苦しみはメッセンジャーなのです。
「目を覚まして、何が起きているのかに気づきなさい。私は苦しみです。私がいるということは目覚めが必要ということですよ。起きなさい」
というメッセージを伝えているのです。苦しみは続けてこう言います。
「私を使って目覚めてください。ノックの音で目が覚めましたか。私が刺激しなくても、自分自身の心の内なる静寂に憩う方法に気づき、そして、安らぎを通して、愛を求める方法に気づくことができませんか。私はもう行ってもいいですか」


これはわたしとフィオラが扱うものの中で最も重要なものかもしれません。
苦しみや怒りや怖れをフィオラは「陰(オン)」と呼びます。
内側と外側の境目に「想定している分離のカーテン」、このカーテンを「私」と呼び、このカーテンが動いているときにしか「陰(オン)」は発生しません。


苦しい。ということは精神的脱臼があり、脱臼に対して「痛い痛い」と言っている状態です。
それはカーテンを直視している状態以外ではありえません。
内側と外側の境目の「私」を見ているときにだけ苦しいんです。


このカーテン「私」から目を逸らせないから苦しんでいるのであって、
目を逸らすのが急務です。カーテン「私」は「私が創造主(愛)と分離されて(縁を切られて)一人ぼっちでさまよっている、私ってかわいそう」という内容の「思考、想念、思い込み」です。


そして「陰(オン)」が発生していますが、これを発生させるためにこの世に生まれたんです。
この「陰(オン)」こそ宝であって、オンさえあれば問題は解決します。
オンがあるから苦しんでいるのではなくて、オンがあるから苦しみから解放されるんです。


神との分離という根源の怖れ、原初の傷から解放されるために、
オンが神の恩寵なんです。


この陰(オン)を味方にすること。常に、最高の味方とすることがフィオラのやり方の真骨頂です。陰(オン)を見つける度に踊って喜びましょう。
愛はより深くなり、至福はさらに強化されるからです。


つまり、苦しみが深く、怒りに満ちて、怖れの極地にある人こそ最高の才能の持ち主なんです。わたしたちが生まれたのは陰(オン)を見つめるためです。



原初の傷を防衛または否定するとさらに痛みが創りだされる


コアから発せられた行動が仮面によって歪曲されればされるほど、他人を責めることで自分の行動を正当化する必要がでてくる。ロウアーセルフ(低い自己)の存在を否認すればするほど、自分自身から力を奪うことになる。「否認」は、どのようなものであれ、自分の中にある創造の源の力を阻害するからだ。そしてますます大きな苦痛と無力さの悪循環を創りだす。この苦痛と無力さの悪循環が大きくなるほど、原初の痛みや傷はいっそう大きくみえるようになる。それは幻の痛みで覆われるようになり、その想像された痛みはあまりに激しいため無意識のうちにその痛みを恐れ、それを経験するのを避けるためならどのようなことでもするようになる。想像の中でそれは、耐えがたい拷問、そして自己を抹殺する力となる。原初の傷を避け、癒さずにいることを正当化すればするほど、その傷はいっそうぬかりなく埋め込まれ、やがて本来の姿とはまったく別のものと化してしまう。


ヒーラーおよび教師としての経験から、私はこう結論する。人ははじめに創りだされた傷自体によってよりも、その傷を習慣的な防衛パターンを通して防衛することで、より多くの痛みと病気を人生と身体に創りだす。


否認→「源」阻害→無力感



原初の傷に回帰する


自分の姿を忘れない唯一の方法、人生を望みどおりに創りあげて健康で心やすらかになる方法は、自己のコアとのつながりをふたたび確立することである。そのためにはただ一つの道しかない。自分が持っている「イメージ的結論」をみつけだして観察し、それに関わる「凍りついた精神時間複合体」を解放し、それによってすべてのイメージ的結論の根源、すなわち「原初の傷」にたどり着くことである。自己の原初の傷を掘りださなければならない。これは、自己の防衛システムをくぐり抜け、傷のまわりのネガティブな感情とそれをとりまく何層もの想像上の痛みを浄化することを意味する。ひとたび原初の傷にたどり着けば人生はあらゆる面で変化し、自分自身と人生を癒すことができる。これがトランスフォーメーション(自己変容)のプロセスだ。



では、吸う息、そして、自分をゆだねるとはどういう意味でしょうか。吸う息とは、広大無辺のエネルギーを受け入れ、その感覚に自分をゆだねることです。何の行為もなく、何の思考もなく、ただ感覚のみ。けれども、神の澄んだ深い息を受け入れるには、まずそれを邪魔しているものを取り除かねばなりません。邪魔しているものとは、神の存在を感じるためには、これをまず自分のなかから取り除かねばならないとか、これをまず自分のなかに持っていなければならないと信じているようなこと、そういう事柄です。


呼吸のバランスをとるための第一歩は、自分が望むものを手に入れるために必要だと思っている条件が、何なのかを知ることです。自分が抱いている一連の思い込みをよく見直してください。そうした思い込みが、神を直接体験し、それに身をゆだねることを妨げているのです。自分の思い込みに直面してごらんなさい。そうするとそれらはだんだんあなたから離れていきます。


