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つないだ手はハートにみえます。



必要としている相手に愛を与えることは、あなたの中の愛を強めます。相手に愛を惜しむことは、愛の存在に対するあなたの気づきを弱めます。


兄弟があなたの注意をひこうとして、ふさわしくないふるまいをするとき、あなたはやむなく顔をそむけ、そっぽを向いてしまいます。なぜならあなたは、そんな要求に応えるのはとうてい無理だとわかっているからです。


けれど兄弟から顔をそむけることで、あなたは愛をひっこめています。彼への愛をひっこめるとき、自分への愛もまたひっこめられています。


兄弟はただあなたの愛を求めていただけなのに、やりかたがわからなかったのです。愛の本質がわからず、混乱してもいました。ほしいものを手に入れるため、あなたを操ろうとします。


どうすればよいでしょうか。相手に対して愛情のこもったふるまいを示します。相手がほんとうにほしがっている愛を与えます。自由にいくらでも与えられるようなものを、ありったけ与えます。相手の要求にかなっているかどうか、心配する必要はありません。


言い換えればあなたは、兄弟を愛することには「イエス」と言い、操られることには「ノー」と言うのです。「ノー」と言っても、相手をハートから追い出すのではありません。相手を批判したり切り捨てたりしません。犠牲者にも、迫害者にもならず、相手の恐怖心に満ちた考えに対し、愛をさしだします。


こう言います。「いいえ、あなたの求めるようなものはあげられませんが、双方のためになるような方法で、あなたを助けたいと思います。あなたを拒絶したりしません。あなたが、わたし以下の人間だというふりをしたりもしません。あなたが愛を求める気持ちは、わたしのそれと同じくらい大切なのですから、それを尊重します」



真に愛するものは、相手にそう言います。「あなたのほしいものは何でもあげますよ」とは言いません。「双方のためになるような道を考えよう」と言うのです。愛するものと愛されるものは対等です。ふたりは愛の相互表現となります。


これを理解することがたいせつです。多くの人は、だれかの要求に「イエス」と言わなければ、それは愛のふるまいではないのだと信じています。それは真実ではありません。相手の要求には、けっして「イエス」と言わないでください。それでは、あなた自身を愛することにならないからです。自分自身に対して優しくしてください。他人の要求を自分のより優先しないでください。愛と犠牲は無関係です。


どうか理解してください。あなたがたの中には、他人の要求から自分自身を守るためには、だれに対しても「ノー」と言わねばならない、と信じている人もいます。それも真実ではありません。みんなに「ノー」と言うことで、あなたは人と親しくなることへの恐怖心にしがみついています。他人を物理的心理的に遠ざけることは、恐怖心の行う作戦です。愛とは無関係です。


自己尊厳をもつ人、自分自身の真実を尊重する人だけが、他人と親密になれます。あわれみ深い人、他人の真実を尊重する人だけが、完全に自分の尊厳をもつことができます。



ありのままの自分を与えないかぎり、受けとることはできません。そして相手をあるがままに受けとらないかぎり、与えることはできません。


お互いの要求に屈服しないでください。操られることは拒否してください。侵害されていると感じたら「ノー」と言い、それからその侵害を宥します。「ノー」に固執しないでください。その人のふるまいへの「ノー」を、愛と助けを求める呼び声への「ノー」にしないでください。侵害を宥して、進んで愛と助けを与えるようにします。


これを実践し、いま現在の瞬間にいてください。操られることへの「ノー」を、愛と助けへの「イエス」にしてください。自分自身と相手を同じように尊重してください。


あらゆる悲しみ、苦しみを愛でおきかえてください。あなたが攻撃されていると感じたら、その攻撃には「ノー」と言い、でも攻撃しかえさないことです。自分がだれかを攻撃していたら、それに気づいて、償ってください。罪悪感から次の攻撃をしないことです。いまこの瞬間に、問題点を修正します。


愛と助けを求める人の声に「イエス」と言うことを、学んでください。


あなたが暴力を解消したいのでしたら、すでに恐怖心に満ちている相手を、さらに不安に駆り立てないでください。あなたの愛とサポートを与えるようにします。愛は修復します。憎悪は告発します。


だれでも、あるがままの自分を愛されたい、受けいれられたいと望んでいます。愛を与えられれば、その人はもう不安になりません。


兄弟に与え惜しむものは、自分自身に対しても与え惜しんでいるのだ、ということを理解してもよい時です。兄弟はあなたと切り離された存在ではありません。その価値を認めることで、あなたの価値もまた確かなものになります。


「食欲 イラスト」の画像検索結果
質問者 私は欲望がいっぱいで、それらすべてを満たしたいのです。どうすればいいでしょうか?


マハラジ  あなたは欲するものを受けるに値するだろうか?何とかして欲望を満たせるよう努めるしかない。エネルギーを注いで結果を待ちなさい。


質問者 どこからエネルギーを手に入れるのでしょう?


マハラジ  欲望そのものがエネルギーだ。


質問者 それなら、どうしてすべての欲望は満たされないのでしょうか?


マハラジ  たぶんそれは充分強くはなく、長続きもしなかったのだろう。


質問者 そうです。それが私の問題なのです。物が欲しいのですが、いざ、行動を起こす段になると怠惰になってしまうのです。


マハラジ  あなたの欲望が明確でなく、強くもなければ、それは形をなさない。さらに、もしあなたの欲望が個人的なもので、あなた自身の享楽のためならば、エネルギーは必然的にかぎりあるものとなる。それはあなたが持っている以上にはならないだろう。


質問者 しかし、しばしば普通の人びとも欲望を達成しています。


マハラジ  それは本当に強く、しかも長期にわたって望んだときだけだ。たとえそうだとしても彼らの達成はかぎられたものだ。


質問者 それでは、利己的でない欲望はどうなのでしょうか?


