シンプルさが力をもつ(見るシンプルさ、愛するシンプルさ)
二つより一つが力をもっています。
一つより「そんなことを考えもしない」ほうが力をもっています。
サハジャ(自然)ってなんでしょうか。
それは究極の調和です。
アイススケートリンクをイメージします。
氷の平面はシンプルでクールです。
冷たい感じ、くっきりしている感じです。
氷面は鏡のように磨かれています。
これが叡智の側面、見るシンプルさです。
アイススケートリンクの氷面が実は床暖房完備でアロマの香りがしていたらどうでしょうか。
怪我防止のために氷面も柔らかくてウォーターベッドのようなクッションになっていたら。
やさしいアイススケートリンクです。
「これに気づく」ことが愛の側面、愛するシンプルさです。
床暖房とアロマの香りとクッションに気づくこと。
調和というのは、いま起こっていることを無駄にせず、過小評価せず過大評価せず、そのまま見て、そのまま「愛する」ことです。
そのまま見ることは理解されやすいです。
ですが、そのまま「愛する」ことの必要性は理解されにくいです。
なぜでしょうか。
そのまま愛するとは「そのまま今のこの自分を愛する」ことなので、
今のこの自分を「見たくない」と感じていると人は無意識に
「他者や環境批判にすり替えてしまう」からです。
他者や環境を批判している
↓
自分を批判している(無意識でも)
↓
自分の中に見たくない側面がある
↓
見ていないために自分を愛せない
↓
魂の成長が遠回りになる
ということです。
批判=自分を愛する必要性
なんですね。
見るシンプルさから始めた人は
愛するシンプルさに「いずれ合流」しますが、合流するまでの間に大間違いをしでかす可能性があります。
自分を愛していない人=自分を愛していることに気づいていない人
こういう人は、他者をも傷つけるからです。
愛するシンプルさから始めた人は
見るシンプルさに「いずれ合流」しますが、合流するまでの間に大間違いをしでかす可能性は、ありません。愛のあるところに大間違いは生まれません。
愛するシンプルさは安定していて王道です。
それはたとえば裁判員として呼ばれた裁判で犯罪者の量刑が話し合われていて、自分の理性では死刑が妥当だと感じられても、神の愛が加害者にも流れていることを信じ、終身刑を選択するようなものです。見るシンプルさでは逆になる可能性があります。
ただ、愛そうとするあまり、ありのままに見ることの大切さを忘れるとこれも成長の遠回りになります。
誰かのせいにせず、自分を愛すること、それがとても大事なんです。
今日をありがとうございました。
HN:
Fiora & nobody