人生の目的は魂の成長にあります。そのため途中で自殺することだけは基本的に厳禁で、それほど悩んでいそうな人を見かけたら必ず派閥を越えて声をかけるべきです。


自殺以外にも注意することがあって、それは霊性の道に進もうとしている人がいた場合、誠実にわかるかぎりの全力でサポートしなければならないことです。なぜなら魂の成長に関わることに嘘があると、相手がせっかく何十年何百年かけて準備してきたタイミングを邪魔してしまう最悪の可能性があるからです。この邪魔は時と場合によりその人の人生の一生ものになる可能性があり、細心の注意が必要です。また当然のことですがこのサポートは完全に無料で行われるべきものです。なぜ無料なのかは神の意図を考慮しなければなりません。ここであえて神の意図に敬意を払わずお金をとるとどうなるかはわたしにはわかりません。


魂の成長には二種類ありまして、
1、楽しいし魂の成長があるパターン(喜びの道) と、
2、楽しくないが魂の成長があるパターン(苦難の道) のどちらかになります。


2は生前に設定している宿命の部分もあり、すべて意図的に1番に変えることはできません。
ただ宿命以外の部分では、1番を選択するか2番を選択するかは自由意思にゆだねられています。


では魂の成長の本質とはなんでしょうか。
それは神(愛)を愛することです。
神は無数の部分として顕現していて、それが一人の人間を形成しています。
理性と感情や、言動の癖、引きつける想念の癖、それらが絡み合っています。


フィオラが言うには「怖れ」というのは未だ発見されず、未だ愛されていない愛であり、
究極的には神というのは「すべて」でありそのすべてが「愛」ですので、分離、神との分離が存在しないという認識とセットです。


怖れの部分が「愛である」ことを実地に発見するための旅とも言えますし、
あの世の座学でわかったつもりになっていても、こちらで肉体をもって体験すれば「愛を選択することの困難さ」にくじけそうになります。


どの深さで話をするかで変わるのですが、
日本が困難な時代を迎えるときも、それが魂の成長につながる以上は無駄ではありません。


ただ、先の太平洋戦争のような体験は、
宿命ではない2番の道のりであり、回避することが可能でした。


回避できなかったのは1番の道を選ぶ者が少なかったからなんです。
そもそもすべてを司る神も、神の手であるあの世の人々も、戦争を意図したことが一度もありません。地上でやらかしたのはすべて人間です。教訓を学ぼうとしなかったのも人間です。


神が愛なので、愛に基づいた(愛そのもので)選択をすれば万事うまくいく。
というシンプルな原則を学ぶだけなんですが、
シンプルであるからこそ奥がものすごく深いんですね。


たとえば「許し」があります。
ものすごい恨みがあるとして、それを一生の間に「許す」「手放す」ことが簡単にできるでしょうか。
簡単、ではありません。
神との分離を信じる以上、怖れが許すことを邪魔しています。
人生で少しずつ少しずつその怖れに向き合い、「許す」かどうか自分で決定していきます。
ところが許したその瞬間、神(愛)はその姿を少しだけ垣間見せるわけです。
この繰り返しで人は成長していきます。
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