いま何で泣いてたか思い出せます?
すごく悲しくて泣いてるとします。
ふと「何で泣いてるのか」
1、見てください。
2、考えてください。
2番の場合は理由は明白です。過去から継続している「私」という自我がいると思い込みが続いているから。思い込み「継続発信中」だからです。
でも1番は違います。
ただ「見る」とそこには、何で泣いてるのか「理由が浮かんでいない」ことを見るという理性では納得しにくい状態があります。
泣いてた理由は過去であり、
いま泣く理由は「過去をもちこまないかぎり」ありません。
これがすべてに延長されるんです。
「過去をもちこむ正当な理由はあるんでしょうか?」
その答えは「私の継続」です。
「私=記憶を今この瞬間に持ち込んだときにのみ発生する断続的な瞬間意識」です。
この断続意識を継続させたいのが「私」の「願望」であり「生き延びる戦術」です。
「私は継続している」と思い込ませることこそ自我のゴールです。
自我は継続していません。
継続していると思い込ませたいだけです。
狭いのは、私がいると思い込んでいるときの意識の狭さの感覚です。
本来は誰もいないので、意識は広いです。
考えるとは過去を持ち込むこと、ひっぱることです。
喫茶店にコンビニのコーヒーを持ち込んだら「おかしい」ですよね。
喫茶店でしか味わえないコーヒーを頼みにくいです。
過去の記憶の持ち込みは、
今この瞬間の本来の姿への集中を妨げます。
今この瞬間は未知です。
過去は既知です。
そして「私」は既知です。
1秒前に考えていたことは浮遊しているでしょうか?
過去はとんでもない速さで完了しています。
気づかないのは私の継続願望、サバイバル戦術に目くらましを受けているからです。
人間はこう考えます。
肉体に創造力が宿っている。肉体を動かすことで創造できる。
ですがそれは事実ではありません。
本当に瞬間を支えているのは気づきです。「自動の見ること」です。
過去=既知(記憶)
いま=未知(見ること)
何に苦しんでいるか。
わたしたちは「過去を混ぜなければならない」という思い込みに苦しんでいます。
今日をありがとうございました。
HN:
Fiora & nobody