能性のなかに、かならず一つ、あなたを心から喜ばせ、満たし、あなたの最高レベルの目標と調和するものが存在します。それに心を集中してください。


です。
最高レベルの目標と調和する「たった一つ」が旗です。



ハンカチを見る人は「綿」を見れない


プンジャジの動画を見ていて感じたんですが、
カタチと動きを見ると「虚空」を見失うんですよね。


私は体だ!と見ている人は「真我」を見失うんです。


瞑想について二系統の言い方があるんですよ。
ニサルガダッタなら
「想念を潜ませることへの厳格な拒絶」
クリシュナムルティなら
「私・自我の感覚を生み出す思考の全活動を、一個の事実として理解すること」
です。


思考を一個も潜ませるな!
思考の全活動を、一個の事実として理解する!


どちらか。


カルキさんなんかはクリシュナムルティ側の言い方に近いです。
ニサルガダッタが「私は在る」で言いたいのは、
想念を潜ませないために「私は在る」という一つの想念で他すべてを追い出せと言ってるんです。


どちらも同じことなんですが、能動的か受動的か、気質によって合うほうを選びます。



傘(かさ)


透明なビニール傘をさしているとして、傘の内側と外側がある気になりませんか。
雨から守ってくれる空間を内側、守れない空間が外側です。


わたしたちは意識なんですが、ふだんは焦点がこの傘に合っているんです。


「どんなものにも焦点を合わせることのできる意識」ですが傘ばかり標準的にピントが合っています。


そのピントを支える最大の観念が「私とはこの体だ」です。


人間がこの体に生まれるのは筋力増強のためではなくて
「焦点をコントロールすることを学ぶ」ためだと思うんです。


傘が存在するつもりになっているのは計画どおりに騙されているからです。
肉体という境界線を見せられて、ここまでが自分、ここから外が他人と信じこみます。


傘は分離とも言えます。
分離に焦点が合っている以上、統合の感覚を感じることはありません。


分離は幻です。


内側と外側の差異を強調して感じ取ることも分離感をより強化していきます。
心理的な競争はすべて、分離感を強めます。


焦点「分離」→分離感


では焦点「統合」→統合感でしょうか?そうではないんです。
わたしたちがもともと統合意識なので、「分離」から焦点を外したらそれが統合そのものなんです。


私はこの体だ。→私はこの体「ではない」


に意図的に外してればいいんです。


そうしていれば、思い込みに隠されていた意識が浮き彫りになってきます。
意識がくっきり浮かび上がってきたら
「私はこの体ではない」という観念も流してしまいます。



横幅の境界が消える時代に


どんなダンスの渦が巻き起こるかわからないですよ。


ステップは学べばいいのであって、
フィオラが強調するのは「あり方としての愛」です。


何をやっても愛ということがわかる地平から「自己尊重」を最初に取り戻していただけませんか?ということです。


あなたがあなたである意味
わたしがわたしである意味をもっと大事にしませんか。


わたしたちはそれを尊重していけませんか。


偶然ではなく、神の愛と叡智を信じ、この自分を信じませんか?
ということです。


この自分に、ありのままのみんなに、今日をありがとう。
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