ピンポンダッシュ
「無想」を唯一の基準として(無想への気づきを)維持しています。 そこに想念が浮かびます。ピンポン。 そのたびに「誰?」と問いかけます。 自我の考えること、やっていること、悩んでいることは真我とはまったく関係ないことを自覚します。つまり想念を発生させたのは偽者です。 想念を発生させたのは、「私」という「想念」です。 この犯人を捕まえないかぎり、想念の発生は止まりません。 「行為者の私がいる」という想念を 「見ている気づき」を感じ取ります。 どんなに強く想念の「私」と同一視(顔パス)していても、それに気づける存在があることを 想念発生の「たびに一回一回意識に上らせる」ことが可能です。 ピンポンダッシュみたいなものです。 ピンポン(想念)と音が鳴って玄関に出たら誰もいない。 でも犯人はいます。ピンポンを疑問に思わなくなると犯人探しができません。 無想は実現可能です。 無想でないなら、「私」という想念を潜ませていること以外に原因はありません。 犯人を捕まえたのか、捕まえていないのか、どちらかです。 犯人は玄関脇に仕掛けたカメラで撮影されていて、モニターには映るんです。 録画機能はありませんので、 モニターの前に仁王立ちします。 ピンポンダッシュの犯人を捕まえたいなら、それしかありません。 今この瞬間をよく見渡してみると 気づき以外に「私」の痕跡はどこにもないことに気づきます。 今あるのは、「気づき」だけです。 音の起こり、触覚の起こり、なにもかもが気づきです。 想念を発生させた想念の「私」を見つけることができません。 ここで「私はいない」ことを自覚します。 そして残った気づきの「存在の感覚」を感じます。 「わたしは在る」 このとき肉体を意識するのではなく、境界のない気づきの「在る」という感覚を意識します。 無想→(想念が一つでも発生したら)誰?→私はいない→わたしは在る→無想 これをひたすら繰り返します。
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