マハラジ  あなたが社会のためを思って望むならば、世界全体があなたとともに望むだろう。人類の望みをあなた自身のものとして努めなさい。そうすれば、決して失敗はあり得ない。


質問者 人類は神が関わる仕事であり、私の仕事ではありません。私は私自身に関わっているのです。私の正当な欲望が満たされるのを見る権利はないのでしょうか?それは誰も傷つけません。私の欲望は正当なもので、正しい欲望です。なぜ満たされないのでしょうか?


マハラジ  欲望は環境や状況にしたがって、正しくもなり、間違いにもなる。あなたがそれをどう見るかによるのだ。正不正の区別は個人にとってのみ有効なのだ。


質問者 その区別のガイドラインとなるものは何でしょうか?どうすればどの欲望が正しく、どれが間違っているのかを知ることができるのでしょうか?


マハラジ  あなたの場合、悲しみをもたらす欲望が間違ったもので、幸せをもたらすものが正しい。だが、ほかの人たちのことを忘れてはいけない。彼らの悲しみや、幸せもまた考慮に入れるのだ。


質問者 結果は未来のなかにあります。どうすればそれを知ることができるのでしょう。


マハラジ  考えなさい。記憶し、観察しなさい。あなたはほかの人と変わりはしない。彼らの経験のほとんどは、あなたにとっても有効なものだ。欲望とその枝葉の構造全体に入り、深く明瞭に考えなさい。それらはあなたの精神的、感情的構造のもっとも重要な部分であり、あなたの行動に強力な影響を与える。覚えておきなさい。あなたの知らないことを放棄することはできない。あなた自身を超えていくには、あなた自身を知らなければならないのだ。


質問者 私自身を知るとはどういう意味でしょうか?私自身を知ることで正確には何を知ることになるのでしょうか?


マハラジ  あなたではないすべてを知るのだ。


質問者 何が私か、ではないのですか?


マハラジ  あなたはすでに、あるがままのあなたなのだ。何があなたではないかを知ることでそれから自由になり、あなたはあなた自身の自然な状態にとどまる。すべては自発的に、努力なしに起こるのだ。


質問者 そして私は何を発見するのでしょうか?


マハラジ  そこには何も発見するものはないということを発見する。あなたはただ、あなたなのだ。ただそれだけだ。


質問者 しかし究極的に、私とは何なのでしょうか?


マハラジ  あなたではないものすべてを究極的に否定したものだ。


質問者 私には理解できません。


マハラジ  あなたが何者かでなければならないという固定観念、それがあなたを盲目にするのだ。


質問者 どうすればこの考えからまぬがれることができるのでしょうか?


マハラジ  もし私を信頼するなら、あなたは意識とその無限の内容物を照らす純粋な気づきだ、と私が言うのを信じなさい。それを自覚し、それにしたがって生きなさい。もし私を信じることができないならば、そのときは内側に入り「私は誰か?」と尋ねるがいい。あるいは純粋で純然な存在である、「私は在る」という感覚にあなたの気づきの焦点を合わせなさい。


質問者 あなたに対する私の信頼は何に依存するのでしょう?


マハラジ  ほかの人のハートを見通すあなたの洞察に依る。もし私のハートを見抜くことができないなら、自分のハートに見入るがいい。


質問者 どちらも私にはできません。


マハラジ  秩序ある有益な人生を生きることで、あなた自身を浄化しなさい。あなたの思考、感情、言葉、行動を見守りなさい。それがあなたの洞察力を明晰にするだろう。


質問者 すべてを放棄し、住居なき放浪の人生を送るべきではないのでしょうか?


マハラジ  あなたには放棄できない。あなたは家を放棄し、家族に問題を与えるかもしれない。だが執着はマインドのなかにあり、あなたがマインドの内も外も熟知するまで、それがあなたを離れることはないだろう。まず、あなた自身を知りなさい。そうすれば、ほかのすべてはやってくるだろう。


質問者 しかしあなたはすでに、私が至高の実在だと言われました。それは自己知識ではないのでしょうか?


マハラジ  もちろん、あなたは至高の実在だ。だが、それがどうだというのかね?砂のひと粒ひと粒がすべて神性であり、それを知ることは重要だ。だが、ただのはじまりにすぎない。


質問者 あなたは私が至高の実在だと言いました。あなたを信じます。では、つぎに私にできることは何でしょうか?


マハラジ  もうすでに言ったはずだ。あなたではない、すべてを発見しなさい。身体、感情、思考、概念、時間、空間、存在と非存在、あれやこれ――具象であれ、抽象であれ、あなたが指し示すことのできるものはすべてあなたではない。あなたはあるマントラを、何の結果も得られないまま際限なく繰り返すかもしれない。単に言葉による表明だけではだめなのだ。あなたは自分自身を、特にあなたのマインドを見守らなければならない。一瞬一瞬、何ひとつ見逃すことなく。この観照が、自己から非自己を分離する本質的なものだ。


質問者 観照――それが私の本性ではないのでしょうか?


マハラジ  観照のためには、そこに観照されるべき何かほかのものがなければならない。それではまだ、私たちは二元性のなかにいるのだ!


質問者 観照者を観照することはどうでしょうか?気づきに気づくことは?


マハラジ  言葉を並べ立てることではどこにも到達しない。内面に入り、あなたではないものを見いだしなさい。それ以外、残された道はない。



今日をありがとうございました。
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