絶対に、甘く見てはならない(国家のカルマ)
大した相手ではない、国民が理性的に判断すれば排除できる、という考えにわたしは反対です。
絶対に、甘く見てはならず、彼らを国民が拒否するその瞬間まではどのような楽観もまずいと感じています。
アベ氏とその一派、国民の方を向いていない外務省と、勝手な判断をする防衛省は、太平洋戦争時の一番悪かった日本に似ています。
防衛省に関しては、つい最近までまさかそんなミスは繰り返さないだろうと思っていたのですが、次々に発覚した内容を見るかぎり勘違いだったようです。
国家には国家のカルマがあるのかもしれません。
日本は、太平洋戦争時のあの「体質」を浄化できてはいなかったようです。
身近なところで今の日本のマスコミは、どうかしています。
少なくとも国民の命に関わることだけは「騒ぐ責任」があるはずですが、凶悪な殺人事件については連日騒いでも、大多数の国民の命を危険に晒す事柄に突っ込むマスコミがありません。
福島以後に原発を動かすのは、間違っています。
せめて青森の六ヶ所村だけは計画を止めなくてはなりません。
日本の原発は警備がゆるすぎて、いつ何があってもおかしくありませんし、地震と津波も予測できません。
軍部が暴走したあの時と、政府が暴走している今、
国民とマスコミの半分は太平洋戦争時のカルマを背負って堂々巡りをしているように見えます。
アベ氏が出現したこと自体がサインです。
ドイツとは違って、日本国憲法には永遠条項などなく、憲法のガードも万全ではありません。
今回のことを重く受け止め、ドイツ並みの永遠条項、少なくとも人権には手を出せないようにすることと、憲法9条の精神である侵略戦争の放棄(同盟国が起こした侵略戦争にも絶対加担しない)の明記、この二つはやるべきだと思います。

カオスの縁を歩く 「世界の調停者」
万策尽きたと思うな。自ら断崖絶壁の淵にたて。
その時はじめて新たなる風は必ず吹く。
-松下幸之助-
ワイルドサイドを歩け、との一文を見かけてハッとしました。
カオスの縁こそ、実は進化のスピードは最も早いと
初代ジュラシックパークの数学者が言っていたのを覚えています。
今の日本はカオスですが、
逆に進化の大チャンスとしても捉えることができます。
「世界の警察官」と誇りをもっていたアメリカも、今は迷いの中にあります。
日本は今こそ国際社会のために次なる新しい日本のビジョン、
「世界の調停者」
に進化するためのカオスの縁の試練を受けていると見てもよいのではないでしょうか。
難民が足蹴にされているこの状況に、日本はドイツとは違うやり方で貢献できることがきっとあります。
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Fiora & nobody