それでは、吐く息、そして、自分の現実を創造するという点についてはどうなのでしょうか。あなたは息を吐くたびに何かを創造しています。ほとんどの瞬間、あなたは無意識を使って創造しています。無意識とは魂の一部で、あなたの過去のやり方を記録している部分です。けれども、過去に基づいて創造すると、未来は過去に似たものとなります。この繰り返しのパターンを壊すには、未来の創造者として、無意識を使わないようにする方法を見つけなくてはなりません。神の共同創造者になるには、そうしようという意思がなくてはなりません。神の共同創造者とは、”神なる自己”に備わっている特性のうち、どれを自分は感じたいのかを決めて、それが現実となるまで、それらの特性に意識を集中させる人のことです。たとえば、あなたが求めているのは心の平安ですか。喜びですか。自分が誰なのかを心の底から知ることですか。覚醒意識ですか。求めているものがわかったら、そうしたものを自分が求めているのだということを忘れないようにしてください。そして、自分の内に向かうときには、そうした特性が、自分の内にあるだろうと期待していてください。



人間の精神の果たすべき任務とは、すべてを二極の価値観(善悪、白黒、左右などの対立する価値を基準とする考え方)で判断する地球界の意識にしばられながら、自分のまわりに現象として現れている両極のあいだを、どのように動いていくかを学ぶことです。地球は二極性を持って機能している惑星であり(他の惑星はまた異なります)、地球の役目は、それらのエネルギーの相互作用を理解する機会をあなた方に与えることにあります。


それらはすべて未来や過去に関するものです。そのような焦点の当て方が問題なのは、あなたが二極のあいだを行ったり来たりする結果、「大地に根ざす」パワーを持つことができないという理由からです。大地に根ざすのは、いつもいまの瞬間においてのみなされます。意識が大地に根ざしていると、深い安心感と安定感を得ることができますが、それがないと、悩みや苦しみが生じます。悩みや苦しみは思考から生まれ、思考から拡大していきます。


神が人間の苦しみを創り出したと言われますが、それは真実ではありません。人間が創ったのです。無意味に苦しむ必要はありません。無意味に苦しむことは死と同じです。


長い年月を経て人が気づいたのは、心の平安と完全性を自分の外の世界に求めるのはまちがっている、ということを人間に知らせてくれる最良の手段が、苦痛だということです。苦痛は、外界から内界へ人の注意を方向転換させる手段として、人間が選んだものの一つですが、それが唯一の手段である必要はありません。



あなたが死んだあとでは、「さあ、話してください」という言葉ほど重要な意味をもつ言葉はありません。そして、自分が愛したときの思い出を語るうちに、人生の旅路のすべてが美しくて意味あるものだったのだ、ということにあなたは気づきます。


あなた方はそれぞれ違う夢を見て、そして全体として、一つの夢を見てきたのだということを理解してください。


時間と空間というものに対する信念体系から解放されてしまうと、物事は一瞬にして現実化します。


人間の意識が持つむずかしさやすばらしさは、人間生活が非常にさまざまな物事に関わっているということに起因しています。その結果、自分が実現させたいと願うことのなかの、ただ一つのことに専念するのがむずかしくなります。そこで必要になるのは、自分と自分の心を、ただ一つの目標に向かうように訓練することです。したがって当然のことながら、この目標の選択には、細心の注意が払われねばなりません。
あなたが悟りの境地に達していないのはなぜかというと、あなたのなかに一貫性がないからです。
あなたが悟りの境地に達していないのは、本当はすでに悟っているのに、そのことに気づかないようにしているからです。あなたがそうすることを選ぶのは、何も邪悪な動機があるからではなく、神と分離した(ように見える)物質界で、自分自身が創造しているものにたえず魅了されているからにすぎません。


増えたり減ったりするものを創り出すことによって、永続的な幸福や悟りを見つけることはできません。自分一人の力で創造するのはやめて、自分のなかにある”大いなる光”(完全なる叡智と愛に満ちた覚醒意識)を使って創造すれば、幸福はやってくるのです。


目覚めた意識に気づくというのは、すでにもう目覚めた意識から一歩離れています。その質問自体、あなたには二つのものがあることを意味しています。目覚めた意識とそれに気づくものです。それよりももっと直接的なものが望ましいです。思考を捨てて心を静めてください。さらに深く沈潜しましょう。そして気づきましょう。思考や感情や行為がわき起こってきても、もとの静寂に何度も何度も立ち返ってください。自分の意識の前面に目覚めた意識が出てくるまで、そしてあらゆることが目覚めた意識の中で起きているのだとわかるまで、何度も静寂に戻ってください。現在のあなたはこれとは反対の世界に生きています。あなたの意識の前面には、限りがあっていつか消えてしまう人生の創造物があり、目覚めた意識はどこか後ろのほうに隠れています。想念の創り出すイメージを映し出すスクリーンがあることにはっきり気づけば、鮮明なイメージを見てもそれに感情や行動を支配されないようになります。


今日をありがとうございました。
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