今日生まれた赤ん坊に、いずれ愛とは何かを知識として教えることはできます。
ですが愛自体は伝達の必要はありません。もうあるからです。最初からもってるからです。
もうあることに気づくことが起こります。


もうあることに気づくことは、人により千差万別で、でも大事なことは共通しています。


もうあることに気づくことは、自分の中の未知との遭遇です。


未知はいまどこにあるでしょうか。


大いなる愛は未知の中にあります。



神とはまったく抽象的なものではなく、生きた存在で、ひたすらに良きもの、与えるもの、幸福、全体性、そして自由なものです。


あなたには想像するのがむずかしいことはわかっています。でも心(マインド)を広げてみてください。可能性はここまでだと区切っている限界を手放してください。神はその限界の外にあります。なぜなら形をもたないからです。形がないので、万物の内に住むことができます。神の存在が見いだせないような場所はありません。


神は、男性と女性の持つあらゆるポジティブな可能性を結びつけた、愛の存在です。育みそだて、また保護します。力強く能動的であると同時に、優しく温和です。


神は、いにしえの賢者の知恵と同時に、おさな子の無邪気さを備えています。戦士の強さと同時に、若い母親の気遣いを備えています。神はすべてであり、それ以上です。


神は定義できません。わたしたちが「神」について抱いている概念の中には、閉じこめられません。


制限なき存在であるがゆえに、神のスピリットはわたしたちの心と経験の中を生きて動いています。この神の臨在からわたしたちは、自分の本性を引き出しています。その本性こそ、わたしたちのまことの姿です。その本性に意識的に気づくことはあまりないのですが。


スピリット、つまり”聖なる本性”は、生まれることも死ぬこともありません。それは肉体的な誕生の前から存在し、肉体の死ののちも存在します。その本性は、知性的・感情的経験の範囲には押しこめることができません。それはつねに変わらぬ愛の存在であって、自分自身を十字架につけたり、他人を攻撃したりするのをやめさえすれば、そこへもどることができるのです。


あなたの中の”聖なる本性”は、兄弟姉妹の中のそれとまったく同じです。それはたったひとつの本性、たったひとつのスピリットなのです。


あなたが肉体に、あるいはたがいに分離しているという考えに自分を同一化しますと、”本性”を忘れてしまいます。ほんとうの自分を忘れてしまいます。


内なる”聖なる本性”を認めるまでは、あなたは神の栄光を知ることはないでしょう。この”聖なる本性”はあなたの性別、人種、経済状態、国籍、宗教には関係ありません。自分のことをどう考えているか、他人にどう思われているかも関係ありません。


あなたの内なる”聖なる本性”は、まったく愛すべきものであり、愛です。その”本性”に接触すれば、あるがままの自分でいい、それで受けいれられるのだとわかるでしょう。あなたには、なにも改善したり手直ししたりするべきところはないとわかります。自分の”本性”を知るには、自己批判と自責を手放さなければなりません。また兄弟姉妹に対する批判をも、根こそぎ捨てなければなりません。


この状態にとどまることに慣れてきますと、人生はどんどん楽になります。


一時間に五分は、そして十の考えのうちの一つは、自分の”聖なる本性”を思い出すようにしてください。神を思い出すということをたえず行うようにすれば、人生のチープな連続ドラマにはまりこむことはなくなります。十のうち九つの考えはおそらく、自分はここを直すべきだとか、あの人はあそこを直すべきだとかいうものでしょうが、十番目の考えは、直すべきところのないものについての考えにしてください。十番目の考えは、完全に受けいれられるもの、完全に愛すべきものについての考えにしてください。


食事のときには、神があなたとともにテーブルについておられます。兄弟と話すときには、神があなたに、相手を勇気づける言葉を言わせてくださるでしょう。そういうことを全部忘れて、妻あるいは夫に向かってわめきちらすときも、神は手をのばし、あなたにそっとふれ、ユーモアたっぷりに言われます。「また連続ドラマにはまったね」あなたは自分自身がおかしくなって笑いだし、自作自演のドラマに深入りしないですむでしょう。



すべては思い出すというゲームです。
いったんそのことに気づけば、儀式の意味はあなたにとって、まったく変わってしまいます。ですから、自分が思い出すことの助けになるような儀式の形式を自由に選べます。どんな形式でもいいのです。


真実はあらゆる形式、あらゆる大きさでやってきますが、すべてはたったひとつのシンプルな真理です。
あらゆる形式のなかに、あらゆる状況のなかに、その真実を見いだせるようにしてください。


あなたがたは、文化や宗教のバリアーが乗りこえられるような時代に入ってきています。ちがった言葉を話す人々が、おたがいを理解するようになるでしょう。多様性を許容すれば、すべての人に認められる普遍的な価値という考えにゆきつくでしょう。


ですから、どうか、そこでは自分が完全ですべてであるような、そういう場所をみつけるようにしてください。その場所からなら、人生に入ってくるすべての人を祝福し、受けいれられます。その内なる平和の場所からなら、あなたは男と女のあいだに平和を打ちたてられるでしょう。これがわたしの教えです。あらゆる時代を通じて、つねに変わりなくそうだったのです。



今日をありがとうございました。
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